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2011年05月03日

たいこどんどん

この時期、物書きにしろ演劇人にしろ、文字の力、舞台の力をどこかで信じていなければ仕事をするのは難しい。また読者にしろ観客にしろ、それをどこかで信じさせて欲しいと願うからこそ、書物に目を通し、劇場に足を運ぶのではなかろうか。シアターコクーン上演された井上ひさし作・蜷川幸雄演出の「たいこどんどん」は、その舞台の力というものを、震災後、初めて信じさせてくれたという点で、改めて井上蜷川コンビの底力を見せつけられた思いがする。それにしても、今この時期にこの作品を上演するのはとても偶然とは思えず、観客はいずれもそこに何か不思議な縁のようなものを感じるに違いない。自ら東北に生まれ東北の地をこよなく愛した故人井上ひさしの念が通じたようにも感じさせる。
舞台は江戸に始まるが、主人公である江戸っ子の若旦那と太鼓持ちのふたりは品川沖から漂流して、釜石を振り出しに奥州、出羽、越後すなわち東北地方を9年間も転々とするのだ。井上作品にはデビュー戯曲「日本人のへそ」のように、地方人が東京や江戸を漂流して翻弄されるタイプの作劇はまま見られるが,逆バージョンはこれと「雨」くらいだろうか。この作品の場合、全くノーテンキな江戸っ子たちが東北人に同一パターンで何度も何度もしてやられるというのがスラプスティック風のおかしさを生み、これに江戸っ子らしい言葉遊びと猥語や方言の氾濫が輪をかけて哄笑を呼ぶ。主人公のふたりは次々とんでもない目に遭い、悲惨この上ない境遇に落ちてゆくにもかかわらず、笑いがどんどんエスカレートするのも井上作品ならではの持ち味だろう。故人の作品にはいわゆるヒューマニズムだけではない、どこか人間に対して冷めて突き放した眼差しが必ず感じられて、そのことで私はかねがね人形浄瑠璃の優れた作家と同質の印象を受けていた。すなわち役者を活かすというより、役者を作家の思念の伝達役にするメディアっぽい演劇ではなかろうかという認識である。
それゆえセリフの量が膨大で、且つまたそれを全部きっちり発声しないと笑いを生まないという、生身の役者に要求するのはとても過酷な戯曲であるのも毎度のことで、それだけでイッパイイッパイになると役者は作家の伝達役されてしまうから、井上作品をこなす役者は大変なわりに損なのだけれど、今回は若旦那役の中村橋之助にしろ、太鼓持ちの古田新太にしろ、余裕たっぷりとはいわないまでも、役者としてのふくらみを喪わずに、しっかりと「芸」を発揮していた点が大いに評価できる。ことに橋之助は歌舞伎役者の身体性を活かし、江戸の若旦那が現代に生きてあるかのごとく蘇らせ、まるでハメ書きしたような当たり役だといってもいい。ハッシーの他流試合の中でも出色の舞台であると断言できる。
鈴木京香はヒロインながらに相当な汚れ役で意外なほど度胸のある演技を堂々と披露したし、瑳川哲朗や六平直政ら蜷川チームのメンバーがいずれも舞台を大いに盛り上げて、3時間半以上に及ぶ芝居を全く飽きさせずに見せてくれたのは、今回それぞれの役作りがいつにまして「芸」の発揮を意識した取り組みだったことによるものかと思われる。大門伍朗や立石涼子も改めて芸達者ぶりを証明する恰好だった。
かくして爆笑が相次ぐ舞台のラストで、しかしながら、私はなんと思いがけず涙をこぼさずにはいられなかったのである。ネタバレになるので詳述は避けるが、主人公ふたりが9年ぶりにようやく戻って来た江戸はもはや江戸ではなく、東京と名を変えていた。ここから日本は変わる!という大合唱の中で、オープニングと同じ装置が登場した時、アッやられた!!!という感じで、それはまさに演出家がだれよりも勝利した瞬間だった。
江戸が東京に変わった時から、日本は西洋に追いつけ追い越せでどんどんと変わっていったこと、そしてその行き着く先が一体なんだったのかを図らずも知ってしまった今日、この舞台のラストを見れば、誰しもなんともいえない気持ちに襲われるだろう。これは世界のニナガワが今の日本に送るメッセージと受け取っていいのかもしれない。


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コメント (1)


『仲蔵狂乱』以来のファンです。芝居も好きでブログも楽しみに読ませていただいています。井上ひさしの芝居も好きで、できるだけ観るようにしているのですが、幸せなことに「たいこどんどん」の初日チケットが手に入り、昨日名古屋から観に行きました。松井さんがおっしゃったようにラストで強烈な演出家のメッセージを感じ、鳥肌がたちました。これまでにはない初めての経験でした。笑いに満ちた芝居で、泣いた場面はなかったのに、最後の瞬間に涙していました。全身で重力を受け止めさせられた思いです。35年前に書かれた脚本がまさにこの瞬間に生きる。芝居の力の強さを再認識しました。忘れられない観劇になりました。ブログを拝読して、コメントをせずにはいられませんでした。

投稿者 Y.K : 2011年05月04日 00:14

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