トップページ > マクベス

2013年12月09日

マクベス

シアターコクーンで長塚圭史演出の「マクベス」を観る前に東急レストラン街で食事。
シェイクスピアはどんな演じ方もアリなんだということは、日本でも本場英国でもそこそこの数の舞台を観て実感するところだが、今回は久々に新鮮なシェイクスピアに出会えた思いである。まず意表をつかれたのは円形舞台(正確には六角形) での上演だったことで、同じシェイクスピアでも「夏の夜の夢」みたいな作品だとそれもアリな気がするけれど、「マクベス」は作品的には向かない気がするわりに、意外なほどの効果をあげていたのは、全体にいわばブレヒト劇を思わせるような演出の意図が明確で、それに合致していたからだろう。トレンチコートにこうもり傘の剣を持つといったスタイルや、初期の映画を思わせるメイクなどで全体に20世紀を感じさせる舞台作りにおいて、マクベスとマクベス夫人は実に等身大的な欲望に取りつかれて神経症に陥る近現代人として描かれる一方で、後半のマクベス圧政下における惨劇から叛乱へと突き進んでラストを迎える過程は、「暴君」を民衆が生みだしてしまう現代の日本にふさわしい上演であり、その意味でブレヒト的な効果満点の演出だったともいえるのだった。ただ今回の上演で私が感心したのはそのことよりも、シェイクスピアのセリフ一語一語を非常に丁寧に聞かせてくれた点である。 マクベスと夫人(堤真一・常盤貴子)のみならず、舞台に立つ役者全員誰もが舞台に立つ間は主役のようにそれぞれのセリフをきっちりと聞かせてくれるので、ああ、こんなシーンがあったのか、こんなセリフもあったのか、というような発見が数々できた。たとえばマクダフに去られたあとの一家の惨劇や逃亡したマルカムの疑心暗鬼といったものが、これほど面白く見られたことはなかった気がするし、夫人の狂気を目撃する医者と召使いにもそれぞれの気持ちがあることまで丁寧に演じられることもこれまでなかったように思う。


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/2839

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。