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2011年08月04日

茄子とシシトウの香味炒め

QPで見たのは茄子とピーマンでした。共に素揚げしてから、生姜とニンニクと長ネギの粗みじん切りを炒め豆板醤と酒と砂糖と醤油で味付けしたものと炒め合わせる。茄子は縞目に剝いて高温でこんがり色づく
まで揚げること。
日中は風が涼しいどころか寒いくらいになったかと思ったらまた蒸し暑くなるし、降れば土砂降りかと思いきやすぐにまた青空が広がるし、空に向かって「一体どうしたいんだ!!!」と叫びたくなるような今日のお天気である。「一体どうしたいんだ!!!」と叫びたかったお母さんも多かったのではないかと思われるのが子ども手当で、ずるずると妥協を繰り返して結果、廃止に追い込まれてしまった民主党の稚拙な政権運営にはあきれるばかりである。
私は子どもがいないから税金の取られ損にはなるものの、子どもは社会で育てるという民主党の理念には賛成で、子どもは家庭で育てるものだという自民党の中途半端に旧弊な考え方には与することが出来ない。昔は子どもを大家族の「家」で育てたのであって、多くが核家族になってしまった今日に濃密な血縁ばかりに子育てを任せておくと、根本的な社会性の欠如を招くのではないかと頗る警戒しているのである。だから、とにかくお金を出した分、オトナは他人の子どもにもガンガン口を出せるようになったほうがいいように思っていたのだけれど、民主党も本当にちゃんとした理念に基づいているのかどうか疑わしい気がしたのは今回の原発対応である。子どもは社会で育てるという理念を掲げるなら、なぜ福島の子どもたちに共同疎開先を用意して強制疎開をさせないのだろうか。
それにしても、児童手当にしろ子ども手当にしろ、現金給付にはそれなりのメリットがあるにしても、だからといって少子化対策に結びつくものではなさそうだし、今はそんなことよりも放射能をなんとかしてくれ!!と子どもが欲しい若い女性なら思うのではなかろうか。


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コメント (2)


お金を出しても今は他所の子供にはガンガン口を出せないと思いますよ。お金は欲しいけど他人どころか祖父母も口は出せない家が多いように思います。
確かに昔は家族、親戚、近所の中で子供は育ちましたから、相手の気を汲む事は自然に訓練できましたが、今は核家族に一人親が増えてますから子供時代から大人と付き合う訓練、人の思いを忖度する事などが親子でできない。しかし、「お金は欲しい、できるだけ沢山」他人からは自分たちの生き方や子育てには口を出して欲しくない。誰でも子育て最中は多少共に子育てに他人が口出しして欲しくない、という思いがあります。
しかし、昭和50年代頃までの子育ては親が「人生の先輩の言われる事は一応聞かなければ」という躾を受けてましたから、それなりに言って頂いた事を生かす事も出来ましたが、今はそこの所が壊れてるように思います。子供手当を支給しても社会で子育てをしている事にはならないと思います。

投稿者 お : 2011年08月04日 22:51

子ども手当のこと、被曝回避のこと、まったく同感です。
今の核家族と江戸時代の「家」の重さを同じように考えるのもおかしいですね。
渡辺京二の「江戸幻景」に教えられました。

投稿者 佐平次 : 2011年08月05日 10:37

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