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2024年10月09日

ピローマン

21世紀初頭にロンドンで初演されて直後に日本でも紹介されたM. マクドナー作「ピローマン」は大変な傑作戯曲だとの評判を耳にしながらも、長らく舞台を見そびれていただけに、今回の新国立公演は待望の上演であり、且つまた期待を裏切らない優れた舞台であった。客席を両サイドに設営したセンターステージ形式の舞台は極めて簡素な道具立てで、まず取調室のシーンを現出する。そこには2人の警察官に厳しく尋問される作家がいて、全体主義国家の警察官という設定なので思想犯にでも問われているのかと思いきや、作家の書いた極めてブラックな怖いファンタジー小説の設定通りに幼児の惨殺される事件が起きたため、作家はその容疑者と見られていることが判明する。ところが作家には精神に障害を来した兄がいて共に警察官の監視下に置かれ、その兄弟が幼い頃に親から受けた教育や虐待が明らかになるにつれて……という風に書くと何だかとてつもなく陰惨な舞台となりそうだが、客席は時に笑い声が起きるほどほんわかしたムードに包まれるのは劇全体を覆うファンタジー色のなせるわざだろう。これからご覧になる方のためにネタバレは避けるとして、観ているうちにこの作品は幼児惨殺事件の真相を解き明かす劇なぞではなく、弟が作る「物語」をどんどん享受して現実化する兄も、逆に現実を仮想化して「物語」をどんどん作らざるを得ない弟も、さらには取調をする2人警察官も何らかの「物語」を自らに必要とする過去を抱えて生きているのが明らかとなる。「物語」を作る者も享受する者も人間だれしも心のうちに何らかの「物語」を必要としていることが暗に示された、つまりは「物語を廻るディスクール」といった趣きの観念劇ではあるのだけれど、弟の作り話のイメージが舞台をファンタスティックに彩って観念劇的な退屈さは微塵も感じさせないのがこの作品の素晴らしさだろう。ただし劇中で全く別の「物語」をほぼセリフのみで描き出すという役者にとって非常に難しい劇構造だけに、主演した成河の集中力には舌を巻いたし、兄役の木村了も急遽決まった代役とはとても思えない健闘ぶりだ。刑事役の2人もそれぞれの異なる持ち味が巧く活かせていたし、今回の翻訳台本が極めて現代調だったのも幸いしてかナチュラルな演技に見受けられた。


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