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2011年06月22日
なべ家ファイナル
「小説新潮」連載の「江戸のもてなし」シリーズでは、江戸時代のさまざまな日記に登場する料理を東京大塚の料亭「なべ家」のご主人福田さんが再現され、私はそれを試食してエッセイを書くという、文字通りとてもオイシイお仕事だったが、1年12ヶ月分の料理が今日でついにファイナルを迎えてしまった。なので、今日は料理の写真のみならず、その撮影風景の映像もお届けします。料理を美味しそうに撮るのは、盛り方や照明やその他もろもろの加減がとても難しく、カメラマンの方とお店の方と編集者の小林姐さんがいつも寄ってたかって、ああでもない、こうでもないと色んな工夫をしながら相当な手間暇をかけて撮ってらっしゃるので、今日はそのほんの一部をIPad2で撮影し、皆さんのご了承を得た上でUPいたました。
夕方には代々木で整体治療の予定が入っていて、それまで少し時間があったから、見ようと思いながらまだ見ていなかった映画「英国王のスピーチ」を新宿の武蔵野館で鑑賞。今日はレディース・デーとあって場内満員であるにもかかわらず、クスクス笑いも爆笑もほとんど聞こえないのは一体ナゼなんだ???と不思議に思うほど、全編そこはかとないユーモアが漂う実に英国らしい作品であり、そもそも国家元首であるエリザベス女王のお父さんや伯父さんをこんなふうに生々しく描けるところがやはり英国ならではだろう。それにしても、英国では人前でちゃんと話せることが人間として非常に重要だと考えられている文化があるように「マイ・フェア・レディー」の頃からなんとなく感じていたのだけれど、この作品もそうした文化をヌキには語れない映画である。私は以前仕事でロンドンにロングステイした時に、Sさんという日本人女性にお世話になったが、Sさんは英国人と結婚して当時すでに20年以上も向こうで過ごし、むろん英語はペラペラであったにもかかわらず、まだ英語学校に通ってらしたので、不思議に思って理由を訊いたら、自分の属する階層をアップさせるには、それなりの英語を身につけないとダメだからだと答えられて、まさしく「マイ・フェア・レディー」のお国柄だと思ったものだ。
ところで現在私たちがごく当たり前の政治形態として採用している議会制民主主義は、本来、人前できちんと話すことが人間にとって非常に重要だと考えられている社会で誕生したものだということを、改めてもう一度しっかりと考えておく必要があるのではなかろうか。
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コメント (1)
江戸のもてなしシリーズまとめて読みたいのですが、刊行予定はありますか?いままで、よくなべ家が登場していたのに気づかず読めなくて残念です。
佐原の白みりんも使ってみたいけど、手に入れるのはなかなか難しそうなので、どこかで見つけたら絶対買おうとおもっているのですが、取り寄せる以外に道がないなら、諦めるしかないかなあと思っているこのごろです。
私事で恐縮ですが、六月二十三日私の誕生日で、またひとつ年を取りました。二十歳頃から意識は変わっていないのに毎日がどんどん早くなります。ちなみに、私の姉は八月六日生まれで、主人は八月十五日生まれです。以前上司に何の気なしに言ったら「呪われてんじゃないの?」と言われ、それはないだろ?と思いました。
誕生日から沖縄の戦争時の事や今の状況には無関心でいられません。今回の震災の被害にも無関心でいられませんが、沖縄に住んでいる人たちの言葉は今の被災地の人と同じか、遠い分損をしているように思い、辛いです。
投稿者 nao : 2011年06月23日 21:34