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2014年03月11日
トンカツ
大宮駅前の「新宿さぼてん」でゲット。
今日の夕方はNHK出版の加納さんがWEB連載していた『師父の遺言』の見本をお持ちになり、編集局の大塚部長までご同行になったのは、先日ブログにも書いた同社の不祥事をご釈明になるためだったようだが、私個人に直接迷惑がかかるといったもんでもなさそうなので「本屋さんで扱いが悪くなるとか、そういう心配ってあるんですか?」と率直にお尋ねしたら、本屋さんはいずれも寛容な見方をなさっているらしいのでひと安心。出版社や興行会社は一種の人気商売でもあるから、個人の不祥事といえど放っておくわけにもいかないのだろう、部長自らこうして各方面に挨拶回りをなさるのも大変なことであります。
ところで肝腎の拙著は来週末頃には店頭に並ぶはずなので、是非とも消費税がアップする前に皆様どうぞよろしくお願い申しあげますm(__)m 近々右欄の新刊紹介で書影をアップする予定ですが、黒を基調としたインパクトのある装幀です。
それにしても見本の出来上がったのが3.11であるのは何だか感無量だと加納さんは仰言っていて、それは時代の変わり目というか、この国の何かがハッキリ変わったのを意識せずにはいられない日だから、という意味だったのだろう。『師父の遺言』はあくまで自伝的エッセイではあるのだけれど、私が書くとやはり私らしく一種の「時代」エッセイにもなっているので、余計にそんなふうに思われたのかもしれない。「時代」とは当たり前だが何もチャンバラとかでは全然なくて(笑)、自分たちが生きている現代もまた一つの「時代」だというふうに、世のありさまをパースペクティブに認識する方法であり、そこではもちろん自分と自分の周囲も点景として俯瞰的に眺められなくてはならないのだった。
3.11以降、日本人は多かれ少なかれ、意識するしないにかかわらず、そうした俯瞰的な見方を持たずにはいられなくなったのではないかという気が私はしていて、それこそが日本古来の無常観というものだろうと思うのだけれど、一方で昔に比べ日常があまりにも便利で快適になったことが自ずと人間の我執を募らせて、旧来の日本人が理想としたセンスを喪わせているのも事実だった。たった三年で3.11直後の節電なんてものが今やはるか遠い昔の出来事のように思えるのはきっとそのせいである。
コメント (4)
あれから3年という月日が過ぎ、少しづつあの頃のつらい記憶が薄れつつあるような気がしていましたが、やはり3月11日という日はとてつもない日であったことを今日改めて感じました。道を歩いていても、仕事をしていてもあの日のことをもう一度なぞっているような今日一日。そしてこのブログを見る事が本当に楽しみだった日々を今思い出しています。
投稿者 天下井 : 2014年03月12日 00:02
『師父の遺言』楽しみです。実は昔、松竹の関連会社にほんの数年ですが勤務しており、webで読んだとき上司だった方が松井さんと同期と知り驚きました。勝手に「ご縁」を感じてしまいました(^_^)
先日仕事で宮城県の被災地を回りました。復興という言葉が遠く感じられるほど、現状は厳しいものでした。「3年を経て、ことしが復興元年だと思っています」という地元の方の言葉が印象深かったです。私は松井さんのこのブログでまさにいろんな事象をパースペクティブに、俯瞰して認識することを学んでいます。いつもありがとうございます。オフ会でお会いするのが楽しみですが、まだメールいただいていません。外れ?とかじゃないか?と心配しております(^_^)
投稿者 ちえこ : 2014年03月12日 09:08
3/10が東京大空襲、3/11が大震災と二日続けて意味深い日ですね。どちらも風化しないで、当事者が生きているうちにしっかりと検証し、後世に教訓として伝えて欲しいですものです。
投稿者 tucci : 2014年03月12日 12:49
『師父の遺言』、楽しみにしています。
アンネの日記を破損した犯人が捕まったということですが、今の中学生はアウシュビッツのことや東京の大空襲のことを知らないということを目の当たりにする機会があって、自分と関係のない国や時代のことだと知る機会すらないのかなと危惧しています。
投稿者 ぱぐ : 2014年03月14日 19:43