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2012年02月18日

鶏豚寄せ鍋鍋

とにかく寒いのでコレ!煮干し出汁をベースに昆布と白菜と椎茸と長ネギを入れて、まずはアグー豚のしゃぶしゃぶ、次いで酒味醂醤油塩少々で味付けし、鶏団子とニラを加えて寄せ鍋にし、最後はうどんで〆て、ひと鍋でふた通りの味が楽しめる欲張りな鍋にしました(^_^ゞ
かかりつけの美容師さんがたまたま「三丁目の夕日」の最新作を見たら「いや〜なんでもない話なのにけっこう泣けちゃったんですよ〜TVで見たらそんなでもなかったかもしれないけど、やっぱり映画館で見ると違いますよね〜」と言われて、確かにそういうことはあるだろうと思いつつも、封切りの初っぱなに見逃すとついDVDを頼りにし、あまりにもメジャーな作品だと結局TV放送を待つはめになってしまう。というわけで「アバター」も昨日やっと見た私だが、やはり映画館で見るべきだったよな〜と思いつつ、それなりに楽しめたのは、実にアメリカらしい現代文明批評が展開されて、この国はいつもこうしてバランスを取ろうとするから面白いよな〜と感じられたからである。ストーリー的にはケビン・コスナーの「ダンス・ウィ
ズ・ウルブス」と非常によく似ていて、欧米的な文明と非文明の価値転倒が1つの大きなテーマになっているが、「アバター」のほうは仮想空間モノの一種でもあるという点がイマ風なのだろう。
とにかく大昔のアメリカのエンターテインメントでは文明的なほうが絶対に善であり、非文明的なほうは完全なワルだったが、それがちょうど裏返しになった、つまりは真逆の方向へ進化した作品群がいつ頃から出現しだしたかには興味がある。やはりベトナム戦争以降なのだろうか?でもって、ベトナム戦争でも、自分たちを加害者とする視点から数多くの名画を生みだしたアメリカ人であるはずなのに、一方でゼンゼン懲りもせずにまたアラブとの戦争を始めちゃったアメリカ人がいるわけだから、他国の人間から見るとなんだか巧くバランス取ってごまかしてるみたいな偽善性を感じないでもないのである。もっとも湾岸・イラク戦争だって、反対する人はいても、常にそうした意見は封殺されてしまうのだろうし、アメリカに限らず良心的で且つ自らの影響力を行使できる人はどうしても少数派になりがちなのだろう。かくして世界は肚の黒い欲張りたちが支配する構図から永遠に抜けだせないのだろうか(-_-;)ともあれアメリカ映画を観ていつも思うのは、彼らは少なくとも自分たちが加害者であるという視点をしっかり持っていて、エンターテイメントでもそのことが作品に奥行きを与えている気がするのだった。片や日本の戦争映画が戴けないと思うのは被害者的な視点になりがちなことで、小林正樹や山本薩夫監督の作品にはさすがに加害者としての側面を多少描いてはいるものの、マイケル・J・フォックスが主演した「カジュアリティーズ」みたいな映画は日本では絶対に製作できないだろうし、そういうことは日本人のメンタリティ的な弱さとして自覚しておく必要はあるだろうと思うのだった。


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