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2011年10月01日

天ぷらうどん

急にうどんが食べたくなって、近所の手打ち讃岐うどん専門店で晩ご飯。今日も料理ヌキです(^_^ヾ江戸料理研究家の松下幸子先生はご自身も浦和にお住まいで、埼玉は関東圏であっても、昔から蕎麦よりもうどんのほうがポピュラーな土地だと仰言っていたが、確かにうちの近所では蕎麦屋をあまり見かけない気がします。
昨夜京都の妹と電話で話したら、「もう国会中継を見るのは止めるわ。見てても気分が悪なるだけやで」とのことで、これまでずっと見続けていたことのほうが私は不思議なのだけれど、本人もさすがにウンザリしたらしい。アホの一つ覚えみたいに小沢の証人喚問を要求するしか能がない自民党も、一体何をどうしたいんだかさっぱりわからないが、わからないといえば党3役の人事交代で都知事の小せがれと、まんま時代劇の悪代官を据え置いたまま、国民的には目下一番人気であるらしいのがこれまたナゾの石破氏を外したのが不思議でならない。ナゾの人気が出すぎて、他の党幹部の影が薄くなっちゃうのはマズイという判断なのかもしれないけれど、そんな内輪の権力闘争をやってる余裕はないはずで、政権を取りに行ってるようにゼンゼン見えないのは谷垣総裁のせいばかりでもなさそうである。片やブースカ政権も結局は官僚のいいなりのようにしか見えないし、与党にしろ野党にしろ政治家ってホント必要なの?と言いたくなるくらい存在意義が希薄になっている今日にあっては、増税の前に、議員定数の削減くらい期限をきちんと切って必ずやるという姿勢を見せて戴きたいものであります。


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議員定数を減らすということは、それだけ代議員を減らす
ということで、国民の声の反映が、ただでさえ小選挙区制で届きにくくなっているところ、まずいと私は思っています。
議員歳費を減らすことには大賛成です。国家公務員等の給与は減らして、自分たちは知らんぷりというのは許せません。
今朝子様はこの点については、どうお考えでしょうか。

投稿者 mm : 2011年10月07日 22:39

確かに議員定数を減らせば国民の声の反映が届きにくいという難点も無視できません。一方で歳費を減らすことは、
選挙に金がかかりする現状だとかなり厳しい立場に追い込まれる議員がいるのも確かで、ある程度の資産家でなければ議員を長く続けられなくなるという問題が発生します。
もちろん金のかからない選挙にするのが何よりですが、政治的ボランティアをする人がいまだに少ない日本の現状を考えた場合、歳費を削ることですべてが解決されるというふうには考えにくいように私は思います。

投稿者 今朝子 : 2011年10月10日 23:26

増税をする前に全て一割から二割歳費を削ってもいいのではないかと前々から思っています。完璧に収入より支出が上回っていて、細かな必要性を検討できないのはわかっています。兆や億の規模のところを削ってそれ以下のところはそのままにすれば、必要なところを削って既得権でずるい奴らが損をしないように立ち回りそうな気がしますが、兆の予算を取るところが、自ら決断しても良いことではないかと思います。政治家はわが身のことで精一杯で何もしませんから。
 煮えくり返るほど腹が立つのは官僚も議員も少しくらい削っても焼け石に水だからと開き直っているところです。増税するなら、少しは自分の身を削っている姿勢を見せて欲しいです。
 釧路の秋の風情に心洗われました。妹さんも大好きです。国会中継はたまに見ますが、片手間に聞いていても腹が立ってくるのに妹さんは忍耐強いと思っていました。ブログから想像したのと実際に会ったときとは、あれ?とオフ会で意外でした。

投稿者 nao : 2011年10月11日 00:49



2011年10月02日

上方ちらし寿司、海老とキャベツのサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
次第に冷え込んでくる曇天の馬場で2鞍騎乗。1鞍目はお馴染みのスーパー氏だったのに、私の乗り方が悪かったのか駈歩がゼンゼン出ずに沈没。スーパー氏を相手にこんなことではまたもやスランプに突入かと気落ちしたが、2鞍目のこれまた超お馴染みハイセイコーのお孫さんはいつも通りに快走してくれて、展望台からレッスンを見ていた人事部のSさんやペンギンのOさんには「さすがブルー(お孫さんの呼び名)ですね~」「気持ちよさそうに乗ってましたね~」と言われました。レッスン中に暴走しそうになった馬が2頭も出たけれど、お孫さんは全く動じないのでこちらは安心して乗ってられるし、何しろ賢い馬なので、こちらのことをよく憶えていて、騎乗前後にめちゃ甘えてくれるのが嬉しい。喉が渇くとフツーの馬は前足で地面をひっかいて知らせるが、この馬は蛇口をくわえてひねろうとするのがいつもスゴイ(@_@)と思っています。
帰宅して食事しながらNHK7時のニュースを見ていたら、今月の国立劇場の歌舞伎公演で、菊五郎があのガガを真似た扮装で登場することが紹介されて、このところ何かと話題作りに懸命な歌舞伎界である。
それにしても歌舞伎なら古来伝承の荒事ファンション&メイクと比べればガガってずいぶんフツーよね~という感じだし、斬新な演出というと必ず猿之助のスーパー歌舞伎みたいになっちゃうのは一体どうしたものか。いいかげん宙づりに代わる何か新しいスペクタクルを見つけてほしいもので、それこそ『歌舞伎の中の日本』で紹介した『御狂言楽屋本説』収録の「火炎首」など奇怪なスペクタクルを再現するとかしたらどうなんだろうか。歌舞伎は常に新しい血を入れるべき舞台芸能であって、別に古典オンリーにする必要はさらさらないと思うのだけれど、近ごろはひと昔前と違って新作や新演出がわりあい容易くできるようになったおかげで、却って何をやろうと新味が薄れてきたのは皮肉な現象ともいえます。


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先日、仙台のクレインにてマックインというお名前の馬に乗せていただきました。
彼女はレッスン後無口をつけてもらうとおねだりのポーズとして、右前肢を後ろに上げます。
インストラクターのお話では、他の馬達が前掻きを注意されるのを見て、この方法を編み出したそうです。
賢~い!!!
ちなみに彼女は津波から運良く逃れられた被災馬です。

投稿者 小山 雅子 : 2011年10月02日 21:30

昔、猿之助歌舞伎が盛んだった頃にも疑問に思ったのですが、宙乗りって3階席では所作が見えますが、一階席からは見えないです。今年明治座で亀治郎さんが四の切りの忠信の最後を宙乗りで見せましたが、宙乗りになりながら手は狐の所作をやってるのは劇場の一階では全然見えなくて、後日WOWOWの
中継でやっとどんな所作をしているのかわかりました。
演目にもよりますが、出来れば舞台の上で芸を見せて頂きたいと思います。
菊五郎さんがレディ・ガガのような衣装にコッテリ化粧、アップでなければ「これもアリかな?」と(^◇^)

投稿者 お : 2011年10月02日 22:22

たぶん何でも一番最初にやりだす人がいっちゃん大変。後の人は一番手の真似をしてもそう風当たりが強くないから楽ですよね。
もう今や宙乗りをしても観客はそう喜ばないから何か新手をどんどん観せてほしいなと思います。
それには歌舞伎役者も舞台のお稽古だけに重点を置かずに、命の洗濯(クラブ御茶屋通い以外のなにか)を充実させていい舞台人になってもらいたいな、とかく視野が狭いといい役者になれないと思うので。
それと現役で勤めていたら、今の開演時間ではまともに観れないので、運営会社の松竹さんに何か工夫してもらいたいです。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月03日 16:53



2011年10月03日

海老フライと黒豚カツ定食

さいたま芸術劇場でシェイクスピア作・蜷川幸雄演出「アントニーとクレオパトラ」を観る前に大宮そごうのレストラン街で食事。
エジプト王朝の滅亡という歴史的な大事件をこんな超メロドラマにしてしまったシェイクスピアってある意味でスゴイ!!といわざるを得ない作品の上演だが、私はこれを観て、歌舞伎などでよく使われる「大時代」という言葉が想い起こされたものである。「大時代」は文字通り江戸時代からみても相当に古い時代、平安朝とか源平時代を指すのだけれど、それらの古い時代を背景にした芝居特有の大仰さや古風さや荒唐無稽さを表現する形容詞でもあって、「アントニーとクレオパトラ」も文字通り古い時代を背景にしており、そのことをシェイクスピアが十二分に意識しながら敢えて「大時代」に描いてみせたドラマなのだということが改めて強く感じられたのだった。歌舞伎でも大時代な作品には大時代な演技が要求されて、なまじ世話物のようにリアルに演じるとおかしく見えるのである。今回の「アントニーとクレオパトラ」はそれを逆手に取り、敢えて前半はコミカルさを強調した演出のようで、ことにアントニーの寵臣イノバーバス役を演じる橋本じゅんの面白さが目立ったし、クレオパトラ役の安蘭けいもコメディエンヌ的な持ち味を発揮していたように思う。
ただし後半になるともっと全体の演技がガラッと変わって大時代な悲劇にしてくれないと、シェイクスピアの作劇の意図は達せられないのではなかろうか。
ファムファタールにすっかり魂を奪われて無惨としかいいようない最期を遂げるアントニー役の吉田鋼太郎はかなり大時代な演技をして、しかもシリアスに聞かせるセリフ術を駆使しているとはいいながら、やはりこの役で観客を泣かせるところまでは持っていけない。この手の役柄で観客を泣かせるような演技術を本来的に有しているのは歌舞伎役者なのだが、今どきの歌舞伎役者にはゼンゼン無理だろうし別に観たいとも思わない。もし観ることができたならと思うのは十一代目團十郎のアントニーと六代目歌右衛門のクレオパトラで、それだともちろん翻案劇でしかあり得ないのだけれど、要するにそういう二人が演じないと成り立たないような大時代な芝居であることを私は言いたいのであった。




2011年10月04日

豚肉とジャガイモとキムチの炒め煮

この具材のを炒め合わせは昔からよくやっていたが、今日はQPのレシピ本を参考にして、炒め合わせたあとに煎り子出汁を加え、味噌とコチュジャンと醤油で味付けして食す。
食事しながら見たNHKの「クローズアップ現代」のテーマはギリシャの財政破綻に端を発する欧州金融危機で、IMFが思いきってするという融資額がたった11兆円と聞いて、そういえば日本はIMFに10兆円も出資した過去があるわけだから、国際的な組織の力って結局そんなにあてにはできないわけかも?という気持ちにさせられた。
欧州各国が社会保障の歳出過多による財政危機を抱える一方で、比較的社会保障の少ないアメリカではウオール街デモが起きており、世界は再び「富の偏在」を認めるかどうかの岐路に立たされ、人類は今後どいう道筋で新たなステージに向かうのか、まことにもって予断が許されない状況だなあとつくづく思うのであった。最初の世界恐慌が起きた直後の1930年代には世界は徐々に戦争に向かって行ったことをつい思ってしまうのは、新連載を予定している小説がまさに1930年(昭和5年)の日本を舞台にしているからで、きのうからいよいよ執筆を開始して、なんとか予定通りの枚数が書けたので少しホッとしているところだ。あさってから4日間遅ればせの夏休みを取るつもりで、それは長期連載開始直前のリフレッシュ休暇のつもりでもあったのだけれど、私は意外に気が小さい人間で、思い通りに書き出せなかったらどうしよう (-_-;) という不安が先立つため、休暇前にアタマだけ書いておくことにしたのだった。書いた小説の数はもうそこそこあるにもかかわらず、新作を執筆する前は必ず本当に書けるかどうかを心配してしまう。特に今回は現代に近い時代を扱うために余計に心配だった。でもって、私は人前で話したり、エッセイやこのブログを書いたりもしているけれど、本業はあくまで小説を書くことであって、それさえなんとかできればオールOKの気分になれるし、そうでないと何をしようが気もそぞろになるのでした。




2011年10月05日

おこわ弁当、海老とキャベツのサラダ

高島屋の地下でゲット。明日から旅行に出るので料理はカットした。
今日は午後からNHKの収録。スタジオ撮りでなく自宅ロケで、ディレクター、カメラマン、音声さん、ヘアメイクの方がわが家にお越しになり、終日の雨だったから、こっちは出かけずに済んで助かりました。
全体の構成がかつての「芸能花舞台」に比べてぐっとカジュアルに、より初心者向きになったのは放送時間が早まったせいなのかもしれない。作品は「車引」をメインに取りあげながら、ラストにそれとは全然関係ないクイズまであったりするのがちょっと不思議だったが、ともあれこちらはディレクターのご要望通りにお話しをして、TVに映るのはほんの数分だろうが、収録は約2時間に及んだ。今日は午前中にエッセイ1本を〆切り通りに入稿したし、これで心おきなく明日から旅行に出かけられます(^_^)/今回は完全オフなので皆様どうか探さないでくださいm(_ _)m(笑)  
9日に帰宅したら、現地で撮った映像だけをアップするつもりです。場所はどこだか当ててください。
ところで皇帝と呼ばれた名馬シンボリルドルフが30歳で大往生を遂げたというニュースで、彼が生ませた子は競走馬だけでも800頭近くいる!!!という話には仰天してしまった。もちろん競走馬にならなかった子もいるだろうし、生まれなかったケースも多々あるはずだから、いや~そこまで行くと種牡馬になるのも大変な重労働だよね~としかいいようがない。ディープインパクトも今きっと大変なのだろう。
皇帝の子はうちの乗馬クラブにもいて、名前の頭に「シンボリ」が付いているのでイッパツでわかる。もう相当なお爺さん馬だが、ルドルフの遺伝子を受け継いで、きっとうちのシンボリ君も長生きなのではなかろうか。私がひいきにしてるハイセイコーのお孫さんも、お父さんが名馬カツラノハイセイコで33歳の大往生だったから、きっと長生きしてくれるはずだ。


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楽しく満喫されているであろうバカンスはどこかなーと写真はないですが、とてもいい季節なので、北海道?ではないかと写真アップを楽しみにしています。
 しっかりオフを取って、次の執筆の気力や鋭気を蓄えて欲しいです。(僭越かも?もしも嫌なお気持ちにさせていたら申し訳ありません)。

投稿者 nao : 2011年10月09日 01:02



2011年10月09日

釧路行

翻訳家の松岡さんのお誘いを受けて、初めて釧路でどさんこ外乗をしたのは今年の5月だが、乗馬クラブのSさんからまたまたお誘いを受けて、まさかの一年2度目の釧路訪問と相成った。現在人事関係のお仕事で忙しくなさっているSさんは、ご自身の休暇の日取りが決まったのさえつい最近。お誘いも実に急な話ながら、旅行会社に勤めたかったと仰言るだけある「旅の達人」で、驚くほどリーズナブルな旅行プランを見つけてくださった上に、レンタカーを運転して釧路の隅々までご案内を戴いたのだった。なにしろ親子ほど年齢が違うので、体力的にこちらが足手まといにならないかという心配もあったのだけれど、1日6時間の外乗を2日連続でチャレンジし、さらに釧路湿原の中を歩きまわるというかなりハードなアクティヴィティーでもさほどの疲れは出なかったし、むしろ出発前に悩まされていた偏頭痛や顔面の違和感も今は治まって完全リフレッシュが出来た感じである。「松井さんの食べっぷりは、ほんとにスゴイですねえ」とSさんがビックリなさったくらい食欲も全開で、還暦近い年齢にして、まだまだイケルという気持ちにさせて戴いたという点でも実に有り難い旅行だった。 もっとも初日は私が忘れ物をして、なんと出発便に乗り遅れる(-_-;)という、生まれて初めての大チョンボをしでかして、Sさんにはご心配をおかけしたのでありますm(_ _)m
写真上段は有名な「和商市場」の魚屋さんからご推奨された炉端焼きの店「ひょうたん」で食べた刺身の盛り合わせで、このほかに食べたサンマの塩焼きやメンメの干物など何を食べても今までにない美味しさにすっかり魅了されてしまった。見かけは縄のれん風だが、釧路を訪れる方には超オススメでわざわざ食べに行ってもいいくらいの店である。
写真中段はばんば育成牧場で見せてもらったペルシュロン(ばんばレースに出場する大型馬の品種)。Sさんがネットで調べて連絡先がわかったので直にお電話したら、オーナーご夫妻がとても親切に出迎えて見せてくださったm(_ _)m
写真下段はきれいに色づいた釧路湿原の中

下に動画をアップしておきますが、残念なのは肉眼でかなり近くに見えた草原や畑の丹頂鶴が、映像だと胡麻つぶくらいにしかならない点で、人間の眼はいかに無意識のうちに見たいものに焦点を合わせているかがはっきりとわかります。

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 ほれぼれするような、 味覚・大地・馬・川 ですね。

 秋の魅力がいっぱい詰まった動画のエアメール?

 読者として、旅の楽しみのおすそ分けを味わいました。

 旅の便りは他人をも幸福にしてくれます。

 今夜、演舞場を見て帰宅して、少し消化不良だったので、 釧路からのお便りで 嬉しくなりました。

投稿者 八島 秀二 : 2011年10月10日 00:32

空気が澄んでますね、やはり釧路でしたか、やっぱりな~。北海道は続けて2回行ってしまうトコですもん。
風景が違うしスケールが大きいですからリピーターしたくなります。
クルマで周ると距離が稼げますから旅程計算が、ちと内地と違いますもん。
それと運転主役のSさん、ネズミ捕りに合わず無事帰還できおめでとうございます。(観光客は北海道に限らず餌食になっちゃうので)ホントに良かった、ホッ。


投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月10日 19:30



2011年10月10日

ルイベ、長芋の千切り、小松菜と油揚げの煮物

ルイベは釧路の和商市場でゲットした時知らず(時鮭)で作る。長芋は同じく釧路の直売所でゲット。ご近所のスーパーでは野菜がどれも物凄いスゴイ値段(@_@)になってるから、あの直売所でドッサリ買い込んでこちらに送ってみんなに売りつければ良かったと思われるのでした(^_^ゞ
今日の午前中は荷解きと洗濯と、冬眠し損ねて放ったらかし状態だったカメらの世話やほうぼうへの連絡に追われたが、午後からはバッチリお仕事モードで、思ったより疲れていないみたいだから新作の執筆も再開した私である。
明日はNHKラジオ第一で夕方4時から放送される「ラジオ井戸端会議」という番組にナマ出演しますので、ご興味のある方はご高聴くださいませm(_ _)m
ところで札幌市内に現れたヒグマは全国ニュースにもなったようだが、釧路に着いたそうそう北海道版のTVニュースは当然ながらこのニュースでもちきりとなり、どさんこ外乗は果たして大丈夫なんだろうか?と心配してたら、案の定2日目のコースでは雨上がりの泥道にくっきり付いた足跡が2度も発見されて(@_@)ぞくぞくしながら皆で声を出し合ってデンジャラスゾーンをなんとか無事に通過したのだった。ツキノワグマと違ってヒグマは立ちあがったら2メートルもある巨大なクマさんだから、目の前に現れたらシャレにならない。こっちも怖いが、怖がる馬たちに暴走されても大変なので、とてもスリリングな外乗体験だった。どうやら去年はドングリの豊作でクマの交配が盛んだったらしく、結果、今年は熊口密度が高くなったにもかかわらずいきなりドングリが不作になったのが響いて飢えるクマが続出しているのだという。ちなみに同じヒグマでも鮭を捕るのと、ドングリを主食とするのに分かれていて、鮭派に比べると、ドングリ派はもともと貧弱な体格なのだとか。その中でも弱者のクマが市内に降りてエサ漁りせざるを得なくなっているという、なんとも哀れな話であった。
ニュースといえばジョブズが亡くなったのも向こうで知った。以前、うちの父親がジョブズのために包丁を振るうという話が持ちあがり、その話は9.11後の警戒の厳しさも手伝って結局流れてしまったのだけれど、まさかうちの父親よりもあちらのほうが早く逝かれるとは思ってもみなかった。人の死に年齢はあまり関係なくなっているような気がする今日この頃である。
今日逝かれた中村芝翫丈はご高齢ながら意外に早かったような気がしないでもない。歌舞伎座さよなら公演の9ヶ月間を追ったNHKのドキュメンタリーでは驚くほどしっかりした発言をなさっていたのがとても印象的だったし、近年は常に大事を取って出演を控えられるケースが多々あったようなので、歌舞伎座の再開場にはなんとか、という気持ちがご当人にも周囲にもあったのではないかと拝察するのだが。
私は昔から立役よりも女形の役者さんと直接お目にかかってお話したり、仕事で接点を持った方が多いのだけれど、芝翫丈とはこれまた意外にもご縁がなかったとはいえ、福助時代から見ていることは見ていて、
それまでどちらかといえば淋しい芸風だったのが芝翫襲名直後にぱっと芸が開花したこともよく憶えているし、何しろ歌右衛門ファンだったから、歌サマを支える名脇役としての存在を強く意識させられていた。「十種香」の濡衣や「忠臣蔵」九段目のお石といった役は、この人以外の役者は考えにくかったものである。謹んでご冥福をお祈り申しあげる。


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芝翫丈、新しい歌舞伎座の舞台に立って頂きたかったです。私は関西在住なので、何度も舞台を拝見できたわけでは無いですが、「頼朝の死」の政子の堂々とした尼御前ぶりには圧倒されました。もう4年前になりますか、「鈴ケ森」で富十郎丈の番隋院、芝翫丈は前髪の白井権八をされました。まだまだ若々しい権八でしたのに。
最後の歌舞伎座さよなら公演で藤十郎丈、富十郎丈、芝翫丈の3人で踊り納められましたが、最後の御挨拶で藤十郎丈は「私はまだ若うございますから」と言われた通り藤十郎丈だけが、お元気で南座の舞台を勤めて居られますね。

投稿者 お : 2011年10月11日 22:45

この日記を読んで涙が出ました。
芝翫さんのことが書かれたコメントやニュースを見ても、亡くなった事実しか頭に入ってこなかったのですが、芝翫さんのことがきちんと書かれているように感じで涙が出ました。
私も歌舞伎座の再開場にはなんとか、という気持ちがご当人にも周囲にもあったのではないかと拝察すると書かれているように、新歌舞伎座に出演、または勘太郎さんの息子さんと一緒に親子孫、ひ孫までの4代で舞台を一緒に踏むまでと思っていたので、早かったと感じてしまいました。

投稿者 すずき : 2011年10月11日 22:58



2011年10月11日

ゴーヤとジャガイモのアチャール、チキンティッカ、海老カレー、ナン

 今日は早朝から午後2時まで新作の執筆に集中し、3時にNHK入り。山田ディレクター、石山キャスターと打ち合わせをして、4時から「ラジオ井戸端会議」に生出演。柿沼キャスターも交えて時代小説の書き手として色んなお喋りをした。そのあと進藤さんの自宅にに北海道のお土産を届けに行って近所のネパール料理店で一緒に食事。「ラジオの生出演はかえって気が楽なんじゃない。自分で聴かなくて済むから」と進藤さんに言われて、なるほど、確かにそういう考え方もあるな~と思いつつ、「いや~私の悪い癖で、間が空くと怖くて、つい喋り過ぎちゃうんだよね~隙間恐怖症的に喋っちゃうから、仮にイイこと言ってたとしてもコトバが埋没しちゃって、結局、労多くして功少なしって感じなんじゃないのかなあ」と反省の弁。「それにしても今日はCDの調子が悪かったらしくて、リクエスト曲が途中でキレちゃって、自分のせいじゃないけど一瞬ひやっとしたわよ」などと今日のお仕事について報告したあと、進藤さんからもいろいろとお母様の介護の話などを伺った。久々にお目にかかったお母様はとてもお元気そうで以前お会いした時と余りお変わりないご様子だったのは何よりで、進藤さんは「これも私の『介護力』のおかげなわけよ」としながらも、在宅介護の大変さは少しも目が離せないことにあって、「誰でもいいから、ほんのちょっと見ててくれる人がいたら気持ちが随分ちがうと思うのよ」という。「子育てもそうみたいだしね。昔だったら家の中にも、近所にも、ほんのちょっと見ててくれる人は一杯いたわけだから、結局、核家族化の歪みだよね」と私。「だから昔の長屋みたいな住環境を早く作ったほうがいいと思うわよ。みんなで見たり見てもらったりしないと、これからはゼッタイ乗り切れないよ~」「確かに、確かに。あと10年もたてば団塊世代から要介護の人が出始めるだろうから、その前に手を打たないと大変かも」てな話になりました(-_-;)ところで進藤さんが最近、コレは必ずヒットする!!と思ったのはポン酢ジュレなのだそうで、お母様の年齢になると水分を液状で摂取するのが非常に困難となり、飲料水にもおかずの汁気にもすべてとろみを付けないと咽せてしまうから、ポン酢ばかりでなく醤油にしろ何にしろ、すべての食品をジュレ状にしてほしいくらいなのだそうである。食品関係の方がこのブログをお読みなら、どうぞご検討くださいませm(_ _)m


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昨日のNHKラジオを拝聴しました。
ラジオ井戸端会議の今週のテーマは、時代劇との事ですが気になる人物がいます。それは、清河八郎です。
清河八郎を題材にした中で、海音寺潮五郎氏、司馬遼太郎氏などは嫌っていたようです。しかし、妻お蓮への手紙を見ますと暖かく気配りの出来る人物で、同郷のよしみもありましょうが藤沢周平氏のように好意的に書かれてもいいのではないか思います。
清河八郎が松井先生の興味をそそり、作品の題材になってくれると嬉しいと思います。


投稿者 工藤明寛 : 2011年10月12日 05:35



2011年10月12日

里芋と小松菜のスープ

QPで見た料理。とても簡単にできて美味しいのでオススメ。水に豚肉とナンプラーと隠し味ていどの砂糖を加えて火にかけ、煮立ったらアクを引いてから里芋を足して柔らかくなるまで煮込み、さらに小松菜を加え、仕上げに粗塩と粗挽き黒胡椒で調味するだけ。
私は国民年金ベースなので、厚生年金の支給年齢を遅らせる案が出たというニュースは直接関係ないのだけれど、ちょうど私と同年齢の人からが対象となるみたいだし、私自身、厚生年金がもらえる時期もあるので、あながち全くの他人事だという気はしないのであった。それにしてもなぜ私の年齢からが対象とされるのだろうか???本当なら、私よりもう少し年上のもっと人数が多い世代から対象にしたほうが数字的に巧く行くようなような気がするのだが。むしろ、その人数が沢山いる世代の人たちだけ全員年金をカットしてしまえば、ほかの世代があまり迷惑をこうむらなくても済むのに…そうでなくてもこれまでさんざん迷惑をかけられてるんだから、というふうに考えてる人だって結構いるのではなかろうか。ともあれ世代間の不公平があまりに強くなると、露骨に世代間闘争の様相を呈してくるような気がして、それはマズかろうと思うのであります。


コメント(2)

いつもブログ、作品を楽しく拝読しております。
かねてから読みたかった『吉原十二月』を読み進めている途中ですが、気になった個所がありました。
P.89のL.6「台の者」は「台の物」ではないでしょうか?
他のページでは「台の物」でしたので、気になりました。
どちらに報告すれば分からず、こちらに書き込んでしまいました。
不作法でしたら済みません。

投稿者 M : 2011年10月13日 21:46

わー!まぎれもない誤植です。著者のみならず何人もの編集者や校正者が何度もチェックしているのに、時々こうしたうっかり見逃しがあります。ご指摘ありがとうございましたm(_ _)m

投稿者 今朝子 : 2011年10月13日 22:07



2011年10月13日

バーニャカウダ、揚げニョッキ、豚モツとキャベツの平打ちパスタほか

翻訳家の松岡和子さんと大宮駅近くのイタリアンBuon Viaggioで食事。駅から近いというだけの理由で入った店だが、意外に結構でした。
松岡さんはさいたま芸術劇場で「アントニーとクレオパトラ」のポストトーク出演後にお寄り戴き、私は釧路の和商市場でゲットしたお土産をお渡しして、先日Sさんとご一緒した超リーズナブル且つ快適な旅行を大いに自慢したら、今度は私も是非Sさんとご一緒した~い!!!と仰言った松岡さんである(^_^)でもって、「私たちはもともと芝居で知り合ったのに、今は会ったらほとんど馬の話ばかりしてるね」と言われて、一体馬の何がふたりをこんなに溺れさせたのかはとてもナゾでした(笑) 
ご自宅のある世田谷で放射線量の異様に高いスポットが出たニュースを気になさっているようなので、「あれってどう見ても検出のされ方がおかしいし、ひょっとしたら福島の原発とゼンゼン関係なくて、前からあそこにずっと出てた放射能じゃないんでしょうか」と言って、家にもどってTVのニュースを見たら、案の定やっぱり原発とは関係なさそうな話である。そもそも自分の身のまわりの放射能を量る人なんて、今までほとんどいなかったはずだから、今後もこういうことがあちこちで起きて、そのつど恐怖にかられる人が出るのだろう。全く知らぬが仏とはよくいったもので、現代社会に生きる私たちは日々好むと好まざるとに関わらずありとあらゆる情報が入ってきて、そうした情報化は本来人間を解放させる方向に進むはずが、結果として逆に人間を混乱や萎縮に陥れるのはなんとも皮肉な現象である。詰まるところ技術のない人間が高級な道具を持ってもどうにもならないのと一緒で、成熟しない魂に過度の情報を与えても混乱は増すばかりではないのだろうかと、放射能の件に限らず、今世界のあらゆる場所で起きている混乱を見ても思うのである。でもって怖いのは、過度の情報は魂を成熟させないベクトルを有している可能性もあるような気がすることで、人間がもはやあらゆる点で「知らぬが仏」の昔には戻れないことは現代の最大の悲劇なのかもしれません。


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「過度の情報は魂を成熟させないベクトルを有している可能性もあるような気がする』という部分に考えさせられました。
書店に勤務しているのですが、友人から「本はいずれなくなるから将来設計を考えろ」と言われています。「本」=「情報」なのだから、アイパッドやキンドルが書籍の代わりになるというのが理由です。
「本」=「情報」だろうかという疑問を感じています。
「本」は「魂を成熟させるベクトルを有している」と思います。
それは「過度の情報」を削いで、熟した情報になっているからなのかと感じました。
ブログの文脈からはずれたコメントになってしまいましたが、もしご意見頂けたら幸いです。

投稿者 みぎこ : 2011年10月15日 09:14

みぎこさんへ
>「本」は「魂を成熟させるベクトルを有している」と思います。

現在「本」の形態をしているすべてがそうとはいえないでしょうが、でも、概ねそうだと思います。というか、本来そうあるべきものとして「本」は生まれたのだと思います。「熟した情報」とはとてもいい表現で、私も長く「本」作りに携わってきた人間として、それがいわゆる情報誌でも、いかにそのその情報を熟したものにするか腐心してきました。昔の「ぴあ」はわずか400字の原稿を書くのに丸1日がかりでした。取材日を入れると2日がかりで、どれだけ必要な情報をレイアウト内に収めるかということに四苦八苦しておりました。情報が電子化されるとレイアウトが緩くなるせいか、インタビューされた
ものを読んでも、それって話したこと全部じゃん!という記事が目立つようになり、そこにライターの視点や能力が示されていない気がしたものです。
また読むほうとしても、私はこのところ電車の往き帰りに必ずIPadで青空文庫を読んでいるのですが、時間潰し的な読み方としてはとてもベンリでいいし、ああ、昔はこういう表現があったんだ!と気づかされるという情報サポートも得られるのですが、何かじっくり考えながら読むには向いていない気がします。とにかくページをどんどんめくっていって、あれっ、これってどういう意味だっけ?と疑問に思った時点でバックすることが「本」と違って難しいので、始めからこういう媒体で育つと、問題のポイントだけをつかんであとはどんどん流してしまうお受験優等生的な人間になるのではないかと想像され、結果、人間性の奥深い部分が置き去りになって、組織やなんかは成長しても、個々の人生はつまらない方向へ進むのではないかと考えています。

投稿者 今朝子 : 2011年10月15日 09:50

「本来そうあるべきものとして「本」は生まれたのだと思います」
という言葉に、長く「本」に関わるお仕事をされてきた方の矜持を感じしました。人は与えられた制約の中で格闘していく内に、成熟していくのだと思いました。
こういった目に見えないものが力となって、これからも「本」を支えていくのだろう、支えていかなくてはいけないのだろうと思います。
書店で働く上で、「書物に対する尊敬の念」を持つことを念頭においております。
「情報」という生ものを尊敬することはできません。「魂の成熟」に関わるものだからからこそ尊敬の念を抱けるのだと、自分自身の疑問に答えを見いだしたように思います。
ありがとうございました。

投稿者 みぎこ : 2011年10月15日 11:17



2011年10月14日

スープカレー

整体治療の前に新宿「中村屋」で食事。
今週は思いのほか仕事が捗ったが、それも当然で、朝5時頃から起き出して6時には執筆開始。昼休みを1時間も取らずに5時頃まで書き続けるというような日が多かったのである。それもこれも釧路行でリフレッシュできたおかげだが、旅行中にすっかり治っていたはずの偏頭痛がさすがに昨日から再発し、今日は寺門先生にそれを治して戴くはめになった。要するに仕事をしなけりゃ健康が保てるんじゃないか!!!とは誰しも思うところだけれど、仕事が全くないとお金に困るのみならず、なんだか物足りない気がする人が多いのだろうか。厚生年金支給時期の引き上げ案をめぐるニュースで相当高齢まで就業を望む人口の割合があまりにも大きいのでビックリしてしまった。それってホントなんだろうか?という疑問が一つ。もう一つの疑問が、高齢まで働きたいという人が現在とてもしっかり働いている人とは限らないんじゃないか?というものである。現在スゴク働いてる人はきっと疲れきって、さっさと隠居することを願ってるかもしれない。
短距離型で若いうちにガーッと働くか、マラソン型で細く長く働き続けるか、これって向き不向きがあるだろうし、自分はどっちに向いてるのかを考えて人生初期の段階で選択したほうがいいのだろうけど、寿命にも関係してくる話なので、決めた通りに巧く行くとは限らないのがなかなか難しい問題です。




2011年10月15日

さんまバリバリ君、小松菜と油揚げの煮物

さんまバリバリ君は釧路和商市場の魚屋さんに薦められてゲット。サンマの骨と腸を抜きチーズと明太子を詰めて冷凍したもので、フライパンでじっくり弱火を通すだけで食べられる。サンマの身が冷凍でもこちらで買ったナマより美味しく感じられるのは何故なんだろう?
昨日の整体治療のせいか今日はなんと8時までゆっくり寝てしまい、偏頭痛はすっかり消えたけれど、寝過ぎてぼんやりしつつ、朝の報道番組を見ていたら、年金やらTPPやら何かと心配の種は尽きない中で、私が一番心配するのは若年層の体力低下であった。20代30代が低下する一方で50代が逆に上がっているというのはさもありなんで、私自身、乗馬を始めてから体力がグ~ンと向上した気がするし、トレッキングやウォーキングを含めて中高年のスポーツ熱は頗る盛んのように見受けられる。
そもそも私たちの幼い頃は子供が外で遊ぶのが当たり前で、お勉強よりも運動が出来るのが何よりだったし、私のように体育が苦手な超インドア派の子供でも、原っぱでよく遊んだし、授業や体育祭や遠足でむりやりハードな運動をさせられた気がする。だからこそ中高年になってからも、運動をしようと思えば何とかできなくはないのだろうけれど、子供の頃にほとんど運動らしい運動をしなかった場合には、中高年になってから運動を始めることはまず無理だろうと思うので、今の若い人や子供たちがそれほど運動不足で、体力がないのだとしたら、その人たち達が年を取ったら一体どうなっちゃうんだろう?と他人事ながら心配してしまうのである。心配しなくても、その子たちはそんなに年を取るまで生きないんだ、なんてことを平気で言う人もいたりするが、そんなことになったら私たちの老後は一体どうなるんだ!!!と私はとても心配してるのであります。


コメント(4)

先生もインドア派でしたか。
私も運動は超超苦手で運動会は大嫌いでした。
それでも休み時間は馬跳びやゴム跳びで遊び、帰宅後は一年生から六年生まで一緒になって缶けりや鬼ごっこで遊んでいました。大人達もごちゃごちゃといる子供達が家にいるとうっとうしかったんですね。(外で遊びなさい!!!)としょっちゅう言われてました。
五十をゆうに過ぎてから乗馬を始めましたが、運動音痴の私でもなんとか汗をかけるスポーツで、常足だけでも楽しく、自然の音だけの世界に浸れる幸せを馬がもたらしてくれた事に感謝しています。
規制だらけの空間しか与えられない現代の子供達を不憫に思うのは不遜な事ですかね~。

投稿者 小山 雅子 : 2011年10月15日 22:54

私の子供達が小学生だった頃はまだ公演に行くと子供がたくさん遊んでいました、今から30年前くらいですが。最近は御近所の子供さんを見ても何処のお子さんか判らない。滅多に外遊びをなさらないので逢う事が無いんです。今の親は我慢強いのかも?子供が家の中でウロウロされると家事が片付かないので顔を見れば「外で遊んできなさい」と言ってました。自分の子供時代は家の手伝いをさぼって外に遊びに行きましたが。幾つになってもダンス、バレーボールが出来るのはそのお陰でしょうか?
今の子供達が大人になる頃は医学はもっと発達して体が弱くても長生きしそうに思えるんですけど。幸せなのか?です。

投稿者 お : 2011年10月15日 23:11

さんまバリバリ君が冷凍なのに美味しく感じるのはたぶん北海道病に罹ったからだと推察いたします。
たぶんこれからデパートで北展をやっていたらセンセ、暫くは駆けつける事になるやも(笑)
若いコであればあるほど親子で並んでるのを見るにつけて、子供のほうが親より背が低いのが確率増えているみたい。
昔は小学生が月謝を払ってサッカー野球ゴルフなんてに通いませんでしたが、電車に乗ると「子供は立って!」なんて言われて座らせてもらえなかったです。
今は逆、空いてると親がこどもに席を譲ってますな。
エレベーターでもたった2階でも乗ってくるし。(私ら子供の時は階数ボタンを押して待ってる時間があったら、階段2段飛ばしで駆けましたが)
小さな、体を動かす積み重ねが無い人間が増えるのが怖いです。想像できまへん。支えあうのが原則の年金、どうなるんでしょ?あてにできへんから財テクしよっ。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月16日 13:30

 僭越ですが、秋刀魚は青魚なので多分鮮度落ちが早いものだと思います。生を直送しても少なくとも市場に水揚げされてから小売に並ぶまでに半日か一日は経ていると思います。
 バリバリ君は水揚げされてすぐ、数時間前後で加工冷凍され、それを扱う人の扱い方も優れているのではないでしょうか?
 今朝子様はご存知の上で疑問形にされた可能性もありますが、常々地元の干物や魚が何故こんなに美味しいのか(地元で食べてもお土産で関東で食べても)首を捻って考えていたので、これが理由では?多分まだ他にも私の考え付かない理由があるのかもしれませんが。

投稿者 nao : 2011年10月16日 20:03



2011年10月16日

大阪稲荷寿司、秋野菜のサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
 10月半ばだというのに夏がカムバックしたようなヘンな陽気で、蒸し暑さすら感じるドロンコ馬場にて2鞍連続騎乗し、わずか15分で馬装の解除と装填をするという慌ただしさにヘトヘトでした(^_^ヾ1鞍目は仙台から来た被災馬のベリー君で、名前にふさわしくデカイ腹回りに私の短足が届きにくいこともあって超重めの発進に手こずるも、いったん発進するとけなげに走ってくれるのがとても気持いいお馬さんである。2鞍目は超お馴染みハイセイコーのお孫さんで、彼女も常歩が異常に重いわりに、走りだすと結構スピードアップする馬で、今日は前の馬がなかなか駈歩発進をせずに間隔が詰まったのだけれど、そこは利口なお孫さんだから、手綱をやや上方に持って控えめにキープしたら、小股の駈歩を最後まで続けてくれました。
クラブハウスでは旅行にご一緒したSさんとペンギンのOさんに釧路での色々な出来事をお話して、IPadの映像をお見せしたら、ふたりともIPadが欲しい!!と仰言るので、私はまるでアップルの回し者のように、色んなアプリを披露して使い勝手がいいと宣伝しまくったのでした。中でもクラブのMさんと同じカドリール・チームの男性から教えてもらってダウンロードしたMy Horseという乗馬調教ゲームは結構リアルなCGなので受けました。




2011年10月17日

天ざるセット

池袋ルミネ内の「小松庵」で食事。
今日は午前中にエッセイ1本入稿し、午後から新作の執筆に専念した後、日テレ出版部の秋山編集長と志村さんがお越しになってQP3分クッキングの来年度のエッセイをめぐるご相談があった。その後また少し執筆してからお茶の稽古に行って、幸い稽古場の人数が少なかったので、阪本・星野両先生と何かとおしゃべりをしてしまう。
先日亡くなった表千家の縁戚久田家当主宗也師のお話になったのは当然であろう。ほかにも先日ホテルニューオータニ?で行われた浅草の芸者さんと祇園町の芸子さんのコラボ???が話題になり、また香川照之の中車襲名興行には是非ご一緒しましょうね!!という話にもなった。来年のことを言えば鬼が笑うといっても、今年も残すところあと2ヶ月ちょっとしか無いのを思えばぞっとします(-_-;)




2011年10月18日

里芋と厚揚げの炒め煮、時鮭の蒸し焼き

昨日のQPで見た料理。生姜の薄切りとネギのぶつ切りを炒め、里芋を炒め合わせて水を注ぎ、酒、砂糖醤油、塩少々、胡椒で味付けして少し柔らかくなるまで煮てから、シメジと厚揚げを加えて煮込み、仕上げに水溶き片栗粉でとろみをつけ、胡麻油で香り付けする。厚揚げは湯通しして油を取っておくこと。時鮭は釧路の和商市場でゲットしたものをタジン鍋で蒸し焼きにした。
食事しながらNHK7時のニュースのラストで釧路の鶴居村に丹頂鶴が飛来したという映像を見せられて、エッ!!だとしたら私たちが先々週行って目撃したツルは何だったの??と不思議な気がしたが、見たのはツルのハシリ?だったのかも。ハシリのわりにはトウモロコシ畑に結構たくさんいたのだけれど、映像にすると余りにも小さく撮れてしまい、皆様にお目にかけられないのが残念です。
ところで釧路の干物が美味しかったので京都の妹に贈ったら、臭みが全くないし、塩気がさっぱりしているとのことで、やはり天然干しだけのことはあるようだから、今度は自分でもお取り寄せしてみようと思う。何しろ妹は私と違って親元に長く居る分、舌が相当に肥えていて、甥っ子ともども食には頗るウルサイのである。「こないだコレは皮付きのまま食べてくださいとわざわざ書いたあるジャガイモを買うてきて、折角やからホイル蒸しで食べよとしたら、農薬の臭いがして食べられへんねん。エイジ(甥の名前)もすぐに吐きだしてしもた。煮炊きで味付けするさかい気がつかへんけど、今はどんな野菜でも農薬を相当に使てると思うわ。日本の食品は安全そうにいうてても、農薬の規制がモノスゴゆるいらしいで」というのを聞いて、微量の放射能汚染よりもむしろそちらのほうが心配になりました。


コメント(3)

まぁ~ひどいじゃがいもに当ったんですね~。考えられるとしたら、手違いで農薬を撒いて決められた日数を過ぎてから収穫しなかったのかもしれませんね。
農薬はわざとすごい悪臭するように製品化されてるので、覚悟の自殺以外は誤飲はできませんからまだ始末いいです、放射量は臭いなしだからわからないところが不気味です。
色が付いて変色するとか腐乱状態になるとか外見で判断できないのが怖い。
わがダシ友の京都のカツオ節さんの知り合いのお米屋さんが、独自に米軍が使っているドイツ製のガイガーカウンターを20万出して取り寄せて1袋ごとに測って合格したのだけを店に出すと聞きました。
お店の信用に関わるので損が出ても仕方ないそうです、いらん出費がかさむのが気の毒です。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月19日 18:35

天然干しの干物は美味しいですね、よく灰干しとか赤外線干しと書いてある干物がありますが、短時間で一夜干し状態にして後は冷凍で輸送されてくるので、少々お高い物でも美味しくありません。

我が家の近所は夕方は昼網の魚が上がり魚屋に並びますので直ぐに開いて濃いめの塩水に3時間ほど漬けてふき取り、そのまま蓋の出来る網に並べて本当の一夜干しにします。夕方まで干したほうが美味しいです。するめ烏賊の一夜干し、家で作るとマヨネーズなんてつけないで、そのまま炙って頂くと甘くて美味しいですし、簡単に一夜干しに出来ます。

投稿者 お : 2011年10月19日 21:38

今と昔とどのくらい変わっているのかわからないのではっきり言えませんが放射能も農薬も私にとってはどちらも憎いものです。 
 沈黙の春は1960年代だったし、複合汚染は多分刊行が70~80年のものでその頃迄にとてもきつい農薬がまかり通っていました。だからといって次々に新薬開発されているので今使っている農薬の毒性がその頃と比べて安全なのか?全く判断できないのが口惜しいです。
 詳しいあれこれはわかりませんが、農薬を使わない野菜や全うに育てたと云われる肉はなぜかまずいです。ただし。私の親戚の鶏肉は完全無農薬で都会でで手に入る地鶏肉とは違い固いですがかみ締めるほどに味のする美味しい肉ですが。流通の関係か管理の優劣かわかりませんが、名古屋コーチンとか比内鶏とか高くないところで食べたのが良くないのかぜんぜん美味しくありませんでした。
 話を戻しますが、放射線も農薬も私にとってはどちらも脅威です。突き詰めれば政府や官僚が私利私欲に走ってこういう事態になっているのではないかとないかと思います。年金問題も私の記憶では、80~90年代に行き詰るのは見えているのに、今とことん使ってしまえと当時の官僚が、使い切ってしまったように思います。政治家も官僚もどこで責任を取るのでしょうか?今担当で無いから責任を逃れる図式をいつまで通用させるのでしょう?
 担当や責任者が変わっても、不祥事はその部署でそのときの責任者がきっちり尻を拭うのが普通なのに、何故今の世は先に送れば安泰で、会社も個人ものらりくらりと逃げて許されるんでしょう?
 民間は昔からそんなことはせず個人の不祥事にして責任を逃れようとしているのに、公務員も政治家も官僚もいい加減部署として責任を負ってもいいのではないか?と思っています。
 長くなりましたが、今朝子様の自叙伝待望します。私の偏見かもしれませんが、自分に厳しく他人に優しい理由がわかるかも?と不謹慎ですが思います。

投稿者 nao : 2011年10月20日 22:07



2011年10月19日

おでん、茄子炒め、イクラ

おでんは市販のパックを伊勢丹クインズでゲット。イクラは釧路の和商市場でゲットしたもの。
今日の夕方はNHK出版の加納さんがお見えになったので、晩ご飯は手抜きである。
加納さんは週刊新聞「読書人」に掲載された森彰英氏との対談をお読みになって、私と武智先生との師弟関係に興味を持たれ、さらにN賞受賞直後に「オール読物」に書いたエッセイも読まれた上で、私に執筆を依頼されたのだった。最初は武智師の評伝のようなものをお望みなのかと思ったら、むしろ私の自伝っぽいものをというご注文だったのだけれど、私は自伝を書くほどエライ人間でもないので「要するに流行りの自分史みたいなものかしら?」と訊いたらその通りだと仰言る。自分史といっても自費出版するのとはわけが違うから、書籍としての商品価値があるのかどうか私自身は疑わしいのだが、生い立ちからしてちょっと変わってる?私の半生から、今の若い人たちの知らないかつての人間関係のありようや、日本のムラ社会的な問題や昭和の匂い等々が引き出せるはずだと仰言るのであった。私自身はフィクションの中でそうしたことをいろいろと表現しているつもりなのだけれど、「事実だからこそ人の心を打つってこともあると思うんですよね」と言われたら、確かにそれもそうだと思えるのだった。
NHK出版では雑誌連載ができないものの、それに代わるWEB連載をご提案戴き、電子画面による連載はどんなメリットデメリットがあるのかすこぶる興味があるし、また再来年に還暦を迎える私としては、その年に自分史的な書籍を出すのも悪くはない気がするのだが、果たして書き残す値打ちがあるような半生なのかどうかを含めて、もなるべく前向きに、もう少し検討させて戴きたいと御返事申しあげたのでした。


コメント(6)

同世代の読者として、是非 読みたいです。
この歳になっても、自分と他人、男と女、関西と関東と
その違いに、まだまだ戸惑う事があります。
今朝子先生が自分史~時代史を書かれたならば
フィクションでは得られない、直喩な言葉達が離見の見となって自分にも跳ね返ってくるのではないか、、と思うからです。 

投稿者 八島 秀二 : 2011年10月20日 06:47

ぜひともお書きくださいますよう、お願い申し上げます!
楽しみにしております。

投稿者 井上裕子 : 2011年10月20日 10:10

ぜひぜひお書きくださいますよう、伏してお願い申しあげます。
9/28日生まれ、50才を過ぎてから乗馬を始めた事、眼鏡をかけている事、顔立ちが似ている事などから、とてもとても
興味があります。
勝手な思い込みで申し訳ございません。
ちなみに還暦を過ぎた62才です。

投稿者 小山 雅子 : 2011年10月20日 17:31

電子書籍で自分史ですか、将来は電子というもんに慣れないとアカンでしょうからきっかけになるか、興味あります。
日経朝刊の私の履歴書みたいになるのかしら?
その履歴書シリーズは何回も書いている人もありますから、まず一回目なのかと軽いタッチでおやりになればいいと思います。
やはり所々京言葉になるんでしょうか。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月20日 18:09

「オール読物」のエッセイ、ごく平凡な自分には想像が付かないドラマチックな生い立ちや仕事ぶりを知り、とても興味深かったので、編集者の方が関心を持つのも遅すぎた程と思います。大学で上京して以降は、同じ世代の自分と重なる部分もあり、世の中の移り変わりを交えて、ぜひとも読ませて頂きたいです。

投稿者 ウサコの母 : 2011年10月20日 20:36

オール読物、2007年9月号<直木賞受賞発表号>
私、まだ持っております。ご自身の生い立ちを<ここに書いていたらそれだけで紙数が尽きてしまうくらい複雑な旧家の事情>と
お書きになっていらっしゃいました。
是非、お願い致します。
それにしても、選評<久々の実力派作家の登場に、客席から
拍手を送りたい><まさにプロの技>、数々の賛辞に、今読み
返してもファンとしてはぐっとくるものがございます。

投稿者 福島みどり : 2011年10月20日 20:55



2011年10月20日

麻婆茄子、イクラ

昨日買った茄子の残りで作った。トウチは入れたが、花椒を切らしていて入れられなかったのがちょっとザンネンな味になりました。
 けさは執筆の前にうっかりブラウザのバージョンアップをしたら、それまで頻繁にアクセスするサイトがお気に入りとして登録されていたのに、それがすべて消えてしまったので大慌て(@_@)中には執筆に絶対必要な辞書サイトもあって、とにかくそれだけはアクセスしっぱなしにしておいたが、ほかにも重要なアクセス先が満載だったので、執筆を終えてからさっそくPメディアの岡野さんに連絡して回復の方法を教えてもらったのでしたm(_ _)mああ、岡野さんがいなくなったら私はどうなるんでしょうか(-_-;)それにしてもこのバージョンアップなるものをうっかりすると毎回こうしたトラブルに見舞われるというよりも、私の不注意でドタバタしてしまうのだけれど、人間年を取ると、家がきれいになって環境がよくなるよりも、やっぱり住み馴れた町のボロ家が良かったりするようなもので、別にもうバージョンアップしてもらわなくて結構ですからというようなソフトや機器が山ほどあるにもかかわらず、どんどんどんどん勝手にバージョンアップされてしまうのがPC時代の恐ろしさである。こうした流れに果たして自分はどこまでついていけるのか、どの時点で降りればいいのか、さすがにそういうことを考えずにはいられない年齢になってきたように思う。周辺環境が加速度的変化するこういう時代だと、私よりずっと若い人でもいつかは必ずこうした壁にぶち当たるのではないかと想像されて、世代によってさまざまに違ったジェネレーションギャップと向き合わざるを得なくなるのかもしれない。昨日NHK出版の加納さんとお話をしていて、ひょっとしたらある世代以降はコトバによるコミュニケーションや思考形成をメインにしなくなるかもしれないという予感を二人とも持ち、私は当然先に死ぬ人間だからまだいいようなものの、私よりずっと若い加納さんは、そうなるとこれまでコトバと文字によって培われた文化が何もかも断絶するようでとても怖いと仰言っていた。私はきっと映像を土台にして、ふたたびた象形文字みたいな段階から新たな文化が生まれるのではないかと期待しているが、それが成熟するまでには相当の歳月がかかるだろうし、ひょっとしたら人類はそれを成熟させないまま、すなわち幼稚な精神状態のまま滅亡の道を歩み始めてしまうかもしれない恐れは確かにあるのだった。とにかく現段階では文字による成熟した文化はやはりなるべく残す方向で考えておいたほうがいいのでしょうね。


コメント(1)

少しの災難でしたね、バージョンアップと言葉を鵜呑みにすると絶対したほうが良くて、もししなかったらすごく損するように思いますが、あにはからんや旧でええもんもあるし旧のほうが使い勝手よかったにとなる場合あります。
けれど松井センセは頼もしい助っ人がいてはるからいいですね、さすが。
花椒は昔みたいにお隣さんに借りられる時代やったら、便利かも?

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月21日 17:44



2011年10月21日

豚肉とカブの炒め物

前にQPで見た料理。豚肉は酒と醤油で下味し、片栗粉をまぶして先に炒めておく。その油を残して斜め薄切りにしたネギを炒め、カブを足して豆板醤を炒め合わせてカブが柔らかくなるまで加熱し、豚肉をもどしてからオイスターソースと醤油で味付けし、カブの葉をちらして仕上げる。
映像で見る限り、自国民を爆撃するという信じられない暴挙に出たカダフィ大佐は、結果、民衆に虐殺されるという「目には目を」的な終焉を迎えたようだが、その報復の激しさを見てもアラブの民主化が今後どのような推移を辿るかは、日本人にとって想像の外かもしれないと思われるのだった。欧州経済全体を危機にさらしている当事国のギリシャ国民が大規模なデモを敢行したのも同様にやはり理解の外としかいいようがなく、ここまでグローバル化が進んでも、それぞれの国の問題はまだまだ国民性というものも念頭に置いて考えなくてはいけないのかもしれなかった。ところでギリシャの公務員問題も相当のもんだが、日本のお役所の問題は天下り体質もさることながら、一度引いた図面は絶対に書き変えたくないという異常なまでの頑なさにあるような気がする。どうも日本のお勉強好きの子は根本的にそういう頑なな体質を持ってるのではなかろうか。せっかく辻褄が合うように頑張って試算したんだから、辻褄が合わなくなったらいっそ問題の数字のほうを変えちゃえばいいいや~てな感じで、子供の出生率とかが都合良くいじられた結果、社会保障も何もかも現実には機能不全に陥るはめになったのではあるまいかと思う今日この頃であります。




2011年10月22日

タジン鍋

釧路の和商市場でゲットした時しらず鮭、鶴居村の直売所でゲットした長芋、近所のスーパーでゲットした
少量パックの北海道産ブロッコリー、オランダ産のパブリカをタジン鍋で蒸し焼きにして冷蔵庫にある色んな薬味調味料で食す。素材の産地をくどくど書いたのは、食事しながら「食の安心をどう取りもどすか」をテーマにしたNHKスペシャルを見てしまったからである。
後半は討論番組で、視聴者のツイッターを表示したテロップも併せて、放射線量の現在の暫定基準値というものが子育てする女性たちからいかに不信感を持たれているかがよくわかったし、いっそ基準値を非常に厳しくするか、線量表示をきちんとすることが、結果的には風評被害を終息させることにつながるのではないかという気もした。私自身は子供のいない中高年なので、そこまで神経質になると却って子供の精神衛生に良くないんじゃないの?と言ってあげたいようなお母さんがいらっしゃるのは確かなのだけれど、そんなことを言っても人間の恐怖心は治まるものではないので、とにかくお母さんたちを安心させてあげる方策が早く講じられないと子供たちが可哀想である。
前半はインターネットの普及により、生産者と消費者を直結させる方法で「食の安心」が取り戻せるという前向きな事例が挙げられて、ゲストに登場した堤清二氏が、スーパーマーケット的な流通のあり方を自己批判するかたちで、「結局お互いの競争に目がくらんで、肝腎のことを忘れてたんですよね」というような発言をなさったのが印象的だ。
企業は互いに競争して経済的な優位を勝ち得るのが純粋な存在目的だから、「食」はなるべくそうした企業的な土壌に置かないほうが安心なのではないかという考え方も成り立つ。TPP参加を前向きに考える人たちの間には、日本の農業や漁業を海外の生産と太刀打ちできるだけの大規模な企業化の方向を目指すべきとする意見もあるけれど、何もかも大規模な企業にする方向が、日本人ばかりでなく人類を果たして本当に幸せへ導くものなのかどうか、私はいささか疑問なのであります。


コメント(1)

暫定基準値は、目安にはなるものの放射線被害を受けやすい子どもがそれを含むものを食べたらどう溜まり危険なのかが全然わからないので母親が不安感を募らせるのだと思います。
 放射線線量表示も自然な放射線と原発爆発によるものとはっきり分けられないだろうし、放射能測定だって簡易なものもあるだろうし、セシウムが危険、ストロンチウムが危険といっても沢山ある放射線元素を把握して無いし、そもそも意図しなければ全ての放射線元素をその日のうちに把握するのは離れ業的に難しいのではないかと・・・近辺に魚屋や八百屋が無くスーパーにお世話になって、宅配や有機野菜も試しましたが、スーパーよりも割高で、売るための嘘八町か?と思うものも結構あります。(断言できるほど自分がお利口ではないですけれども)子どもがいなければ、少々の放射線に怖じることなく、あーらお得と使うのですが。
 大規模な企業化はすでに失敗しているのではないでしょうか?私の見知っている限りでは、農協は大規模な企業化の一例だと思います。
 今から、約二十年前、何かの押し売りが農協を保障か・基準に出してきて信用されているの?不思議に思いました。その前から高い農機具を売りつけ、買い叩くか、農協が利することにしか動かないのが当たり前でしたから。
 大規模で良いことは無しではないでしょうが、生産者に負を持っていくのは安売りをしたい企業のためで生産者に赤字を抱える要因になっていないか疑問です。

投稿者 nao : 2011年10月23日 02:47



2011年10月23日

バラ寿司、海老とキャベツのサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
今日も2鞍連続騎乗したら私は汗びっしょりだし、1鞍目のベリー君は何しろ仙台から来たコなので泡を噴く始末。わが家では冬眠状態だった亀ファミリーが目覚めて俊寛♂は発情、千鳥♀は産気づき、子ガメの有王はエサをねだりまくった。帰りのバスで一緒になった人事部のSさんは、「もうすぐ11月なのに、なんだか気持ち悪いというよりコワイですよねえ~」と仰言る今日の蒸し暑さである。タイの大洪水を見ても世界的に異常気象なのがよくわかるが、地球温暖化というばかりでなく、こうした気象異常は過去に例が多々あって、そういう時期はまた社会変動も起きやすいのが歴史を眺めるとよくわかるのだった。
「ところで大阪のアレは一体どういうことなんですか?」とSさんに訊かれたのは橋下知事が知事を辞職して大阪市長選に打って出るという事件?のことだが、「京都や奈良は好きでよく観光旅行するんですけど、大阪って行ったことがないんで、どういう町なのか全くわからないんですよね」と仰言るSさんに、一応私の知る範囲でご説明したのだった。
京都と大阪は東京と横浜やさいたま市くらいの距離感のわりに人的交流が少ないし、風土や気質は180度違うようなところがある。うちの母親は大阪生まれだから母方の親戚や友人には大阪人が多いし、妹も大阪人と結婚してるし、私自身も小説の舞台にして長期滞在で取材をしたし、それ以前にも芝居の仕事や関西版の情報誌の仕事でよく行ったりもして、京都生まれにしてはわりあい大阪を知ってるほうだとは思うのだけれど、それでも住人になったことは一度もないので、大阪市と大阪府の仲が悪いのは話で聞くばかりに過ぎず、実際に体験があるわけではないからイマイチどういうことなのか理解しずらいのであった。なので知事市長選の行方もどうなることやら想像もできないのだが、私が知る大阪人は母をふくめて例外なく理屈立てて話すのが好きなタイプだから、橋下知事のような問答無用的な発言は反発を買うだけなのではなかろうかと思ってしまうのである。とにかく必要以上にエキセントリックな発言をするように見せかけているのか、あるいは本当にエキセントリックな人なのかは知らず、橋下知事の思惑通りに事が運んだとしたなら、私の大阪に対する理解は過去にしか通用しないものといわざるを得ません。


コメント(1)

言われてみれば理屈立てて話すかも、というか交渉する時は絶対そうです。
例えば親に小遣いを上げてもらう時は「こうこうこうやから、これ何とかしてもらうためにはどうゆう風に言おかな、最終金額は○○円になれば御の字かっ」な~んて小っちゃい子供の頃から鍛えられてますな。
まぁ実をとる主義が多いから橋元の訛りまくってるヘンな大阪弁はイヤやけど、府と市の二重行政をやめさせるためには発音しにくいけど大阪都にしたほうがいいのかしら?と考え出してるひとが増えてます。
東京の人から見れば大阪人はがめつい贅六(今でも使うのかしら、この言葉)と思われてるせいか、
「私大阪です」なんて言うと顔に三段下に見るのが現れます。その反対で「京都です」と騙ると、相手さんの声が1オクターブ上がり気味になって「京都なの~?関西の人にしたらなんかお上品だなと思ったのよ~」と、少し賞賛の嵐気味になりますもん。
その度に晩酌子は「京女はトクしてんな、少しうらやまぴ~」と噛みしめるのでした(爆)

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年10月23日 22:27



2011年10月24日

パプリカとアスパラガスとベーコンの塩炒め

先日余ったパプリカを始末するため、たまにはこういうシンプルな調理もいいかと思って塩胡椒で味付けしただけだが、意外と美味しく食べられました。
NHK7時のニュースで、心の病による労災申請の件数が2年連続過去最高になり、職場のメンタルケアが欠かせなくなったという報道を聞いて、わが妹が熱中症にかかる子の増えたことに対して、「いくらなんでもちょっとカラダ弱すぎやで」と言ったことが想い出された。
以前、自打球によるケガで欠場する野球選手が増えた時も、野球好きのわが母親は「昔はそんな情けない選手はいてはらへんかった」と断言したのだけれど、自打球のケガはフクザツな変化球が増えたことによるものらしいし、熱中症が増えたのは地球温暖化と関係するのだろうし、職場で心の病が増えたのもストレスが大きくなったのが原因であるのは間違いない。実際のところ、親しい友人が3人もうつ病にかかったので、現代はあらゆる場所であらゆるストレスが人間の心を蝕んでいるのは確かだろうと思う。が、一方で、近代以降の人間が心身共に脆弱になりつつあるのも事実だろう。
そもそも生物は自然淘汰の中で環境に適したものが残りやすいのだとすると、人類は人類が生みだした新たな環境の中で淘汰されるのだろうか。現代は人類が作りだした環境に適している人間が、必ずしも生物的な優性とイコールではないのかもしれないと感じさせる、希有な時代に突入したような気がする(-_-;)


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「今朝子の晩ごはん」シリーズ、4冊目を読み終わったところで、今夜初めて“ブログ”を読みました!正直言って、ブログとホームページの区別も分からない私です(涙)
時代小説は、苦手という先入観があったのですが、『仲蔵狂乱』抵抗なく一気に読みました!落語「中村仲蔵」を聞いて志の輔のファンになった経緯から興味を持ったのがきっかけでした。目下一番のお気に入りの落語家は談春です。松井さんの作品の朗読会に談春が参加していたとは、今となっては知らなかったのが悔やまれます。
祇園・「川上」、4年程前に母や妹とお昼をいただきました!
その際は、カウンター席は取れなかったので、次回はご主人が現役のうちに夜のお任せで是非もう一度と思っていたのですが、引退されたということで残念です(涙)。
でも、初めて訪れた私たちにも関わらず、出口で丁寧に見送ってくださったご主人の姿を鮮明に覚えております。
松井新七氏が信頼し後を託された加藤氏の新生「川上」、訪れてみたいと思っています。超庶民の私にとっては“高嶺の
花”ですが、年に1~2度の贅沢は本物でと思います。
「料理屋と屏風は広げたら倒れる』のくだり、業界の事情など全く知らない私でも、さもありなんと合点しました。
最後に、料理は写真付きだったんですね、&、亀さん達はあんなに(?)大きかったのですね!!

投稿者 Miffy-FK : 2011年10月24日 23:32

うつになった三人の方は、失礼ですが、高学歴で挫折無く中高年になったのではないかと思います。ほとんど自分でしなければ気が済まない完璧を期する方では?
 又は妊娠・産後では?周りのサポートも大事ですが、一番は本人の気力でしょう。皇太子夫人の雅子様は、周りが小うるさいですが、できることを少しずつしていけば、それで十分だし、ずっと頑張ってきて病気になったのではないかと思うのに、批判する記事ばかりですね。肯定することだけを今後十年は少なくともどこのメディアも書いたほうが良いのではないかと思いますが、大抵バッシングっぽいのは売り上げのためなのでしょうか?うつって頭でわかっていても気力が湧かないし、だれに言われても出来ないし、そんな自分を自分が一番情けないだろうに。本人が何かで開き直ってじぶんの気持ちを一番にすることが薬ではないかと思っています。

投稿者 nao : 2011年10月25日 00:05



2011年10月25日

チヂミ

今日のQPはサツマイモをすり下ろしてチヂミにしたが、めんどくさいので市販のキットを買って卵を加え、豚バラ肉、ニラ、キムチを具にして焼いただけ。2日連続の手抜きメニューでした。
食事しながらBSフジの「プライムニュース」でTPP問題をめぐるそれぞれの発言を聞いていて、交渉に入ってから離脱するようなことは絶対ありえないみたいな発言を自民党の幹事長がしたので、なるほど、これまで対米追随外交していた党だけのことはあると納得しつつ、でもあんたの親父は確か「NOと言える日本」てな本を書かなかったっけ?と突っ込みを入れたくなった私であります。ゲストの斎藤邦彦元駐米大使がとても真っ当な発言をしていたのが印象的で、それならとにかく外務官僚は知恵を絞って国益に叶った交渉をちゃんとやってくれよ!と言いたいところである。相手にどう思われるだろうか、なんてことを気にしてしまうのが日本人の外交下手の所以ともいえて、相手がどう思うかより先に、自分はどうしたいかを積極的に話さないと、そもそもいかなる交渉事も成り立たない道理なのだが、なぜか相手の気持ちや周囲の空気が読めないと自らの意見も言えなくなるという不思議なメンタリティーを日本人は昔から持ち合わせているらしく、それがさらにどんどん高じてしまったような気がする昨今である。まさか松岡洋右の国際連盟を離脱した一件が外務省のトラウマになってるわけでもあるまいに、と思うのだけれど、北朝鮮の瀬戸際外交をちったあ見習えよと言いたくなるくらい、外交問題でとかく押しが弱いとしかいいようのない事例が多すぎるから、TPPの行方を不安がる人が多いのだろう。それにしても私が驚いたのはミスター円こと榊原英資元財務官が公然とTPP参加反対を表明していることで、彼の言い分は、結局のところ、アメリカの足もとを見透かして参加見合わせのゴネ得を狙えということなんでしょうか?




2011年10月26日

ウニのパスタ、牛ヒレステーキほか

文春の山口さん、山田氏と大宮のイタリアン「イルクオーレ」で会食。
お二人は「オール読物」の連載執筆の件でお越しになったので、内容のご要望をお尋ねしたら、できれば江戸を舞台にしたミステリータッチの長編ということなので、こちらも一応その線でいろいろ考えてはみましょうという御返事をした。今日は北杜夫氏の訃報が流れたこともあって、佐藤愛子氏の話が出たのを皮切りに、平岩弓枝氏や瀬戸内寂聴師の話になり、震災当日の平岩氏が築地から代々木のご自宅までおひとりで歩き続けてなんと夜中の2時頃にようやくご帰宅になった!!!という話や、ずっと寝たきり状態だった寂聴師が原発事故を憂うあまり??急にカラダがしゃきっとして立つことができるようになり、耳も遠かったのがはっきり聞こえるようになって「僕が知る中では今が一番お元気なんですよ~」という状態なのだとか。山口さんは89歳で作家デビューされた久木綾子氏の担当で、これがまた「めちゃめちゃお元気なんですよ。日本はなんだか80代の女性で保ってるような気がするくらいです」とのことで、やっぱり太平洋戦争を経験してる世代の人たちの強さには敵わないよね~という話になったのでした(^_^;)


コメント(1)

日本は80歳代の女性で保っている、同感でございます(+_+)もうすぐ90歳に手の届く友人、まだCEOとして頑張っておられます。もちろん御趣味もお盛んでお一人でよくお出かけになります。
今日の新聞を見ますと、よど号ハイジャック事件の犯人の御母堂90歳が、よど号に乗っておられた日野原医師に息子のわび状と100歳のお祝いの言葉をしるした手紙を日野原医師まで届けに行かれた、と書いてありました。あの太平洋戦争をくぐってこられた女性は腹が据わっておられますね。
それにしても、美味しそうなイタリア料理(^◇^)

投稿者 お : 2011年10月27日 22:21



2011年10月27日

サバとゴボウの竜田揚げ

昨日のQPで見た料理。サバは酒、醤油、生姜汁に漬け込んでから片栗粉を薄くまぶして揚げる。ゴボウは10分ほど茹ででから叩いてほぐし、砂糖入りの醤油に浸け込んでから片栗粉をたっぷりまぶして揚げる。ゴボウはオススメ!
私が子供の頃の世界の人口は25億くらいだったのに、今月末にはついに70億人突破!!!というニュースに伴って、昨日某局で見た人口爆発が起きてるアフリカの都市における凄まじい道路渋滞の映像にクラクラしてしまった(@_@)もう日本は少子化対策なんてたわごとを言ってるよりも、「これぞ日本の美学です」と言って世界に先駆けた民族滅亡を目指したほうがいいんじゃないかと思ったくらいである。このまま行くと50年後は90億になっちゃうそうで、そこでなんとか食い止める唯一の方法は、富の再分配をするかたちで途上国の貧困を無くすることだというのはハンス・ロスリング氏の説である。
 もっとも90億になるまで地球が保つかどうかも心配で、人間のメンタリティーみたいなものが画期的に変わるのでないと、人類の滅亡はもっと早まるような気がしなくもないし、また早まったほうが地球のためかもと思えるのがコワイ。
人口 が爆発的に増加し始めたのは言うまでもなく近代の産業革命によるもので、それが始まった時点で人口が爆発するパターンは何処も同じなのだけれど、世界の隅々に行き渡るにはタイムラグがあるというのが一番の問題だったのかもしれない。先に爆発して衰え始めた国はそのまま滅んじゃえばいいようなものだったのに、別の形でなんとか生き延びる方法を発見した。それが金融経済と消費社会だろうし、消費社会化によって人間は必要以上に欲望をかきたてられ、それまでの時代の価値観から180度転換し、欲望過多の人間ほど賞賛されるという時代の中で、地球のほうが加速度的に滅亡への道を辿り始めたといった感じではなかろうか。人類70億突破時代には、果たして人間の欲望のありようはどう変わるのだろうか?


コメント(1)

本当に消費は美徳だ 消費者は王様だ!どんどん買ってどんどん捨てろ!なんて言ってたのも政府だったし。エコだエコだって言ったて究極のエコは人類が地球から消えることだし。全く神様は何を考えて人間をお造りになったかと思ってしまいます。そうかといって亀さんみたいに首を引っ込めて冬眠しちゃう訳にはいかないから今日も自分で自分のお尻叩いて生きていますが~(=^・^=)

投稿者 ねこかおる : 2011年10月28日 16:55



2011年10月28日

さんまバリバリ君ほか

今日は夕方から元PHPの熊谷氏がお見えになって料理する時間はなくなり、こういう時にベンリなのが釧路和商市場で買ったさんまバリバリ君であります。
今日は編集者のお仕事でおいでになった熊谷氏だが、最近ご自身が見舞われた災難としかいいようのない出来事をお話くださって、唖然としながら聞かせてもらった。定期検診でバリュウム検査をして何日か経ってから夜中に急に腹痛を覚え、夜が明けてすぐに病院に行ったら、なんとバリュウムが盲腸にひっかかって虫垂炎を起こしていると判明。即刻手術したところ大出血で意識不明の状態に陥り、その後ずっと点滴生活を余儀なくされ、絶食5日間はともかくも、絶飲3日間は気がおかしくなりそうなくらい辛かったとか。
へえ~~~~そんなことがあるの!!!としか言いようがないのだけれど、こうしたバリュウム事故はなんと年間1000件もの報告例があるそうなので、皆様もどうぞお気をつけくださいまし(-_-;)




2011年10月29日

あゝ、荒野

今夜はさいたま芸術劇場で寺山修司原作・蜷川幸雄演出「あゝ、荒野」の初日で、マツジュンこと「嵐」の松本潤主演とあって朝9時から詰めかけたファンもあったそうだし、駅前ではチケットを買いたい!というプラカードが沢山見られたが、ジャニーズ系ファンのマナーは相変わらずいいので、こちらも安心してきちんと鑑賞できるのは何よりである。
ところでそもそも寺山修司の芝居は天才ならではの理解しづらさがあるので心配されたのだけれど、今回の作品はもともと彼の小説を「夕暮マリー」なる人物が脚本化したもので、この脚本が小説の断片的イメージと寺山さんならではコトバを巧く取り入れた、いい意味でのウエルメイドな仕上がりだったからとてもわかりやすくて面白く見られた。60年代の新宿を舞台にして「もう諦めた者には決して無い何かが俺の内側にある」とする天井知らずの欲望を持つ饒舌な自信家の青年新次と、「もう自分は死んだと思えば自由になれる」と感じて愛も憎しみも自らの内側に決して掴むことの出来ない吃音症の青年健二。若さの両面を表象するこの二人のボクサーの対戦に向かってドラマは収斂し、ラストシーンではその若さの持つエネルギーと美しさが炸裂する。ただし脚本は彼らばかりでなく多くの登場人物ひとりひとりに寺山さんらしい猥雑なまでの俗語と観念的な言語を綴り合わせた詩的モノローグを与えており、これに60年代の香りづけと抒情性たっぷりの蜷川演出が加わることによって、舞台にはまさしく寺山ワールドが展開された。主演のふたり新次役の松本潤と健二役の小出恵介が共にキャラに巧くはまった好演でラストシーンの表情がとてもいいし、演出の見せ方もさすがである。
それにしてもボクシングと競馬はそれ自体がドラマだから、寺山さんは好きだったのだろう。今回はボクシング小説のドラマ化だったが、今度は蜷川さんに寺山さんの競馬小説を映画化してもらえないかなあ、な~んて今や馬好きの私は思っております(^_^ゞ




2011年10月30日

ばら寿司、ゴボウのサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。NHKの「ダーウィンが来た!」を見ながら食事。
今日も2鞍騎乗で1鞍目は重~いベリー君、2鞍目はお馴染みハイセイコーのお孫さん。先週は駈歩で調子が巧く合わず、騎乗後のお孫さんはいささか不機嫌だったが、今日の駈歩ではこちらの尻が鞍にぴたりと吸いつくように乗れて、そうなると騎乗後のお孫さんも上機嫌で、こちらの顔に鼻づらをすりつけて、フガフガと匂いを嗅ぎながら甘えるのだった。考えてみれば当然だが、こちらが巧く乗れたかどうかは乗られている馬が一番よくわかっているようだし、お互いの相性みたいなものもあるようで、乗れば乗るほどイキが合ってくる馬もあれば、その逆パターンで、付き合えば付き合うほどだんだんダメになるケースもあるのは人間関係と同じかもしれない。
「ダーウィンが来た!」は待ちに待ったウミガメの特集でウミガメの甲羅に背負わせて撮らせたたカメラの映像が初公開。八重山諸島の美しい海で暮らすウミガメが毎日同じ寝床で眠り、目覚めてすぐにまた珊瑚礁で二度寝しながら魚たちに皮膚を掃除してもらい、そのあと2時間かけてたっぷり食事し、夜は夜で呼吸もせずにぐっすり眠れるという幸せな海亀ライフを見せられて、こちらまでハッピーな気分に(~_~)/馬と触れ合い、ウミガメの映像を見て、私には文句なしの休日でございましたm(_ _)m




2011年10月31日

ふぐ刺し、穴子の有馬焼き、炊き合わせ、野菜の天ぷら、マコガレイの唐揚げ、ふぐ雑炊ほか

新潮社の小林姐さん、田中ノリオ氏と大宮駅西口の「新むら」で会食。
ノリオ氏は以前から一度大宮で食事がしたいというご希望があってようやく今日お越しになれたし、姐さんとも大塚「なべ家」でのお仕事以来久々の会食だが、もちろんただご馳走してくださるわけではなくて、来年度の仕事をからめたものであることはいうまでもありません(^_^;)以前からの懸案だったテーマに、震災後にいささか心境の変わった私は難色を示したのだが、それであっさり諦めるような姐さんではないのもまたいうまでもありません(笑)。で、色んな話をした結果、「もうこれはたぶん他の社からもご提案があると思いますが……」とノリオ氏が言いながら、私の実家をモデルにしたフィクションを書きませんかというような話になり、「意外にまだどこからもその提案はないのよ。こないだNHK出版さんから自分史的なものをというご提案は戴いたんだけどね」とお答えしたら、「じゃあ是非それで行きましょう。ちょうどNHKさんのお仕事と重なって、いろいろと想いだせるからイイじゃありませんか~」と勝手に決めつけて「ああ、これで決まって、よかった、よかった」と揉み手状態に突入するあたりはさすがに姐さん恐るべしである(-_-;) この時節に、この歳で、いろいろとオファーを戴くのは有り難いのだけれど、それに体力と知力や気力が伴うかどうかが問題で、近ごろとみに耳鳴りや偏頭痛に悩まされる私としては、とにかく自分ができるだけのことをするしかないよね~としかいいようがない。
ところで今日おふたりは5時にいらっしゃるお約束が6時に変更され、理由はノリオ氏が担当なさっている単行本のイラスト入稿を待つためで、結局入稿がないままウチにいらしたそうなのであるが、そのイラストレーターがなんと「キューピー3分クッキング」で私が連載しているエッセイのイラストを手がけてくださっている川口澄子さんだと伺って、毎度のことながら世間は狭い!!のである。私は今日そのエッセイを入稿したばっかりなのでした。


コメント(1)

ご自身の半生についてもですが、生家を題材にされたお話も、とても読んでみたい!です。同じころに出版されたら、それもとても面白いですね~。読み比べてみたいです。

投稿者 miyako : 2011年11月02日 15:20