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2023年06月19日
平岩弓枝さんを悼む
昨夜訃報に接して、これでまた一つの時代が終わったという印象を持った。私が子供の頃はホームドラマの元祖といいたいような存在で、向田邦子や橋田壽賀子が現れるずっと前にTVで故人の名前を見ない日は無いくらいの活躍ぶりだった。その印象が余りにも強かったせいで、私は講談社主催の「時代小説大賞」に応募した際、選考委員に故人の名前があることを不思議に感じたくらい、恥ずかしながら時代小説というものに無知だったのである。つまり「御宿かわせみ」も当時は全く読んだこともないような人間が時代小説を書き始めたのだから図々しいにもほどがあるが、当初は時代小説を書く意識も全然なくて、歌舞伎の啓蒙書を小説のスタイルで書いてみようとしたのが「東洲しゃらくさし」であり、それが本人にとっては非常に意外なことに時代小説として評価された結果、マガジンハウス社から次回作のオファーを受け、今後もし本格的に時代小説を書いていくなら賞を獲ったほうがいいという当時の親友故進藤芳さんのアドバイスを受け、正直いうと賞金目当てで書いたのが「仲蔵狂乱」だったのである。
「仲蔵狂乱」に対して選考委員の中で唯一人非常に厳しい判定で授賞に異議を唱えられたのが故人であり、もし受賞させるなら、この部分は書き直させるようにとの指示を受けられたのは講談社の大石さんという当時の担当編集者で、大石さんは平岩さんの付箋がいっぱい貼ってある原稿を示しながら、別に委員の言う通りにする必要は全然ありませんからね、と仰言ったのだけれど、とにかくそれを受け取って見たら、その指示が極めて的確で、私が当時いかに小説の書き方を全く知らずに書いていたかを痛切に思い知らされて赤面したものである。故人が指摘された私の一番の欠点は、小説内で時間の逆行がやたらに多いことであり、それはどうも浄瑠璃にありがちな物語の作り方に引きずられていたせいなのだけれど、故人はきっとそれを承知の上で指摘されたに違いなかった。
もともと故人は長谷川伸が主宰した時代劇時代小説作家の集まり「新鷹会」の紅一点的な存在として20代で直木賞を受賞された時代劇時代小説界の超エリートであり、若い頃の著作を拝読すればいかに本格的な時代小説作家であるかがわかるし、多くの舞台にも関わっていた方なので、それまでにもどこかで接点がありそうなものだったのに、長谷川門下では村上元三氏が松竹と近く、故人は東宝寄りの方だったのでご縁がなかったのかもしれない。ともあれ故人に指摘された点を私は全面的に書き改めて上梓したものの、時代小説大賞の授賞式で初めて故人とお目にかかった時は大変な緊張を余儀なくされた。
受賞以来オファーが相次いで、いつの間にか私が時代小説作家の仲間入りをさせてもらえたのも、当時は今と違って時代小説を書く人が比較的少なかったせいもあるだろうし、一方で時代小説がブームになる中で池波、藤沢、司馬といった巨匠が相次いで亡くなり、女流では杉本、永井の引退表明があるなどして代替わり現象が起きたのも大きいのかもしれない。そんなわけで私の時代小説が直木賞候補作になるなどして、これまた選考委員であった故人と再び相見える事態となったのは良きご縁というべきだった。2度目に候補となった際に、故人は選評の中で、歌舞伎からちょっと離れてみてはどうかと意見され、担当編集者はそれに腹を立てたけれど、その短い選評の中には私に対する故人の気遣いが溢れていて、私自身は思わず涙が出たほど感激したのだった。候補3度目で受賞を果たし授賞式でお目にかかった際は「あなたもっとしっかり書きなさいよ」というようなことを言われたくらいで、故人との接点らしきものはとても少なかったのだけれど、私がこれまで何とか時代小説を書いてこられたのは故人のおかげといいたいくらいに多大な影響を与えた方であり、私にとって大変怖い方でもあった。人間年を取ると自分にとっての怖い人がどんどんいなくなる淋しさを感じるというが、私は昨夜それを痛切に感じたものである。改めて御魂の安からんことを信じ衷心より哀悼の意を表します。
コメント (2)
とてもとてもいいお話で、深いところに強く届きました。ありがとうございます!
投稿者 YO : 2023年06月20日 23:27
一度だけ、平岩弓枝氏の講演を聞いたことがあります
江戸時代の鎖国が厳しくなっていく頃のことを、お話してくださいました。
1635年に、在外日本人の帰国が全面的に禁止されて、その何年か前に渡航した人たちが、当時は情報がすぐには伝わらないので、知らずに帰国したけど、追い返されてしまうという過酷な話を知りました
『御宿かわせみ』はファンで楽しみに読んでましたが、明治になってからのは、途中で読まなくなってしまったので、現在がどうなったのか、知りたいです
現代ものでドラマ化された作品も、登場人物たちのお財布事情というのか、詳しくて、山崎豊子作品で描かれる経済の推移などとは違うけど、面白く読みました
ファンなのに、代々木八幡宮には一度しか行ってない
たくさんの作品を、ありがとうございます
合掌
投稿者 せろり : 2023年06月22日 01:16