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2016年06月24日
三陸・下北行
今朝はBBCで直前予想を裏切るような開票結果が相次ぐのを、ええっ!これってヤバクないすか〜と見ていたら、ホントにヤバイ結果になって世界に激震が走るなかで(@_@;) 今夜のブログはとにかく初の青森行についてのみ触れたいと思います(^^ゞ
ところで青森県と一口にいっても、太平洋側と日本海側とでは気象もコトバもかなり違うようだし、安土桃山時代から幕末に至るまで領主も南部氏と津軽氏に分かれていたから必ずしも仲良し関係ではないらしい。というわけで次回はぜひ日本海側の津軽方面にも!と思いつつ、今回は八戸と五戸で高校生のための講演をした前後に太平洋側の三陸・下北半島の旅行を満喫した次第。
まず21日は正午に八戸駅に着くなり、そのままタクシーでまっすぐ北上して恐山へ。この行程がなんと大宮から新幹線で八戸へ行くよりもっと時間がかかったのはいささかビックリで(!_+) 同行した一ツ橋文芸協会の田村さんも集英社の伊藤さんも、私と同じく恐山の正確な位置関係をこれまで知らずにいたのを痛感させられる格好だった。クルマは新緑に囲まれて今が穫り入れ時のニンニク畑やヒバ林を横目にビュンビュン飛ばせどいつになっても到着せず、陸奥湾に沿って走行しながらそろそろトイレ休憩が必要な段階でも、「恐山はあの裏側になるんですよ」と二番目の写真に映った遙か先にある山を指さされた時は愕然としたものだ。山近くからはヒバの樹海をかいくぐって延々と登り、さらに今度はずうっと下り続けたら突如ぽっかりと開けたエリアに出て、目の前にエメラルドブルーの湖と湖を取り巻く奇体な山々と大寺院の山門とその後背に広がる荒涼とした大地が一度に目に飛び込んで何やらフシギな雰囲気に包まれた。恐山の霊場とは要するに湖を含んだカルデラだと了解されるも、賽の河原よろしく至る所で小石が積まれてその横に風車が添えてあるのは寺山修司や鈴木清順の映画を見るような妙に現実離れのした独特の風景であり、硫黄ガスがあたりに充満していることもまた異様なムードの演出に貢献している。恐山といえば即イタコさんが思い浮かぶとはいえ、ここで口寄せをなさるのはごく限られたシーズンらしい。そんなわけでイタコさんをご自宅に訪ねたのは講演の次の日だった。この日は講演の主催者でもある地元の新聞社の方に吉田類も紹介している居酒屋「ばんや」でご馳走になり、帆立貝の刺身やキンキの煮付けなど料理いずれも大変美味しく戴いたが、生ウニをどっさり食べてから、これまたウニと鮑がどっさり入ったいちご煮が出て来て、この夜は短時間に最も沢山のウニが食べられたわが人生の記念すべき一夜と相成りました\(^O^)/さすが日本有数の漁港八戸では、翌日の晩ご飯をご馳走になった鮨店「ほそ畑」ともども美味とリーズナブルさを兼ね備えた点では東京からわざわざ新幹線で行っても十分元は取れちゃう感じでしょうか。