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2014年01月22日
オマール海老のロースト、ホワイトアスパラガスと生ハムのサラダ
今日はPメディアの三村さんと浅草歌舞伎夜の部を観たあとスカイツリーに昇って「そらまち」の「ブラッスリーオザミ」で食事。最初は食事だけのつもりが、空いてたのでツリーにも昇ったところ、エレベーターのドアが開いた途端に一瞬くらっとするような大パノラマ夜景が広がって結構楽しめたの同時に、切れ目なく広がる光の渦に東京という都市の異常さというか、世界に類を見ないであろう特殊さにも気づかされました。
歌舞伎のお正月興行で観るならやっぱり浅草がイチバン腹立たなくてよさそうに思えたのは、自分の子供よりも若そうなメンバーが勢ぞろいしているからで、観た結果、歌舞伎の前途をさほど悲観せずに済んだのは何よりである。「博奕十王」は澤瀉屋らしい洒脱な舞踊劇で、当代猿之助のキレのいい動きと共にそのシニカルな芸風が非常に巧くマッチして出色の出来映え。閻魔大王の男女蔵もよく喰らいついて舞台を弛ませなかったのはまずまずであろう。「新口村」では梅川役の壱太郎を久々に観たが、セリフの音(おん)が安定してきたし、風情も悪くはない。ただ前に何かの役で観た時も思ったのだが、丸本の女形のクドキはもっと体を大きく使ってもう少し突っ込んで演じなくてはいけない。世代的に突っ込んで演じることには照れがあるのだろうし、イマドキは観客に引いてしまわれそうな気もするのだろうけれど、梅川が「大坂を立ち退いて」以下のクドキで突っ込んで演じないと、この場は保たないのだということを周りの誰かがしっかり教えてやるべきだろう。孫右衛門の橘三郎も育ちのいい芸だから嫌みがないし、このクラスの役者さんではどうしてもこれ以上を望むのは無理なのだろうけれど、やはりこうさらりと演られては芝居がすかすかした感じになってしまう。この場の忠兵衛はしどころが少ない役で、愛之助が前面に出るわけにはいかないだけに、壱太郎はこの一座の立女形たる自分がこの場を埋めなくてはいけないという自覚のもとに、クドキをもっとたっぷりと見せてしかるべきなのである。忠三の女房役を吉弥が務めたのはこの一座だと「ごちそう」というべきかもしれない。
若女形のホープ三人で踊る「屋敷娘」では壱太郎もさすがに一日の長を感じさせつつ、母の吾妻徳彌にあまりにもそっくりでぎょっとさせられた。米吉はおっとりとした舞いぶりがこの演目にぴったりだし、梅丸も端正な楷書型の芸風がよくハマっており、たっぷりと間を取った大らかな舞いぶりが小柄な体を大きく見せてよく抜擢に応えていた。「石橋」は若手の溌剌とした動きがめでたい新年にふさわしい追い出しとなった。
コメント (4)
大阪に住んでおります料理と歌舞伎観劇が好きな主婦です。
いつも楽しみに拝見しています。
浅草へ行かれた理由がなぜ「イチバン腹立たなくてよさそう」なのでしょうか。腹立たしいというところにざくっと刺さるような物を感じました。
私のようなあまり何も判っていない、たまの歌舞伎観劇で楽しんでいる物には分からないことかもしれませんが…。
投稿者 桜庭 : 2014年01月24日 17:09
半世紀前から芝居を見ている者にとっては、古典劇といいながら基本的なことを含めて相当に変わってしまったのが目に付きやすく、また役者がラクをした演技をしているのも見え見えで、まあ時代が変わったり、年を取ったりしてるんだからしょうがないなあと思いつつ、随所でついイライラしてしまい、、お金を払ったのに不愉快になるのが腹立たしくなるというわけです。
投稿者 kesako : 2014年01月24日 19:56
私からすれば半世紀前から見続けておられることにうらやましさや憧れを感じるのですが、そのように感じておられるとは思いもしませんでした。
ご返信ありがとうございました。
投稿者 桜庭 : 2014年01月27日 16:43
私からすれば半世紀前から見続けておられることにうらやましさや憧れを感じるのですが、そのように感じておられるとは思いもしませんでした。
ご返信ありがとうございました。
投稿者 桜庭 : 2014年01月27日 16:45