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2024年12月10日
ヴェニスの商人
この芝居を上演するのに今は実にビミョーな時代だよね〜というような話を開演前に旧友のモリとして、モリは見終わった後も「今この芝居を上演して平気な国は日本くらいかもね〜」とのこと。日本は欧米文化大好き国でも、国内にユダヤ人問題を目に見えるカタチで抱えていないし、キリスト教とユダヤ教の違いすら知らなくても当然のような顔をしていられるけれど、欧米諸国ではネタニヤフのおかげで今や反ユダヤ感情がキケンなほど高まりつつあるそうだから「セリフにユダヤ人、ユダヤ人って何度も出てくるのはいくら何でも怖すぎるわよね〜」とカトリック信者のモリはいうし、ミッション出の私もその世界状況を全く意識せずには観られない芝居であったのだ。欧州におけるユダヤ人差別や迫害の歴史は勿論ナチスから始まったわけでもなく 11 世紀の十字軍あたりから始まって、スペインのレコンキスタ後の16世紀でも酷い目に遭っていることを前提に書かれている戯曲だろうが、ユダヤ人に対する加害者意識を持たないわけにはいかない欧州圏での上演と、ほとんど持たない日本での上演は演者も観客も自ずと違ってはくるのだろう。とはいえその割に、今回意外なほど面白かったのは草彅剛演じるシャイロックの人物造形で、今まで観たシャイロックは随所に卑屈な物腰や偏屈な態度で差別されたユダヤ人らしさを表現していた気がするが、草彅シャイロックはさほど卑屈でもなくむしろ高飛車気味に冷笑的な態度で、自身が差別され嫌われる理不尽さに一貫して昂然と憤り、観客に向かって抗議する人物なのである。アントーニオの胸の肉1ポンドを切り取ろうとするのも積年の恨みがあるキリスト教徒への復讐だと明言した彼が、結果その復讐を果たせぬどころか身ぐるみ剥がれて追い払われる時も今までのシャイロックのような敗残者の哀れさは感じさせず、むしろ引っ込む間際に舞台下手の袖で凄味のある笑いを洩らした瞬間、それは全世界の人間社会に対する絶望の冷笑と聞こえ、舞台の奥に消えて行く姿を下手で遮る壁面の装置がまさにアウシュビッツの壁に見えてくるような、現代の状況にもつながる恐ろしさがあった。一方のキリスト教徒であるヴェニスの商人たちが余りにも能天気な風に演じられていたのは、果たしてそれも森新太郎演出の計算と考えてよいのだろうか?草彅シャイロックに加えて今回の舞台で特筆すべきは佐久間由衣のポーシャである。佐久間は上背のある柄を活かして、父の遺言は守るけれど既に一家の主として堂々と振る舞う女性を伸びやかに演じ、結婚相手のバサーニオを圧倒する貫禄を見せつける一方で、男装してもさほど変わらずにジェンダーレス的な存在をごく自然体で演じて、この芝居のもう一つの今日性を巧く抽き出した点は高く評価されてしかるべきだろう。とにかく今日の時代に観る「ヴェニスの商人」としては良質の舞台だったといえる。