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2015年04月02日

四代目中村鴈治郎襲名披露公演

わが家は初代鴈治郎に所縁があって、当代とも縁戚の間柄だし仕事上の付き合いもあった間柄なので、今日は執筆を早めに済ませて公演初日に歌舞伎座へ駆けつけた次第だが、正直いって興行的には難しい公演だろうと思う。何しろ初代鴈治郎は亡くなった時に新聞の号外が出たような当時のスーパースターだったので、彼のヒット作の多くがスーパースターだからこそ成り立つ芝居だったり、少人数で演じる芝居だったりするため、襲名に因んで鴈治郎ゆかりの演目を並べると、他の役者が付き合いづらい憾みがあるのだった。その結果、有名役者がずらりと並ぶ公演なのに、皆てんでバラバラに出演するため、公演全体として豪華な顔ぶれだという印象が極めて薄くなるのだった。中で唯一豪華な顔ぶれ感を醸し出していた『六歌仙』の舞踊が意外なほど盛り上がらなかったのは、地方の長唄や清元の低調さにも起因するところ大だろうし、むろん舞方の高齢化が想像以上に進んでもはやこの曲の洒脱味を出すには枯れ過ぎちゃったせいもあるだろう。序幕の『碁盤太平記』は近松原作で『九段目』や『七段目』の元になった芝居とはいいながら、今だと逆にパロディに見えてしまうし、筋に無理が有りすぎて、小芝居くさい作品だし、いくら初代のヒット作「玩辞楼十二曲」の内とはいっても、上演すること自体検討を要すべきだったのではなかろうか。初代鴈治郎の得意演目で丸本時代物を出したいのなら、せめて扇雀の三浦、染五郎の佐々木で『鎌三』を出せば良かったのにと思うことしきりで、制作面にも問題があったような気がする。肝腎の鴈治郎が披露した『廓文章』は、この人がまるで見ちゃおれんかった時代を知っているだけに、精進を重ねて何とかそれらしい姿かたちに見えるようになっただけでも可としたいくらいである。とにかく歌舞伎は姿かたちの占める比重が高い演劇であるのは確かだし、『廓文章』の場合は伊左衛門が登場するシーンで決まるといってもいいのだ。伊左衛門の相手役夕霧には父の藤十郎が付き合っており、この人が出てくると役者ぶりの大きさで舞台をかっさらっちゃうのは如何ともしがたいけれど、裲襠見せのポーズで決めて見せる件りの立派さにおいて、私としてはようやくこの公演自体を納得するに至った感じでした。



コメント (1)


今月は昼夜の大顔合わせだけ幕見するつもりで、3等B席も結構、売れ残っていますね。「六歌仙」、豪華な顔ぶれで楽しみですが、他は地味で、東京の集客は厳しいのは幕を開ける前から分かっていたでしょうし、来年の雀右衛門襲名はどうなるか…。これまで観た幕見も空いていたし、歌舞伎の危機を肌で感じてしまいます。

投稿者 ウサコの母 : 2015年04月03日 22:19

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