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2011年05月28日
ポークピカタ、ホタルイカ
明日よりは今日のほうがまだましかと思って午後から乗馬に出かけたが、馬場は完全に泥の川状態で、メチャメチャ水しぶきがあがって人馬ともども泥んこになりりそうだったが、インストラクターの方がレッスン開始直前に水を懸命にかきだしてくださったおかげで無事に終えられた。それにしても明日の日本ダービーは超重馬場で、レースが結構荒れるのではなかろうか。
ところで昨日の深夜はNHKBSでチュニジア革命のドキュメンタリーが放送されて、市民側と前大統領側とがフェイスブックの利用をめぐって熾烈な争いを展開した模様を大変に面白く見たのだけれど、フランスからの独立を勝ち取ったチュニジア市民は国歌を歌いながら大統領の追放を求めるわけで、それがちっとも矛盾しないことに、「君が代」に対するアレルギーのある人も少なくない日本人としては、何とも羨ましいような気持ちにさえなった。つまり市民革命があれば民主主義が自然な形で育まれるというわけで、その点において日本は近代国家としての成り立ちがやや特異であることを改めて感じざるを得ないのだった。
もっとも日本の暮らしがチュニジアより劣るともいえないわけで、革命を起こすほどの酷い状態ではないことに大方は満足しているのだろうし、思いきって国外に追放しなくてはならないほどの強い権力者がいるわけでもないところに、むしろこの国の問題があったりするのかもしれない。
要は責任が取れるほどの人物が常に存在しないまま色んな出来事を引き起こすこの国の不思議さは、第2次大戦の敗北を「一億総懺悔」というコトバで片づけたことに象徴されている。その点、気質が似ているといわれながらも、ナチの追及を徹底的に行ってきたドイツとは180度違うのである。だからこそ今もって世界の信用が勝ち得られないのだけれど、国内的に不思議と許されてしまうのは、こんな弱っちい人に責任を取らせるなんて無理だし気の毒だよね~と思ってしまうような人がよくトップとして姿を現すからである。組織は破綻する直前にわざとそういう人をトップに選ぶのではないかと私が勘ぐり始めたのは、トヨタの創業家帰りではなく山一證券が自主廃業した時なのだが、考えてみればそれ以前に、この国トップは常にリーダー的な存在ではなかったという事実を忘れるわけにはいかない。つまり権力中枢の空洞化と、無責任体質とは表裏一体であり、国内的にはそれでなんとか巧く回ってきたようなところもあるわけで、一概に否定もしきれないとはいえ、グローバルな時代には致命的な欠陥となるから、今後のためにも責任者を追及するという態度はしっかり身につけるべきだろうと思うのだった。で、とにかく個人としては、決して感情的にならずにしっかりとした情報収集をした上で、理屈の通った責任追及をしたいのだけれど、正確な情報を得ようにも、この国のジャーナリズムや既成のマスメディアは非常に扇情的で、且つひょっとしたら報道してる人たちがホントに感情的になってるのかも?と疑うくらい頼りない存在であることは確かに大問題であります(-_-;)
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コメント (1)
一夜にして56%減という、ベラルーシの通貨の切り下げも驚きでした。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/201105240000
世界には、独裁国家は本当にいっぱいあるんですね。
最近は、「いろいろと備蓄した方がいい」というようなお話もよく聞きますし。生きていくのが大変な世の中に、どんどんなっているようで、なんだか恐ろしいです。
投稿者 虎ファン : 2011年05月29日 01:28