トップページ > 茄子のたたき
2012年07月20日
茄子のたたき
昨日のQPで見た料理。揚げた茄子に鯵の干物をむしってトッピングし、青じそ、ミョウガ、小ネギをさらにトッピングして市販のポン酢をかけるだけ。茄子は斜めに切れ目を入れて適当な大きさに分けて水にさらさずに高温の油で揚げること。食べてみたら、鯵の干物が意外に味の決め手になっているとわかる。
食事しながらNHK7時のニュースを見て、玉三郎が人間国宝の認定を受けたことが知れ、昨夜ちょうど玉ファンである集英社の伊藤さんとその話になっていたからおかしかった。あるいは伊藤さんはすでに決定をご存じだったので、その話題を持ちだされたのだろうか?ともあれ私はその時、少なくとも私が歌舞伎界に関わっていた頃は、人間国宝の認定は世間ほど問題にしてなくて、役者はむしろ芸術院会員にこだわってたような気がするけど、玉さんは別にどっちも興味ないかもね、てな話をしたのだが、伊藤さんはファンとして、やっぱりどちらにもなってほしいようなことを仰言って、それもなるほどと思われたのだった。玉さんご自身は、そんな肩書きなんかなくても、自分が希有な存在であることは世界中のわかる人がわかってるから別にいいんじゃないのと思ってられるだろうし、またそれくらいに思ってくれてないと困るのだけれど、
とにかく人間国宝と聞いて、私の正直な感想は、ああ、年取っちゃったんだな〜と呟くのみだ。私より3つお兄さんだから当然だが、初めてお会いしたのは彼がまだ二十歳そこそこで、その頃はしゅっちゅう楽屋を訪ねて、床山さんが鬘をのせにくるまで厚かましくも部屋にべったり居座っていたりしたのである。私の大本命はその頃も歌右衛門だったけど、歌右衛門の次はゼッタイこの人に間違いないと思って、えらそうに先物買いしてるような気分だった。京都玉三郎後援会の発会式が実家の祇園「川上」であったところからご縁ができて、実際にお目にかかった時期は実は玉さんのほうが歌サマよりもだいぶ早かったのである。
その後しばらくお会いせずにいて、フリーの演劇ライターになってから取材に伺ったら、向こうはしっかり憶えてらして、私が松竹にいたことを話すとビックリされた。三十代の頃はライターとして何度か取材をさせてもらい、けっこう打ち解けて色んなお話も伺えたが、もう二十年以上もお目にかかる機会がないのはともかく、最近は舞台も拝見していないのでちょっと申し訳ない気がしている。人間国宝の認定を受けられたのは、人生の総決算でやはり歌舞伎の今後に尽くしたいという心境になられたのだろうか。そうであってほしいような気もしている。
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/2344
コメント (1)
自伝エッセイがいよいよ始動で、9月がとても待ち遠しいです。月1回の更新でしょうか。仕事を始めてからの話は勿論、楽しみですが、かつて「妄想の時代」と書いておられた小学生の頃の記憶や、中高生時代の観劇や読書傾向、上京しての大学生生活も、できるだけ世相を組み込んで頂けたら、うれしいです。じっくり、たっぷり、時間をかけて綴って頂きたく、大向こうなら「たっぷり!」と声をかけたい気持ちです。
投稿者 ウサコの母 : 2012年07月21日 00:15