トップページ > 歌舞伎座柿葺落六月公演第三部

2013年06月21日

歌舞伎座柿葺落六月公演第三部

今日はまず歌舞伎座前のルノアールにてサンケイエクスプレス紙の塩塚さんの『壺中の回廊』に関する取材をお受けして、そのあと6月公演の第三部を観劇した。最初の演目『鈴ヶ森』では白井権八を演じた梅玉の役者としての大きさと前髪の映りの良さに感心して、そういえば私が子供の頃に初めて見た『鈴ヶ森』は寿海さんの権八だったと思うが、当時彼は何歳だったんだろう?なんてことを考えてしまった。とにかく実年齢と関係なく、白塗りの前髪役者というものを存在させるのが歌舞伎であって、そのことに限らず歌舞伎にはさまざまなお約束があってリアリズム演劇とはやはり一線を画するものだったのだが、そうした伝統が果たして今後どこまで守られていくのか大変に心もとない気分にさせられたのが次の『助六』だった。遊治郞の雰囲気をリアルに漂わせた出端はそれなりに面白く見られたとはいえ、セリフはあまりにも意味をわからせようとし過ぎて随所でコトバをリアルに誇張するあまり、この芝居が本来持っている古劇の大らかな味わいが損なわれている点は否めない。この点は福助の揚巻も同断で、またふたりとも張って言うところの音(おん)の収まり具合が悪いのも同様である。なるべく現代人にもわかりやすく面白く、それでいて古典としての格調を保つというのはなかなか難しい問題とはいえ、それこそが歌舞伎の常に抱えている課題であり、今まではそういうことに注意して役者を叱る人がも役者にも制作者にも観客にもいて支えてきたわけなのだけれど、だんだんそうしたサポートが少なくなりつつあるらしい現実が一方にあるのもまた困ったものであろう。何しろ本来なら最も注意すべき立場にあるはずの役者からして、幕開きの口上で上手に引っ込んでしまうのだから河東節の御簾中も何をか言わんやなのであろうか。ご一緒に観劇したお茶の阪本先生は助六の下がりの位置が悪いのをずっと気にしておられて、私は紙衣に着替えてからの衣装の着崩れが激しいのが気になったし、そういうことも含めて正直な感想を、終演後に食事しながら関係者に申しあげたのだった。河東節のごひいきの方々ももっと積極的に役者達に注意して成田屋の伝統を支えてあげてほしいものである。


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/2679

コメント (1)


こんにちは。松井さんは成田屋贔屓なんですね。海老蔵の助六は前に比べ華がなくなりましたね…。どうしてしまったんでしょう…。

助六の口上は上手に引っ込むのはまずいんですか?いつもと違うなあとは思っていたんですが。下手からだと他家のご贔屓の目の前を横切ることになるので遠慮したのかと好意的に思っていました。

投稿者 りょうこ : 2013年06月21日 10:24

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。