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2015年12月04日
中華前菜、ふかひれスープ、白身魚揚げチリソース、北京ダック、翡翠湯麺、点心ほか
大宮そごう内の銀座アスターで講談社の堀さんと会食。堀さんは産休明けのご挨拶とあって、この間何かと他社から聞いて気になっていた社内事情をお伺いした次第。
まず文芸局が消滅した(!_+)という話を聞いて、オイオイ大丈夫なんだろうか(¨;) と思っていたが、これは局の名称がなくなったというだけで実体は存続し、それほど大きな変化はないものの、人員のダウンサイジング化を図りやすい組織に改編しようと試みられている様子は如実に窺えた。それより驚いたのは発行雑誌が激減していることで、結果的にむしろ広告局のほうが消滅したらしく、広告の受け皿として各出版社から雑誌が続々と創刊されていた時代をフリーライターとして過ごしていた私にはまさに隔世の感があって、出版不況の現状が改めて実感された。
それにしてもこの業界はマスコミの一種でもあるのだから、あらゆる業界に流通革命が起きているのを当然知っていたはずなのに、旧態依然とした流通システムを維持し続けたのは、経営のグランドデザインが描ける人材によほど乏しかった証拠ではなかろうか。世襲社長が多い業界なので、経営的な才能を備えた人が入社する可能性は低いということもありそうだ。おまけにそもそも同じ出版といっても各社の業態が違いすぎるので、この激動の時代に護送船団方式で足並みを揃えることすらできないのは致命的かもしれない。最近でも図書館の貸し出しに対してどういう対応を取るかについて、新刊書は書店で買って貰いたい出版社もあれば、図書館に納入することを目的としている出版社もあるので、「ゼンゼン話がまとまらないのは無理もないんですよね」と堀さん。それを聞いて私がむしろフシギに思えて来たのは、江戸時代にあった書物問屋と地本問屋の区別が果たしていつ消滅したのかということだ。書物問屋とは例えば医学書とかを出すお堅い本屋で、こういう本は少ない発行部数でもペイするように高額設定だから図書館納入を目的にして当然だし、地本問屋とは庶民の興味をそそる出版物を出す蔦屋重三郎のような本屋である。もちろん兼ねるのもアリで、蔦屋もある時期から兼ねていた。現代だと講談社とか小学館は完全に兼ねる部類だろう。日本が近代の夜明けを迎えた時点で最初からこの両者の区別は完全に意識されなくなったのだろうか?どこの国にも今はそういう区別がないんだろうか?なんてことがメチャメチャ気になってきたのであります(-.-;)y-゜゜