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2012年12月10日
中村屋を偲んで
今日は午後6時から文京区小日向の自宅で行われた故中村勘三郞の通夜に参列し、同行した元米朝事務所の大島さん、中村京蔵丈と会食して故人を偲んだ。近親者のみによる密葬とされながら、その通夜でさえ長蛇の列ができて、受付を通過するまで1時間以上並ばなくてはならないほどの会葬者が詰めかけていたのは、故人の交友の広さと共に、やはり大勢の人びとから本当に愛されていたことを十二分に窺わせるものであった。大島さんも京蔵丈も、自分が病気やケガで入院した時に、故人がいち早く病院に駆けつけてくれたり、花束が届けられたりしたことが忘れられない想い出になっていると仰言っていて、いかに他人に対して思いやりが深く、まめやかな気づかいをみせる人であったかが改めて実感されたものだ。一方で彼の亡きあと歌舞伎は一体どうなるんだろう?という心配は関係者のみならず歌舞伎愛好者ほぼ全員に共有されていることだろうし、直近の問題としては、まず12月に発表される予定だった歌舞伎座再オープン記念興行の演目が果たして年内に決まるかどうかもわからないのだった。
ひと昔前を思えば、歌舞伎はいつの間にか座組が非常に薄くなっているわけだから、とにかく人気役者が各自主演する演目をバラバラに並べ立てるだけで観客を呼べると思ったら大間違いだという認識を、役者にも興行会社にもきちんと持ってもらわないと本当はどうしようもないのだけれど、この間なまじ閉場カウントダウン公演や今後の再オープン記念興行という、役者の魅力とは直接関係のないイベントが、ただ単にイベント好きなだけの人たちを観客に取り込んだ結果、一時的に儲かりはしても、長い目で見た場合は却って歌舞伎の衰亡を招くという、シビアな状況に陥らせているのだった。誰かが責任を持って歌舞伎の今後を真剣に考えた上での方向を示さないといけないはずなのだけれど、さて誰にその舵取り役が本当に務まるのか、
三人とも最後まで頭を抱える始末だった。
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コメント (4)
勘三郎さんの訃報に接してから、言葉にならない思いでいっぱいです。同世代ではありますが深いファンでもなかったのにこれほどショックをうけている自分が不思議なくらいです。
数回舞台は拝見してて、そのエネルギー、オーラ、艶っぽさに圧倒されました。テレビなどではチャーミングな人柄が画面からはみだすくらい伝わってきました。歌舞伎の枠を超えた好奇心、行動力、真の”芸能人”であったと思います。
闘病はつらいものがあったとおもいます。そこから開放されたと察するだけが慰めです。門外漢のわたしですらこの喪失感、松井さんのようなお立場の方はいかばかりかと思います。
あらためて、勘三郎さんのご冥福をお祈りします。合掌。
投稿者 久保 裕子 : 2012年12月11日 09:11
来春の新歌舞伎座開場を楽しみに、我慢して?演舞場に通っていましたのになんともやりきれない勘三郎さんの訃報でした。いまの時代になんで助けられない!と腹立たしい気持ちにもなります。
先月は仁左衛門さんの病気休演でがっかりでしたが、歌舞伎座開場前に訃報続きですから、とにかくお体大事に長生きしてくださいと祈る気持ちで帰りましたのに、ずっとお若い方が先に行かれるとは・・・
高下駄を履いた和製タップに大向こうから”たっぷり!”と声がかかって劇場中が沸いたっけ、もう見られないんですね 合掌
投稿者 MOZU : 2012年12月11日 11:51
勘三郎さんはチケット代が高いとボヤきつつも、劇場に足を運ばせる役者でした。
客側もコストパフォーマンスを考えいますので、無条件に毎回一等席で観られるわけではありません。魅力的な座組、演目、企画かどうかで、何等席にするか、何回観に行くか判断ています。同じ演目のローテーションでは観る時のわくわく感は薄れます。役者にしても、血統にこだわる風潮が、現代にはあるようですが、素質ある人が名前を継げばもっと歌舞伎が面白くなると思います。とにかく客はいい役者、いい芝居を観たいだけです。
投稿者 tucci : 2012年12月11日 12:19
今日のニュースを見ていて、お棺から「バァ~!」っとでてくるんだよ、って何度か思いました。ひょっとしたら、霊柩車の運転席にいたりしてなんて。
夢だぁ夢だぁ、でも、夢であったな、でも、どっちでも良いです。夢であったら本当に。
投稿者 でじょん : 2012年12月11日 21:35