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2023年07月03日

茄子と豚肉の炒め煮

昨日乗馬クラブで有機野菜の茄子をどっさり頂戴したのでこのメニューに(^^ゞ色んな作り方をするが、今日はゴマ油で豚ロース肉を炒め、縦割りにして皮に刻み目を入れた茄子と青唐辛子を炒め合わせ、煎り子出しで煮て酒砂糖味醂醤油で調味。
昨夜は遅くにBSNHKで1980年に歌舞伎座で上演された「勧進帳」を観始めて、結局最後まで観てしまい、ああ、やっぱり「勧進帳」って良い芝居なんだよね〜と思い、能や文楽と同様に歌舞伎も古典演目は優れた演者で観ないとホントの良さはわからんのだよな〜という気が改めて強くしたのだった。二代目松緑の弁慶と十七代目勘三郞の富樫、七代目尾上梅幸の義経はこの時期のベストメンバーといえて、当時私は松竹に在籍していたので初日と楽日の最低2回はこの舞台を観ているはずなのだった。で、収録された回は松緑が既に喉をやっちゃってるし、勘三郞の演技は底を割りすぎだし、決して彼らのベストプレイには見えないのだけれど「勧進帳」の真髄はしっかり見せてくれているし、四天王や従卒のメンバーも行儀のいい演技でこの作品の格調を損ねてはいないし、長唄がまた松島庄三郎という名人級だから、曲調の面白さも十分に伝わる名舞台なのだった。
ああ、やっぱりそうだったんだ!と最近の上演で気になっている点が確かめられたのも有り難く、それは〽判官御手を……以下の件の弁慶と義経の位置関係であり、二人は現行よりかなり遠く離れた場所にいて、弁慶が「世は末世に及ぶといえども」以下の振事を現在のように堂々と舞台の中央で演じたりはせず、下手できっちり演じて見せている点で、やはりそうでないとこの芝居のドラマ的な真髄は伝わらないはずなのである。とにかくこの芝居は義経という存在をどう守るかがドラマとしての核であり、大切な人を守りたいという切なる気持ちが無関係な人の心をも動かすというドラマなので、そうしたドラマが昭和に大流行したのは、日本が戦時下に置かれ、その後の敗戦から何とか立ち上がろうとした時期に人びとの胸を打ったのであろうことが、今にしてよくわかるのだった。そしてそうしたドラマとしての側面は、演者がその気持ちを実感できる人であるのかどうかも問われ、少なくとも私が子供の頃に観ていた歌舞伎役者や聴いていた文楽の太夫は、いずれも戦時下を成人で過ごしていたために、実生活でもそれなりの裏打ちがあるという意味で深いリアリティを持った表現が可能だったのだろうと思う。現在の演者たちにそんなリアリティを求めるのは無理スジというものだから歌舞伎が変容していくのは当然で、古典演目の多くはドラマとしての側面がもはやオワコンでも、パフォーマンスとしては一級品たり得る可能性がまだあると信じて、その演出的な側面を強調するのが現代の歌舞伎の趨勢であろう。従って今回のNHKの放送でも弁慶が見得をする度に「元禄見得」とか「石投げの見得」とかのテロップが流されたが、その昔はそういうタームなんてゼンゼン知らなくても純粋に芝居=ドラマとして楽しめたんだよな〜という気持ちにもなったのである。それにしてもこの時期にNHKが唐突にこうした放送をしたのは、現在の歌舞伎界が苦境に陥っているからなのでしょうか(-.-;)y-゜゜


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