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2015年12月28日

あんかけ揚げ出汁豆腐、大根のそぼろ煮、ささみの梅揚げ、揚げ鱈と揚げ茄子の甘酢和え

今日からお片付けモードに入ったが、書類の整理だけでもグッタリで、料理はせずに大宮ルミネの総菜売り場でゲットした。年末は大概このパターンですf(^ー^;
昨日途中から見そびれて録画したサンデージャポン年末スペシャル「答えなき世界」を見ながら食事。イスラム国を生みだしたことに代表される格差の問題に焦点を当てた特集だったが、グローバル化が最も影響している今日のみならず、歴史の転換期に決まってこの問題が浮上するのは、そもそも生産手段というか人間の生活基盤が激変することをもって歴史の転換点と捉えるからに他ならない。現代は急激なイノベーションの進展で従来型の仕事がなくなる一方で、情報の共有化により代替可能な人間は地球規模で爆発的に激増しているのだから、多くの人間が存在意義を薄められて絶望感に苛まれるのは当然の帰着ともいえそうだ。絶望は時に刹那主義や快楽主義や拝金主義ともなると喝破した加藤諦三氏は、われわれ世代が十代の頃に一斉を風靡した人生評論家の走りのような人物だっただけに、そうした一見正反対のさまざまな姿を取って現れる「絶望は変装が巧い」と相変わらず巧い言い回しをなさったものである。それにしても人間年を取ると誰しも死を身近に感じることで人間としての根源的な絶望を余儀なくされるし、本当を言ってそもそも人生には意味など全く無いことを従容と受け容れるか、宗教に意味づけを求めるしかないのだけれど、高齢化社会の今日はそうした年寄りの絶望感みたいなものが底辺に広がっていて、若い人をそれに巻き込んでいるふしもないとはいえない気がする。おまけに通常なら次の世代に何かを残すというのが年寄りの気安めにもなるところだが、かくもドラスティックな転換期ともなれば、後世に何かを残すだなんてほとんど妄想に近い感じだから、よほどノーテンキな年寄りでもない限りそうした点での絶望感はかつてなく深いともいえる。今の若い人は夢を持っていないとよくいわれるのも、夢を持たせられない現代の年寄りの責任が大きいのではないかと、ニヒリストの私は自戒を込めて思う今日この頃だ。人生に意味なんか全くない!と思ってもさほど自滅的にならない人間はさほど現世で苦しい目に遭っていないからだともいえるので、むろん誰しもがそう思えば楽になるというようなものでもないのは当然ながら、ワタシ的にはそう思ったほうがむしろ人間を相対化して自他共に寛容になれた気がするので、若い人に対しても周囲のオトナは過剰な期待や思い入れで臨むべきではないかもしれないという気もまたするのでした(-.-;)y-゜゜


コメント (1)


人生に意味なんて無い。私も何度もそう思いましたが、そうでもないかなと思っています。主人の母や姉どちらかと言えば私は主人本人より好きでした。
 過去形になってしまうのはどちらも故人になってしまったからでどうやって主人と付き合っていくか煩悶中です。
 それはともかく今朝子様は人生に意味がないというのは的を得ていません。こんなに色々な人と楽しく付き合えて、大好きに思われる方は滅多にいません。(利口で悟っていても)その後の人生を決めるのは自分の意思です。
 今朝子様の人生は最早今朝子様だけの人生では無く周りに多大な影響や思い出を与える人生です。
 年寄りが夢を持たないのも一考ですが、政治家に騙されっぱなしてどうなのよと憤りを覚えます(ここで言うのは卑怯な気がしますがかつてのTT様です)。
 愚痴っぽいですが、信念を変える事を自分が出来ると思った事はありませんが、何となく紙幣価値の暴落がきそうで怖いです。

投稿者 nao : 2015年12月28日 23:07

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