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2014年03月13日
荒野のリア
今夜は翻訳家の松岡和子さんのお誘いを受けて吉祥寺シアターでシェイクスピア原作・川村毅構成・演出の「荒野のリア」を観劇。吉祥寺駅に着いたら土砂降りで暴風が吹き荒れて、まるで「リア王」の嵐のシーンのようだと思いながら入場し、開幕するとまさにその嵐のシーンから始まった。タイトル通り、この長編戯曲をほぼ荒野の場面に集約し、前後のストーリーを含めて二時間弱に凝縮したかたちで、そのせいか戯曲のエッセンスが却ってよく伝わる気もした。非常にドメスティックな悲劇だからこそ時代を超えた普遍性があるのもさることながら、人間存在の危うさや儚さや孤独といったものをこれほどストレートにに訴えるセリフが多い戯曲とは正直これまで気づかなかった。というのも原作通りに上演すると、このシーンになるまでが延々とあるから、すでにかなり疲れてしまって、つい聞き洩らしちゃったんだろうか?と思えるほどに、今回は「意味と無意味が入り交じる。狂気の中に理性がある」リアの独白が非常に面白く聞けたのだった。川村演出は、松岡訳のセリフ自体は少しも崩さずに場面をコラージュすることで、たとえばリアが長女に面と向かって罵るセリフを内省的な独白に変えるなどして、彼のセリフにさらなる強い普遍性を持たせることに成功している。リアに扮した麿赤兒がまた、決して口跡がよくもなければ声の抑揚にも乏しい人であるにもかかわらず、いずれのコトバももきちんと腹に入れて説得力のあるセリフに聞かせるのはさすがである。
むろん舞踏家であるからして身体的な表現にはこの人ならではのものがあったし、近年では面白さの点で出色のリアといえるのかもしれない。他の若手役者もセリフの点では遜色なく「最も年老いた方が最も苦しみに耐えられた」この芝居を「若い我々はこれほど多くを見ることもなく、これほど長く生きられもしない」という実に皮肉なセリフできっちり締めくくって、この戯曲の現代性を大いにアピールした。