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2012年12月24日
鶏もも肉のバター焼き
クインズ伊勢丹に沢山並んでいた九州赤鶏が美味しそうだったのと、これって今夜売れないと廃棄処分になるんだろうか?それって冥加が悪すぎないか〜という老婆心で思わずゲットしてしまった(笑)。鶏もものバター焼きはその昔わが家「川上」の献立にもあって、今だと祇園の料理屋でわざわざ食べるような代物でもなさそうだが、当時昭和30年代はまだ鶏肉が貴重品だったのか、非常に美味しくて大好きだったのを想い出す。「川上」ではこのバター焼きにレタスを添えていて、当時はレタスと呼ばずに「ニューヨーク」と呼んでいたくらい、まだ珍しい洋野菜だったことを知る人は今や少ないのではなかろうか。
そんなわけで今夜はいかにもイブっぽいメニューではあるけれど、私自身は年内入稿をお約束した手前、クリスマスなんかどこ吹く風で朝から原稿の仕上げにラストスパートをかけておりました(;O;)
ところでマヤ暦の世界最後の日が無事に過ぎちゃっても関西方面の方は29日が過ぎないと安心できないないのかもしれないけれど、日本の場合は具体的に震災の心配があるとはいえ、世界で終末論めいたものが流行る時代というのもあるんだろうな〜なんて思ってしまうのは、このところ何故か立て続けにキリスト教の「最後の審判」に関する話を読んでしまったからである。これまたクリスマスシーズンとは全く関係なしに、ベッドの中で読んだ本がたまたまそうだっただけであって、ベッドの中で読む本はナイトキャップ代わりに気分を沈静化させて眠くなるようなものを昔読んだ本の中からわざと選んでいるつもりなのだけれど、その中で久々に手に取った澁澤龍彦の「最後の審判」に関する本が昔よりずっと面白く感じられつい夢中になって読んでしまった。そのことにはそれなりの理由があるのかもしれない、と思ったりする。とにかく人類全体が立ちゆかなくなっちゃうように感じられた時代が過去にもあって、それがどんな時代だったかを知ること自体が今はとても面白いように思ったのでした。
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コメント (1)
レタスをニューヨークと呼んでいたと懐かしいお話に思わずそうそう!!(私は松井さんと同年齢、岡山出身)子供の頃はいまサラダ菜と呼んでいるものをレタスと言っていました。レタスがサラダ菜より後で市場に出回ったように覚えています。子供の頃、なんでこれがニューヨーク?とお店の人に聞いたら、「アメリカではこれをレタスと呼ぶ、区別するためにニューヨークじゃ(岡山弁)」と言われ、妙に納得したのを思い出します。でもいつ変わったのか・・
テレビの影響?農水省が指導?言葉っておもしろいですね。
投稿者 なおこさん : 2012年12月25日 06:24