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2014年08月01日
パエリヤ、キノコのアヒージョ、魚介のフリット他
シアターオーブで「ウォー・ホース」を見た帰りにヒカリエ内のスペインバルでPメディアの三村さん、音楽ライターの守部さんたちと会食。
スピルバーグに映画化された元のミュージカルだが、ミュージカルというよりは歌入りのパペット劇といった感じだろうか。とにかく馬のパペットの表現力が素晴らしく、物体としては別に超リアルに作られているわけでもないのに、三人遣いの操作でホンモノ以上のホンモノに感じられる瞬間があるのは、まるで文楽人形のようである。従ってミュージカルファンの方よりも人形劇ファンの方にオススメだし、何といっても馬好きは必見かもしれない。馬のしぐさや表情を身近に見ている人なら、そうよ!馬ってこうなのよ!と叫びたくようなシーンが続出である。ストーリーも映画よりコンパクトだから、シンプルなメッセージがストレートに伝わりやすい。ただしシンプルでもいわゆる御子様向きではなく、オトナのほうが楽しめる作品になっている。カーテンコールは舞台撮影可という字幕が出たので慌ててス
マホを取りだしたものの、肝腎の馬パペットの登場があっという間に終わっちゃって、結局写メできなくてメチャ残念でした(>_<)ゞ
昨日も書いたように今週末は軽井沢で過ごしますので、ブログの更新は週明けになります<(_ _)>
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ご無沙汰しております。
クレインでお世話になりました、大学生のなっちゃんです!
今月末に久しぶりに軽井沢のアルバイトに行きます!
もしかしたらお会いできるかなと思ったのですが、一足遅かったですね。
軽井沢に比べてまだまだこちらは暑いので、お体に気をつけて楽しい乗馬ライフを過ごして下さい!
投稿者 なっちゃん : 2014年08月04日 20:35
私も石田ご夫妻になっちゃんの話をしたら、今月末からバイトに入ると聞いて、ヨウコちゃんやサトウさんと共にすれ違いをザンネンに思っていました。もう四年生と聞いてビックリもし、月日が経つのはつくづく早いもんだという気もしました。
投稿者 今朝子 : 2014年08月05日 23:17
2014年08月04日
軽井沢行パートX
もう何回目になるかわからない軽井沢行だが、今回はクラブの馬トモ人事部のSさんとオペラ歌手のSさんを北軽井沢の乗馬クラブにご案内することが主目的だったものの、お馴染み旧軽の散策(Sさんの万歩計は初日になんと二万八千以上もカウントしたらしい!新軽のアウトレットショッピングを楽しむことや、土地ならではの新鮮な野菜と果物、信州ブランドの牛や豚をしっかり味わうことも忘れなかったのはいうまでもない。最後の晩餐のラストメニューは駅に近いイタ飯プリモピアットで食した信州牛のステーキであった(中段の写真)。
それにしても着いた時は大宮とそう変わらないほど蒸し暑かったのに、夜になると長袖の寝巻を着た上に布団をかぶらないと寒いくらいだったのはさすがに軽井沢というべきだろうか。
北軽井沢の乗馬クラブ浅間クレールでは久々に石田真理先生のご指導を受け、先生がとてもお元気そうだったのは何よりだったし、今やもう結構な年齢になったはずのお相手、万能型鹿毛プリンちゃんも相変わらず元気にサクサク走ってくれたのが嬉しかった。馬は人間よりも寿命が短くて速く年をとるために、いずこのクラブや牧場に行ってもお馴染みの馬の元気な姿が見られると、こちらも何だかホッとするのであった。で、最初の時分は全くレッスンにならないほどワガママのされたい放題だったプリンちゃんが、今回は何とかひと通りの誘導ができるようになっただけ、私にも少しは成長らしきものがあったのであろう。ともあれ当ブログでは冷気に満ちた白糸の滝の写真をアップして暑中お見舞いと致します<(_ _)>
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懐かしい白糸の滝(^-^)
長野県に毎年通った事がありましたが、霧ヶ峰から美ヶ原高原では20年くらい前には夜は大布団着て寝てましたが、今はあの辺りもそれほど夜でも気温が下がらなくなったようですね。
入院中は読書三昧、「昔ご飯、今ご飯」も読みましたが、以前購入してあった「そろそろ旅に」とか数冊を読み返しました、何度読んでも面白い。
投稿者 お : 2014年08月05日 22:55
8月3日、4日と軽井沢に居ました。浅間クレールの所から脇道に入り100メートル?くらいのところに友人の別荘があり、そちらへ寄ってから中軽井沢に泊まり、旧軽やアウトレットにも行きました。今朝子さんとニアミスしてたみたいでビックリ!軽井沢の記事を書かれた雑誌がでたら教えて下さい。
投稿者 ツブ : 2014年08月06日 20:52
2014年08月05日
鶏手羽の唐揚げ、焼き鳥、ぶりカマ、土手鍋、豆腐、水菜のサラダ、親子丼、鶏ラーメン、鶏雑炊ほか
浦和ユナイテッドシネマで三村さんとそのご友人のミミさん、ミキさんたちと「ゴジラ」を観た帰りに大宮の「鳥良」で会食。三人はステレオカメラ愛好者とあって3D版を観たのだが、目をふさいじゃうほどのシーンがなかったのは、わざわざそれ用に撮った映画ではないからだろう。とにかく私はリクガメを飼ってるくらいだから、子供の頃は当然ゴジラファンで何本も観まくっていた口である。で、さすがに封切り時には観られなかった最初の「ゴジラ」が明らかな反米反戦映画だったにもかかわらず、米国がゴジラ映画の制作をするのもおかしな話だと思って前回のハリウッド版はパスしたのだけれど、今回は最初の「ゴジラ」に対するオマージュもあると知って観る気になったのだった。出だしは確かにビキニ環礁の水爆実験のドキュメンタリー映像らしきものも使われ、伊福部昭を彷彿とさせる音楽が流れ、原子炉が崩壊するシーンや被曝地帯の廃墟シーンが映し出されて、社会性が強い作品になってゆくのかと思いきや、途中からは詰まるところ極悪怪獣VSヒーロー怪獣のアクション物と化してしまい、前半の大仰なフリはいったい何だったの(?_?)と言いたい気持ちになりつつも、まあ、この手の映画にそんな堅いことを言うのはヤボの極みであろう。というわけで今回ワタシに最も強く印象づけられたのはゴジラが独身だった!という事実である。彼と敵対するのはギーガーのエイリアンにも似た巨大なバッタみたいな夫婦モン。これがとんでもない子どもをぞろぞろ産みそうになっていて、そいつらをやっつけて結果的に人類を救うのがゴジラというわけで、ラストに海へ去って行くシーンはまさしく孤独な用心棒風にカッケエエ!のである。ゴジラの造形も初代ゴジラをそこそこ踏まえていてさほどの違和感はなかったものの、顔がゴリラっぽくてキングコング風だったのはやはり米映画だからだろう。ワタシ的にはもうちょっと爬虫類っぽい顔相にしてほしかったのでした(^^ゞ
2014年08月06日
塩肉豆腐
QPで見た料理。潰したニンニクを入れて塩酒味醂醤油で味付けした出汁に豚バラ肉を入れて火を通し、アクを取ってから豆腐を加え、キャベツの葉を落とし蓋のように載せて十五分ほどしっかり煮込んで豆腐を取り出したあと、ニラを入れて仕上げる。暑くて胃腸を冷やしがちな時期にぴったりのスタミナ食。昨日今日は軽井沢と段違いの猛暑で、さすがの私も仕事場のクーラーを点けっぱなし。ベランダのカメ♂もすっかり夏バテ気味で、昨日観たゴジラのラストシーンのごときアンニュイな表情をしているが、♀のほうは暑さにめげず毎日ガンガン食べまくって卵大の糞をしております(^_^;)
昨日、驚いたというよりも、やはりこんなことになってしまったか……という思いで聞いたのは理研副センター長の笹井氏の訃報であった。今回の騒動全体として、比較的社会性に富んだ人が少ない組織だからこそ起きた悲劇という印象で、取り返しがつかない社会的な損失を招いたのはなんとも皮肉な結果というべきか。
今日、広島の原爆記念日に、福島原発三号機のメルトダウンが予想以上の深刻な状態だったというニュースが流れたのも皮肉な符合というべきかもしれない。それにしても原爆を落とされた国が、原爆を落とした国と集団的自衛権を共にするというのは何だかとてもフシギな話のような気がするが、この忘れっぽい国で、七十年近く経てば、どんな酷いことでも風化してしまうのは無理もないのだろうか。情報が爆発的に増大する中で忘れっぽさも加速して、原発事故ですら早くも風化しかかっているように感じられるのは私ばかりだろうか。
2014年08月07日
ロミオとジュリエット
さいたま芸術劇場のニナガワ×シェイクスピアレジェンド第一弾としてオールメール版すなわち全員男性による上演がなされた今回の「ロミオとジュリエット」だが、まるで初めて観た作品のように新鮮に感じられた理由の一つには舞台の使い方もあるのだろう。従来のプロセニアムアーチの内側を使った平面的な舞台ではなく、劇場空間の四方にイントレ(鉄パイプの足場)を高く組んで、中に客席と本舞台を封じ込めた形体は、有名なバルコニーのシーンやラストの墓場のシーンはもとより、モンタギュー派とキャピュレット派の闘争にも有効に活かされ、観客までが両家の争いに巻き込まれる雰囲気になるのだった。が、何よりも新鮮なのは若手の役者たちであろう。中でも菅田将暉のロミオは「おお、ロミオってこんなヤツだったのか」と現代の若者を共感させるスタイリッシュな感性に満ちた激情型の青年として登場し、旧来の観客を驚かせてくれる。片やこの人がいなければこの作品のオールメール版は不可能ともいえそうな月川悠貴のジュリエットがずいぶんオトナびた少女を感じさせるあたりがまた、いかにもイマドキの男女関係なのである。最後はアッと驚くような幕切れが待ち受けていて、それをいかにもニナガワ演出らしい蛇足とする向きもあろうが、私には現代の混沌とした世界を反映させた強いメッセージとして受け取れた。ともあれこの作品はストーリーがあまりにも知られているせいか、まるで歌舞伎を観るように、バルコニーやベッドインした恋人たちのセリフのみを聞きどころとして、それ以外はなんとなく聞き流してしまう傾向にあるのだけれど、今回はオールメールとあって幕開きから観る側も新鮮な気持ちでいられたのだろう、ベテラン原康義のロレンス神父を始め各人物それぞれのセリフもきっちり耳に入ってきて、シェイクスピアのの豊かなレトリックに圧倒され、新たな発見も多かった。それだけに、初日でまだセリフが少し頼りない役者もいたのはちと残念でした。
2014年08月08日
麻婆茄子
適当に作った定番料理。二つのフライパンを使って茄子炒めと肉味噌作りを別にするといいかも。豚ひき肉に火を通してからニンニクと生姜とネギのみじん切りを加えたほうがいいかも。私は豆板醤と甜麺醤とオイスターソース、酒、醤油、黒酢少々で調味する。仕上げに花椒とゴマ油は欠かせない。
今日夕飯の買い物帰りに「今や人間の敵は人間なんだ!」なんて考えが唐突に浮かんだのは何もウクライナやガザ情勢を思ったからではなくて、大宮駅そばのクインズ伊勢丹付近がえらく蒸し暑いのに、五分ほど歩いてわが家の近所まで帰ってくるとメチャ涼しい!ことに驚かされたからだった。昨日もさいたま芸術劇場付近は半袖だと肌寒いほどだったのに、大宮駅に着いたら蒸し暑くてたまらなかったし、軽井沢も昼間は蒸し暑いけど夜になるとひんやりするのに、たまに東京で夜を過ごすとすぐ大宮に帰りたくなっちゃうくらい蒸し暑いのは、要するに人間と室外機の過剰さが猛暑を招いている以外の何ものでもないことを物語っているから、最初の命題に辿り着くというわけなのである。それにしても都市熱にどう対処するかはオリンピックを控えてなくても喫緊の課題だろうが、とにかく2020年までには何とかしないとアスリートの大量死を招いちゃいそうだから一応政府の指針も出たようで、具体的な対策が進みそうなのは何よりである。もっとも半袖だと寒くて震えちゃうような冷房を効かせる意識のほうも何とかしないと、結果的に永遠のいたちごっこになりかねませんけど(-.-;)y-゜゜
2014年08月09日
よだれ鶏
昨日のQPで見た料理。よだれが出るほど美味しいという意味らしいがホントだろうか。鶏胸肉はネギの青い部分と生姜の薄切りを入れた鶏ガラスープに入れてひと煮立ちさせたらすぐに火を消して余熱で火を通し、しばらく置いて粗熱を取ってから冷蔵庫で冷やして薄切りにする。ゴマ油を熱してニンニクの薄切りを揚げて、おろし生姜、砂糖、黒酢、醤油、ラー油、すりゴマ、山椒を混ぜた液にそのゴマ油とニンニクチップを入れて作ったタレをかけて食す。このタレは確かにオイシイのでオススメ。キュウリとミョウガの和え物を付け野菜にした。
台風の影響はいつから本格的になるんだろう?と思いながらこのブログを書いていて、大宮はまださほどの雨もなく、風も吹かず、窓を開ければ半袖だと寒いくらいの気温だから、ただただ過ごしやすくていいのだけれど、西日本は相当な被害が出ていそうで、どうぞ皆様ご無事でありますように。
食事しながらついBSで見てしまったのは、私が高校生の頃に封切られた日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」で、タイトルでもわかる通り日米開戦のきかけになった真珠湾攻撃をテーマにしており、封切り時はさほどに感じなかったが、今回改めて見直したら、日本海軍がとても格好良く描かれる一方、米軍があまりにもお粗末というかおマヌケに描かれているのでちょっとビックリした。合作とはいえ配給は20世紀フォックスなのだから、アメリカはやっぱ太っ腹な国だと感心する。ところでこの映画は日本サイドのキャスティングがマニアックなことにも驚かされるのだけれど、近衛文麿役の千田是也を筆頭に芥川比呂志や島田正吾といった往年の錚々たる演劇人がチョイ役で登場し、彼らと同じチョイ役で渥美清も出演して、今日から見ればなんともフシギな豪華共演が成立しているのもおかしい。
おかしいといえば、この映画で最も驚かされるのは、わが母校の京都聖母学院がロケ地の一つになっていることによるものだ。うちの学校は何しろ旧日本陸軍第十六師団の跡地に建ち、司令部だった巨大な煉瓦棟を戦後もそのまま残していたので、数多くの映画のロケに使われていて、そのこと自体は別に驚くに値いしなかったのだが、驚いたのはその煉瓦棟の中央に大きく描かれた校章が映画にバッチリ映り込んでしまったことである。カトリックのミッションスクールなので、その校章は中世の騎士が盾に描いているマークみたいな感じの図柄で、今回見直しても、やっぱり日本人ならすぐおかしいと気づきそうなシーンであり、なぜカットするなり撮り直しするなりしなかったのか、今でもフシギである。聖母出身の方は是非ともこの映画を一度はご覧戴きたいです(^0^;)
2014年08月10日
突然の訃報
「マンガ歌舞伎入門」の作画をしてくださったマンガ家の伊藤結花理さんが今日亡くなられたという知らせに呆然としている。私より若いといっても六つ違いで、結婚もなさっていたのに、永遠の少女のような雰囲気をお持ちの方だったから、亡くなられたことが正直まだぴんと来ないでいる。そもそもは元ミセス副編の福光さんの慶応時代のお友だちで、慶大卒業後に少女マンガ家になられ、「マンガ歌舞伎入門」を手がけられた時はまだ駆けだしの頃だったが、その後マンガ家としての腕をめきめき上げられて、講談社で文庫化が決まった時は、ぜひとも描き直したいと仰言ったのだけれど、それをしだしたら何でもキリがないし、「サザエさん」だって最初の頃のヘタな絵がそのまま出版されてるじゃないかといって、私は止めたのだった。でもご本人がそう思われるのは無理もないくらい、その時に送って来られたマンガは絵が物凄く巧くなられていて、本当に同じマンガ家の絵とは見えなかったのを想い出す。「マンガ歌舞伎入門」の際は私がいわゆるネームを切って渡すという方法を採り、しかも編集者の役割も引き受ける恰好で仕事をしたため、ずいぶんと恩義に感じられたせいか、盆暮れのご挨拶を昨年末まで頂戴し続けており、こちらも年賀状は欠かさず、またお電話は近年までしていたのだが、お目にかかる機会を久しく持てなかったことが悔やまれてならない。人は一体いつどうなるかわからないことをつくづく感じさせられる年代になったというべきか。今は謹んで御冥福をお祈り申しあげるのみだ。
2014年08月11日
タコとマグロのモロへイヤ和え
QPで見た料理。タコは酢で洗って冷やしておく。マグロは酒醤油わさび漬けにして冷やしておく。モロヘイヤは茹でて細かく刻んで叩きねばねばにして酢醤油で味付けして冷やしておく。食べる直前に和えて仕上げること。モロヘイヤは葉を摘んでから水に浸けてシャッキリさせてから、粘りが出るまでしっかり茹でるのがポイント。
きのう西日本を縦断した台風は東日本にも思わぬ災害をもたらしているが、とにかく西日本の一部の地域は降雨量が尋常じゃなかったようで、今年の梅雨は確か東日本の降雨量が凄くて西日本は空梅雨だったからまだましだったのではないか。これが逆だったらもっと深刻な事態になったのではないかと想像されて恐ろしい。被害者の方たちはインタビューに答えて自分の人生で初めての経験だと口にされるし、戦後初めての異常な事態だとも報道されているが、考えてみれば地球の自然現象をたかだか六、七十年のスパンで語ることはできないはずで、地球温暖化とは無縁な時代でも、異常気象による災害がいくらもあったのはこのブログでもしばしば書いているところであり、そうした災害は得てして重なりやすいこともしっかり記録されている。江戸時代には庶民の日記のようなものであっても、そうした異常気象は地震などと同様に、過去百年くらいの記録に遡って比較しているのが興味深いところで、とかく現代の庶民のほうが物事を考えるスパンが短くなっている分、自然災害の脅威に対する射程距離も短くなりがちではないのだろうかと、原発等さまざまな問題で思うのだった。
2014年08月12日
アスパラガスとソーセージのパスタ、コーンスープ
ニンニクと鷹の爪を入れたオリーブ油で皮なしソーセージとアスパラガス、マッシュルームを炒めてアンチョビで味付けし、粗挽き黒胡椒を振って、茹でたスパゲティにからめただけ。スープは市販のレトルト。終日雨で寒いくらいだったので久々にパスタが茹でられました。
ロビン・ウイリアムズは「いまを生きる」が印象に残ったくらいで別にファンだったわけでもないのだけれど、鬱病による自殺とされたことで、いささか気になる訃報となった。コメディアンの日常がそれほど明るいものでない話は昔からよく聞くが、キリスト教をベースにしたアメリカ社会における自殺は日本とは比較にならないほど衝撃的な出来事だったのではなかろうか。この訃報に関連して、つい想い出してしまったのは去年観た「サイド・エフェクト」というアメリカ映画だ。これは米国社会における向精神薬の氾濫が引き起こすさまざまな問題と、一方でそれを助長する形になっている製薬会社の闇を告発したソダーバーグ監督作品なのだけれど、実際のところ、今や身のまわりだけを見ても、精神の安定や安眠を得るため薬に頼っている人が相当あって、単に迂遠な他人事と看過するわけにはいかない、むしろ誰の身に起こってもおかしくない大変深刻な問題ではないかと思われるのだった。危険ドラッグだけが危険なのではなくて、ドラッグ依存自体が危険なのではないかと強く感じざるを得ない今日この頃である。
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今日「ウオーホース」を見てきました。演劇にはあまり詳しくないので今朝子様のブログを参考にして見ています。
やはりパペットの演技が素晴らしかったです。
二階席でしたが、体が大きいので細かい動きもよく解り、生の迫力を充分に感じました。
シアターオーブは初めてでしたが、二階席でも見やすくできているのに感心。
先日新歌舞伎座の三階席も初体験しましたが、旧歌舞伎座とは大違いの居心地、見やすさで、これならもっと気軽に見に行けます。
投稿者 礼華 : 2014年08月13日 18:59
2014年08月13日
鶏もも肉の麹焼き万願寺唐辛子添え、汲みあげ湯葉、冷や汁
クインズ伊勢丹で京都産の万願寺唐辛子が安く売られていたので、それを鶏肉と一緒に魚焼きグリルで調理することを思いついたにもかかわらず、火加減が強すぎて肝腎の唐辛子を焦がしてしまいました(;O;) 汲みあげ豆腐と冷汁の素は市販のもの。
陽が落ちてから急に調べ物が出てきて近所の図書館に行く途中で、小さな人の輪の中に火が燃えているのを見て、花火?にしては危険なくらい輪が小さいから、何だろう?と思って近寄ったら燃えている火を提灯に移したので、ああ、これはお盆の迎え火なんだ!とようやく気づいた次第。迎え火を見たのは何十年ぶりだろう?さすがに古い門前町だけのことはある、といったら神社でお盆はおかしいじゃないかと指摘されそうだが、氷川神社のすぐそばには大宮山東光寺という阿闍梨祐慶を開基とする古くからの寺院もある。祐慶が退治した鬼の黒塚が奥州の安達ヶ原にあったとするのは間違いで、氷川神社の東方の森をその昔は足立原といって、本当の黒塚はそこにあったとする説が天保初期の「江戸名所図会」に見えるのだった。
私も今年は母の新盆になるので、迎え火まではしないものの、久々に送り火の大文字を見に帰京するつもりだが、天気予報では雨が降りそうだから、またまた晴れ女にしてはおかしな感じで、ひょっとしたら物凄い雨女の妹が一緒に見るなんて言いだしたのが問題なのかも、と思ったりする。妹のマンションでもベランダからバッチリ見えるのだけれど、叔母の家は座敷にいながらにして真正面に大きく見えるどころか、点火する人の姿までわかるくらいなので、久々にそこで見せてもらうことにしたのだった。
少々の雨なら決行しても土砂降りだと点火できないので、なんとかそうならないよう、今回もしっかり晴れ女パワーを発揮しなくては(^_^)v
2014年08月14日
タイ風肉団子
QPで見た料理。豚ひき肉に卵、ナンプラー、胡椒、おろし生姜、玉ネギと香菜のみじん切りを混ぜ込んで肉団子を作り、フライパンでじっくり火を通す。ナンプラー、砂糖、酢、水、鷹の爪の輪切り、香菜のみじん切りを合わせたタレで食す。付け野菜の茄子とオクラは少量の油で蒸し炒めにして塩胡椒で調味。
週末に帰京するので、ある程度キリのいいところまで書いておきたい原稿や、週明けすぐに入稿したいものや、いろいろあってタダでさえ大変な時に、プリンターの調子が悪くなって朝からPメディアの岡野氏をお騒がせしたりもして、これはもう買い換えたほうが早いのかもと思いつつ、沢山買い置きしてあるインクを無駄にするのも嫌なので、このインクが使えるプリンターが欲しいとビックカメラのお兄さんに訴えたところ、案の定メジャーな機種はバージョンアップしていて、「このインクが使えるのはもう値段がかなり高くなっちゃいますよ。それより新しい機種にしたほうがお得ですよ」と言われ「ああ、やっぱりいつでもそうなんだよな〜」とボヤいたら向こうも苦笑。PCで書いた原稿のデータを受信できないものの、コピーのほうはまだ使えるという話をしたら、コピーが使えるならプリンターは絶対に壊れていないから、PC上で再インストールをお勧めしますといわれ、その通りにしたら見事に復活してくれて、結果、買わずに済んだのは、商売気のない気の良いお兄ちゃんのおかげでした(*^^)v
それにしても毎回この手のことでひっかかるのは、電機製品の安さと壊れやすさと不必要なまでのバージョンアップが地球資源の無駄遣いやら環境破壊に結びついていないのかしら?という気がするからで、今はもう再生利用のルートもしっかり出来上がってはいるのだろうけれど、とにかく経済を回すためだけにやってるような過剰生産過剰消費というものは、私くらいの世代だとそれなりの抵抗があるのではなかろうか。過剰生産過剰消費が指弾されない背景には、今や人類そのものがツーマッチになっている事実があるわけで、誰しもがツーマッチの一員である以上、正面切って非難はしにくいのであった。
人口の過剰が意識される時代というのは何も現代ばかりでなく過去にもあって、マルサスなんかもその早い例なのかもしれないが、第二次世界大戦前も世界中にそうした意識が蔓延していたのかもしれないように思えたのはスタインベックの「怒りの葡萄」を読んだ時である。ほぼ同時代に旧日本陸軍に招集された兵隊が「お前たちの代わりは一銭五厘でいくらでも集まるが、銃器の代わりはないから大切にしろ」というふうに教育をされたこともまた上記のような意識が底流としてあったのかもしれないように思える。今はまだまだ人間よりも物質の過剰のほうに意識が向いて、パソコンの代わりはないから大切にしろといわれないだけまだマシなのかもしれない。
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パソコン周辺機器の早すぎるバージョンアップにはいつも「何でやねん」と思っています。プリンターも3台め。ウインドーズ“98の時に一緒に買ったプリンターは最初から紙送りが不良品で苦労しながら使い、次のMeに買い替えた時に購入したプリンターは使いやすく重宝したのでウインドーズ7になっても使い続けていたら、インクの廃油タンクが満タン。タンクだけ替えれないと言われ、買いだめしたインクも一緒に泣き別れ。どうしてタンクだけ簡単に替えるシステムになってないんだろう?と思いつつもパソコンがバージョンアップすればプリンターの機能が古いと使えない機能が出てくる。結局は「どっちも買い替えなはれ」なんですよね。
私も「兵隊の代わりは直ぐに補充できるが銃器は天皇陛下からの下され物。お前達の命よりも大事な物だ」と上官から教育された話を帰還兵の方から聞きました。確かに今はまだ人の方が物より大事に思われてるだけ良い世の中なんだと思います。
投稿者 お : 2014年08月15日 09:37
2014年08月15日
中華総菜三点盛り、ばら寿司
大宮高島屋地下でゲット。明日から京都なので料理はしなかった。仕事もなんとか予定通りに片づいて、心置きなく帰京できるものの、気象庁はさらなる悪天候を予報しているのでホントに心配になってきました^_^;というわけで、明日から週明けの月曜日まで京都におりますので、ブログは火曜再開とし、それまでお盆休みとさせて戴きます<(_ _)>
ところで今日は終戦記念日だが、今年は戦後七十年という節目ではなくその前年であるにもかかわらず、例年に増して太平洋戦争関連の報道や特集をTV各局がわりあい熱心にやっているような気がするのは、やはり集団的自衛権にからんでの関心や危機感が高まっているせいかもしれない。中でも一昨日見たNHKスペシャル「狂気の戦場ペリリュー忘れられた島の記録」は衝撃的な映像で、今までにちらっとでも耳にしたことがただの一度もない孤島の戦闘で、一万人近い日本人が戦死している事実に愕然とさせられた。日本が持久戦法に切り換え、アメリカが虐殺に向かった最初の戦場としての位置づけで、日米双方の生き残り、いずれも現在九十歳以上の元兵士の証言を交えながら、米国に残されていた膨大な記録フィルム、しかもカラー版を流したのだが、火炎放射器やナパーム弾で日本兵の虐殺に邁進する米軍も米軍なら、米兵を縛り上げて斬首に処したり銃剣の的にしてグサグサに突き殺した日本軍も日本軍で、憎しみと報復の連鎖がが兵士たちの人間性をどんどん喪わせてゆく戦争というものの恐ろしさを、百万言費やす以上の雄弁さをもって、映像は如実に物語っていた。それにしても、双方にとってこんな無惨な記録をきちんと残していたばかりか、それを当の敵国の放送局に貸し出して放送させるというあたりは、さすがに米国ならではだった。今も昔も戦争で残虐な行為を繰り返している、どうしようもなく攻撃性の強い野蛮な国の側面はあっても、一方でその事実をきちん認め公開する勇気はやはり賞賛に値するのではなかろうか。たとえば南京虐殺のカラーフィルムがあったとして、日本がそれを中国に貸し出して公開させるということはどうも考えにくいのである。アメリカにだってもちろん、南京虐殺はなかった!みたいな発言をする人たちや圧力団体は存在するに違いないが、それらを抑えつけて、真実をきちんと認める勇気を持った良識的な人びとが、国の方向性を決めるパワーをも備えているらしいことが、信頼に足る国だと思わせるのであった。真実をきちんと認めたり、伝えたりする勇気のない人間が舵取りをするような国は、他国の信頼を得られないばかりか、自国民の信頼すら得られないはずであります。
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NHKスペシャル途中まで見て耐えられずチャンネル変えてしまいました。生きている人間に向けての火炎放射。沖縄戦の記録で読んだ事ありますが、カラーでのフィルム、ものすごい生々しさでした。米兵の斬首など見なくて良かったという心境です。
ご指摘のとうり、国家にしろ個人にしろ、見栄をはって、「真実の過去」を認めず思いきり糊塗する、率直でない態度は信用できません。
投稿者 礼華 : 2014年08月15日 22:23
私も最期まで見る事が出来ませんでした。若い頃は日本の兵士が台湾で日本語を覚えようとしない原住民の首を撥ねる写真を見て眠れなかったけど、次を読みましたが、年を重ねると辛くて耐える事が出来なくなりました。
戦争の怖いのは人間性が変わる、狂気を帯びる事。よく遺族が「理性ある兄弟や夫がそんな惨い事をするはずが無い」と言われたりしますが、どんなに優しい理性ある人でも人の死が日常になれば変わる、それが一番恐ろしいのです。子供の頃、近所の帰還兵の叔父さん達から戦争にまつわる話を聞きました。従軍慰安婦の事も。全て無かった事で済ませる国は信用されません。
投稿者 お : 2014年08月16日 22:58
2014年08月19日
京都行お盆バージョン
16日は16時着の新幹線で京都入りし、ホテルにチェックイン後すぐに一乗寺の洋食屋「にんじん」で同行した音楽ライターの守部さん、元米朝事務所の大島さん、幻冬舎のヒメともども妹と甥っ子を交えての会食。私がオススメしたビフカツを始め、関東勢にはここの料理が何でも超リーズナブル且つ美味しいので、京都に来たら必ず立ち寄る店の一つに入ったようでした。
晩ご飯のあとは吉田神楽岡にある母方の叔母の家で大文字見物。写メだと小さくなるが、実際は山で火を燃やしている人たちの声が聞こえたり、燻った臭いが鼻につくほど近い距離だからブログの写真よりもちろんずっと大きく炎の形もはっきりとして見え、お盆に張った水に大文字の火を映して飲む無病息災の呪いまでしっかりさせてもらえました(^-^)/何しろこの日は京都に洪水警報が出て、一時は新幹線も停まったくらいの豪雨だったようだから、さすがに心配されたものの、やはり晴れ女パワーは健在のようで、新幹線も時刻通りに到着したし、夜にはどんなもんだい!的に雨がすっかりあがって無事に点
火されたのは何よりでした(*^^)vもっとも私の晴れ女は母譲りなので、まさかその母の新盆に大文字が雨で流れるとは思いも寄らなかったものの、直前まで怪しい雲行きがひやひやさせてくれて、頗る印象的な大文字と相成ったのも、何だか母らしいサプライズのように思われました。
17日は父も一緒に泉涌寺の雲龍院に墓参りをし、そのあと近くのハイアット・リージェンシーHでランチをしたら、私と妹が中高でお世話になった津田先生とバッタリ。今や結構なご高齢で、これまでずっと頂戴していたお年賀状を去年から戴いていなかったのが心配だっただけに、思いのほか大変お元気なお姿を拝見できたのは何よりのことながら、これまた「引き」が非常に強かった母親が引き合わせてくれたようなサプライズでした。
夜はいわずと知れた祇園「川上」での会食。明日から夏期休業に入るとあって、お造りは鱧の落としの他に鯛と鮪が付いて盛りだくさん。「川上」ならではの塩鯨の白味噌椀や冷やし小鉢や稚鮎の塩焼き、鱧ご飯等々をこれまたリーズナブルなお値段で美味しく戴きました∈^0^∋
18日は午前中に京都で一番涼しいはずの貴船に行って、平日にもかかわらず人出がかなりあったせいか最初は思ったほどでもなかったのが、川床で一番お手軽な蕎麦セットや釜飯セットのランチをしたら、さすがに半袖だと寒いくらいの涼気が得られて大満足でした\(^O^)/昨日の豪雨で川は濁るばかりかえらく増水して怖いくらいの激流になっている場所もあったけれど、やっぱりここに来たら川床は欠かせません。それにしても今回は暑さと天候不良にもかかわらず観光客が大勢押し寄せ、しかも海外の人たちがどこへ行っても驚くほど多くて、えっ!ここは日本?……だよねと確認したくなるようなシーンが結構見られたので、観光立国もあながち妄想ではないような気がしたとはいえ、祇園にしろ、貴船にしろ、私が見ていた風景とはまるで別物で、要するにパリにしろバリ島にしろ国際的な観光地になるって結句こういうことなんだよな〜と改めて思ったのでした(-.-;)y-゜゜
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送り火、どうなるかと思いましたが、松井さんが行かれているので午後には雨が止む、と信じてました(^◇^)
貴船、様がわりしてますでしょう。私も去年数年ぶりで予約をして伺いましたが、平日にもかかわらずエライ人出。ビックリしましたわ。息子夫婦は毎年宿泊してるので夕方からから行きますが、宿泊客はそないに増えて無いようです。観光バスの日帰りが物凄い。今年はまだ行ってません。9月の中過ぎに行こうかと思ってますが。
投稿者 お : 2014年08月19日 23:11
2014年08月20日
生春巻き、海老すり身の揚げ団子、青パパイヤのサラダ、トムヤムクン、豚肉のサテ、もち米
ポプラ社の倉澤さんと近所の「マリタイ」で食事。
今日は午後から「今ごはん昔ご飯」にからんで毎日新聞のインタビューをお受けして、そのあと記者と同行された倉澤からエッセイ連載のオファーを頂戴したが、とにかく今年はまだちょっと無理そうだとお断りした次第。で、倉澤さんは同世代なので、出版界は今後どうなるんだろう問題やら、日本も一体どうなるの問題やら、お互い色んな憂事に同世代感覚で語りながら、最後は男女関係の変容について触れるに至ったものである。なんて大仰な書き方をしてしまったが、要は「私たちの頃は別にそういう関係じゃゼンゼンなくても、食事したら男の子がおごってくれたり、遅くなったら男の子が家まで送ってくれるのってフツーだったじゃないですか。会社の20代とか30代の人に聞いたら、今はそういうことが無いどころかまるで考えられない時代らしいんですよ〜」と倉澤さん。「いわれるまで忘れてたけど、確かに昔はそうだったわよね〜今は逆に付き合う気も無い男に送ってもらったら、そのほうがよっぽど怖いことになるような気がする時代なのかもね〜でも、いつからそんな風になっちゃったのかなあ?」と私。「バブルの頃まではまだアッシー君とかいたわけですから、やっぱり失われた20年で一緒に無くなっちゃったんでしょうかねえ。それで今は付き合うことに関しても、ハッキリ僕たち付き合おう宣言がないと、どんなに一緒にいても、付き合ってることにはならないそうなんですよ」と倉澤さん。「つまり向こうみたいに、ステディとして指輪交換してるくらいじゃないとダメだってことなわけよね。しかしそんなにガードが堅かったら、一体どうやってそこまで持ち込むわけ?」と私。「ナンパとかもゼンゼン考えられないみたいだし、結局、知り合うのも友達の紹介とか、合コンとかに限られますよね。そういうふうに最初から身元をハッキリさせとかないと、あまりにもリスキーなんじゃないんですか」と聞かされて、思えば私たちの若い頃は男女関係を含めてあらゆる物事が実に牧歌的だったような気がしたのでした。付き合うだけでもなかなか大変そうな中で、やはり少子化は必然のようにも思われました(-.-;)y-゜゜
2014年08月21日
四世雀右衛門追善舞踊会
晩ご飯は国立小劇場の食堂で幕の内弁当。
月日の経つのは早いもので早や三回忌を迎えるも、生前の舞台がまだくっきりと瞼に残る人も多いはずで、遺された一門が故人の面影をいかに偲ばせるかに期待が持たれたが、荻江の『現在道成寺』を舞った京蔵は〽胸ぐら取って」以下のクドキで顔が師匠にとても似て見えた瞬間が何度かあって、全く違う顔立ちだから却って印象深く感じられた。この点は『廓三番叟』の京紫も同様で、生前はふたりともそんなに似て見えなかったのに、亡くなるとこうしたことが起きるのは、歌右衛門没後の魁春と同じく、DNAのパターンを共有していない人に強烈な影響を受けたからこそなのであろう。「似る」という問題を科学分析してみると面白い結果が現れるかもしれないと思ったりする。ともあれ難曲を丁寧にたっぷりと踊り抜いて曲の面白さを少しでも伝えた京蔵はお手柄といえる。続けて京妙がこの人らしい可愛らしさを存分に発揮した『手習子』で魅せてくれた。見始めて三十年以上になるが、この間ずっとも可愛らしさをキープし続けている点では師匠と最も似ている人かもしれない。その京妙の若い頃となぜかとても似て見えたのが故人の孫の廣松だというのも面白い。それにしても、この一門は弟子のほうに「花がある」というのは誰しも感じることなのか、故人の息子達との鼎談で、吉右衛門がそれらしきことを口にしたのにはちょっと驚かされた。その肝腎の息子達だが、友右衛門の『鐘の岬』は珍品ながら、やはり親子だから当たり前とはいえ顔は似ているし、後ろ姿が妙に似ていたりするのもおかしい。大切りの『鏡獅子』では芝雀が丁寧に踊ろうとしてはいたものの、疲れもあったのだろう、全体にいささか精彩を欠いており、扇の扱いでは不器用さが目立つ結果となった。この演目で良かったのかどうか疑問が残る。いっそ『豊後道成寺』にして、四人が道成寺物で競演する形にしたほうが面白かったかもしれない(『手習子』も道成寺物にカウントできなくはないので)。公演の演目全体がどういう経緯で決まったのかは不明だけれど、京屋の追善なら一本くらい人形振りの演目を入れるべきだったのではないか、なぞと岡目八目で思ったりもした。
コメント(3)
雀衛門さんの人形振り、大昔に一度だけ拝見しました。
最近はあまり人形振りで踊られる方居ませんねえ。何年前だったか4代目猿之助が亀治郎時代に踊ったのを見ましたが。
投稿者 お : 2014年08月22日 23:07
作品を楽しく拝読させて頂いています。お仕事を現役引退された御父上はお元気でしょうか。祇園のお店に時々、伺い帰り際に必ず白い大きな手で握手をして頂きました。
あの手の温もりが忘れられません。
投稿者 渡邊 安喜 : 2014年08月28日 07:15
作品を楽しく拝読させて頂いています。お仕事を現役引退された御父上はお元気でしょうか。祇園のお店に時々、伺い帰り際に必ず白い大きな手で握手をして頂きました。
あの手の温もりが忘れられません。
投稿者 渡邊 安喜 : 2014年08月28日 07:16
2014年08月22日
スープカリーと海鮮カリーのハーフ&ハーフセット
整体治療の前に新宿中村屋で食事。
朝から左肩に鈍い痛みがあって、どうもその感じが以前ヘルペスを患った時の初期症状に似たような感じだし、腕に赤い発疹みたいなものもあるので、お昼に慌てて皮膚科に行ったら、発疹みたいなものは単なる血腫で、まだそれらしきものは認められないとのこと。来週は北海道旅行を予定してるので、大変心配になり、整体の寺門先生に訊いてみたら「ヘルペスはまあ神経の風邪みたいなもんですからね」と仰言って、とにかく左肩が異常に下がっているとのことなので、それを治していただいたら飛びあがるほど痛かった(+_;) ヘルペスはもっともっと痛いので、なんとかそうでないことを祈るのみだ。発症のきっかけはストレスだといわれていて、前回発症したのも確か新聞連載が始まる前後だったように思われ、今回もすでに書きだしているので結構なストレスがたまっちゃってるのかもしれない。もっとも、それよりカラダに悪そうなのは冷房で、自宅では仕事場のクーラー弱冷にしている以外は、来客が無いと全く使っていないから、たまに外出すると公共施設や乗物の冷房が強すぎて、カラダに変調を来しちゃうので、肩の痛みはそのせいかもである。「こないだ僕も電車に乗ったら、ガラガラなのに冷房を入れてさらに扇風機までかけてるんで、風が当たるとカラダが痛くて逃げまくってましたよ。ホントに何を考えてるんでしょうねえ」と先生も仰言ったのだけれど、ずっと電車にいる乗務員の人たちはきっとカラダの温度センサーがマヒしてるに違いない。いつぞやエキュートの食品売り場で買い物をしていたら、「冷房が効いていなくて本当に申しわけありません」とのっけに詫びられたからビックリしたほど、その売り場の冷房は外から入るとガンガンに効いていたのであった。会社のビルにずっといる人たちもマヒしてて、強冷でないとクーラーが効いてる気がしないと文句いったりするのかもしれない。一方その会社でもそういうセンサーの鈍ってる人の巻き添えを喰って過冷に辛抱している人もあるのではなかろうか。冷房の件に限らず、現代社会はベンリさと快適さの追求が結果的に生物的なあらゆるセンサーを鈍らせているような気がしてコワイ。
コメント(1)
田舎に帰ってきて久々にブログを満喫しています。冷房は効きすぎているところと生暖かいくらいに効いていないところと行く場所によって全然違うので私は大抵長袖の薄物を持って動きます。特に子どもは寒いくらいの冷房の効いたところで寒いと言い出すので子ども用は忘れないよう気をつけます。背中や二の腕辺りが寒くなければ冷房はそれほど不快ではないです。電気代がちょっと勿体無いかな?と思うだけです。
旅行の写真が楽しみです。写真は後で楽しみやすいのですが、自分の私的な映像は滅多に見る気にならないので映像アルバムや編集をしてくれるところがあったら利用するかもな?と思います。
土石流の災害も大変怖いです。あれほどの大雨が降ったら、土石流になるのは仕方が無いと思いますが、田舎のほうでも適当にあちこちを造成宅地化するので危険性が高い地域なのか低いのかわかりにくいし、秋にも雨が多いので集中豪雨は勘弁して欲しいなと思います。田舎にも全然家の無かった土地に急に沢山の家が建ったところが沢山あります。雨の降り方も尋常で無かったと思いますが、土砂崩れの置きやすい地形のところに宅地造成してはいけないのではないかと15年くらい頭を捻っています。
投稿者 nao : 2014年08月28日 22:37
2014年08月23日
牛肉とキュウリの四川風炒め
前にQPで見た料理。塩と酒で下味した牛肉を炒め、火が通ったら豆板醤と生姜ニンニクのみじん切りを炒め合わせ、縞目に剥いて乱切りしたキュウリを加えて火が通るまで炒めてから酒醤油砂糖少々胡椒を合わせたタレとザーサイのみじん切りを入れて味付けし、仕上げに香り付けのゴマ油をまわしかける。キュウリが美味しく食べられます。
お盆明けの今週は何かと慌ただしく過ぎたが、やはり広島の水害は気になるニュースだったし、ご遺族の声を聞くと胸が痛んだ。私が子供の頃にも神戸で同じような土石流による激甚災害があって、百人近くの方が亡くなったと記憶するが、土石流という言葉を聞いたのはそれが最初だったかもしれない。とにかく通常の鉄砲水ではなかった、と力説された報道だったような印象がある。六甲山も花崗岩で出来た山なので、恐らく今回と同様まさ土の地滑り現象だったのだろう。神戸はそれを機にいろいろと対策が講じられたのか、その後はそこまで激しい災害は起きていないのではなかろうか。神戸の災害が強く記憶されたので、その後司馬遼太郎氏の確か「この国のかたち」に収められた随筆の中に、日本にはそもそも高台に住む習慣がなくむしろ疎まれており、その習慣は近代に西洋人によってもたらされたものだという一節を読んだ時にも想い出されたことであった。高い場所に住むのはリスキーだという日本古来の認識は、あらゆる生活様式に便利さと快適さとカッコよさをもたらした西洋人が好んで高台に住んだことによって、忘却され消滅するに至ったのだろうか。あるいは常に過密な人口を抱えるこの島国では、耕して天に至る棚田と同様、絶えず山の斜面に土地開発が行われる宿命にあるのかもしれない。いずれにしろ如何なる土地も本当に人が住んで安全な場所になるまでには、百年や二百年ではきかない、長い長い年月がかかっているという認識は常に持っておいたほうがいいように思う。CO2による地球温暖化ばかりでなく、過去の歴史を見ても異常気象は何度も起きているわけで、単に第二次大戦後の半世紀くらいが日本は未曾有の自然環境に恵まれた時代だったのだ、というくらいに思っておいたほうがいいのではなかろうか。
2014年08月24日
春雨サラダ、稲荷寿司
乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
週明け早々に北海道旅行が控えているにもかかわらず、今日クラブに行ったのは、先週と二週連続休んでいきなり釧路でハードな外乗をするのもちょっと不安だったからで、超お馴染みのお相手ハイセイコーのお孫さんにガチで駈歩をしてもらって騎乗スピードにカラダを馴らしておきたかったのだけれど、部班の前が小股でゆっくり走る馬ですぐ追いついちゃうために、お孫さんもなかなか駈歩が出ず、やっと出たかと思えばすぐにレッスンが終わって、いささか消化不良に終わったのはザンネンでした。もっとも先々週は北軽井沢の乗馬クラブで、プリンちゃんの高速速歩に乗れたので、あの感触を想い出せばよさそうである。北軽のクラブと埼玉のクラブとでは馬のスピード調整がゼンゼン違うので、外乗の前にはいつも北軽に行ってある程度スピードアップ調整をしておくのだった。
今日は随分お世話になったインストラクターのT氏が今月いっぱいで異動になられるから、そのお別れもあって行ったのだけれど、病気療養中だったIS氏が復帰なさってホッとしたのも束の間のT氏の異動で、今年になって信頼に足る男性インストラクターの方が次々と異動になられるから、私に限らず不安に思っている会員さんが結構いらっしゃるようである。いっそ自分のほうがクラブを移籍するという手がないわけでもないけれど、お孫さんのようにお馴染みの馬が元気でいるうちはやっぱり離れがたいもので、そうこうしてるとまた違ったお馴染みさんが現れて、次々とお馴染みが出来てしまうために、結局やめられなくなってしまうという感じは、なんだか夜の商売にハマったパターンみたいでありますf(^ー^; ともあれ、こないだは元気が無くて、騎乗後の手入れを妙に素直にさせて、おまけに後追いするような眼で見られて別れたから、ひょっとしたらこれがもう最後になるのかも(;_;)と心配していたお孫さんが、今日はこないだよりも元気だったし食欲も旺盛だったので、今年の夏もなんとか乗り切ってくれたかと、ひとまず安心した。厩舎を覗いたらアラブ鹿毛紳士のスーパー氏のほうが夏バテモードのようだったし、もともと暑さに弱い小股黒鹿毛のヒメに至っては息も絶え絶えみたいな感じだったので心配したが、一応ニンジンはちゃんと食べてくれました。最後に近ごろお馴染みになりつつある小柄な鹿毛ヤブサメ君の写真をアップしておきます。
2014年08月25日
ヒレカツ弁当
大宮駅前の「新宿さぼてん」でゲット。
明日からしばらく北海道旅行とあって、お昼ご飯も忘れて執筆に集中したため、晩ご飯はガッツリ食べたくなってコレにした。ひとまずキリのいいところまで原稿が書けたといっても、長編のごく一部に過ぎないので、もし旅先で何かあったらすべてパアである。何よりも登場人物がずっと放りだされたままになるのは気の毒だよな〜てなことを真っ先に思うのだから、我ながら小説書きとは不思議な生き物であった(^^ゞ
今回は5泊6日というやや長めの旅行で、釧路湿原の外乗のみならず、世界遺産の知床を回ってヒグマもしっかり見てくる予定です∈^0^∋。旅行スケジュールはすべてクラブの馬トモ人事部のSさんにお膳立てをして戴いたのだが、考えてみれば20歳近く離れた方と私が果たして同一行動をとれるのかどうか(^0^;) 大いに心配しながらも、まあ気になってた左肩の痛みは寺門先生にイッパツで治して戴いたことだし、この歳になれば少しくらいは無理をしないと、どんどん老けこんじゃうもんね〜なんて思っています。というわけでブログの更新はしばらく休止して、来週月曜日に再開させて戴くつもりです<(_ _)>どうぞ馬と熊の写真をお楽しみに(*^^)v
さあ、これから急いで荷造りをしなくっちゃσ(^◇^;)
2014年08月31日
道東旅行Part1
結論からいえば、お天気にも同行者にも恵まれたサイコーの旅行で、大変なリフレッシュができたことを感謝と共にご報告申しあげます<(_ _)> とにかく今回は欲張りにも知床と釧路の双方をただ観光するのみならず、アクティブにエンジョイする旅行に仕立てたのは私より20歳近くもお年の若いクラブの馬トモ人事部のSさんで、現在は官公庁の管理職ながら「ホントは旅行会社に勤めたかったんですよね」と日ごろ仰言ってる通りのナイスプランニングだったから、結構ハードなスケジュールだったにもかかわらず、私自身は幸い楽しむだけ楽しんで、さほど疲れずに済みました(*^^)v
初日は女満別空港からレンタカーで寒々としたオホーツク海を眺めながら知床半島を北上。国道からいきなり大迫力のオシンコシンの滝(写真上段)が見えたあたりでこの地域のただならぬ荒々しい自然を感じつつ、奇岩に囲まれたウトロ漁港でほぼ垂直に聳え立つオロンコ岩の登攀を敢行し、ゴジラ岩(写真中段)に呆れるなどして、そのすぐそばの「グランドホテル北こぶし」に投宿。山海の珍味が盛りだくさんなバイキングを食し、展望露天風呂の温泉に浸かって真夜中に飛びまわる白いカモメの群れを見ていると、非日常の現実を強く意識せずにはいられない感じでした。
翌日はまずフレペの滝の遊歩道を巡りながらオホーツク海に突きだした断崖絶壁に遊ぶ鹿の群れと遭遇し、そのあとクルマでいっきに北上してカムイワッカ滝上りを敢行。水流が滝になるほど急角度の岩場なのだから最初は少々びびったものの、流れるのが温めのお湯だけに足が冷えずに済んでなんとか上まで登ることができ、お湯には浸かれなかったけれど、ワタシもまだまだやれます的な自己満足に浸って(^^ゞ気分良く下山。そのあと知床五湖一周3キロ全踏破して、さらに知床連山を見ながら1.6キロの木道を歩きまわるとさすがに足は棒状態に。とはいえ湖面に山の緑と空の青さや白い雲を反射させる五湖の美しさと知床連山の雄大さは格別だったし、夕刻はオホーツク海の日没に胸を打たれ、夜は宿の展望露天風呂から満点の星まで眺められて、疲労感よりも至福感が上回る1日でした∈^0^∋
2014年08月31日
道東旅行Part2
先に述べたように今回の旅行はお天気に恵まれて、空模様の悪かったのは初日と二日目の午前中だけだったにもかかわらず、強風のためにクルージングはなかなかできず、三日目にしてようやくウトロを出港したものの、風強く、波高くして、乗客の船酔いが続出するなか、ガラパゴス諸島のクルージングでもへっちゃらだったワタシはウトロ港から知床岬(写真下段)に至るまでの絶景をパシャパシャ写メしながらも、ああ、こういう時こそiPad持ってきて動画を撮るべきだったよな〜と反省しきりf(^ー^; 3時間ものクルージングを終えるとすぐに今度は乗車し知床横断道路を通って知床峠に到着。峠では雄大な羅臼岳の下、彼方にくっきりと浮かびあがる国後島を目にして北方領土の問題に思いを馳せ、峠から羅臼の港に下りるとさらに国後島が想っていた以上に近いことを実感。羅臼から中標津、厚岸を経て釧路に向かう間の道路は単調な田園風景が延々と続くため、ドライバーを務めてくださったSさんから「眠くなっちゃうので何とかしてください!」と要求されたので尻取りを始めたところ、それがなんと3時間以上も続いたのはあまりにもバカバカしくてスゴイ!ことのような気も致します(^◇^;)
釧路市内に入ったこの夜は炉端焼きの名店「ひょうたん」に直行し、相変わらず美味しい刺身の盛り合わせやメンメの酒蒸し等々をたっぷり頂戴したものの、お互いさすがに夜10時には早々と就寝したにもかかわらず、ワタシは目が覚めたらなんと朝7時を過ぎていて、我ながらアゼンボーゼンでした…>_<…
ところで知床ではヒグマとの接近遭遇は幸いなくて無事に済んだものの、クルージング中にルシャ湾の浜辺を歩く子熊を発見!道路上ではエゾジカやキタキツネを何度も目撃しました(^ニ^)
海上から見たカシュニの滝
海上から見たルシャ湾の子熊(左にゴマ点のように映っているのがそれ。写真ではとても熊とは見えないが、肉眼だと双眼鏡ナシでも4本足で歩きまわっているのがハッキリわかった)
知床の道路に出現する「おねだり狐」(車上の人にエサをおねだり)はいつかクルマに轢かれるんじゃないかと心配。
シカもクルマを全く恐れずに悠々と道草をしている!
2014年08月31日
道東旅行Part3
旅行の後半戦はやっぱりいつも通り鶴居村どさんこ牧場での外乗。今回はいつになく素晴らしい好天に恵まれて、おまけにガイド兼インストラクターの角田さんが駈歩を主体にした遠乗りをしてくださったので、二日併せて計十時間ほどを思う存分に駈けられて大満足でした\(^O^)/そんなわけで今日はそこらじゅう筋肉痛でカラダは疲労感が満載ながら、精神状態は極めてクリアー、ヘルシーになって帰宅し、明日からまた気分も新たに仕事で頑張れるように思いますヾ(^^へ)
写真上段は外乗初日に訪れた宮島岬から見た釧路湿原の風景。下段は二日目に訪れたキラコタン岬から見た同じく湿原風景。
鶴居村では超お馴染みの丹頂鶴たち
今回珍しく鶴居村でも見かけた狐