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2015年04月22日
麩チャンプルー、プチトマトのサラダ
チャンプルーは那覇でゲットした「外間のくるま麩」の袋に書いてあったレシピ通りに作った。出汁と塩で調味した溶き卵に戻した麩を浸して炒め、別に炒めた野菜と合わせて仕上げに胡麻油を垂らす。この麩の食感がいいのだけれど、本州では手に入りにくいみたいである。サラダは今日のQ P を参考にして、プチトマトと長ネギのみじん切り、ちりめんじゃこ、水菜(本当は三つ葉だったのを間違えてしまった)を酢醤油で和えたもの。
今日の海外ニュースでちょっと驚いたのは、ドイツで現在93歳の元ナチ党員の初公判が開かれたという報道で、これが恐らく最後の重要な裁判になるらしいけれど、それにしても戦後七〇年にしてまだ裁かれる事実が一方にあることは、このところの日本に対する、東アジアのみならず欧米を含めた警戒感を大いに納得させるものであろう。ドイツ国内でもナチの徹底追及に関しては色んな矛盾や問題があるのだろうが、かつては仇敵の間柄だった隣国フランスと今やオトナの友好関係が保っていられるのは、徹底した責任追及を行ったことが背景にあるのはいうを俟たない。日本においても第二次世界大戦を積極的に推進した人びともいれば、ただ巻き込まれて被害者になった人も当然いたはずながら、国内でその責任の所在を徹底的に追及することはせず、一方で極東裁判に任せた形になり、一方で「一億総懺悔」的なのお詫びをしておきながら、いつの間にか極東裁判は戦争に負けたせいで勝手に裁かれたみたいな言い方をする人たちが増え始め、一億がずっとそのことを懺悔するどころか憶えているわけでもないとなったら、隣国が警戒するのは当然だろうし、国内でもその手の人びとには警戒してしかるべきだろうと思う。
コメント (2)
今年も靖国参拝に閣僚が参加しますが、いつも「お国の為に戦った英霊の御霊に参るのは当然で何処の国もやっている」と参る政治家は弁明しますが、靖国神社は元々が薩長の志士達を祭る為に作った神社。そこに祭られてる戦犯の為に31万人以上の人が亡くなった。一般兵士の御霊に参るのに異議は何処の国も、誰も口は挟まないですが、私は日本人として靖国の英霊と呼ばれる戦犯にお参りするのは日本国の政治家として違和感を持ち続けています。侵略された国は尚更許せないでしょう。そんな単純な事が分かって無い政治家が国政を担うから戦後何年経っても日本国民の忸怩たる思いは晴れない、と思い続けています。
投稿者 お : 2015年04月23日 22:22
戦争に負けた国が戦勝国に良いように利用されるのは仕方が無いとは思います。極東裁判も無いよりはあったほうが良かったのではないかと思いますが、天皇は実質軍部を指揮していたのではないので象徴という曖昧なあってもなくてもいいところに配してもどうでも良いのです。それを延々と70年近く維持したのは何で?とは思いますが。
一番に腹が立つのは命令系統を司った一級戦犯よりもそれを部下に押し付けて何の責任も取らず良い役職について天寿を全うした人が大半なことです(私の誤解の可能性もありますので自信はありませんが)。
靖国参拝についてはお様と一緒で違和感を持ちます。どうしても御霊に祈りたければその時に靖国神社に向かって黙祷すれば祈りは届くと思います。
政治家がいちいち行くのは大事にしているとのパフォーマンスを示したいだけだと思います。(自分の中に信心があるのならそんな事はしなくても周りはすぐに察知できます)。韓・中に抗議されることが分かっているなら抗議される前に、自分はどうしても参りたいので認めていただけますか(=責めませんか?)くらいは根回ししても良いのでは無いかと思います。
それにお国のために戦った方は戦争中に亡くなった方全てでしょう?。何故それほど靖国神社に詣でないといけないのかが理解できません(個人の思い入れがありどうしてもお参りしたいならその方角を向いてお祈りして海外に責められない一個人になってから神社にお参りすれば?)とずっと思ってきました。
投稿者 nao : 2015年04月24日 01:27