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2015年05月24日
訃報
週末はいつも乗馬を話題にするのだが、今日はとてもそんな気にならないのは、演劇評論家の扇田昭彦さんが急逝なさったことを翻訳家の松岡和子さんから昨夜遅くにメールでお知らせ戴いて、今朝それを読んだからである。今月の 1 5 日に入院されて、わずか一週間でご他界とのことで、闘病の苦しみが長引かなかったのは幸いとしても、恐らく人生の締め括りにふさわしいライフワークに取りかかってらっしゃりそうなご年齢だっただけに、あまりにも早すぎる死はご本人にとっても非常に意外だっただろうし、さぞかしご無念だったに違いないと拝察する。
およそ才能というものは何であれ、その持ち主と、その発見者や理解者とのセットによって世に出るものでありながら、才能の持ち主ほどに発見者や理解者解は報われることが少ないのを、私は武智鉄二の弟子としてよく承知しているつもりだが、70年代前後にいわゆるアングラの唐十郎や蜷川幸雄らの、当時としては斬新に過ぎて従来の好劇家には理解を得にくかった才能が、世間で一躍脚光を浴びるようになったのは、扇田昭彦という極めて優れた理解者の存在を抜きにしては考えられなかったように思う。少なくとも私が唐十郎らを理解し得たのは故人が著した「状況劇場の軌跡」等々数多くの評論や新聞劇評が目に触れたからであって、故人の作品解説はひょっとしたら作者よりも作品をよく理解しているのではないかと思わしめるくらいの説得力があったのを想い出す。
私はもともと歌舞伎が専門だったので、商業演劇畑の評論家とはご縁があっても、故人とは何ら接点もないまま長く過ごしていて、翻訳家の松岡さんを通じてようやく面識を得たのだったが、私の知る演劇記者とはひと味違ったイメージの方というか、本当に温厚でリベラルな紳士の中の紳士といった雰囲気の持ち主だった。ヘンな言い方だが、唐や蜷川らのあれだけハジけた才能を、こんなに真っ当な方が正当に評価されたのだから、人間ってわからないもんだよなあという気がしたくらいである。
劇場の招待席ではよく扇田さんと松岡さんと私の3人が並びの席になったため、松岡さんがいらっしゃらない時でも段々よく話すようになり、拙著の書評もして下さったり、御著書をよく頂戴したりもしていて、晩年はかなり親しくお話しさせて戴いたことが忘れられない。先月のさいたま芸術劇場における『リチャード二世』には初日においでにならなかったから、最後にお話ししたのは確かシアターコクーンで『プルートウ』を観た帰りだったと記憶する。お互いに思ったよりも面白かったですねというような話をして、いつも通り渋谷のスクランブル交差点の手前で、まさかそれが最後になるだなんて夢にも思わず、ごくふつうにお別れしたのだった。謹んで心より御冥福をお祈り申し上げます。
なお、明日から二泊三日で福井県と金沢へ講演旅行に出かけますのでブログは休止とし、28日に再開するつもりです。
コメント (1)
評論家の長谷部浩です。
演劇界でだれかが亡くなるたびに、
松井さんのブログを検索してしまいます。
勘三郎、三津五郎も同世代だけに、
格別の衝撃を受けましたが、
扇田さんは、別の意味で考えさせられました。
こうしたインパクトを毎日毎日、一年、二年の長さで、
受け入れていくことが、老いる実質なのだと、
遅ればせながら噛みしめています。
ありがとうございました。
投稿者 長谷部浩 : 2015年05月25日 00:56