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2012年06月06日
鶏肉のサラダ、生春巻き、蟹春雨、大根餅ほか
整体治療の前に代々木駅前のカンボジア料理店で元マガハの中田さんと食事。中田さんは『非道、行ずべからず』の担当編集者で、その後クロワッサンやHanako誌の編集者をしてらっしゃったが、マガハを退社後はダンナ様の起業が成功して事業が拡大するに伴い、その経営パートナーとして何かと大変な中で、私が現在「小説すばる」で連載している『壺中の回廊』をしっかり読んでくださってもいて、いろいろとご意見を頂戴した。今はちょうど急募の社員採用に当たって書類選考や面接でお忙しいらしいので、採用の決め手になるのはどういうことなの?と不躾な質問をしたところ、いわゆる就職氷河期に当たった世代の人たちは実践のキャリアが少ない分、資格試験に走ってる人が多いのだけれど、実際に採用する側としては「資格ってあんまり関係ないんですよね。それよりもうちみたいな小さな会社だと、この人なら一緒に働いても巧くやっていけそうだなあという雰囲気を持ってる人かどうかが大切で、それは面接で入って来た時に一目でわかるんですよね」というお話は実になるほどと思われたのだった。要するに、人間関係を円滑にできる人はどこでも引く手あまたなのだろうが、人間関係に不器用な人もいるわけで、本当はそういう人でも働ける場所にしたいのに、小さな組織だと却って居場所が作れないのは残念です、と心やさしき中田さんは仰言るのだった。でもって、彼女の古巣マガジンハウス社は「何をしてるのか、何の役に立ってるのかさっぱりわからない人でもいられる会社だったんですよね〜それが良かったんだけどなあ」と仰言るので、私の古巣松竹も負けず劣らずそういう会社だったことを想い出した。ちょっと前までの日本では、どこの会社もそういう余剰人員を抱えるだけの余裕があって、それが社会全体のゆとりを生みだしていたのだろう。直接何かの経済活動で役に立つ人ばかりではなく、そういうことではちっとも役に立たない人もいて、自然界の動植物が有機的にからみあって成り立っているような感じで、色んな人がいるからこそ世の中は成り立つのであり、経済活動に役立つということに特化して人間を見ていくことは、結果として人類そのものを壊していくことになりかねないような気もするのでした。
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コメント (2)
今朝子さま、昨日はお会いできて楽しかったです。『壺中の回廊』楽しみにしております!
本文中、「何をしてるのかさっぱりわからない人」というのは、若輩ものの社員からみて、いて当然と思いますが
「何の役にたってるのかさっぱりわからない人」というのは言い過ぎかと思い、修正させていただくと、日常的な事務仕事や、目の前で仕事を片付けるという意味では、役割のわからない人といういうぐらいのニュアンスです。
にこにこして、テキパキして、効率的で感じのよい若者だけの会社というのも気持ち悪い。多様な人がいて社会ができてたほうが人間的でおもしろいというのが、ほんとは会社にもあてはまると思うのですが、小部屋で長時間いっしょに仕事するとなると、むずかしいなあと感じ、社会の息苦しさを救う場所がどこかにあるといいのだけどと願うのみです。
投稿者 ナカタ : 2012年06月07日 10:25
代々木のカンボジア料理店、昔はよく出かけて、生春巻や丸のかぼちゃに流したプリンがおいしかったのを思い出しました。
私も演舞場昼の部、見て来ました。予約初日はシステムダウンで大混乱。切符を手にするまで心配で、余計に期待が高まりましたが、ものすごい熱気で、筋書も特別価格、売店も襲名記念グッズが数多く並び、バンバン売れてました。初見の「小栗栖の長兵衛」、新歌舞伎で、新中車にセリフや動きに違和感がなく、馬に乗って花道を去る幕切れも花を持たせたし、ブラックユーモア的芝居なれど、この公演にふさわしい気がしました。新猿之助の口上は、気概に満ちた強い決意が感じられ、中車の必死の覚悟が伝わり、新團子のほほえましい言葉で笑いが起き、感動的でした。
新中車が澤瀉屋の座組、かつ新歌舞伎やスーパー歌舞伎以外に出るのは難しくとも、新風を吹き込んでくれそう、と、ずいぶん高く伸びた新歌舞伎座を見上げて、帰途に着きました。
投稿者 ウサコの母 : 2012年06月07日 17:53