トップページ > 相馬野馬追い
2013年07月28日
相馬野馬追い
六時台の新幹線に乗れば八時には着いてしまう福島を震災後になぜもっと早く訪ねなかったのかという忸怩たる思いがあるが、関西出身の私は親戚もおらず、知り合いもほとんどいない中で、支援する機会もなかなか持てず、今回初めてこのツアーを見つけてお訪ねしようと思ったのだった。結果、本当に被災地の現状を自分の目でちゃんと見てよかったと思えたのだった。
この時期にしては天候にも恵まれて、戦国の武者よろしく旗指物を靡かせて疾走する甲冑競馬や神旗争奪戦など古式豊かな行事も堪能できたし、とにかく400頭以上もの飾り馬たちが美々しく勢ぞろいする中で一周1200mの祭場を三周してもまだ止まらない放馬があったりするハプニングも含めて十分に楽しませて戴いたのだけれど、やはり胸に響いたのは、タイム誌にも取りあげられた南相馬市の桜井市長が陣羽織姿で壇上に立ち、挨拶の冒頭で「まず観光客の皆さまに感謝したい」と言われ、締めくくりに「この被災地の様子を今後も見届けてほしい」と訴えられたことである。その次に壇上に立った総大将を務める相馬家三十三代の若様が「先年の震災によって日本中で最も深刻な打撃をこうむったのはわが領地であった」という宣言もまた、経済至上主義が行き渡った今日ではもはや想像もつかない古い時代から、この土地にはしっかりと人びとが根づいて独自の文化を守っていたにもかかわらず、原発が生活の土台から揺るがしてしまい、それでもこの土地の人びとは自らの文化を必死に守ろうとしている気持ちがひしひしと伝わって、こちらもなんとか応援せずにはいられない気持ちになったものである。
下の動画で今年の神事の盛況ぶりをご覧戴ければ、もはや何の心配も要らないように見えるかもしれないけれど、福島から現地に到着するまでの間に私たちが乗ったバスは川俣町や飯館村を通過して、汚染土の土嚢が山積みされている場所や、草ボウボウの中に取り残されたビニールハウスの残骸や、空っぽの家と牛舎、仮設住宅の現状などを目撃し、復路では海岸沿いを走って津波の凄まじい爪痕から立ち直るまでにはまだまだの広大な地域を見せつけられて、桜井市長や相馬の若様の訴えを実感したのである。被災地の現実から目をそらしてはならないと心底から思えたことが、同行した松岡さん福光さん含めて、今回の馬トモトツアーの最大の収穫だったといえるのかもしれません。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/2714
コメント (3)
動画で相馬馬追いを実感できました、ありがとうございます。
よくここまで伝統行事を守って行って居られるとおもいます。
福島県以外から福島に来て欲しいと言う思いと、伝統行事をやり抜く事で相馬の町の復興に心を一つに頑張りたいと言う思いがあるだと思います。
福島県内でも発電所近くの立ち入り禁止地域の方、今はなんとか帰宅出来ている方、阿武隈川を隔てた山寄りの方、それぞれに思いも願いも全く違っていて復興というものはお金があれば全て上手く行く物でも無く、お金が無ければ全く前に進めない。人の心はお金では縛れないが、お金はいくらあっても足りない。それが災害被害であり、特に原子力発電所を抱えた被災地は永遠に解決できない問題も孕んでいます。
東電と地方自治体の仲立ちをして儲けていた団体の存在も段々記事になるようになってきました。それでも安倍首相は原子力発電所を維持稼働させるつもりなんでしょうか。
投稿者 お : 2013年07月28日 23:00
私も昨年、訪れました。相馬藩といい会津藩といいい、武士のスピリッツが今でも根付いているのにカルチャーショックを覚える程でした。 昨冬、大槌町で除染のお手伝いをして、復興の険しさを体感しましたが、30年かかってもやりぬくと淡々と述べていた村長さんの言葉もそれを裏付けるものでした。
投稿者 八島 秀二 : 2013年07月29日 15:14
これまでの動画は見れたのに、なぜか今回は音声のみで画像が見れず、残念です。ニュースで神旗争奪戦は少し見ましたが、若殿様の言葉は大河ドラマ「八重の桜」の松平容保とダブってジーンと来ました。私も、(何か復興支援をしなくては…)と思いつつ、2年以上経って、微力ながら募金活動の手伝いをしてます。
投稿者 ウサコの母 : 2013年07月29日 23:53