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2012年03月26日
山芋とほうれん草のサラダ
先週のQPで見た料理。山芋は2㎝の厚みに切って電子レンジで火を通し、柔らかくなったら潰して熱いうちにレモン汁と塩胡椒で味付けし、ベーコンと茹でたほうれん草を炒め合わせて塩胡椒で味付けしたものと混ぜ合わせるだけ。簡単安上がりなホットサラダ。
昨日今日と立て続けに小学校の同級生からFacebookの友達承認を求められて、ひょっとして京都で流行りだしたんだろうか?と思いながら、それにしてもこのソーシャルネットワークは各自の知人が何故わかるんだろう???という当初からの疑問が相変わらず生じるのであった。私が人に頼まれて入ったのは確か一昨年の夏で、入会時にいきなり「この人を知ってますか?」と何人かの名前がFacebook側から示されて、いずれも勧めた人とは全く無関係の知り合いだったのに仰天しヾ(℃゜)々怖くなって、自分の履歴はいっさい書いていないにもかかわらず、続々と友達承認を求められるのが本当に不思議で、個人情報の保護も何もあったもんじゃないよな〜と毎度思ってしまうのである。でもって、このブログを書き込むだけでも大変なのでFaceboookのほうはほとんど自分からアプローチすることはないのだけれど、ときどき向こうからアプローチするよう求めてくるのが、なんだか随分お節介な気がしてしまうのは、私にソーシャルネットワークというものに対する理解が欠如しているのか、あるいはあまり必要を感じないタイプの人間だからなのだろう。ツイッターも同様で、ある人と連絡を取りたいために利用しようとしたものの、途中で面倒くさくなってしまい、とてもじゃないがフォロワーになろうなんて思えないのである。ブログに関しては基本的に自分ひとりが発信している点で雑誌に原稿を書いたりするのとあまり変わらない感じだが、ソーシャルネットワークはバーチャルな社交場といった感じなので、現実的にもパーティ社交みたいなものをあまり得意としない人間としては、ついつい敬遠してしまうのかもしれない。もっとも、このソーシャルネットワークが世界を席巻してコミュニケーションや社会の有り様を劇的に変えているのは間違いないし、志や考え方や好みや趣味やその他ももろもろの共通点がある世界中の人と知り合いになり、交友できたりするのは素晴らしいことだとは思うのだけれど、その結果、自分の目の前に立ちふさがるや苦手な人から容易に逃げだすことができる社会になっていくのは果たしてどうなんだろう?という気もするのである。これまでの社会は目の前の無理解な人から逃げられないことで、それなりの葛藤もあったと同時に耐性も備わったはずだが、早々と無視できるようになった分、人間にとって何か肝腎なことが欠落していくんじゃないかと心配になってしまうのは、私がやはり旧世代の人間だからだろうか。けれど目の前の人を説得できなくて世の中は変えられるんだろうか?という旧世代的な疑問が相変わらず残るのだった。少なくとも今の政界は旧世代の人間のほうがまだ圧倒的に多いのだから、ブースカは目の前の人をちゃんと説得しなくてはならないはずですが(-。-;)
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コメント (2)
このサラダなら子どもも食べやすいかも?と思いました。生だと山芋のせいか口の周りが赤くなってしまい私も子どもの頃は山芋掘るのは楽しく大変だったけど美味しく思えずだったので今度作って食べてみたいと思います。椎茸も菌打ちして新鮮な美味しい椎茸が子どもの頃にはあったのに香りも味も食感も苦手でした。今は少しは食べられるようになりましたが、私が手に入れる椎茸は味も香りも十分の一位に感じられ、きのこの好きな方はもっとまともなきのこが食べたいと思わないのかとても不思議に思います。
ソーシャルネットワークは、本当に社交的な人間でないとリアルより難しいところもあるのではないかと思い足を踏み入れる気持ちになりません。こちらの都合に関わりなく連絡が入るのはいいのですが、なんとなくさっさと返事を入れなきゃ無視したと言われそうで近寄りたくありません。
投稿者 nao : 2012年03月26日 23:27
Facebookも使い方を熟知すると、便利だと思います。Privacyの設定を厳しくし、友人だけ又は友人の友人までしか、Facebook上の検索と、友人承認要求が出来ないように設定すると、知らない人からの友達承認要求で悩まされることはないと思います。試してみて下さい。
投稿者 Jacalanda : 2012年03月27日 01:36