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2019年11月30日
京舞 東京公演
昨夜は国立劇場の「京舞」公演を観た帰りに大学院時代の旧友河合眞澄さんと京都チャイニーズの名店「京静華」の店主宮本さんと半蔵門のフレンチ「アルゴで食事して帰りが遅くなったのでブログを更新しませんでした\(__ )
国立劇場での「京舞」公演はなんと21年ぶり!というのも驚きだが、チケットの一般売りが即完売で、祇園の御茶屋さんや京舞井上流関係者や門弟の方々にもチケットが十分に回らなかった!らしく劇場のロータリーはクルマが渋滞し、ロビーは人にぶつからずに歩くのが困難な状態 (@_@;) という大変な公演を、プログラムの巻頭随想をオファーされたおかげで拝見できたのは何よりでした(*^^)vとにかくチケット入手が困難だったことにもからんでいるのか、日本舞踊関係者を昨日はほとんど見かけなかったし、客層もいわゆる舞踊会のそれとはひと味違った感じで、男性客が目立ったのも近頃の劇場には珍しい現象といえた。たしかに祇園の芸舞妓が一堂に揃ったところを東京で見ることは滅多にないわけだから、ここぞとばかりに集った方が多かったのかもしれない。
で、ワタシは正直いうと今度の公演はやはり先代家元の高弟であるかづ子さんと政枝さんを欠いたことに歳月の流れを感じさせられて、やや物足りなさもあり、葉子や安寿子といった後進の若手がその穴を十分に埋めているとはまだいい難いものの、現有勢力としては精一杯の奮闘で、京舞らしい細い糸がきりっと張りつめたような緊迫感のある舞台をみごとに披露していたように思う。舞子さんたちの定番「京の四季」で幕を開け、次に若手の葉子が竹本駒之助や藤舎名生といった豪華な地方を揃えて難曲「芦刈」に挑み、孝鶴とフク愛が芸妓らしい男舞と女舞で「通う神」を披露。古曲一中節で浦島伝説を語る「松の羽衣」はすっきりとした照豊の舞と情感に富んだ豆千鶴の舞の対照が面白く、能の「葵上」に基づいた「梓」のまめ鶴は貫禄の舞いぶりで六条御息所を蘇らせた。家元は五世八千代襲名披露で演じた珍しい演目の「三つ面椀久」を娘の安寿子と共に東京では今回が初披露。椀久が三つの面を代わる代わるかぶって3人のキャラクターを表す後半もさることながら前半の人形振りも面白く、襲名時の初演はひたすら曲に集中して懸命に演じるのみと見えた五世八千代も、今回はさすがに余裕をもって、この曲の面白さがどこにあるかを意識して観客に伝えようとする舞いぶりが窺えたことも、歳月の流れを感じさせたものである。最後は祇園町ならではの「手打」で華やか且つ賑やかに〆られてお開きとなったのもめでたい限りでした(^○^)
コメント (1)
21年前の東京公演も拝見していましたが、今回も圧巻でした! しばらく上洛の機会がなかったため、京舞を観るのは今回が10年ぶりくらいになります。せっかく東京でやってくださるからと気合を入れて、3公演とも見ることができました。
出演者の顔ぶれに、まずは世代交代を実感しました。バラエティに富んだ演目はそれぞれ見応えがありましたが、自分にとっては「手打」が最も印象的でした。厳しく言えば、松井さんのおっしゃるように、多少の物足りなさも否定はできないのかもしれませんが、この20年の激変した時代環境を考えれば、よくぞよくぞ保たれているとも思えました。
3回目の公演の幕が閉じてからも三味線がひとくさり、鳴り物も続いたと思ったら幕が開いて、家元をはじめ出演者一同のカーテンコールには、こちらのほうが恐れ入りました。。
松井さんがプログラムに書かれていた「古格を保ちながら斬新」という表現に大いに同意します。京舞がこれからも、「保ちつつ」長く続いていくことを願います!
投稿者 YO : 2019年12月01日 23:06