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2022年08月04日

内山美樹子先生を偲ぶ

昨夜早稲田の児玉教授から訃報を伺った時は、以前から心臓の病を抱えてらっしゃったとはいえ享年八十三は少し早すぎるように思われて、非常に残念な気持ちでいっぱいだった。浄瑠璃研究における現代の第一人者だった方だからして、当然ながら多方面でさまざまな惜しまれ方がなされているはずなので、わたしは敢えて個人的な話をしておきたいと思う。
わたしが早稲田大学で教わった時は先生がまだ三十代後半で、浄瑠璃に対する愛情に溢れたパワフルな授業にすっかり魅了されたのと、本来指導教授に仰ぐはずだった故河竹登志夫先生の2年間のウイーン留学とちょうど重なったために、卒論の指導をお願いして拙い「近松半二論」を書かせて戴いたのみならず、半二作の『本朝廿四孝』論を先生と共同執筆する機会まで与えて戴いた破格の厚遇は今も忘れがたいものがある。学部卒業に際してはオイルショック後の大変な就職難と重なって進路を決めかねていたところに、先生から「高田牧舎」に誘われて一緒にコーヒーを飲みながら大学院進学を勧められ、以来、大学院では先生の初めての弟子という目で周囲から見られることのプレッシャーと違和感に正直悩まされる日々だった。浄瑠璃や歌舞伎の研究は決して嫌いではなかったし、今でもひょっとしたらそっちのほうが向いてたのかも?と思わないでもないが、いわゆる学者さんの集まりというか、学界の雰囲気や研究者気質には馴染めないものが多々あって、そもそも学校というシステム自体が自分には向いていない気がしたために、修論を書いた時点で早稲田からおさらばする決意をし、先生には随分がっかりさせてしまったのかもしれなかった。それでも直後に先生から武智鉄二師を紹介されて、そのことでわたしにはまた別の人生が拓けたのだから、即ちご縁はずっと続いていたのである。先生はわたしが台本を書いたり演出したりした「近松座」の芝居をもちろん見続けてくださったし、その後わたしが芝居からも足を洗って小説を書きだすようになった以降も、全作品を読んで必ずご感想を寄せてくださった。新連載を予定している近松門左衛門の生涯を描く時代小説こそ、先生に読んで戴きたかったのにと悔やまれてならない。生前の河竹先生が内山先生について「あの人は本物の学者ですよ」とわたしに話されたことがあって、昔ながらの学者気質を備えた現代には稀有な存在として認めていらしたのを想い出すが、「本物の学者」であると同時に、教え子の行く末をいつまでも気にかける現代には稀有な「本物の先生」だったのだと、わたしは身を以て証明できる気がする。
近年では河出書房新社の「日本文学全集」10巻にわたしが『仮名手本忠臣蔵』の現代語訳を担当した経緯から、解説をダメ元で内山先生に頼むよう編集部にお薦めしたろころ、意外にも快くお引き受けくださって、その時のイベントでお目にかかったのが最後となった。
早稲田演劇博物館で現在まだ開催中の「近松半二展」のカタログに巻頭エッセイの寄稿を依頼され、断ろうかどうしようか迷いつつも、内山先生の顔が浮かんでお引き受けしたら、そのカタログに先生は近松半二に関する深い洞察を談話の形で寄せられていて、書物上では最後の接点となり、ああ、断らずに引き受けて良かった!と今は思いながら、明晩聖イグナチオ教会で催される通夜を前にして、天に召された先生の安らかな眠りを心からお祈り申し上げます。アーメン


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