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2011年08月13日

夏野菜と豚肉の揚げ出し

QPのレシピ本で見た料理だが、写真があればレシピは載せなくても大体おわかりだろう。
昨夜お茶の阪本先生と電話して、「今朝子ちゃん、ブログで皆さんに謝っといてえな」と言われたのは大文字騒動の件である。「あちらの方がお気の毒で申し訳ないし、私らも情けないわ」と仰言るので、事の真相をよく知らない私はひとまず経緯を訊いたのだが、先生ご自身もあまり詳しくはないようだったので、今度は妹に電話して問い合わせたら、妹も「京都の人間はいかに心が狭いかやで。ほんまに恥ずかしいわ」と怒っているわりに事情はほとんど知らないようなのである。つまり、この件はどうやら京都の住人の多くがあまり事情をよく呑み込めぬまま、たまたま外界とのパイプを持ってる人が盛んにこの問題で突っ込まれたりして困っているらしいということがわかったところで、私なりにネットで事情を調べるはめになった。以下がその経緯のあらましである。
そもそもは大分在住の雛人形作家の藤原さんという方が、被災者のメッセージを書いた薪を大文字で燃やしたらどうかという提案をまず陸前高田市のほうにして、その企画には、どこかの時点で福井市のNPO法人も噛んだらしい。思うに藤原さんは仕事がら京都の人と何らかのパイプがあったのだろう。全然そうでなくて突如こんなことを思いついたという風にはやはり考えにくいのである。で、陸前高田市に話をしてから京都の大文字保存会にその話を持っていったところ、最初にたぶん「そら、確かにええご供養になりまっしゃろ。まあ、考えてみますわ」というような返事をされたのではなかろうか。京都人にありがちな口上手な返事を真に受けて着々と準備が進められる一方で、放射能汚染に対する地元の懸念も持ちあがってはいたのだろう。如何せん、保存会の中心メンバーにそうした懸念を払拭するだけの科学的知見の豊富な人はいなかったために、突き上げを喰うとすぐにそれを中止する決定をみた。ところがその時点でマスコミに取りあげられたことにより、事情を知らない京都内外の人びとから袋叩きに遭ったのも、まあ、多少気の毒な面がないとはいえない。保存会の人たちにしてみれば、何も自分たちが積極的にいいだしたわけでもなければ、それをすることを全員に承知させたわけでもない時点で準備が勝手にどんどん進められていったというふうな認識だったのかもしれない。ちなみによく問題にされる京都人のリップサービス過剰による裏表のある行動は、何も都会的にソフィストケートされた産物ではなく、外部から侵入する権力によって代々蹂躙され続けた民衆のDNAが産んだ卑屈な精神によるものだという認識で他の地方の方々には大目に見て戴きたいし、京都人には21世紀にもなったらいい加減それを克服してもらいたいものだと思う。なぜなら情報化が飛躍的に進んだ今日は本当のことを発信して同類を募ったほうが、結果的には自分の生きやすい社会にめぐり合う可能性が高いからである。
閑話休題。内外から袋叩きに遭って、急遽また陸前高田の薪を受け入れる方針に転じたのは本当に今どきの弱腰な態度で、つまり悪者になれる責任者の不在は、今回の件に限らず現代の日本国中に蔓延しているメンタリティーの疾患ともいえそうだ。結果、急遽取り寄せられた薪は前回のように木の表皮が剥ぎ取られていなかったために放射性セシウムが検出されたのは無理もなかった。ただし1キロあたり1130ベクレルという値だから、かりに1トン燃やしたとしても0.02147ミリシーベルトという東京都新宿区に毎日漂っている線量の三分の一程度がひと晩出るに過ぎないのである。その程度にも恐怖心を抱く人に対してはもはや理屈で説得するのは不可能だろう。
私は時代小説を書いているくらいの人間だからして、超低線量の被爆を恐れるいい歳をした男性に対しては「お前はそこまでわが身が可愛いか、浅ましい奴め」という目で見ているが、子供を抱えた女性やまだ子供が産める年齢の女性に関してはこの沙汰にあらずして、できるだけ被爆を避けてほしいとは思っているし、また原発の存在も核廃棄物の完全な処理方法が見つからないまま許すわけにはいかないと考えている。その上で、超低線量の放射能に対する過剰な反応が巻き起こしているこの間のさまざまな問題に関していささか苦々しい気持ちにならざるを得ないのは、それよりずっとリスキーな状況に置かれている人たちのことをあまりにもないがしろにした話ではないかと思うからだった。


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コメント (5)


大文字の送り火騒動、京都人では無いですが関西人として「何処でこんなややこしい話になってしまったんやろ?」と毎日変わる新聞発表に首を傾げています。

今や日本国中「セシウム」と聞いただけで「癌になる」と異常反応する方と「岩手県のコメ当選者セシウムさん」と毎日の原子力発電所の放射能漏れをコメディタッチで面白がってる人(これがマスコミにかかわる人間だから呆れるのですが)極端に違う認識の方達に振り回されてる気がします。
高齢化すれば癌に罹患する割合は多くなりますので、放射能汚染された藁を食べたビーフを食べても食べなくても自分の持ってる遺伝子やそれまでの食生活や環境汚染によりだれでも癌に罹患する要素はあるわけですから、薪の表面についてるセシウムを燃やし、濃度が圧縮された灰が塵となり京都の町に降り、それを浴びても癌になる人、ならない人が出てきます。
それは薪の汚染とはあまり関係無いと思いますけどね。しかし、思いこみの強い方には何を話しても無駄なんでしょうね。
せめて市長が、大文字でその岩手の薪を使うにしても使わないにしても「決定した事には私が責任をとります」と言って欲しかった。毎日コロコロ話が変わるという岩手県の被災者を愚弄する事だけは辞めて欲しかった。

投稿者 お : 2011年08月13日 22:36

大文字保存会が陸前高田からの薪の受け入れを断ったというニュースが流れたとき思ったのは、あーやっぱり京都の人って東のことはわからんのねーということでした。陸前高田が福島からどのくらい離れたところに位置しているのか地図をご存知ないのでしょう。東京あたりもひとしなみに危ないと思っておられる京都市民も少なくないみたいですし。福島原発からそれだけ慣れた土地であれば、仮に検出されたとしてもたいした放射線量ではないと判断し、OKするなら腹をくくって受け入れるべきでした。放射線についてのリテラシーが全国民的にまだまだ足りないんだと思います。なにしろ原発は絶対安全だったのですから。

投稿者 美茄子 : 2011年08月14日 00:02

もともとが「余計なおせっかい」という感じもします。
大文字で送ることが陸奥の海岸で送ることとどんな違いがあるのか。
京都の人にその気があるならば薪なんかなしで心静かに祈ればいいのです。
どちらも傷つきましたね。まあ、それが放射能の怖さかもしれませんが。

投稿者 佐平次 : 2011年08月14日 09:36

京都市民にとって福島原発のことは遠い地方の出来事なんですね。これから先日本に住んでいる限り、福島原発で漏れた放射能と無縁で過ごすことはできません。あのレベルの放射能で騒ぐのなら京都の皆さんは京都盆地でひっそり過ごし、箱根の山を越えないほうがよろしいかと存じます。
薪を燃やすの燃やさないのという瑣末なことよりも、被災者の方、お亡くなりになった方に思いをはせてください。こんなことでは大文字の送り火で御霊を送ろうにも、御霊も安心してお帰りになれないと思いますよ。

投稿者 hanako : 2011年08月14日 12:57

今度の事で一番びっくりしたのが元市民の松井センセも含め京都市民が「京都市民として心を狭くしてるのがいて申し訳ない」と低姿勢だった事です。
大阪人やったらそこまで低姿勢になりません。
もっと他人事と考えて悪く言うと無責任な態度になるんじゃないかな。
エエかげんな大阪人は他所の人からみると、ともすれば誤解されがちなんですが、たまにはエエかげんさのあそびが問題を深刻化させない良い面もあるかいな、なんて思います。
大津波で亡くなられた人たちを偲ぶのは個人が勝手にできますやんか、16日の送り火が燃やされてるわずかな時間「安らかにお眠りください」と祈る人の数がいつもより多いでしょう。(無神論者の私が言うなんて、少し、いいこぶりすぎましたか)

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年08月14日 14:03

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