トップページ > 訃報
2016年05月12日
訃報
ショックを受けたなぞと私が書くのはおこがましい気がするくらい蜷川さんの訃報に接して愕然とし、呆然とし、悄然とし、焦惑し、慨嘆し、疲労困憊なさっている方々の顔をあれこれと想い浮かべながら、このブログを書いている。今年になって、持ち直されてもう大丈夫と聞いた覚えがあるだけに、関係者の衝撃は計り知れない気がする。
蜷川さんと初めてお目にかかったのは文化出版局発行の「ミマン」という女性誌で、翻訳家の松岡和子さんがシェイクスピア作品を、私が近松作品を隔号でそれぞれ1本ずつ取りあげて解説的なエッセイを試み、それの連載一周年記念か何かでゲストにお招きして鼎談が催された時である。当時まだ私は本当に駆けだしの作家で、それでも蜷川さんはきちんと『仲藏狂乱』を読んでお会いくださったものと記憶する。
私のほうは蜷川さんが手がけた商業演劇の舞台を初期の作品から、正確には松本幸四郎(当時市川染五郎)主演の『リア王』からほぼ欠かさず観ていて、時にはすっかり感心させられたが、視覚的には優れた舞台でも役者のセリフ等には聴覚的な難があるといった批判的な目を向けることも多く、どこまで正直にそうした感想を述べていいものやら迷う気持ちもあったので、元「ぴあ」の演劇記者で蜷川さんと懇意だった進藤さんに鼎談の立ち合いをお願いした憶えもある。蜷川さんは進藤さんを「この人は時々コワイこと言うんだよね」と評して彼女の辛辣な感想をもちゃんと受け止める度量のある人だというのがわかったので、私も初対面で正直に話せたし、また蜷川さんが武智鉄二先師を演出家として尊敬なさっていたこともあって、以来、大変なご厚誼を戴くようになった。当時まだ今の私の年齢くらいだった蜷川さんから、進藤さんと私は「老害にはなりたくないから、俺の演出がもうダメになったと思ったら、必ずそう言ってくれよ。二人にお願いしますよ」というようなことを何度か頼まれた憶えもあり、以来こちらも率直な感想を述べるのが義務のような感じでシアターコクーンやさいたま芸術劇場の舞台を見続けたのだった。ところがお会いして以来、蜷川さんはダメになるどころかどんどんスゴイ演出家になっていって、最晩年に至るまで私がその義務を果たすことなく見送れたのは幸いというべきなのかもしれない。こちらもできるだけ舞台を初日に観るようにして、終演後に楽屋をお訪ねするといつも「あっ、コワイ人が来た」と笑って歓迎くださり、近年は車椅子からわざわざ立ち上がってご挨拶くださったのも忘れがたい想い出だ。このブログもよくご覧になっていて、楽屋にはブログの拙劇評がプリントアウトして貼られているというような話などを聞くと、どうしてそこまでの厚誼が得られたのか自分でもふしぎな気がするほどで、本来およそ仕事上の接点といえそうなものはほとんど無い関係だったのである。
ただ一度だけ直木賞受賞後にさいたま芸術劇場主催の公開対談「NINAGAWA千の目」のゲストに招かれた際、対談前に「ねえ、僕に芝居の本を書いてよ」と言われ、私が「もう芝居のほうはちょっと。今は独りで完結できるから、役者のわがままには付き合いきれなくて」とあっさり袖にしたのがよほどアタマに来られたらしく「小説家はわがままなんだよな〜」と珍しく棘のある言い方をなさったことがあった。考えてみれば世界のニナガワを袖にしたのは今にして惜しい気もする反面、あの時へたに芝居と関わる機会を得なくて良かったという思いもある。昔から芝居は血を荒らすといって、関わったがさいご足抜けするのが難しいのを既に経験済みだったからこそあっさり断れたので、もし関わっていれば今夜の嘆きはこんなものでは済まなかったはずだ。その手の喪失感は武智先生の時で私にはもう十分なのである。
それゆえ芝居の現場で蜷川さんと関わっていた方々の喪失感を思うと本当に胸が痛む。現在稽古中の舞台もあるはずだが、とにかくそれは無事に初日が明いて、こういう時こそ素晴らしい舞台になることも、かつて芝居に携わった身として確信する。
ただし長い目で見た時は、やはり蜷川さんの不在が演劇界にもたらすダメッジの大きさを思わずにはいられない。まず大きな劇場を機能的に使いこなせて、且つ大きな劇場がペイする興行収益をあげられるだけの旬の俳優を呼び寄せられる演出家が他にどれほどいるのかについては、以前より懸念されていた問題のはずで、これまで高齢の演出家に寄りかかり過ぎていたことの歪みがいっきに表面化するのではないか。
そうした興行面の心配ばかりでなく、ゴールドシアターやネクストシアターといった蜷川さんが一から育成した俳優たちが今後の活動範囲を狭めることや、彼らによる実験的な舞台を観ることが出来なくなくなるのは非常に惜しまれるのだった。なぜなら晩年の蜷川さんの仕事はスターシステムの公演よりも、むしろゴールドやネクストの公演にこそ見るべきものが多かったからで、そこに多大な情熱を注いでいた姿こそ蜷川さんが終生現役だったことの証に他ならない。政治的にもまた当時正統的と見られた演劇界に対しても反体制的なアングラから出発し、演者や観客を挑発する舞台を作り続けた人が最後に私を心底感動させたのはネクストシアターの「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」で、こまどり姉妹が出現したシーンであった。とかくハイブロウになりがちな演劇に芸能の底辺から揺さぶりをかけようとするアングラ精神がみごとに活かされた舞台で、ここに蜷川幸雄が老子のいう「帰根」した姿を見た思いがしたものだ。もう二度と現れることがないであろう日本が誇る世界のニナガワと少しでもお話ができたのを今は良き想い出として、謹んでご冥福をお祈り申しあげます。
コメント (2)
本当に残念です。
初めて観たのは35年以上前で
ずいぶん夢中になったものですが
最近ではこのブルグの劇評で心惹かれ拝見したものもあります。
丁度1年前のリチャード二世もそうでした。
その時のパンフレットを見ながら
ご冥福をお祈りいたします。
投稿者 天 : 2016年05月13日 07:34
まさに、私もネクストシアターの「ハムレット」、こまどり姉妹登場の場面を思い出しながら、昨日は各局の訃報をザッピングしてました。今年1月の「元禄港歌」が最後でしたが、観た芝居は多くなかったものの、全身で舞台に引き込まれて、芝居の面白さを満喫するのが毎回でした。特に印象的だったのは「NINAGAWA十二夜」、大震災直後の「たいこどんどん」、昔読んだ原作を実現化してくれた「ジュリアス・シーザー」等々。最後まで現役で通し、最高峰の舞台を提供し続けた蜷川氏の舞台を堪能できたのは幸せでしたし、もっと見ておくのだった、と悔やまれますが、このブログで劇評を読んで切符を買った舞台も多く、教えて頂いたのを感謝して、ご冥福をお祈りいたします。
投稿者 ウサコの母 : 2016年05月13日 22:21