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2012年03月01日
大根と肉団子のピリ辛煮
前にQPで見た料理。合い挽き肉に酒と醤油を入れて粘りが出るまで揉み込んでから生姜の絞り汁、長ネギのみじん切り、卵、片栗粉を加えて混ぜ合わせ、しばらく寝かして肉だねを作っておく。乱切りした大根を鍋に入れてひたひた程度の水と小さく切った昆布を加えてしばらく煮る。肉だねを団子状に丸め、片栗粉を薄くつけてからたっぷりめの油で表面を揚げ焼きし、しっかり油をきって大根の鍋にぶち込む。油をきったフライパンで鷹の爪と長ネギのぶつ切りを焼いてから鍋に加え、酒、砂糖、醤油で味付け。手間が意外に簡単だし、とてもオイシイので久々のオススメ!
ブースカ総理と自民党のガッキー総裁が密かに会っていたらしいという報道で、いよいよ話し合い解散が濃厚になってきた感じだが、いつの間にか消費税を上げるかどうかの争点に特化した政治状況になっているのは如何なものかと思ってしまう。会って話し合うのは結構だが、消費税値上げだけで一致されてもどうよ!という感じが誰しもするのではなかろうか。食事しながらNHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、震災から一年たった今なお被災地では復活していない産業や地域が数多くあって、その大きな理由は国のグランドデザイン的な土地開発の着工が非常に遅れていることであり、遅れた理由はまず国会で予算が通過するまでにかなりの時間がかかったからなので、ここに来てまた選挙のし直しになると、コレぞという政党ができないまま結局のところ合従連衡の繰り返しで、そのつどますます何も決まらない方向に進むのではなかろうかと心配される。それにしても、政治報道は相も変わらず両者が会った会わないというような政局的視点からしか物事を見ようとしないのにもウンザリで、本当にこんなバカな政治ごっこばっかりやってる間に、日本は比喩的にばかりでなく物理的にも沈没する恐れが多分にあるのだから恐ろしい。けさの茨城の地震でも、ちょっとひやっとしたのは震源地が東海村だったからで、いくら稼働していなくとも日本各地の原発は核燃料を抱えたままであり、あと一箇所でも事故が起きれば日本はそれでおしまいだというスリリングな状態に瀕していながら、政治関係者が暢気な政争や政局報道をしてしていられることの異常さはまるで理解できないのでした(-_-;)
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蜷川「ハムレット」、とても見応えがありました。歌舞伎以外の演劇はあまり見ないので比較できないもののの、非常に斬新で刺激的でした。「ハムレット」の舞台は初めてでしたが、ステージが間近で臨場感が強く、上下2層構造の舞台から目が離せず、緊張感が続いていた所に、こまどり姉妹が登場。「幸せになりたい」という歌詞が、ハムレットとオフィーリアに重なり、張り詰めていた気持ちが溶けて、泣けてしまいました。年配の方達も多く、私も含めて、こまどり姉妹の全盛期を知る観客の感慨はひとしおだったでしょう。現代演出は意図する所が分からないことが多々ありますが、純粋に演劇として楽しめたし、思いがけない懐かしのメロディも聴けて、入場料も手頃で、大満足の舞台でした。
投稿者 ウサコの母 : 2012年03月01日 21:58
私もオフ会に一緒に伺った友人と、昨日ハムレット行って参りました。徹子の部屋で、こまどり姉妹さんが『蜷川先生のハムレットに出さして頂く』と話していた時のビックリ仰天と、松井さんの観劇記に触発されて。ウサコの母様もいらしていたとは。狭いシアターに松井誘導率(^^)高かったのですね。
決定的な違和感、というのは演劇的には調和なんだと、蜷川マジックにガーッと圧倒されました。
いやあ、カーテンコールのこまどり姉妹にも泣けました。
投稿者 かぶきまま : 2012年03月02日 07:31
2012年03月02日
アジの塩焼き、ホタルイカ、アスパラガスの練り胡麻和え、昨晩の残り
ホタルイカはクインズ伊勢丹でゲットした兵庫県産の新物で美味しかった。アジは同じく島根県産。昨晩の残りがたっぷりあったので、今晩は手を抜きました。
食事しながらNHKニュースを見ていたら、幼稚園と保育園を一体化した総合こども園の創設の施策方針を民主党が発表との報道。個人的には全く関係がない話のような気もするのだけれど、身近な編集者に子育て中や妊娠中の方が何人かいらっしゃるので、ここに来てやっとか〜という感想を持ち、子育て支援を早くから謳っていた民主党としては、この発表は遅きに失した観があるような気がしたものである。今この時期に発表されるともろに消費税増税と引き替えのサービスみたいだし、ここまで遅れたのは、もともと女性議員の少ない政党だけに、あまりホンキでなかった証拠みたいに見られても仕方がないとはいえ、ともあれ待機児童対策としてなんとか実現に漕ぎつけて有効に活用してほしいものだが、政権がひっくり返ったらこれもパアなんだろうか?
そもそも民主党と自民党の違いが何なのか、今となってはもう全然わからない感じだが、自民党幹部の発言から想像するに、子育てに関する考え方は大きく違っているようで、自民党は保守党らしく従来の家庭という枠組みを重視して、あくまでそれに頼る方向を示しており、年金も従来の枠組みを守るということだから
、要するにかなり高齢者でしかも資産のある方にとっては都合のいい政党なのかもしれないけれど、それ以外の人たちに一体どういうメリットのある政党なのかはイマイチわからないので、選挙に臨んではそれを説明してもっとアピールすべきだろう。な〜んて自民党にアドバイスするのもどうかと思うが(笑)。
片や民主党は子育てを社会全体で行うべきだという理念を早くから示していて、そうなると子どものいない私などはあきらかに負担増になるとはいっても、もはや自民党支持のジイサンたちがイメージするような専業主婦のいる家庭なんてよほどの資産家でもない限り無理なことくらいは承知だから、負担を承知の上で支持したのであった。にもかかわらず幼保一体化ですら政権維持ができるかどうかの瀬戸際に追いつめられてやっと出てくるなんてどうよ!としかいいようがないのである。民主党はこの際、自民党との違いを鮮明にするためにも、年金問題に関しては資産家の老人をハッキリ切り捨てます!宣言くらいしたってよさそうなもんだけれど、なまじ高齢者が多いために敵に回すのを恐れているのだろうか。とにかく政権与党としてあまり敵は作りたくないという発想が発言を曖昧にさせている結果、アピール度が急速に喪われている点をもっと自覚しないと、民主党は来るべき選挙で第二党にもなれないくらいボロ負けするかもしれませんぞ。
2012年03月03日
バラ寿司、蛤の潮汁
雛祭りの定番料理。もっともこの日にお寿司を食べるのは意外に新しい食習慣であることを以前某誌のエッセイで書いた私でありますf(^ー^; 具はちりめんじゃこ、芝海老、干し椎茸の甘煮、岩下の新生姜、卵、サヤエンドウ、海苔。盛りつけがザツで見場は悪いが、ご飯の水加減がバッチリだし、三杯酢もよく仕上がっ
たからて、お味のほうは自画自賛の出来映えでした。
食後にNHKスペシャル「原発事故100時間の記録」を見たが、避難誘導に際して現地の地図すら用意がなかったという解説には呆れるばかりで、国は原発における大規模な事故を全く想定していなかったという事実が改めて思い知らされた感じである。今回の特集では、放射能の拡散をスピーディで予測しながら、国はなぜそれを活用しなかったのかについて全く触れなかったけれど、この問題については当時の関係者全員に心理状態を含めた詳しい事情を一度ちゃんと訊いてほしいものである。この点は、危機に瀕した際の日本人のある種の行動パターンとして、今後のためにもきちんとした分析の上でしっかり把握しておく必要があるように思われるのだ。
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アメリカのドラマを観たら、検証やらプロファイリングの技術はすごいななんて関心してしまいます。
日本人には不得手分野なんやろか、なんて。
アメリカ人とは日本人からすりゃ幼稚に感じるときもありますが、白人特有の執拗なまでのネチャこさは喉下すぎれば~の日本人は真似できませんな。
いっそ検証作業指南に来てもらって、ノウハウを教えてもらったらどうでしょ。教えたがりのアメリカ人さんは、悪い気はせえへんと思うのですが。
それくらい思い切ったことをしないと。
原発は事故らないという前提で半径近くの小学校にヨウ素を備えないという、狭~いヘ理屈がまかり通ってる国ですから、教えてもらうのは真面目な向上心全開な島国人にプラスじゃないんでしょうか。
投稿者 毎晩晩酌 : 2012年03月04日 17:08
2012年03月04日
中華弁当、生春巻き
乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
また冬に舞い戻ったような冷え込みが厳しい馬場で1鞍騎乗。お相手は大柄で太めな鹿毛のサラブレッド騸馬ベリー君で(写真の馬ではありません)、軽々と動かせるタイプの馬ではないのだけれど、逆にどっしり落ち着いていて多少のハプニングでは全く動じない子だから安心して乗っていられる。今日も何頭かの馬が玉突き的に動揺し、真後ろの馬までバタついたが、ベリー君はどこ吹く風で悠然としていたし、それでいて脚の合図はしっかり伝わって、足場の悪い馬場でも発進は実にスムースだった。今日のベリー君や、お馴染みハイセイコーのお孫さんや、スーパー氏といったオトナの馬たちは私にある程度自信をつけてくれるのでついつい専用馬にしてしまう。初顔合わせの馬でも今や別に困るほど自信が無いわけではないといっても、初めての馬が神経質で動揺しやすい馬だったりして、何かハプニング起きたりすると、こちらまで躰が硬くなり、それ伝わって馬がさらに動揺するという悪循環に陥りやすいのだった。しかしながら兎角いい馬ほど合図に敏感で神経質だったりするもので、そういう神経質な馬も乗りこなせないと、高度な技術はマスターできないところが乗馬というスポーツの難しさかもしれない。人間社会に喩えると、仕事は遅くてイマイチでもお人好しの人と一緒に組んだほうが自分は楽でいいと思うか、多少気むずかしくても仕事をスピーディにバリバリこなす人と組んで素晴らしい仕事をしたいと思うか、というような感じでしょうか。要するに人も馬もどちらを選ぶかの判断は、まさに自分自身の力量を問われることとイコールでもあるのでした(^◇^;)
ところで馬場では何事にもほとんど動じないベリー君だが、洗い場で水を勢いよく出したり、大量の水が流れてくるとビクッとして跳ねたりすることもあるそうで、何しろ以前は仙台の海浜公園のクラブにいて被災した馬だから、可哀想に、それがいまだトラウマになっているらしい。そういえば、来週の日曜日はあれからちょうど一年です……。
2012年03月05日
食べない
新連載の構想を練るのでアタマを使い過ぎたせいか、頭痛がして食欲がゼンゼンないので晩ご飯はヌキ。
ロシアの大統領選は大方の予想通りプーチンがなんとか再選を果たしたものの、圧勝というわけにいかなかったのは当然だろう。それにしても一国の大統領から首相になってまた大統領になるというのは、知事から市長になるのとはまるでスケール感が違うし、どういう役割分担がなされているのかもわからないが、またメドベージェフが首相になるというのは何だか滑稽な気がして、ふたりで勝手にいちゃついてろ!と言いたくなるくらいだ。ともあれロシアではプーチンの超長期政権下で貧富の格差が増大し、賄賂の横行するアジア病が蔓延して、どうしようもないまでに閉塞感が強まっているにもかかわらず、不正選挙のせいばかりでなく、実際にプーチンを支持する人々が多数派だったという苦い現実は今日の世界をある意味で象徴しているのかもしれない。先日イランの選挙ではイスラム主義の超保守派が圧勝したように、グローバル化が進行する時代に人びとは一方で必ず保守的な傾向が強まり、宗教や民族主義への依存度が高まるのだった。日本もそうした世界の潮流とまんざら無縁ではないということを踏まえた上で、昨今のさまざまな報道を冷静に見守る必要があるだろうと思う。
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新連載の産みの苦しみでしょうか?お大事に。
でも胃が空だと余計に頭が痛くなりますよ。それに水分補給はお忘れなく。リンゴジュースなどお勧めです。介護士のおばさんより。
投稿者 ねこかおる : 2012年03月06日 11:34
2012年03月06日
さごしの醤油干し、切り干し大根と油揚げの煮物
さごしの干物は昨日クインズ伊勢丹でゲットしたもの。切り干し大根は乗馬クラブのSさんに頂戴した地物で、幅広に切ってあるから歯ごたえがあってオイシイ!昨晩は早く寝たので、けさは5時起きで仕事をしてました(^_^)/遅ればせながらやや風邪気味のようですが、大事には至っておりませんのでご心配なく。
夕方から「エクウス」誌の編集者増岡さんがご来訪になり、巻頭エッセイ連載のご依頼を受ける。この雑誌は知る人ぞ知る乗馬専門誌で、おまけにご仲介戴いた新潮社の小林姐さんが「スゴイ雑誌ですねえ!」とビックリなさったほど誌面がセレブな感じ充ち満ちているので、ええっ!なぜ私なんかに??? いくら乗馬やってるからって別に自馬を持ってるわけでもなければ、乗馬歴が長いわけでも、また技術があるわけでもゼーンゼン無くて、何年やってもちっとも上達しない私なんかが書いていいんでしょうか???という感じだったのだけれど、一応このブログを読んだ上でのご人選なのだそうで、「うちの雑誌は大先輩格の『乗馬ライフ』さんのような競技者向けの専門誌ではないので、初心者の方が共鳴できるようなものを書いて戴きたくて」と仰言るのでお引き受けした次第である。DVD付きで、このDVDがうちのクラブハウスでも流されていて、なかなか参考になるのでよく見てたりもしたのだった。
ところで乗馬といえば、昨日のNHK7時のニュースでは法華津さんが71歳でオリンピックの馬場馬術競技に出場を決められたのがトップニュースで扱われ、映像を見ていると人馬ともに汗びっしょりで、いかに緊張して力が入っていたのかもよくわかるのだけれど、乗馬をやっていない人にはそもそも馬場馬術という競技のどこがそれほど難しいのか、法華津さんの技術がどんなにスゴイのかは全くといっていいほどわからないのではなかろうか。ただ、法華津さんが70歳にしては異常に若く見えることに気づかれた方は多いだろうし、あんなに若さを保てるなら自分も乗馬をやってみようかと思い立たれた中高年の方も多々あろうかと思われる。現在この不景気な日本にあって乗馬人口は右肩上がりなのだそうで、うちのクラブは会員数がなんと2000名を超えて、数の点では日本一(ということは世界一でもあるのだそうです)になったらしく、私が会員になってからでも馬場の拡張工事が頻繁にあり、現在さらなる拡張工事が進んでいるのは、やはり「賑わし神」効果とでもいうべきなのだろうか。ともあれ、私にとっては心身ともに健康を保ってくれているスポーツなので、今後ともなるべく長く続けられるようにしたいものです。さすがにオリッピックは無理ですが(笑)。ちなみにうちのクラブのインストラクターの方もおひとりロンドンオリンピックに出場される予定です。
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大した事なくて良かったですね。
馬術なんて一番お金がかかって私には縁がないと思っていましたが昔家の旦那もやっていたとか。勿論単なる乗馬ですがー
それは馬が可哀想でした。何しろ当時はおデブだったそうで。
投稿者 ねこかおる : 2012年03月07日 12:04
法華津様もウィスパーも立派ですね~!!!
特にウィスパーは栗毛・四白で馬格や屈頭姿が非常に美しく
あの馬を自馬にできたらどんなに幸せかしらと思います。
確かに乗馬を経験したものでなければ馬場馬術は
”術”故にいかに馬を動かす事が難しいかお判りにならないと
思います。
その点障害飛越は判りやすいですが、高さを増した
飛越がどんなにむずかしいかも又お判りにならないでしょうね。
乗馬はお金持ちの趣味と巷間言われておりますが、
あらゆる趣味もお金をかけるときりがないと思います。
私の所属する倶楽部は1ヵ月1万円で4鞍騎乗個人レッスン
です。
先生の系列の倶楽部からいらした方が”この馬場をひとりで使っていいのですか!!!”
とびっくりされていました。
今朝子様 ねぶたの季節にぜひおいで下さいませ。
投稿者 小山 雅子 : 2012年03月07日 20:03
2012年03月07日
ジャガイモとセリのすいとん
QPで見た料理。塩胡椒で味付けした煎り子出汁でジャガイモと玉ネギを煮てからスイトンを加え、最後にセリを入れる。スイトンは薄力粉と塩少々と水を練り混ぜた生地をしばらく寝かしておくのがポイント。出汁を取ったあとの煮干しに醤油と酢、砂糖、粉唐辛子、煎り白胡麻、胡麻油を加えて作った煮干しダレをトッピングにする。
昨日今日と暖かかったにもかかわらず、私は完全に風邪をひいてしまいました…>_<…といってもただの鼻風邪で、頭痛もなく、今日は朝から順調に仕事もできたのでご心配なく。野口式整体では、躰や頭の緊張を弛めるために風邪をひくことがあるというが、今回がまさにそんな感じだから、薬なんか呑まずに、とにかく躰をお風呂で熱くして、すぐベッドに入るようにしようと思います。この手の鼻風邪をひいたら、ティッシュペーパーを3箱くらい空にしないと治らないし、幸い明日明後日と人に会う予定もないので、思う存分使ってみたいところ。LCCの導入や公務員採用四割減の問題等々この間いろいろと考えるところもあってそれを書きたいのだけれど、そんなわけで今宵はこれにて失礼いたしますm(_ _)m
2012年03月08日
スタミナ鍋
ずいぶん昔にTVで平野レミが紹介した料理をうろ覚えで作ってみた。一時よく作ったのだが、最近は全然やってないので間違ってたらレミさんゴメンナサイ。出汁にニンニク1個皮をむいて丸ごと入れ、ナンプラーで味付けし、里芋、豚バラ肉、小松菜を加えて煮立て、生姜とニンニクのすり下ろしと豆板醤を混ぜ合わせたタレにつけて食す。食べるとカーッと熱くなるので風邪の薬膳にしてみた。栄養満点で意外にオイシイのでオススメ!とはいえ、当然かなり臭いますので周りの人全員の賛成を得てから作ってください。
このところ、ちょうど丸1年が近づきつつある東日本大震災や原発事故に関する報道が多いのは当然ながら、それに負けず劣らす関東直下型地震の報道がやけに多いのはちょっと気持ちが悪い。
けさの某番組では地震報道に続いてスカイツリーに24時間作動するカメラが取りつけられたというニュースを流したので、火の海になった東京の町を延々とカメラが撮り続ける様子が目に浮かんでしまってぞっとした。それにしても、震度7クラスの地震が今にも起こりそうだといってるわりには、関東からどんどん人がいなくなってるというわけでもないし、私自身別に関東を離れるつもりは全然ないのだから、ある意味で人間の心理は面白いというべきか。多くの人が地震のことは切り離して通常通りの仕事を淡々と続けているのだろうし、それ以外に一体どうしろっていうのよ!と開き直ってる感じなのだろうか。ある程度開き直らないとこんな地震の巣窟みたいな島国には住めないのだろうし、そんな風に開き直って住み続けた私たちの先祖の楽天的な遺伝子が今に蘇って私たちを鼓舞しているのかもしれない。外国の人から見れば、デンジャラスな火山列島の最デンジャラスゾーンに人口が集中しているのはクレージーな感じだろうけれどにもかかわらずそんな国を愛して、こんな時期にわざわざ帰化してくださったドナルド・キーン先生には、今の日本人の多くが忘れてしまった判官贔屓というコトバが想い出されます。
2012年03月09日
豚の生姜焼き
食欲がないわけではないが、風邪で舌がバカになってるので単純かつ栄養価の高い料理にした。睡眠もしっかりとれてるし、頭痛もなくて執筆は順調ながら、今日お電話いただいた集英社の伊藤さんも幻冬舎のヒメも「大丈夫ですか〜」と仰言るほどの鼻声で、ひょっとして花粉症?と疑うも、どうやら風邪に間違いなさそうです(^^ゞ
あれから1年たって、原発事故に関してもやっと本当のところがちょっとずつ明るみに出てくるようになったが、震災関連の政府会議の議事録がほとんど残ってなかったってホントかよ〜(@_@;) と言いたくなるのは私ばかりではあるまい。当初からメルトダウンの可能性が指摘されていたというのはわかって私はホッとしたくらいだけれど、逆にあたふたしてホントに議事録をとり忘れていたのだとしたら、そんな狼狽え者たちに国を任せておくのが心配だし、現場は私より若い世代で、そういうこともあり得そうだから怖くなってしまうのだった(-。-;)それよりはわざと議事録を残さなかったか、残っていても隠していてくれたほうがまだしも安心できるとはいえ、いずれにしろ結果的に責任が追及できないことは今後に大変な禍根を残すにちがいない。
それにしても現代のニッポンでは、あらゆる局面において責任をうやむやにしたがる感じがちょっと尋常じゃない気がして、そのことを昭和天皇の戦争責任にまで結びつける考え方もあるだろうが、もともと天災の多い国だったから人間の責任にも限界があるし「仕方が無い」と諦めることも肝腎だというふうな発想をして、何事も「水に流す」ようにしていた文化なのだと考えられなくはない。だとしても、である。ずっとそんな国でいたいと思うならば、西洋の文明なんか決して使わないでいるべきなのである。西洋の文明がベンリだから使い始めた以上、もはや何でも簡単に「水に流す」ことなんて絶対できないようになったというふうにもっと自覚するべきなのだ。かつて「原爆は仕方が無い」発言でクビになった防衛大臣がいたが、原発事故仕方が無い発言は断じて許されるべきでないことだけは、政府も東電の幹部もわかってるはずだと思いたい。
2012年03月10日
ビーフカレー、菜の花と塩昆布の和え物
和え物はQPで見た料理。菜の花を塩水でさっと茹でて冷水にとり、水分をしっかり切って細切りの塩昆布
と和えただけ。茹で時間はごくわずか、和えてからしばらく置いてなじませるのがポイント。ビーフカレーは中村屋のレトルトパック。風邪で相変わらず舌がバカなのでこんな手抜きメニューに(>_<)ゞ
去年の3月10日は平日の木曜日で、昼間はいつもなら執筆の仕事をしているはずなのに、この日に限って
東京日本橋の高島屋に出かけていたのを今でもよく憶えているのは、1日違えば帰宅困難者になったからであろう。当日高島屋では千家十職のお一人である当代(十七代)永楽善五郎師の作品展示会が開催されており、同時に開催されていた「美食の京都」展に祇園の「川上」が出店していたので、幻冬舎のヒメをお誘いして、店内の喫茶コーナーで「川上」のお弁当を広げて一緒に食べたのだった。その時のことは、たった1年前とはとても思えず、なんだかひと昔前のような気がするくらいである。去年の震災とその後に起きた原発事故で被災されたり、直接的にも間接的にも人生を変えられた方は大変な人数にのぼるだろうが、私のように自身はもとより親族や親戚やふだん付き合っている身近な友人の誰ひとりとして被災らしい被災をしなかった人間でさえ、3月10日以前の自分がはるか遠い昔に思えるくらい何かが確実に変わってしまったのだから、日本全体が大きく変わらないはずはなかろうと思う。それゆえ本当なら、この際どう変わったらいいのか、じっくり腰をすえて冷静に考えるべきなのだろうけれど、相次ぐ首都直下型地震報道などによって浮き足立つばかりで、各人がきちんとした将来的ビジョンを描けないまま、ひたすら色んなことを心配してるだけみたいな状態に陥っているのは如何ともしがたい感じだ。この国民的ウツ状態を如何にして脱するかは、結局のところ個々人の心の持ちように委ねられるということなのだろうか。
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本当に震災前と後で生活が大きく変わりました。あの日は金曜で新宿のオフィスで仕事中でした。そして帰宅難民となり埼玉の家にたどりついたのは翌日の昼過ぎでした。2匹の猫を留守番させていたので会えた時は2匹を抱きしめ両親の仏壇の前で涙しました。あれから一年、会社を辞め今は徒歩通勤できる地元に仕事を見つけました。もちろん震災だけが理由ではありませんが退職の決心に大きな弾みをつけました。
毎月3~4本の芝居を見ていましたが劇場に行く回数は激減しました。映画館はまだ入れません。本当に大きな事だったなとそしてのんきに暮らせていたのがはるか昔の気がします。
投稿者 sachi : 2012年03月11日 18:10
2012年03月11日
1年前の今日
1年前の今日は金曜日で、私はいつも通り小説の執筆をしていた。
新潮社のクスノセ氏からyomyom誌の創刊20号記念に初めて時代小説を載せたいということで、イレギュラーに短編読み切りを依頼されて、ちょうど半分くらい書き進んだところへ今まで感じたことのない大きな揺れに襲われたのだった。あわてて立ちあがって書斎のドアの下にうずくまり、本棚にむりやり横積みしておいた本が何冊かと、突っ張り棒でぶら下げておいたカレンダーがバサッと落ちたのでびくっとするも、リビングでは歌舞伎座の檜舞台の一部を蒲鉾板状に切った木片を立てて置いてあったのがパタンと倒れたくらいだったし、横揺れから始まったので震源地は遠いとわかり、わりあい落ち着いてTV点けたら、震源地と津波情報の字幕だけが現れたので、すぐに消して再び仕事に取りかかろうとした時にまたかなり強い揺れがあって、今度の余震は静岡方面だとわかった時はさすがに恐怖を感じたものの、その後の余震はさほどでもなかったのでずっと執筆を続けていた。小説を書くという行為は現実とは別次元に意識が飛んでることなので、その間現実の感受性が鈍くなるのかもしれないが、通常通り夕方まで執筆を続けて近所のマルエツに買い物に出かけ、この日に見たQPの料理、たしか鶏肉の辛み炒めの食材で、松の実なんかもしっかり買って家に引き揚げ、ごくフツーに料理をし、ケータイの地震速報がうるさく鳴るとそのつど火を止めたりなんかしながらも、きちんと仕上げてテーブルに着き、いざ食べようとしてTVを点けたら、いきなり火の海になった気仙沼市の映像が目に飛び込んで初めて事態の深刻さに心を致すこととなった。
友人の何人かに電話してもケータイオンリーの人は全然通じず、最初に通じたのはイエ電の進藤さんで、ケータイの人とはメールでしかやりとりできないし、翌土曜日は乗馬クラブに予約を入れてたのを想い出して、通じるかどうか試しに電話してみたら、営業をしてるのがわかってまたビックリし、さすがにその日はキャンセルをしたものの、翌々日の日曜日にクラブに出かけたのは馬よりも誰か人に会いたいという気持ちが強かったからだ。何しろ引っ越し間なしで近隣に友人はおろか知り合いもないくらいだったし、さりとてあの時点で東京方面に出かけるのはあまりにも大変そうで、近場のクラブに行くほうがまだいいように思われたのだ。実際に行ってみたらレギュラーのメンバーがしっかり顔を揃えていて、オペラ歌手のSさんやペンギンのOさんはナミダにくれながら被災地の知人親戚を気づかいつつも、「TV見てたって自分が何もできないことに気が滅入るだけだし」と仰言っていたのを想い出す。震災もさることながら、それに引き続いて起きた原発事故がさらに事態の深刻度を増していて、高校を卒業して大学の入学を待つばかりという人生で最高にハッピーな時期であるはずのナッちゃんが、「同じ死ぬんだったら、好きな馬に乗って死にたいから」と涙声で訴えられたのも今に忘れがたいことである。その日はまだ余震も多かったし、馬がそれで暴れて振り落とされる心配もある中で騎乗したことにより、私は肝がすわったような気もして、その後の余震は比較的平気になり、月曜日からは通常通りまた淡々と執筆を続けていた。もちろんTVの映像をまったく見なかったわけではないにせよ、それに振り舞わされることがなかったのは小説の執筆と乗馬のおかげともいえそうである。
TVの映像が現実をいくらリアルに生々しく映しだしても、それを紛れもなく対岸の火事として眺めるしかない人間は、被災者のお気持ちをお察しするのが関の山で、気持ちを一つにしたり、気持ちを共有するなどと安易にいうべきではないだろうと私は思う。今日も朝からTVで土地のかさ上げが進まなくて復興が遅れぎみらしい気仙沼市の映像を見れば、ああ、yosiさんはどうなさってるだろうなあと気になるのは現実にお会いしているからであり、この世の中ではどんな出来事も本当のところは個別的な体験でしかなく、その個がつながることで社会は成り立っているのだった。したがって社会の強さは、本当は個がどれだけ他との境界線を明確にして己れをしっかり把握しているかにかかっているはずで、映像やバーチャルな画面による情報が現実にどんどん浸食してくる時代においては、一方でそれがボランティアなどの現実に役立つ方向に進むことも十分あるとは認めつつも、個が集まって成り立つはずの社会がどんどんもろくなっていく危険性も指摘せざるを得ないのだった。被災地と思いを一つにするといいながら、瓦礫処理の引き受け先にさえ困っているという日本の状況はその顕著な例でなくて何であろう。
ともあれこの間、私自身わずかな義援金くらいしかしていないし、自分のペースを崩さぬようにきちんと仕事をするのが精いっぱいという、実にちっぽけな人間であることを改めて自覚せざるを得なかったが、今後もそうしたちっぽけな個人として、震災後のさまざまな社会のありようを冷静に眺めていきたいと思うし、また東北の復興を応援する気持ちだけは忘れないでいたいものだ。
ちなみに、つい3日前に幻冬舎のヒメを経由して送られてきた「あしなが育英会」の書類には、オフ会にご出席いただいた皆様からお預かりしたお金の受領証明書に添えて、それら全国のみならず海外からも集まった津波遺児への寄付金が年内に約45億7900万円に達し、それらが職員と遺児学生たちの手によって被災地にちらばる1975人の子供達ひとりひとりに一時金200万円として既に手渡され、その分配の速さは全国のどの団体よりも優っていた旨が記されておりましたことをここにご報告申しあげておきます。
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今日は一日津波被害の大きさの検証と被害者についての報道をみていましたが、一番気になった親を亡くした子供たちの基に「あしなが育英会」の寄付金が行き渡った事に少しホッとしました。お金があれば良いというものでは無いですが、しかし無ければ一番困るものですから。
瓦礫処理について大阪市長の橋本氏は憲法9条を持ち出し「この法律があるから悪い」と言っていますが、こんな時に9条の是々非々を持ち出すよりも震災後マスコミが書きたてた「絆」これを本当に感じるのなら日本という災害の多い島国に住んでいれば何処に居ようと災害の被害者に何時なるかわからない。又そこからの復興は先ず瓦礫を除去しなければ始まらない
、このごく普通に考えればわかる事を判るように言って欲しい。これを理解して受け入れる事が「絆」の第一歩だとマスコミも報道してほしい。沖縄問題もいつも「総論賛成、個々反対」これではいつまで経っても何も解決しない。こんな子供じみた意見を国民が持ち続ける限り政治も良くならないし、災害からの速やかな復興も出来ないと思います。正直、子供たちの健康を盾に瓦礫を引き受けない人たちの意見の報道を見ていると、戦後子供時代を送った我々は「自分の子供だけが健康で健全な場所で生活できれば全てハッピーになるのか?」と聞きたくなります。
投稿者 お : 2012年03月11日 23:13
2012年03月12日
春野菜のポトフ
ベーコンで出汁をとり、市販のチキンコンソメの素をプラスして、春キャベツ、新じゃが、人参、新玉ネギ、ブロッコリー、ハーブソーセージを入れて塩胡椒で調味。薄味にして野菜の甘みがよく感じとれるほど味覚は回復したし、昼間はしっかり執筆できたにもかかわらず、室内に入れておいたカメ♂俊寛がとうとう冬眠から覚め、暗い内からガサガサして寝不足になったせいかアタマが痛いので今日はコレだけでおしまいにします<(_ _)>
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昨日はつらい一日でした。1年前に一気に引き戻されたようで。
この1年を振り返ってみましたが、働き詰めであった事は確かですが
あまり何をしてきたのか良く覚えていないのです
でも5月のオフ会の事は覚えています。
今,下を見たら2,710,875になっていますね。びっくりです
いつの間にか270万アクセス以上!(あ、オフ会の催促ではありませんよ)
震災がなければ、こんな事考えなかったかもしれませんが
今年で仕事を止めてしまおうと思っています。
いろいろな環境の変化もあり、未練もなくなってきました
(こんな個人的な事を書いていいのかしら?と思いつつ)
仕事を最優先してきた人生で、その時々に少し後悔もあります
いろいろと向かい合わなければいけない事にきちんと向かってみようかと。
先延ばしにしていた事もちゃんとしよう。
そんな気持ちです。(ここに書いて決意を固めたかったのか?)
全く個人的なつぶやきでした。
投稿者 天 : 2012年03月12日 22:25
2012年03月13日
海老のミルクシチュー
きのう作ったポトフの残りに海老とミルクを入れただけ(^^ゞ手抜きというより、たくさん作ったポトフを食べ尽くしてしまうためのメニュー。何しろ高騰してる野菜をムダにはできません。
ところで野菜の高騰に関しては重油の値上がりが温室栽培に響いているといったニュースも聞かれ、早くもホルムズ海峡封鎖を見越した石油投機が始まっているようだが、昨夜のNHK[クローズアップ現代]ではイランとイスラエルが前面衝突し、またしても第何次かの中東戦争が勃発するかもしれないような状況を詳しく報じていた。イスラエルではすでに全国民ひとりひとりにガスマスクがタダで配られて、いつ戦闘状態に入ってもおかしくないような雰囲気で、子供たちが避難訓練をしている様子が映しだされると、今日の日本人としては、人間が止めようのない天災に備えて避難訓練をしているのとはわけが違うことを強く感じざるを得ないのだった。本当にこの中東問題ほど日本人にとって理解に苦しむものはなく、3大一神教共通の聖地とされるエルサレムの奪り合いに問題があるのなら、いっそ人間が誰も立ち入れないよう、そこに世界中から出てる核のゴミを全部埋めちゃったらどうなんだろう、などと乱暴なことを思っちゃうほどだが、むろんそんな案はジョークとしても世界には通用しそうもない。アメリカの核傘下にいる日本としては、イラン制裁に追随するしかないのだろうし、それも何とか中東戦争が起きないようにする工夫としてやっているのだろうけれど、先日のイラン選挙では極右派が圧勝し、片やイスラエル右派のネタニヤフ政権も国内矛盾を外圧で解消する策に出ているわけで、全面衝突する可能性は非常に高まっていそうだからこそ原油が高騰しているのだろう。本当は話が逆で、投機マネーを動かすために、わざと戦争に突入するかのような状況を作りだしていてもおかしくないと思えるのは、世界には昔から戦争を起こせば金儲けができると考える人びとがいるせいであり、ことに世界同時不況の時代はそうした考えに取りつかれる人びとが増えるのを過去の歴史が物語っているからでした。
コメント(1)
本当に人間の平安と幸せを願うはずの宗教が原因で人が争い死ぬなんてやりきれませんね。私もカトリックですが宗教そのものは決して悪いものではないと思いますが教会や教団を作り管理運営していくのは誤り多き人間ですから。困ったものです。
神様何とかしてください!
聖地を奪い合うのはやはりそれを旗印にして利害を争う国家や戦争で利益を得る人がいるからだと思います。
先日11日に鎌倉建長寺で神道 仏教 キリスト教合同の祈りの集まりがありました。何故か行かずにいられず鐘が鳴り黙祷すると涙が流れてきました。祷りが届くとよいのですが~。
投稿者 ねこかおる : 2012年03月14日 20:41
2012年03月14日
ブリの照り焼き、切り干し大根と油揚げの煮物、昨日の残りのミルクシチュー
去年の冬から、西日本では天然ブリが獲れ放題みたいで、私も本当によく食べている。今日のは和歌山産でした。
柔道したり、ヒップホップしたり、君が代をちゃんと歌ってるかどうか唇の動きを見られたりまでするのだから、今の学校の先生は本当に大変である。永井愛さんの作品に「君が代を歌わせたい男たち」という風刺喜劇があったが、現実はもはやコメディーを超えているというべきか。唇の動きを見た校長の映像がTVに流れた時は、ええっ、これが校長!!!嘘でしょう、まだガキじゃん…と呟いてしまうような若い男性に見えたのだから、私も本当に年を取ったものである(/_;)
近代国家の成立と共に始まる近代のマスプロ教育の目的は国家にとって必要な人材を育成するものなのだから、国がお金を出している教育現場で国歌を歌わせたがるのはある意味で当然ともいえて、私なんかは、ああ、歌わせたいのね、ハイハイ、てな調子で割り切って受け流せば済むような気もするのだけれど、真面目な人ほど「君が代」という文句に躓くのだろうし、教育を国家から切り離したいと考える人がいても決しておかしくはないのであろう。
私の場合は、フランスに本部を置く修道会が経営するミッションスクールで学び、校長がフランス人だったので、学校行事には君が代とフランス国歌の両方が流されたし、君が代を歌うよりも聖歌を歌う機会のほうが断然多かったので、教育には常に教育をする側の何らかの意図が反映されている(つまり、ミッションスクールならキリスト教の伝道というような)ことを子供心に理解した結果、教育というものをある程度冷めた目で見るようになったのかもしれない。なので公立の学校は国が作りたいような人間を作るべく教育してるのだろうと思ってはいるのだけれど、だとすると今回のダンス必修は、韓流タレントに対抗し、EXILEみたいなグループをどんどん増やして外貨を獲得しようという意図なのだろうか???
コメント(1)
真面目に君が代に反発して歌わない教師は、世慣れてないのね(ため息)な気分がします。信条に反しても職務の一部として歌わざるをえないのも生活の知恵なのでは?と疑問に思います。
だからといって、苔のむすまで天皇を支える礎になれと言う歌詞の国家をいつまで有難がるのか嫌気は差していますけれども。
その上唇の動きを見て罰則を与えようとすることが、正義のようにうけとれる新聞記事も阿呆かいなと思います。多分教育界は閉鎖的で今でも無理が通れば道理が引っ込む世界なのでしょうね。それに反発する教師も個々人で反発するのではなく、仲間を作ったりスパイのように情報収集して教育委員会だけでなく現在の教育のありようも上から通達する官僚主義から脱却出来る方策を虎視眈々と狙うべきなのでは?個々人で反発しても粛清されるのは昔からですが、やる気でやれば、仲間は集められるのではないかと思います(監視をくぐるのが厳しいとは思いますけれども)。
投稿者 nao : 2012年03月15日 23:00
2012年03月15日
鶏のカルパチョ、鶏の唐揚げ、野菜サラダ、だし巻き、おにぎり
翻訳家の松岡和子さんとさいたまムービックスで「戦火の馬」を観る前に大宮駅前の「喰心」で食事。「わざわざ東京から埼玉まで来て映画観る人は珍しいと思うのよね」と松岡さんは仰言りながら、「でもやっぱりこの映画は馬好きの人と一緒に観なくちゃねえ」ということで、さいたま芸術劇場での「シンベリン」の稽古帰りに大宮へお越しになったのだった。確かにこの映画、最初から最後まで馬が映っていないシーンのほうが少ない、馬好きには堪らん必見の作品だが、ミュージカルの映画化だけに超ウエルメイドなドラマの作り方や、カメラワークの巧さを併せて非常に楽しめるように出来ており、たまたま乗った帰りのタクシーの運転手さんも、私たちが話していたら「僕もちょうど昨日観たんですけど、3度くらい泣けるシーンがあって、久々にイイ映画でしたねえ」と口をはさんでこられたくらいである。私はむしろ意外と笑えるシーンがあって面白かったのだが、冒頭には馬の母子愛が丁寧に映しだされ、戦場のシーンでは人間の友情と馬同士の友情が並列に描き出されることで、馬も人間も同じ生き物として共に生命を全うする難しさと尊さがひしひしと伝わり、危機一髪の苦難を何度も乗り越えて生還する姿に勇気づけられ、さりげない反戦のメッセージを受け取ることもできた。現在のこのスリリングな日本では本国よりもサバイバルの共感が得られそうな気もする。それにしても馬同士の友情を演じる馬たちの名演技にはビックリさせられます\(◎o◎)/!
コメント(3)
私も拝見いたしました。
泣けるよッと言うことだったので、ハンカチ2枚を持って出かけたのですが、意外と泣けるシーンがなく、むしろ戦闘シーンで目を覆うために必要でした。
100年前の戦争ではサーベルと機関銃が同列だったのかと不思議でなりません。
ドイツ兵とのやりとりや、あひる?ガチョウ?の演技、その他ユウモア・ウイットあふれるシーンに外国映画の豊かさを感じました。
勿論 馬達は秀逸でしたね~。
どのような調教をしたらあんな事ができるのかしら。
おやつに釣られない馬がいるなんて・・・・・。
目だけでなく体全体で演技していましたもの。
\(◎o◎)/!です。
シルバー割引で¥1000でした。
馬と映画関係者に申し訳ない金額です。(;一_一)
投稿者 小山 雅子 : 2012年03月16日 19:47
「戦火の馬」War horseブロードウェイ版(舞台)は、
2011年トニー賞でミュージカルではなく、
ドラマでの受賞です。
登場する馬は、実物大のパッペットで
実盛や熊谷のそれと違って
南アフリカのパッペットショーのカンパニー3人がかりで
「ライオンキング」よりリアルな動きです。
you tubeかNHKのオンデマンドでトニー賞授賞式があれば、
一端を観れます。
投稿者 細傳痴庵 : 2012年03月17日 13:38
「戦火の馬」War horseブロードウェイ版(舞台)は、
2011年トニー賞でミュージカルではなく、
ドラマでの受賞です。
登場する馬は、実物大のパッペットで
実盛や熊谷のそれと違って
南アフリカのパッペットショーのカンパニー3人がかりで
「ライオンキング」よりリアルな動きです。
you tubeかNHKのオンデマンドでトニー賞授賞式があれば、
一端を観れます。
投稿者 細傳痴庵 : 2012年03月17日 13:39
2012年03月16日
豚肉とニラともやしの塩炒め
強火でしゃっしゃっと炒めて塩胡椒で調味するだけ。超簡単なので学生時代によく下宿で作っていた。
吉本隆明氏の訃報を聞けば、やはり学生時代が懐かしく想い出される世代の端くれで、「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」や「相対幻論」やその他もろもろの書籍が今も書棚に並んでいる。もうその本はなぜか手もとから喪われているが、シモーヌ・ヴェイユについて書かれた論評を読んで妙に感動した想い出もあり、要するに当時は私もまだ若かったというわけである。
小林秀雄は最後の大著「本居宣長」をコンテンポラリーに読めた世代だが、吉本にやっつけられた花田清輝は後年にまとめ読みして結構ハマった口で、ポスト吉本の柄谷行人や浅田彰や蓮実重彦を一時やたらに読んでいたのは何だったのだろう?と今になって思うけれど、福田和也になるともうさすがに見た目だけでアホらしくなって読めないし、東浩紀に至っては私の年齢で読む必要は感じないといっていい。柄谷氏あたりでさえ日本文化の知識には偏りがあって、ついこないだまで誰でも知ってたような歌舞伎の演目ですらご存じないのか!!とがっかりさせられた覚えがあるくらいだし、人類の歴史がここまで長く続いた上で、情報量が爆発的に増えている現代においては、一人の人間がありとあらゆる文化を見通して大づかみに論じるなんてことはそもそ不可能だと割り切った上で、色んな事象や文化をマニアックに論じる人は今後もどんどん出てくるだろうけれど、論じることがまだもう少し社会との健全な接点を持てた時代の、吉本氏は最後の人といっていいのかもしれない。私より下の世代の人たちにとっては、よしもとばななのお父さんというイメージのほうが強いのでしょうが。
2012年03月17日
帆立貝と菜の花の白和え、肉じゃが
今日はしっかり2品作りました∈^0^∋白和えは以前QPで見たように思って材料をゲットするも、レシピ
本に載ってなかった!ということは、どうやら別の何かで見たらしく、故に自力で調理した。絹ごし豆腐は水気をきって潰した上で練り胡麻と混ぜ合わせて塩、砂糖、醤油少々で味付けして和え衣を作る。菜の花はさっと塩ゆでし、帆立貝は生のママ軽く塩をして四等分してから混ぜ合わせる。肉じゃがはまず牛肉を炒めて砂糖と酒で味付けし、玉ネギとジャガイモを加えて軽く炒め合わせてから醤油で味付けし、水を注いで柔らかくなるまで煮込む。牛肉の出汁だけで十分おいしく仕上がった。
料理しながら見ていたTBSの「報道特集」では大阪の教育基本条例案をめぐる問題をじっくり取りあげていた。教育に競争原理を持ち込もうとするこの手の法案は、英国のサッチャー政権に端を発して、米国では911直後のブッシュ政権下で導入され、両国とも結果的には失敗で終わったという見方が現在では強いらしい。へたに数値目標を掲げると、米国では却ってズルする先生が現れたりというような弊害が実際に起きたようだし、市場原理の導入みたいな考え方は、こと教育に関しては本末転倒にならざるを得ない感じが強く匂った。同番組では以前妙に私が気にしてブログに多くの書き込みを頂戴していた三鷹高校の元校長肥田先生の事件も取りあげられて、東京と大阪の2大都市でさえ、この間首長の資質によって教育現場が大変息苦しい状況に陥っている問題点が併せて指摘された。橋下氏は面従腹背大いに結構という考えのようであるが、先生たちが面従腹背で「君が代」を歌う姿は、当然ながら子供たちを却ってアンチ日の丸アンチ君が代にしちゃうにちがいないと想像され、ひょっとしたら橋下氏は深謀遠慮に長けた反日運動家なのかも?という気がしたくらいである。なぜなら彼の主張するところはどうしても世界スタンダードから一周遅れの感が否めず、それは大阪という地域の特殊性によるものなのかもしれないと、この間もろもろの報道を見て同情もしているのだけれど、本当の意味で日本を世界の潮流の中に位置づけるに足る発想とは到底思えないからであって、つまりはかつての二流国の追いつけ追い越せを再現しようという以外の何ものでもないと見るからである。おまけにそもそも教育の問題は文科省も含めて、現場での施行が発案された時点から必ず遅れるために、結果的に悪い目にばかり出てしまうので、いっそ何も口出ししないほうが却ってマシなのではなかろうかと、つい思ってしまうのだった。
ところで発展途上国は別として、いわゆる先進諸国において、ここまで情報が行き渡るようになった今日、学校教育は子供たちにどの程度の影響力を持つのか、あるいはどういう教育が今後の社会における人材の育成につながるのか、本当のところを確信して教育に携わってる人は現在どのくらいあるのだろうか。いわゆるお受験して一流の大学に入ることなんてもう何の意味も無いよね〜という否定的な意見はよく耳にするのだけれど、従来の職業訓練的なモノ以外に、これからの人材に絶対必要とイメージされる教育の具体例を寡聞にして私は存じません。ヒップホップがそれなんだろうか?と、またしつこくイチャモンつけてしまいました(^◇^;)
コメント(3)
肉じゃがよく作りますが私はまず玉ねぎを炒めてジャガイモを加え軽く炒めて一度煮立ててから肉を入れていました。今朝子様のやり方目からウロコです!なにか関西風で美味しそう!早速やってみたいです。
日の丸君が代 私も横浜のキリスト教の学校だったので日の丸より何かというと聖歌でした。でも公立の学校はやはりスポンサーが国だったりするのでこだわるのでしょうね。愛国心というものは強制されたり法で定められるものでなく兎追いしかの山だと思いますが。風邪はすっかり治られましたか?
投稿者 ねこかおる : 2012年03月18日 08:36
松井様の意見を読み、橋本市長に対する私の何となく感じる違和感の根源が判ったような気がします。確かに彼がしゃかりきになり、職員の粛清をしようとしているのは大阪市民として36年、今は市を出て府民ですが、よくわかるのです。縁戚関係に公務員(教員も含め)は数多く、その実態は「働かず、権利だけは主張する」これを言うと「真面目にやってる方も居る」と言われますが、一般企業に勤める者からみれば、それさえも甘い。
しかし橋本氏の教育始め、文化に対する考え方は維新後の明治時代の政治家と変わらない。維新を革命として礼賛する方は多いですが、地方の資料などを見ると江戸時代よりも庶民にとって過酷な生活を強いられていて、全てが良かったわけではない。まあ、革命とはそういうものかも判りませんが、しかしその頃の政治家と変わらぬ考えを推し進めても、戦後民主主義を知った国民が全て受け入れられる筈もなく、一番大事な教育が政争の場になるだけのような気がします。
投稿者 お : 2012年03月18日 09:40
春は肉じゃが。新じゃが出てくるからですかね。私のやりかたはなんと何にも炒めなしです。
乱暴に思う方がいらっしゃるでしょうが、勇気を出して試してみるかたに簡単にご披露します。
お鍋にじゃがいも、玉ねぎを底に敷いて脂身のサシが大目の薄切り牛肉をじゃがいもの上に乗せ、
砂糖お醤油みりんも少し、赤ワインとその半分の量のお水をじゃがいもの肩が浸かるくらい入れてお鍋のフタをして煮るだけ。
炊き始めはすごくえげつない匂いがしますが、かまわずに8割がた柔らかくなるまで煮ます。直ぐに食べずに3,40分そのまま置いてじゃがいもの芯に味がしみるようなじませ、食べる直前にもう一度暖めてできあがり。
炒めるやり方よりもじゃがいもの角が煮崩れません。不思議です。
橋下改革はまず最初に極論をぶちあげて目を惹くやりかた。
それまで安穏としてきた聖職さん相手にはああなるのかしら、まともに受け止めすぎないように。
まぁでも公務員の世界は緩みきってますから、橋下クンはハレンチ過ぎる口調になるんでしょう、改革は始まったばかり。
長い目で見守りましょう、監視。
投稿者 毎晩晩酌 : 2012年03月18日 17:39
2012年03月18日
吉野の桜葉寿司、イタリアングリーンサラダ、昨日の残り
お寿司とサラダは例の如く乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
あいにくの雨天ながら馬場の状態は先週よりもいいくらいで、お相手のベリー君は黙々と走ってくれました。「戦火の馬」のジョーイのようにガタイがしっかりして何事にも動じないベリー君は他の馬が多少暴れても安心して乗っていられる、とても信頼できる馬なのだった。そういえばベリー君もジョーイと同じく鹿毛で、馬の中ではメジャーな毛色のようだけれど、鹿毛と栗毛ではどっちがメジャーなんだろう?というヘンな疑問が湧いてきた。胴体が茶色でタテガミの黒いのが鹿毛、今日のレースで負けてビックリ(?_?)の,オルフェーヴルみたいな双方共に茶色いのが栗毛で、何となく鹿毛のほうが多いように思うのは単なる気のせいなのだろうか?でもって白っぽい葦毛は、これも何となく高貴な人が乗るみたいなイメージを、人間は洋の東西を問わず持っているようだが、馬仲間ではけっこうイジメられたりするらしい。人間は黒い馬も美しいと感じるようだけれど、馬同士ではどう感じているのかがイマイチわからないな〜なんて、妙に毛色にこだわってしまうのはやはり「戦火の馬」見たからかもしれません(^^ゞ
ところで今週はけっこう地震が多くてその手の報道も多かったが、東日本はもとより、西日本でもそうそう安心してはいられない雰囲気であるのがこの島国の現状のようで、鳥取県にまたクジラが打ち上げられたという今朝のニュースを聞くと、たしか半月ほど前の隠岐の島で大量の深海魚が打ち上げられたという報道を想い出して、またちょっと不安な気持ちにさせられた。備えあれば憂いなしとはいうものの、今や日本全国どこまで備えていたらいいのか全然わからない感じになっていて、個人としてはいたずらに不安がっても仕方が無いので、開き直ってフツーに毎日を送っているのだけれど、各自治体のを大変さはお察しする。
2012年03月19日
担々大根
QPで見た料理。大根は一口大の乱切りにして柔らかく茹でておく。豚挽肉をパラパラになるまで炒め、ザーサイのみじん切りを炒め合わせて味噌、酒、醤油で味付けし、大根とスープを入れてしばらく煮込み、生姜とニンニクとネギのみじん切り、白練り胡麻、酢を加えて仕上げる。
ずいぶん前に小沢クンと福話術人形氏が会談して大連立を企図するも、民主党内に反対があって流れたという話があったように記憶するが、確かその時に猛反対した人がまた大連立を企図するのは全くどうよ!としかいいようがない。いかに脱イデオロギーの時代になったとしても、理念なき離合集散を繰り返す烏合の衆に票を投じさせられる国民の身にもなってみろ!と言いたい(-_-#)そもそも考え方が一緒のはずの人が非協力的だったり、全く分かれているわりに考え方が一緒だったりするのは、結局のところ感情的な問題が先行してるからではないかということになれば、それはもう児童会のレベルなので、日本人に二大政党どころか議会制民主主義そのものが所詮ムリ(×_×)な感じもしてくるのであった。
日本人がわりあい情緒的な民族であるのはそれとして別に卑下することでもないし、たとえば役者や作家というような職業人なら自らが感情的であり、感情的であればこそなし得る表現があることを十分自覚もしているのだけれど、役者と非常に似ている現代の政治家のマズイ点は、自覚のないまま感情的な行動ばかり取ってることではなかろうか。ええ加減にせいよ!!!とこっちまで感情的になっちまいます(-.-;)y-゜゜
2012年03月20日
春の和風パスタ
前にQPで見た料理をアレンジ。ニンニクと鷹の爪を入れたオリーブ油でベーコンと茹で筍を炒め、醤油で味付けし、一緒に茹でたスパゲティと菜花を加えるだけ。菜花はもちろんパスタの茹で時間が残り1分くらいになってから入れること。
きょうも朝から執筆をして、夕方一段落したところで、いつものように氷川神社〜大宮公園を散歩して最後の観梅を楽しんだ。桜の木もすでに色づいているが、花見はまだまだ先のようである。
ところで休日でも仕事をするフリーランスの身としては、サラリーマンはやっぱり気楽な稼業と言いたくなるけれど、実際問題そうでもないだろうことは百も承知の上で、若者の二人にひとりが就職できなかったり早期に退職している現実を、もっと根本的に考えるべきではないかと思うところもあるのだった。
今連載している小説の資料としてたまたま昭和5年4月の新聞を読んだところ、まさに「大学は出たけれど」の映画が公開された翌年だけに、高学歴者の就職率はなんと14.6パーセント(失業率ではありません、念のため)に過ぎず、当時「知識階級」とされた高学歴者が俸給生活者になることそのものが、10年前くらいから徐々に難しくなっていた現実を伝えている。つまりサラリーマンは常にある程度の絶対数が確保されてしかるべきというような幻想を社会に与え、そのことで就職難という現象が引き起こされるのは百年前からほとんど変わっていないのだった。今はさらに進んで、働くこと=どこかに勤めること以外の発想をできなくなっている人の割合が百年前よりはるかに高いであろうにもかかわらず、二人にひとりは就職できているのだから、社会の仕組みもそれなりに民主的になってきてはいるのだろう。要するにこの百年間で、働くこと=会社に勤めることという概念は一般に浸透しきったといってもいいのだ。その上で今後はまた別の概念に移行しようとしていて、現在はその過渡期だという気がしなくもないのである。何しろITの発達によりテレワークも可能になれば、単独事業も信じられないくらい容易になりつつある今日、本人の才覚次第でどんな働き方だってできるのだから、通常の就職を絶対視する必要は今やなさそうにも思えるのだ。こんな風に書くと、才覚のある子ならいいけど、無い場合はどうするのよ!というお母さんの声が聞こえてきそうだが、無い場合は就職すればなんとかなるという風にも考えられないのが、残念ながら今後の世界の厳しい現実だろうし、それよりも早い時点で就職できなかったらどうするの!というような短絡的な強迫観念を若者に植えつけるほうが、その子の将来にとっても、今後の日本社会にとってもあまり望ましい方向に進まない気がするのだった。とにかく世の中はこれから恐ろしい勢いでどんどん変わっていくだろうし、その中で必要とされる生き方はその時代を生きる若い人たちが自ずとつかんでいくしかなく、いつの時代も旧世代の人間は、若者にそれができることを信じてやるしかないのだろうと思うのである。
コメント(4)
「これから恐ろしい勢いでどんどん変わっていく・・・旧世代の人間は、若者にそれができることを信じてやるしかないのだろうと思うのである。」・・・・大学をドロップアウトし、お笑いの道を目指して、歩み始めた愚息を持つ親としては、身にしみて感じます。
別の件ですが、以前「1924海戦」を観た者がいれば・・というお話があったと思います。遅ればせながら、若干のコメントです。まず、趣向が面白かったです。当時のエレベーターガールのいでたちの役者が、開演前から入場を案内し、ロビーには、当時の資生堂のポスターが展示され、劇中劇で「海戦」を展開する、しかも役者たちの訓練は、メイエルホリド流のトレーニングをほどこしたとか。
やなぎみわさんは、「関東大震災後に潮目が変わり、「芸術は、可能か?」という問いを今以上に突きつけられた。その時代を見つめることで今をてらすことができる」と仰っていました。
「1924」は三部作ですので、第三部も是非観たいと思いました。
なお、私は今朝子様と同い年、大学も同窓ですので、40年前にキャンパスですれ違っているかもしれません。
投稿者 sudoufu : 2012年03月21日 14:27
「海戦」のコメントありがとうございます!
私がみわさんのHPを見た時は、第3部の上演期日が未定だったのですが、もし既に決まっていたらお知らせください。
投稿者 今朝子 : 2012年03月21日 21:57
1924第三部は、4.13~4.15 京都国立近代美術館で行われるようです。詳細は、http://www.yanagimiwa.net/ をご覧ください。私は、横浜在住なので、KAAT(神奈川芸術劇場)でやっていただくとよかったなあ。
投稿者 sudoufu : 2012年03月22日 12:04
情報ありがとうございます。ちょうど直前に京都に行く予定にしてたので、スケジュールを変えようかと思いつつ、今日たまたま劇場で会った演劇関係者に話したら、8月に東京方面でも上演されるかもしれないという情報をもらいましたが、詳しいことはまだわかりません。
投稿者 今朝子 : 2012年03月22日 23:49
2012年03月21日
焼き魚定食
整体治療に行く前に大宮ルミネ内の「寅福」で食事。ここは硬めに炊いたご飯がオイシイので近ごろ愛用している。
私はバブルの恩恵にもほとんど浴さなかったし、今でも景気がいいとか悪いとかにはそんなに左右されない仕事なのでよくわからないのだけれど、今って景気が悪いんだろうか?株価は騰がって1万円台になったし、公共工事でゼネコン関係なんか結構もうかってそうだし、ただ一方で震災・原発被害や電力事情等によって大変厳しい状況に追い込まれている業種もあるだろうし、日本全体の景気がいいといえないのは確かだが、ならばこの先いつかまた日本全体の景気がいいなんて時代が訪れることなんて果たしてあるんだろうか?なんて考えてしまうのは、勿論このところの消費税論議がずっとこの問題をからめているからである。もう一つわからないのはデフレ脱却問題で、LCC導入のニュースでも、これを歓迎する一方でデフレを脱却しようなんて、どっか矛盾してないか???と思ったものである。要するに労働市場がグローバル化したら、どんどんデフレになるのは当然の成りゆきだし、一体それが本当に脱却できるとマジで思ってるんだろうか?というような疑問が常に湧いてしまうのである。で、結局、デフレでも震災でも儲ける人は儲けるのだろうし、ここまで複雑化した経済の下では高度成長期のようにみんながみんなよくなるなんてことはあり得ないというのが本当なのだろう。易しいゲームには沢山の人間が参加できても、難しいゲームには参加できる人間は限られてくるというような現象が、今や世界規模で起こりつつあるような感じで、色んな意味で人類はツーマッチの苦しみを味わいつつあるのかもしれません(-。-;)
2012年03月22日
魔笛
ご存じモーツアルトの「魔笛」を20世紀の巨匠ピータ・ブルックが演出した舞台はすでに世界各国で高評を得て、今日はさいたま芸術劇場で本邦初演の運びとなり、関係者の多い客席では珍しいほどの熱い拍手がカーテンコールに沸き起こって、今年87歳を迎えた巨匠の健在ぶりを証明した。
この人の演出の舞台が初来日したのは私の学生時代で、さすがにナマでは観ていないのだが、学生寮のテレビ室で観た「真夏の夜の夢」の録画中継は今も忘れがたく、著書「なにもない空間」のタイトルがいみじくも象徴するシンプル且つ斬新なその舞台は実に衝撃的で、私の世代にとっては世界の演劇に目を向けさせた最初の人といっていいと思う。今回もまた「魔笛」という、「真夏の夜の夢」に負けないくらいにゴチャゴチャした一種の猥雑さが持ち味ともいえる歌劇を、こんなにもスッキリとシンプルに美しく、しかも面白いところはより面白く見せることが出来るのか!!!という驚きに満ちた舞台であった。それはホリゾントとその前に立て並べられた竹のみを使った舞台空間のみならず、可能な限り削ぎ落とされた音楽によるところが非常に大きい。有名曲は網羅しつつもカット換骨奪胎される形で、なんとピアノ一台と歌手のほぼ独唱で表現されるため、この歌劇の「核」とでもいうべきものが、音楽的にも劇的にも非常にシンプルにくっきりと浮かびあがる仕掛けなのだ。結果的にどちらかといえば歌舞伎的な作品の「魔笛」が、お能のような抽象性の高い作品に仕上がっていて、そこにはドメスティックなドラマや、若者がオトナになるために必ず通る道や、男と女の本質的な敵対といった極めて普遍的なドラマの要素が満載された上で、それらもろもろの葛藤も最後には音楽=芸術の下で調和に至るという、この歌劇の本質が鮮やかに示されて、まさしくP.Bらしい舞台であった。
思えばブルック演出の舞台を観るのは世田谷パブリックシアターの「ハムレットの悲劇」以来で、今宵はさいたまに引っ越して来て本当に良かった\(^O^)/と思えた一夜でもあります。
コメント(1)
真夏の夢 の初日を日生劇場で見た時の事が思い出されました。
Pブルックの「なにもない空間」をバイブルとした私には、魅惑的な舞台でしたが休憩で廊下に出ると 加藤治子さんが高橋昌也さんに 「なあに これっ? 」ってポカンとしてたのが印象的でした。
投稿者 八島秀二 : 2012年03月23日 15:39
2012年03月23日
切り干し大根と挽肉の卵焼き
前にQPで見た料理。ニンニクと長ネギのみじん切りを炒めて香り付けした油で豚挽肉をパラパラになるまで炒め、戻してみじん切りにした切り干し大根を炒め合わせ、香菜のみじん切りを加えて、ナンプラー、砂糖、塩少々、胡椒で味付けし、それを溶き卵の中に入れて火を通す。売り物にできるぐらい上手に仕上がりました(^◇^)
夕方ポストを見たら演劇博物館から速達が来ていて、封筒の中に何か入っているのでオリジナルのノベルティーでもくれたのかしら?な〜んて思ったのは、昨日たまたま北海道の干物屋さんから送って来た封筒に美味しいシシャモの見本が2本入っていたからですが(^^) 演博からの封筒には、その昔、私が34歳で六世中村歌右衛門と対談したNHK番組のDVDが入っていて、3/25から始まる歌右衛門展で会期中にこの映像を流すことについての許可を求めるとのことで、25日といえば明後日だから、いくらなんでも許可を求めるのが遅すぎないか!!!(-_-#)と文句のひとつも言いたいとこだが、学校関係者はとかく社会で揉まれていないせいか、時に悪気なくこうした鈍くさいことを平気でするのもよくわかっているし、児玉竜一氏の丁寧なお手紙も頂戴したので、ここは目をつぶって許可願にサインをするとしても、明日明後日は土日だから先方には絶対届かないはずなんだけど、見切り発車で公開しちゃうつもりだろうか(!_+)
それにしても、この映像は私がNHKに出始めてまだ2回目で、まだTVに不馴れなせいもあったし、何しろお相手が小学生から憧れていた最愛の方でもあったからして、前日は一睡もできず、当日も完全に気を呑まれてしまっていて、歌右衛門丈はステキに撮れていても、ワタシのほうあまり他人様に見られたくないような顔が映っているので、それを今になって公開されるのはまるで拷問のようである(>_<)とにかく家業のせいもあって子供の頃から有名な芸能人は間近でたくさん目にしているが、この時の歌右衛門ほど凄まじいオーラを浴びせられた経験は後にも先にもなくて、収録の2時間を終えた直後は目の前が真っ暗になってソファーに倒れ込んでしまい、あんまり長くそばにいると命を縮めるような気さえしたものだ。前日一睡もできなかったのは当然で、この時の歌右衛門との出会いはシチュエーションからしても私の人生のピークといってもいい。34歳でピークに到達したから、あとは野となれ山となれというような気分で帰宅し、この日の夜はようやくぐっすり眠れるように思っていたにもかかわらず、留守電に武智先生危篤の報せが入っていた時の衝撃は今も忘れがたい。月並みな表現ながら、まさにジェットコースターのような一日で、二夜連続でほとんで寝られなかったのを想い出す。
コメント(1)
あのご対談からもはや四半世紀とは、びっくりです(と書くとトシがばれますが…)。今朝子さんがすごく緊張されていたあの表情を、今でも覚えていますので。そうですか、その日に武智先生ご危篤だったとは…。さて、自伝的な著述の後にはいよいよ武智先生のことをまとめていつお書きになるか、ということになりますよね〜?(とプレッシャーをかけたりして)
投稿者 福光阿津子 : 2012年03月24日 16:54
2012年03月24日
トマトとサンマ缶のパスタ
前にQPで見た超手抜きインスタントメニュー。オリーブ油でニンニクのすり下ろしと鷹の爪を炒め、トマト水煮缶角切りバージョンとサンマの蒲焼き缶と水を加えてしばらく煮込み、3分で仕上がる早茹でパスタ(なんてモノがあるのを初めて知った(・0・)を直に入れてとブロッコリを加え塩胡椒で調味するだけ。簡単にできるわりに美味しいのでオススメ。ソースに直入れした早茹でパスタは、生パスタっぽい食感になります\(◎o◎)/!
食事しながらTBSの報道特集で、福島原発事故後に脱原発へ舵を切ったドイツの情況を見て、日本の現状を改めて考えさせられた。もともと理論物理学で博士号を取得した科学者としての見地から原発推進派だったメルケル首相。彼女が脱原発に踏み切った背景には、本当にフクシマの事故が引き金になっていたという事実を知るにつけても、その事故を起こした当事国が早くも原発再開にやっきになるのはどう考えても極めて不自然な気がしてくるのだった。私は安全か安全でないかという問題よりも、末端の現場従事者や特定の地域に甚だしい負担を強いる点や、完全なる廃棄物処理方法がまだ見つかっていないという点で、原発は倫理的に容認してはならないと思えるので、長らく原発を推進してきた自民党ではない民主党が政権の座にある今日、政府は代替エネルギーへの転換とその開発に向けて大きく舵を切るチャンスであるにもかかわらず、そうした方向付けの話が遅々として聞こえてこないのは一体なぜなんだろう?と不思議でならないのである。その後のニュースで消費税を上げることに生命を賭していると語るブースカの映像を見て、形而上学的教養が身についていない人の底の浅さを感じてしまったのは、メルケルとの対比によるものかもしれません( -_-)
2012年03月25日
韓国屋台弁当、中華風春雨サラダ
乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。久々に晴れの日曜日と会ってレッスンはコミコミながらお馴染みのハイセイコーのお孫さんは老体を厭わずにしっかり駈けてくれました(^-^)ところでレッスンが終了すると裏掘りといって蹄鉄とヒヅメの間に詰まった泥を取り除く必要があり、その際には馬の四肢を1本ずつ持ちあげて掻き出してやるのだけれど、人間も年を取ると片足立ちが難しくなるように、老馬も足を持ちあげさせるのが結構難しい。とはいえ泥を取り除いたほうがやはり気持ちはいいようで、お孫さんは足を持ちあげさせないで、自らヒヅメを裏返して見せるという利口なやり方で私に泥を掻き出させるのであった。で、気持ちよくなったら顔をすり寄せてベタベタ甘えてくるお孫さんを見ていた隣の人が、「その馬そんなに怖くないんですねえ。もっと怖いと思ってました」と仰言ったのでこっちは(?_?)エ?だったが、そういわれてみたら、馬装をする時にはかなり気むずかしくなっていて、ああ、もう、私シンドイから走るのイヤ〜というようなしぐさをして見せるので、こっちも何かとなだめすかさなくてはならないし、ふざけて噛もうとする時もままあるのだけれど、とにかく賢い馬なので、決めるとこはぴしっと決めてくれるし、人間に対して多少のわがままはしても限度をしっかり心得ているので、この馬に関する限り怖いというような思いはまずしなくて済むのであった。
馬の知能にどの程度の差があるのかは知らないが、純粋に知能の問題というよりも人間との関係を非常に巧く構築できる子と、あまりできない子はいて、できない子と接するのはやっぱり怖いが、お孫さんの場合はかつて大切にされた自馬だったらしいので、人間との関係を築くのに長けていて、こちらが大切に扱えば扱うほど親密に且つ従順になるし、自らも「大切に扱いなさいよ!」オーラみたいなものを全身で発しているので、クラブには彼女のわがままを大目に見るお孫さんファンが何人もいて、みんなで大切にしているような雰囲気である。人間だと大切にされてきた往年の女優さんみたいなタイプで、「こういう人って得だよね〜」と言いたくなるように、「こういう馬って得だよな〜」と思える馬がいる一方で、なんだかこの馬は気の毒だよな〜という感じの馬もあって、馬も人間と同様に一生のあいだの人との出会いがさまざまな明暗を生むのかもしれません。
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羨ましい馬場ですね~!!!
青森は今日も吹雪で、いつになったら茶色の馬場で走れるのでしょうか。
今冬の雪はあまりに異常です。
お孫さんは四肢とも裏返しなさるのですか?
私の馬は後肢だけしかやりません。
馬が楽だったとは今の今まで思い至りませんでした。
私が楽だったので前肢もと思うのですが、頑としてやってくれません。
投稿者 小山 雅子 : 2012年03月26日 21:16
2012年03月26日
山芋とほうれん草のサラダ
先週のQPで見た料理。山芋は2㎝の厚みに切って電子レンジで火を通し、柔らかくなったら潰して熱いうちにレモン汁と塩胡椒で味付けし、ベーコンと茹でたほうれん草を炒め合わせて塩胡椒で味付けしたものと混ぜ合わせるだけ。簡単安上がりなホットサラダ。
昨日今日と立て続けに小学校の同級生からFacebookの友達承認を求められて、ひょっとして京都で流行りだしたんだろうか?と思いながら、それにしてもこのソーシャルネットワークは各自の知人が何故わかるんだろう???という当初からの疑問が相変わらず生じるのであった。私が人に頼まれて入ったのは確か一昨年の夏で、入会時にいきなり「この人を知ってますか?」と何人かの名前がFacebook側から示されて、いずれも勧めた人とは全く無関係の知り合いだったのに仰天しヾ(℃゜)々怖くなって、自分の履歴はいっさい書いていないにもかかわらず、続々と友達承認を求められるのが本当に不思議で、個人情報の保護も何もあったもんじゃないよな〜と毎度思ってしまうのである。でもって、このブログを書き込むだけでも大変なのでFaceboookのほうはほとんど自分からアプローチすることはないのだけれど、ときどき向こうからアプローチするよう求めてくるのが、なんだか随分お節介な気がしてしまうのは、私にソーシャルネットワークというものに対する理解が欠如しているのか、あるいはあまり必要を感じないタイプの人間だからなのだろう。ツイッターも同様で、ある人と連絡を取りたいために利用しようとしたものの、途中で面倒くさくなってしまい、とてもじゃないがフォロワーになろうなんて思えないのである。ブログに関しては基本的に自分ひとりが発信している点で雑誌に原稿を書いたりするのとあまり変わらない感じだが、ソーシャルネットワークはバーチャルな社交場といった感じなので、現実的にもパーティ社交みたいなものをあまり得意としない人間としては、ついつい敬遠してしまうのかもしれない。もっとも、このソーシャルネットワークが世界を席巻してコミュニケーションや社会の有り様を劇的に変えているのは間違いないし、志や考え方や好みや趣味やその他ももろもろの共通点がある世界中の人と知り合いになり、交友できたりするのは素晴らしいことだとは思うのだけれど、その結果、自分の目の前に立ちふさがるや苦手な人から容易に逃げだすことができる社会になっていくのは果たしてどうなんだろう?という気もするのである。これまでの社会は目の前の無理解な人から逃げられないことで、それなりの葛藤もあったと同時に耐性も備わったはずだが、早々と無視できるようになった分、人間にとって何か肝腎なことが欠落していくんじゃないかと心配になってしまうのは、私がやはり旧世代の人間だからだろうか。けれど目の前の人を説得できなくて世の中は変えられるんだろうか?という旧世代的な疑問が相変わらず残るのだった。少なくとも今の政界は旧世代の人間のほうがまだ圧倒的に多いのだから、ブースカは目の前の人をちゃんと説得しなくてはならないはずですが(-。-;)
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このサラダなら子どもも食べやすいかも?と思いました。生だと山芋のせいか口の周りが赤くなってしまい私も子どもの頃は山芋掘るのは楽しく大変だったけど美味しく思えずだったので今度作って食べてみたいと思います。椎茸も菌打ちして新鮮な美味しい椎茸が子どもの頃にはあったのに香りも味も食感も苦手でした。今は少しは食べられるようになりましたが、私が手に入れる椎茸は味も香りも十分の一位に感じられ、きのこの好きな方はもっとまともなきのこが食べたいと思わないのかとても不思議に思います。
ソーシャルネットワークは、本当に社交的な人間でないとリアルより難しいところもあるのではないかと思い足を踏み入れる気持ちになりません。こちらの都合に関わりなく連絡が入るのはいいのですが、なんとなくさっさと返事を入れなきゃ無視したと言われそうで近寄りたくありません。
投稿者 nao : 2012年03月26日 23:27
Facebookも使い方を熟知すると、便利だと思います。Privacyの設定を厳しくし、友人だけ又は友人の友人までしか、Facebook上の検索と、友人承認要求が出来ないように設定すると、知らない人からの友達承認要求で悩まされることはないと思います。試してみて下さい。
投稿者 Jacalanda : 2012年03月27日 01:36
2012年03月27日
キャベツと塩豚の煮込み
昨日のQPで見て、塩豚は昨日のうちに作っておいた。豚の肩ロース肉にたっぷりめの塩胡椒をしてハチミツを少々塗った上で何枚か重ねてラップして六時間以上寝かせておく。ラップする際に空気をしっかり抜いておくのがポイント。鍋にキャベツ、塩豚、角切りしたトマトの順にミルフィーユ状に重ねて酒を振りかけて蒸し煮にする。塩豚は作り置きしておくと他にもいろいろ仕えてベンリかも。
国会招致されたAIJ投資顧問浅川社長の何やら妙に自己確信に満ちた弁明を、いかにも詐欺師っぽいよな〜と見たのは私ばかりだろうか。最初から騙すつもりはなくても、結果責任として、江戸時代なら闕所=全財産没収は堅いところだし、へたしたら遠島か死罪だって大いにあり得たかもしれないな〜と思いながら、経済犯罪や政治の結果責任といったものに関して、現代はずいぶん寛刑に過ぎるような気がしたものである。むろん十両盗めば首が飛んだ時代と現代を安易に比較してはいけないけれど、少年法改正で厳罰化するくらいなら、政治経済犯にもっと重罰を課すべきだと考える向きがあってもおかしくない。ただ、それも行き過ぎると政治的粛清に利用されかれないので、そう簡単に考えるべきではないだろうとも思われる。それにしても、大統領が交代するたびに前大統領が逮捕されてしまうような国では、日本の総理大臣はお気楽でいいよなあと思われてないのかしら?まあ、別に誰がなっても官僚の作文をそれらしく読んで聞かせられるかどうかだけが評価の対象となるポジションだからかもしれませんが(-。-;)
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われわれ毎日まじめにアクセク働いている庶民から見ればAIJの淺川社長、詐欺師にしか見えませんデスよ!ご一緒に頭を下げて被害者ではないとおっしゃるいい背広を着た面々、いい大学出ていい給料もらってボケーとだまされていた・・・てなこと、どの面下げていえるのでしょう?短期間在籍した小企業からのほんの少しのお小遣いでさえ悔しいのに、全面的に頼りにしていた人たちの無念さを思うと、この"エリ-ト連中"にため息が出ます。
投稿者 さくら鳥 : 2012年03月28日 10:13
2012年03月28日
牛肉とウドとワカメの炒め物
QPで見た春らしい香り豊かな和風の炒め物。酒と醤油で下味した牛肉に片栗粉をまぶして炒め、いったん取りだしておく。皮を剥いて拍子木切りにしたウドと、水で戻した塩蔵ワカメを炒め合わせて味醂と醤油で味付けし、肉を戻し入れて仕上げにすりゴマをまぶす。
食事しながらNHK7時のニュースを見ていたら、鶴竜が大関に昇進した件が大きく取りあげられた。私は大昔の若秩父に始まって、大受とか、琴風といったあんこ型の力士がもともとごひいきだったのだけれど、先場所と今場所を何番か見ていて、小兵とはいえ鶴竜の相撲はダイナミックで面白いから久々にひいきしたくなった関取である。で、この人のお父さんはモンゴルの国立大学工学部の教授だとかで、「こういう家に生まれた人間でもスポーツが出来るところを人に見せたかった」と語った話が場所中に紹介されて、とてもユニークな価値観なのでますます面白い人物だと思われたのである。それにしても、大相撲は現在の日本で労働のグローバル化が最も進んでいる業界といえて、1横綱6大関中なんと日本人は琴奨菊と稀勢の里のたった2人しかいない!!!のだが、ひょっとしたら、今やどの業界でも、ガチの実力本位で人を採用したら、大相撲と同じ割合になっちゃうのかもしれないと思われたのは、続いてのニュースで、外国人36人が初めて介護福祉士の資格試験に合格したというニュースが流れ、言葉の壁を乗り越えて資格を取る人たちの情熱やパワーに対抗できる若い日本人が果たして今どれだけいるんだろう?なんてことを考えさせられたからである。IT関連はインド人に太刀打ちできないようだし、タレント業は韓国人に負けちゃいそうだし、サービス業も東南アジア系に勝てないとなったら、ほんとに何で生きてくんだろう?と今さら心配しても始まらない気はするのだった。別に若い人の責任でもなくて、要するに日本はそういう時代に入ってしまったということなのだろうと思う。結果、これから先、若い人はかなり苦労するかもしれないし、私のような世代も老後を不安な気持ちで過ごすようになるのかもしれないけれど、それはそういう時代に生まれ合わせたのだからジタバタせずに甘受するのも個人としては1つの生き方だし、社会としては1つの有り様だと思うのである。開発途上国の子供たちの映像が流れると、なんてイキイキした目をしてるんだろう!!と羨ましくなるが、日本だって戦後の子供たちが映っている写真を見れば、同じような目をしてたのがよくわかるのであった。当然ながら時代は変わるし、また日本のいい時代がやって来るかも知れない。今の若い人の中で期待できそうなのは東北で被災を経験した人たちである。あるいは今後ほかの地域でも同様のことが起きて、その中でも逞しく生き抜いていく若い人がいるだろうし、この活断層列島においては、いつの時代も、未来はそうした逞しい若い人たちの手に委ねられてきたのだろうと思えるのだった。
2012年03月29日
卵スープチャーハン
昨日のQPで見た料理。酒、塩、醤油で味付けした鶏ガラスープに水溶き片栗粉とネギと溶き卵を加えて煮立てておく。フライパンで海老をさっと炒めて溶き卵を入れ、すぐに熱ご飯を加えてからめ、青ネギを足して塩胡椒で味付けしたチャーハンを島型に盛って、周りにスープを注いだら出来上がり。チャーハンのお茶漬けみたいな食感で意外と食べやすい。あとでスープをかけるのでチャーハンは薄味で仕上げるのがポイント。
結局のところウンザリするような政局アイテムに過ぎない消費税論議とはいえ、これについて景気条項を加えることについての攻防はずいぶん報道されても、軽減税率に関する論議は行われているのかどうかさえわからないのが不思議でならない。生活必需品と贅沢品の区別をつけるのが難しいので、ややこしいのは止めにして、一律でかけちゃえばその後に何かと問題は出ないだろう、というのが事なかれ主義者の多いお役所の論法なのだろうし、また一律というものを妙に素直に受け入れてしまうのが日本の国民性でもあるのだろうが、本当は何に多く税をかけて、何にかけないほうがいいのかを考えるのが政治の根本であり、そこにこそ文字通りのポリシーが問われるので、すべての議論はそこから出発すべきだろうし、そこには人間の生き方に対する自由を保証する意味合いもあるのだろうと思うのである。平たくいえば、どんどん稼いで贅沢に暮らして税金をいっぱい払う生き方がいいと思うか、貧乏でもそんなにあくせくせずにのんびり暮らしたり、自分の節を曲げない正直な生き方を通したほうが幸せと思うかは人によりけりで、それを選ぶ権利が保障されてこそ人間は自由であるといえるのではないか。
それにしても日本人はひょっとしたら、いや、ひょっとしなくても、自由という感覚が本来つかみづらい民族なのかもしれない。でないと、どの業界も護送船団方式みたいな経営をしたり、ラーメン屋の前に長蛇の行列ができたり、運動会の駈けっこで手をつないでゴールしたりなんてフツー出来ないんじゃなかろうか。みんなと一緒に同じことをしていたほうが安心するという感覚は実は自由からほど遠いものであり、別にそのこと自体を非難するいわれはないにしても、本来的に自由という概念や感覚をつかみづらい人間が他人と本当に議論ができるのかどうか、他人と議論のできない人間に代議制民主政治を遂行する能力があるのかどうかについてはちょっと考えてしまうのであります(-.-;)y-゜゜
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以前イギリスを旅行した際、生活必需品と贅沢品とでは税金が違うことに、(聞いてはいたけど)驚きました。
日本では殆どの物やサービスに消費税が均等に掛けられていることが当たり前だと思っていたのですが、贅沢品にのみ高額の税金をかけるイギリスをみて、同行者と話が盛り上がったのを覚えています。
駆けっこの手つなぎゴールですが、決して全部の学校で行なっているわけではありません。うちの子供の学校では、身長順に特別支援学級の子も混合で走る順番を決め、一位から六位まで順位をつけています。
その上で、各人の順位により所属する色の点数に反映させているようです。
投稿者 スノウ : 2012年03月30日 05:08
アメリカでは、食品には消費税がかかりません。
消費税値上げを、内閣で決定したようですが、均等に税を
掛けるのでなく、アメリカ式かヨーロッパ方式にすることを一考して欲しいものです。
アメリカ在住者より
投稿者 ラスヴェガス : 2012年03月31日 07:45
スノウさんがコメントをしていましたが、運動会の手つなぎゴール、私も長~~い教員人生で見たことも聞いたこともありません。新聞や雑誌の記事で「今の学校の悪い平等主義」の事例としてよく目にしますが、どこの学校でやっているのかとても不思議です。
日本でも消費税導入の前には高額な貴金属やぜいたく品には物品税がかけられていました。こんなことを知っている年代も少なくなっているんですね。
投稿者 ラピ : 2012年04月02日 09:46
アメリカで暮らしていた時、食料品に消費税がかからないので、たいへん暮らしやすいのに驚きました。しかも基本的な食品が安い。医療保険のことでは問題ありますが、慈善事業も盛んで奨学金の種類も多い。難民が押し寄せるのも無理ないと思いました。
消費税一律増税の前に、金持ち優遇である現行の累進課税の税率の見直しと、宗教法人への課税を行うべきだと思います。
力のない庶民にしわ寄せを強い、開国と称してTPPをごり押しする政府に怒りを覚えます。政権交代してもやることが同じでは。
投稿者 waysea : 2012年04月02日 19:15
追伸:何度も失礼します。
手つなぎゴールは、大阪府北摂地方T市と京都府南部N市に住んでいた時、目撃しました。しかも驚いたことに通知表に成績をつけない教師が多くいたことです。すべて5(5段階でA評価)も。
友人の多くが教師ですが、国旗国歌では生徒に指示して回れ右させると自慢げに語る人が大勢を占め、友人たちとは疎遠になりました。国旗国歌が気に入らないなら、国民投票に訴える活動をするべきと思います。
教師は学校では「権力者」です。学校教育では、価値観の多様性と違う価値観の受容を教えることが大事だと思います。潔癖を誇りにするくせに、内申書を操作して、中学、高校の受験合格者を自らの能力と勘違いしていることも、矛盾しています。
京都大阪に限定すれば、公立義務教育は崩壊しています。
投稿者 waysea : 2012年04月02日 19:29
私は、国旗国歌を尊重する姿勢を見せられないのなら、公立の教員の資格が無いと思います。教育とは生徒を教え導くのなら、卒業式に起立や歌わない職員も教師を辞めれば良いのではないかと思います。 くどいようですが、私は国旗はそれほど違和感ありませんが、国歌には違和感を大きく感じています。しかし、新聞などで何度も見てきた卒業式に起立しないことや君が代を歌わないことはとても見苦しいし、自分の所属する国を貶めて生徒にも教師の考えを押し付けているだけではないかと疑問に思います。
もちろん、橋本さんは今のところ大嫌いですが・・。
投稿者 nao : 2012年04月02日 20:02
2012年03月30日
鶏の山椒焼き定食
お茶の稽古の前に池袋ルミネで食事。
今日は利休忌にちなんで床の間のお軸には彼の花押が画かれていたが、けら判と呼ばれるユニークな書体で、要するに昆虫のオケラに似ているからそういうらしい。で、稽古場にいた若い人たちはオケラを見たことがないというので、私がこんなムシ?\(^O^)/?と腕をあげてカタチを見せてあげたのだが、それでわかるわけもなく(^^ゞ「そういえば歌にあるでしょ。ほら」と『僕らはみんな生きている』の歌詞を持ちだしたら、それはさすがにわかる人がいて、それもわからない中高生?には「アンパンマンの歌を作った人と同じ人が作ったんだよ」と教えてあげたのだけれど、相手はアンパンマンも知らない帰国子女だった(◎-◎;)ので、ああ、これからの時代は日本文化を伝えるのも大変だよな〜と改めて思ったのでした(-.-;)y-゜゜
そういえば先日、大宮の駅前の交差点でたまたま見かけた中学生?の団体が「明治、大正、昭和だっけ?大正、明治、昭和だっけ?」と揉めてるので何だろう?と聞き耳を立てたら、要するにその子たちはそれらの年号の順番がハッキリしないのだとわかって(゜◇゜)ガーン、その会話のすぐあとに、「それで南北朝時代って何時代のあとに続くんだっけ?」という会話になって、要するに明治大正も、南北朝時代も、みんな同じ昔なわけなんだ〜と納得しました(×_×)
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米朝一門の桂米二さんが、同門の大卒の噺家が干支を最後まで言えず巳で止まってしまいそれを面白がった米二さんが、ねはどんな動物やと聞いたら、ネコ、と答えたんですて。
なんだか時代ものを生業としていらっしゃる人らは大変な時代に突入してるみたいですよ。
年齢をサバ読んでる悪い子ちゃんをひっかける時に干支言わして化けの皮をはがすという手法も通用しませんな。
投稿者 毎晩晩酌 : 2012年03月31日 14:19
2012年03月31日
バーニャカウダ、ホタルイカの赤ワイン煮ソースのパスタ、ブロッコリーとアンチョビのフリット、岩中豚のグリルほか
大宮ムービックスで「マーガレットサッチャー〜鉄の女の涙」を観る前に大宮駅前のBuonViaggioでバリキャリのOさんと食事。Oさんは彼女の本を何冊も読んでらっしゃるというサッチャーファンであり、且つ卒論が英国史とあって、もう少し政治色の強いものを期待なさっていたようだが、この映画はアルツハイマーになったとされる晩年の彼女が自らの過去をフラッシュバックするかたちで、彼女をずっと見守り続けた夫との関係がフィーチャーされた極めてドメスティックな作り方であった。もっとも、クラブ制度が存在するくらい本来的には男中心主義の英国社会にあって非常に得意な存在であり、且つ最高権力者に昇りつめた彼女のとてつもない孤独が、老いの孤独とも重なるかたちでしっかりと描かれており、ドメスティックではあってもそう甘口の映画になっているわけではない。「現代の人間はどう感じるかばかりを問題にするが、人間にとってもっと面白く、本当に大切なことはどう考えるかなのだ」といういかにもサッチャーらしいセリフも出てくるし、勝ち進んできた人生を自負する人間がいかに他人を傷つけるかという側面もきっちり押さえた上で、デニスというウイットに富んだ夫に出会わなかったら、彼女の人生どうなっちゃったんだろう?と思うような欠点満載の人柄も描いているのである。それにしても「凄いよね〜」とふたりが言い合ったのはメリル・ストリープのそっくりさんぶりで、スピーチを似せているのはともかく、顔や姿にも本人の影が薄くなってしまうくらいサッチャーが憑依しちゃってる演技には驚かされました\(◎o◎)/!
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私も拝見いたしました。
さすがアカデミー主演女優賞をおとりになるだけの演技でした。
歩き方・呼吸の仕方・しゃべり方・容貌の作り方
パーフェクトですよね。
サッチャーさんのお父様の演説での
”まず感じる事、感じる事が言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣は・・・・・・・”
人は皆、特に政治家と官僚は心に落とし込む必要があるような気がします。
投稿者 小山 雅子 : 2012年04月01日 18:59