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2023年03月15日
歌舞伎座3月公演第3部
今月の歌舞伎座第3部はまさに玉三郎の奮闘公演とでもいうべき演目立てで、以前には体調が心配された時期もあったから、今月は2演目を立て続けに主演するだけの元気がまずは喜ばしいというべきか。最初の演目は吉井勇作の「髑髏尼」で、これは明らかに「ノートルダムのせむし男」を下敷きにした大正デカダンスの色濃い作品である。一体どういう経緯でこの作品を今日に上演しようとしたのかは知らず、源平合戦で荒廃した古都を舞台とするだけに、今回は序幕で戦争によってもたらされる悲劇の側面を強調して今日性の獲得を狙っているものの、それが終幕と必ずしも連動するわけではないから、観客には今一つ腑に落ちない展開でカタルシスも得にくいかと思われた。ただ終幕で尼僧の姿になった玉三郎は年を取ってもなお官能的に見えるところが素晴らしく、この場は舞台美術も整っていたとはいえ、肝腎のカジモド役が物足りないのは如何ともしがたい。かつては六代目歌右衛門と十七代目勘三郞ががっぷり四つに組んだ芝居だけに、いくら玉三郎が若手を起用して育てるつもりだとしても、観客としては全く了承しかねた。
二本目は「廓文章」で、こちらはもう若手とはいえない後輩の愛之助に胸を貸した恰好だ。愛之助の伊左衛門は、仁左衛門と似て見えるところも多いとはいえ、この人ならでは可愛らしさも感じられて好感が持てた。〽可愛い男……とメリヤスにもある通り、とにかく伊左衛門は絶対に可愛い男に見えなくてはならない役だが、愛之助は最も自然にそう見える人かもしれない。ただしこの役の所作すなわち一つ一つの動きが不自然でなく見えるようになるには、もっともっと年季が必要だろうし、歌舞伎のさまざまな演技術の中でもこうした和事の演技は役者の熟成を待たなくては成立しないことがよくわかる今回の舞台でもあった。片や玉三郎の夕霧は病み衰えた姿に自然と見えたばかりでなく、伊左衛門に対する情も以前よりむしろよく伝わるのだった。歌舞伎では年を取って肉体が衰えたり動けなくなったことで却ってよくなった役者が昔からいくらもいて、玉三郎もいよいよその域に達したかと思うような今回の名演であり、それは躰の動けなくなった分を情感で埋めようとすることで生じる日本の古典芸能ならではの奇跡といえるものなのかもしれない。特に若い頃の玉三郎は、さあ、わたしの姿を見てくれ!といわんばかりのポーズを積み重ねて来た人だけに、そうした意識がともすれば役が要求する情感の妨げになりかねなかったのだけれど、今はそうした徒な意識が削ぎ落ちた分ストレートに情感が溢れ出して人の胸を打つ舞台になるのだから、やはり古典芸能というものは侮れない気がする。年を取ってこそ役に当てはまるケースも多々あって、今回の舞台でいえば吉田屋の女房おきさの役も上村吉弥がようやく堂に入ったと感じさせる好演だったことも最後に付け加えておきたい。