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2012年11月10日
日の浦姫物語
シアターコクーンで井上ひさし作・蜷川幸雄演出「日の浦姫物語」を観る前に翻訳家の松岡和子さんと東急プラザ内の麻布茶房で食事しながら、私はこの芝居を初演で観ているけど、どちらかといえば失敗作の部類だから、あまり期待しないほうがいいですよ、なんて申しあげていたのである。ところが、どっこい、今回の再演はまるで別の芝居を観ているようで、アレこんなシーンあったっけ?こんなに笑えて且つこんなに泣ける芝居だったっけ?と開演中も終演後も自問自答して興奮冷めやらぬ始末だった。ご一緒に並んで観た扇田昭彦さんも同様の感想をお持ちだったようなので、何も私だけが初演の出来を誤解していたわけではなさそうなのである。
初演は文学座に書き下ろされて杉村春子主演、木村光一演出で、当時としてはメジャーな制作のほうだったし、劇場も国立劇場という大舞台であったにもかかわらず、そうしたスケール感よりも何か陰惨な小屋がけ芝居のような印象を受けたのは、これが一種の「因果もの」じみた芝居として上演されたせいではないかと思う。何しろ双子の兄妹が契って男子が生まれ、その男子がまた母親と契って子供が生まれるという「日の浦姫物語」を、兄妹相姦の説教語りが物語るというストーリー設定なのだから、初演の演出家が「因果もの」風に解釈したのは無理もなかったのであろう。かくして何の救いもない非常に後味の悪い作品として印象づけられたのだった。しかしこの作品の本質は、無自覚な人間が陥る救いのない「因果もの」などでは全然なくて、むしろ世の中にとてつもない「混乱」をもたらした人間が自己を徹底的に追求することで最後に神の加護を得て復活再生を遂げるという、極めて西洋的な「奇蹟劇」に近いものであることが、今回の再演で初めて理解された。この再演の舞台こそが戯曲を復活させた奇蹟といってもいい感じだし、まさに蜷川マジックを見せられたような気がしたものである。
俳優の進化もまたこの戯曲をより面白く感じさせてくれたのはいうまでもない。初演当時のいわゆる「新劇」役者の演技術では、大女優杉村春子をもってしても、この戯曲の面白さを伝えることは全くできなかった。だが今回主演した大竹しのぶは相手役の藤原竜也と共に、この荒唐無稽ともいえるストーリーの、しかも極限状態の場面でありながら言葉のギャグが満載しているという初期の井上作品ならでは狂騒的な戯曲の中で、各場面そのつどリアリティをしっかり持たせた演技を発揮できるのは、まさしくポストモダンな「現代の名優」だからだろうと思う。実にバカバカしいギャグシーンで大いに笑わせてもらった直後に、ふたりの身に奇蹟が起きるシーンでは観ていて思わず涙がこぼれた。「笑えて泣けて」というのはひと昔前の商業演劇のキャッチコピーだが、長年いろいろと芝居を観ていても実際にそんな体験をすることは滅多になく、今回はそのレアなケースだったのだ。
日の浦姫とその兄との子で且つ夫にもなった男のふたりは「物語」の中で浄化されはしても、それを語る兄妹相姦の説教語りは浄化されないまま世間から石もて追われるという過酷な現実を提示して幕は閉じられるのだが、この語り部兄妹を木場勝己と立石涼子が共に好演している。立石は義太夫の太棹三味線を巧みに弾きこなして芸達者なところを見せるし、木場のラストシーンには狂気の迫力があった。日の浦姫の叔父役を演じたたかお鷹のとぼけた味わいが舞台にふくらみを持たせたし、その妻役の井口恭子も抑えた大人の演技で舞台に落ち着きを与えている。ほかにも辻萬長ら井上蜷川チームのベテラン陣が脇をがっちり固めて全体に優れた舞台に仕上がっている。初演をご覧になった方にはこの際に是非とも見直して戴きたいし、もちろん知らない方にもオススメだ。
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