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2015年03月20日
松坂ポークの岩塩焼き、茸のサラダ
整体治療の前に近所のイタ飯で食事。
昨夜はブログを書いた直後に桂米朝師の訃報を知った。高座を離れられて久しい晩年のご様子は元米朝事務所の大島さんから少し伺ってはいたが、訃報を知ったのはTVで、関東ではさほど馴染みがないせいか、割合あっさりした報道だったように思う。やしきたかじんと同様に、といっていいのかどうかはともかくも、関西人にとっての存在感の大きさは、こちらにはイマイチ伝わりにくいかもしれない。私が子供の頃は落語家さんというよりもテレビでお馴染みの人であり、当時の芸人さんらしからぬ健全なお茶の間にぴったりの雰囲気だったからこそ、この方にテレビメディアの側が飛びついたのだろうと思う。芸人さんという雰囲気でも、落語巧者の名人というイメージでも全然なくて、私が関西にいた頃まではむしろ素人臭さが抜けきらない感じだったのは、正岡容門下の、いわばインテリ落語家だったせいだろう。にもかかわらず、その門下には正統派だった故吉朝のみならず、故枝雀を始め、ざこば、べかこ、といった破天荒な芸風の持ち主が揃っていて、それでいてこの一門は業界でも稀にみるほど結束が堅いように見られていたのだから、やはり米朝師の人徳や推して知るべしというべきだろう。実家の祇園川上をごひいきくださっていたし、私も何度かお目にかかっているので、大往生を遂げ今やお得意の「地獄八景亡者戯」を地で行くような道中をなさっているのではないかと思いつつ、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
コメント (2)
関西人にとっては寂しい限りです。確かに落語そのものは五代目松鶴の面白さ、先代文枝の華やかな芸の細かさは感じられませんでした。上手い面白い落語家というより落語を関西の文化にされた方だと思います。しかし、米朝師匠の人育ては愛に溢れて居たと思います。この方が居なくては現在の関西落語会の発展は望めなかった。又関西が誇れる方が居なくなりました。
投稿者 お : 2015年03月21日 16:22
米朝さんは品格が全面に出た学者風インテリ風の良い噺家さんでしたね、過去形がさみしいですけれど。
地獄八景もいいですが、百年目も上手かった。
地獄八景はそんなに長いスパンを楽しむもんやないので、山道を走らせる時ににピッタリでよう聴いてます。
個人的には5代目の特に小文枝時代が好みです、特にいいのは遊山船かしら。
これからの上方落語は人材不足ですわ。頭数が多いだけで、ひどいのばっかし。下手か上手いかなんて段階以前もんばっかり。だって声があかんのが多すぎなんですもん。
試験でいうたら体格条件ではねられるようなコが前でなにやらやりだすんですもん。聞ぃちゃおれん。
それは米朝一門も同じです。なぜご長男をいれたのかと思うほど、子米朝君も声も悪いし、芸になってないですね。
あのえらい米朝さんも親の欲目に勝てなかったということでしょうか。悲しいなぁ。
50代の師匠と呼ばれてる連中は高座が済んだら打ち上げのことしか頭にないし。
あれでは打ち上げするために高座を努める?してる感じが透けて見えてばかばかしくなって、もうこのごろは聴きに行くのをやめました。
そうですか、東京ではその程度の扱いやったんですね。こちらでは毎日は20日朝刊1面トップ夕刊は社会面に、21日朝刊は社会面で特集してました。
つくづく芸はその人一代かぎりのもんですね。
投稿者 毎晩晩酌 : 2015年03月21日 19:55