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2011年05月18日
なべ家&お茶
お昼は恒例となった「小説新潮」の仕事で大塚の「なべ家」にて会食。写真右下の味噌汁に入っている半平は「なべ家」さんの自家製でなく日本橋の「神茂」製だという話で、「いえね、神茂が今も半平を作れるのかどうか、つい気になって行っちゃったんですよ」とご主人の福田さんが仰言って、最初は何のことだかわからなかったが、「ああ、そうか、材料ですね」「ええ、三陸のサメはこれからも捕れるんですかねえ」と心配そうな福田さん。「今年は牡蠣が食べられないとは聞いてますけどねえ」と私。とにかく、津波の被害だけでも深刻なのに、原発事故まで重なったから、料理店は今後の仕入れが何かと大変だろうと思う。放射能値の測定は各店や市場でやるのは大変だから、恐らく水揚げした漁港で一斉に行うしかないだろうというような話にもなった。まさに日本の食文化が危機に瀕した感じで、この連載のスタート時にはおよそ考えもつかないような深刻な事態が、わずか一年足らずの間に生じたということなのである。
大塚から向かった先は麹町のお茶の稽古場で、今日はかなり早めに行ったので、いつもとは違う方とお会いして、地震後の東京の様子が何かと話題になった。先日銀座に行って、街があまりも暗いのでビックリしたし、お祭りも花火も被災地では開催されるのに、東京が取り止めにするというのがとてもフシギだという話を私がしたら、お弟子さんの中にある神社の方がおいでになって、「うちの夏祭りも取り止めにさせられました」と仰言るので、「ええっ!!それってどういうことですか???」と訊かずにはいられなかった。で、その方にご迷惑がかかっても困るのでここに書くのは控えるが、なるほど各地でお祭りが取り止めになっちゃうのはそういう事情があったりするんだ~と妙に納得した次第。お祭りはともかく、家から出るのが怖いと仰言る方もいらして、どうやら直下型大地震を異常に警戒なさってるようなのだけれど、いくら87%の確立といわれても、30年間ずっとビクビクして暮らすのもシンドイ話ではなかろうか。
私なんかは、別に地震がなくても、放射能を浴びなくても、自分は必ずいつかは死ぬことに決まってるし、そのことは自粛しようがしまいが、どんなに気をつけようが、努力をしようが、お金を積もうが、知識を持とうが、誰もが絶対に避けられない道なのだから、それなら人間は死ぬまでにやれることを目一杯して死んじゃうほうがお得だ!!!と昔から確信していたことに拍車がかかった感じで、震災前よりいっそう活動的になったような気がするくらいですが。
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コメント (1)
こんにちは。
わたしは別にむかしから確信していたわけではありませんが、「しっかり生きよう」という気持ちになりましたね、震災後から。「やらないで後悔するよりやって後悔した方がいい」なんて言葉も思い浮かびますし。
投稿者 ぱぐ : 2011年05月19日 14:46