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2015年04月13日
与那国島(どなん)行~考えさせられる篇〜
与那国島は日本の「最西端之地」で、石垣島よりも台湾に近く、北側に尖閣諸島を望む位置にあります。沖縄本島の那覇からジェット機でも一時間半近くかかる孤島なので、逃げ場がないせいでしょうか、レンタカーを借りた際は手続きを済ませる前に私たちの運転が許されたのもちょっと驚きで、要は犯罪がほとんど無いため、島全体でたった二人のお巡りさんが駐在するのみという、極めて平和な状態がこれまで続いていたようです。
ところがいったん尖閣問題に火が付くと、リスクが見える形で目の前に横たわるわけですから、自衛隊を誘致したくなった気持ちもわからないではありません。一方で基地ができれば攻撃される可能性も高まるのは当然だから、反対する人たちが大勢いたのも肯けます。かくして誘致派の現町長がわずか44票差で勝利した形で基地の建設工事が始まり、つい最近また誘致の是非を問う島民投票が行われた結果、自衛隊の駐屯は決定的となり、今回たまたま旅行した私たちは図らずもその工事現場を目撃するはめとなったのです。
島には北、南、東と大きな牧場が三箇所あって、南牧場の一部を削った格好でレーダー基地が建設されている風景は異様の一語に尽きました(下の動画をご覧下さい)。牧場は国の補助金が出なくなったあたりから手入れがほとんどされていないようで、飼い主は一応あったとしても、そこに放たれた馬や牛たちが今や完全な野良状態に見えたのも私たちにはショックでした。
自衛隊誘致の背景には島の経済も大きく関わっていそうです。外乗ではそこかしこに田圃を見かけて、かつては二毛作で台湾に輸出もしていた米が、今や生産調整の段階に入ってることを先導役インストラクターのヒロ君から聞かされました。畜産農家も人手が足りなくて廃業に追い込まれているところが増えているといいます。その原因の一つは島に高校がないためで、保育園は大勢の子供たちで賑わっているのを目撃したのですが、みんな大きくなると島を離れてしまうので、農業を推進するにはどうしても人手不足がネックとなるようです。片や工業では、地元の石灰岩を利用したと思しきセメント工場を少しばかり見かけましたが、原料と製品の輸送が共に困難な離島であることがネックになるのは容易に想像されます。帰る時に、かさばる荷物を現地から家に送ろうとしたら最短でも四日はかかるといわれて断念し、海が荒れた際は一週間以上も渡航が遮断されて食糧事情が悪化するという話も聞かされました。
残るは観光業で、私たちはそこそこ立派なリゾートホテルに泊まれたし、夏は海洋レジャー客がたくさん訪れ、時には私たちのようなヨナグニウマ目当てや、昆虫採集の人たちも現れるとはいえ、とてもそれだけでは島全体の経済が立ち行かないと考える島民の方々が大勢いらっしゃるのかもしれません。
ともあれ与那国島が抱えている問題は、原発にしろ、基地にしろ、日本全国の過疎の地域が抱える問題を凝縮させた観があって、実際に現地の様子を見れば、決して無関心でいてはいけない気持ちにさせられるのでした。
一時は国の補助金も出ていたヨナグニウマの放牧場が今は徐々に荒れかけている中で、完全な民営NPOの「ヨナグニウマふれあい広場」ともう一箇所の民営団体が乗用馬として活用することで、何とか保存を図ろうとしているようです。もともとこのNPOを起ち上げた親方マー君は横浜出身、私たちの世話をしてくださったヒロ君は埼玉出身、マリさんは神奈川出身、ミドリさんは神戸出身のいわば都会っ子ながら、この島の魅力にとりつかれて移住されたのが肯けるほど、厳しくも豊かな自然が満喫できて、どことなく神秘的な雰囲気も漂う島を訪れたのは、私たちにとっても実に有意義なことでした。しかも偶然に島の大転換期に訪れたことで、私たち四人は必ずもう一度ここを訪れて、自衛隊基地が出来てからどのような変貌を遂げるのか、遂げないのか、それをしっかり見届けなくてはならない義務があるようにも思えたのです。そんなわけで、また同じメンバーで訪れることを誓った上で一昨日ひとまず帰途に就いたのでした。
与那国南牧場に建設されている自衛隊基地
Posted by 松井 今朝子 on 2015年4月10日