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2023年03月06日
鶴澤寛也さんを悼む
昨夜遅くに女義太夫三味線演奏家であった鶴澤寛也さんの訃報に接して大変なショックを受けた。寛也さんと初めてお目にかかったのは2009年に矢内賢二さんがサントリー学芸大賞を受賞された御祝いのパーティ会場で、当時ちょうど明治女義界の大スターだった竹本綾之助をモデルにした時代小説「星と輝き花と咲き」の執筆を予定していたわたしは初対面直後の寛也さんから女義研究家の水野悠子さんを紹介されて非常に感謝したものである。以来、自主公演「はなやぐらの会」に必ずご招待を戴くようにもなった。「はなやぐらの会」は寛也さんが大先輩竹本駒之助師匠の胸を借りる勉強会といった趣で、当初はこちらも正直いうと駒之助の名人芸を拝聴しに足を運んだ感じだったのだけれど、結果的には寛也さんの精進によって着実にその芸が伸びて行く過程を拝聴した恰好だったし、最初の美人演奏家という印象はどこへやら太棹の鋭く激しい撥音に圧倒された舞台もたびたびあって、今や現役で津賀寿さんに次ぐ斯界の実力者と認められた存在だったから、余りにも思いがけない急逝が惜しまれてならない。また寛也さんは三味線の演奏のみならず社交にも長けた方だったので、故橋本治氏を始めさまざまな文化人を惹きつけて、いわば女義界のスポークスマン的な役割を果たしてらっしゃったから、その点でも女義界が受けたダメージは大きいように思われる。社交に長けたといってもそれはよくある表面的なそれではなくて、真心と気遣いがこもったものだったからさまざまな文化人の方々も応援してらしたのだろうと思うし、あれだけ芸にエネルギーを注ぎ込み、且つエネルギッシュに動きまわって人脈を培うことは並大抵に出来るわざではないから、自分を使い切って早世されたような気もするが、古典芸能の世界ではまだまだこれからという年齢だけに、ご本人もさぞかし無念だったであろう。生前あれだけ社交的に見えた方のご遺志によって偲ぶ会はなさらないようなので、今はただ遠くから心より御冥福をお祈りする。