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2014年06月05日

八百善ゆかりの地めぐり

江戸時代の一大文化サロンとなり、十一代将軍家斉も訪れたという名料亭「八百善」をモデルにした新作を連載するに当たって、今日は午後からその所縁の地、浅草近辺を取材散策する予定なのに、天気予報だと終日雨だから参ったな〜と思いながら家を出たが、幸いにもほとんど降られずにしっかり歩き回れて、やっぱり晴れオンナは健在でした\(^O^)/
上野駅で淡交社の磯田氏、現八百善十代目当主の従兄に当たられる柴興志と落ち合って、タクシーでまずは吉原大門の交差点に到着。『吉原手引草』以来何度か訪れているナカには入らず、見返り柳を横目に土手通りを南進して山谷堀公園に残る紙洗橋を発見。「冷やかす」の語源に所縁があるこの橋の近くに八百善は関東大震災まで存在し、柴氏のご案内で大体の位置関係と敷地の広さを確かめることができた。江戸切絵図では吉原とそこそこ距離があるような印象を受けたのだが、いざ歩いてみたら想像したよりもずっと近いのが判明し、やはり実際に現地を歩くのは取材のキホンであるのを再確認した次第。界隈は切絵図と同様に今も寺院の多い寺町で、中に八百善の元菩提寺だった保元寺(元は法源寺)は明治期の大洪水で墓石はあらかた流されたようだけれど、合葬されたとおぼしい供養塔に掌を合わせることができたのは有り難かった。時代小説を書く場合はモデルにする人物の墓参りも欠かせないところなのである。ちなみにここは榎本武揚一族の菩提寺でもあったようだ。その後モデルにする四代目善四郎が若い頃に勤めていた大金融業者宅の跡地を橋場で探したり、向島に渡って白髭神社で四代目が文化十二年に寄進したとされる狛犬を拝見するなど、磯田氏のご手配でわりあい短時間に効率よく取材ができて、そのつど柴氏に何かと面白いお話が聞けたのは何よりでした(*^^)v


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