トップページ > 2011年05月の月別アーカイブ

2011年04月 |メイン| 2011年06月

2011年05月01日

オフ会参加に多数のご応募 厚く御礼申しあげます

昨日が〆切りだったオフ会参加の申し込みに、なんと80名以上!!!の方のご応募を戴き、まずは厚く御礼を申しあげますm(_ _)m南は九州や四国から、北は被災地となった仙台や気仙沼からもお申し込みを戴いて、これはもう作家冥利に尽きるとしか言いようがありません。
こうした時期だけに、当初は20人もお集まり戴けたら御の字で、多くなっても30人ほどではなかろうかとの見込みで会場を決めたものの、会場のスペースは十分あるし、会費を義援金にすることを考えれば、なるべく多くの方にご参加いただきたい気もして、お申し込みが30件を超えた時点でも敢えて〆切りにはせず、50名くらいまでなら、オフ会としては少し人数が多すぎるものの、時間延長で対処するか、あるいは2部制にするようなことも考慮してはおりました。しかしながら、それをも遙かに上回る人数のご応募は、嬉しい誤算ながら、実際問題、遠方からわざわざおいで戴く方々に、来た甲斐がそれなりにあったと思ってもらえるようなオフ会にするのはかなり難しい気がしております。また本来このオフ会は、私の作品について皆様から色々とご意見を頂戴し、今後の作品を書く上で参考にさせて戴くつもりだったのですが、人数があまりに多すぎては、そういう場としても成立しにくいのが残念です。
2部制にした場合、会場の関係で、1部は1時間半くらいになってしまうので、50名くらいまでなら3時間か3時間半ほどに延長して、1時間ほどは私が何かお喋りをし、あとの2時間で皆様おひとりおひとりのご意見やご質問を受けつけるという形にしようと思っていたのですが、80名だと全員の着席ができないためにまるで立食パーティーのような形で会場の雰囲気が拡散するでしょうし、それを避けるためには、いっそ講演みたいにするしかなさそうです。40名ずつ2部に分けても、各1時間半ずつでは時間が短すぎてやはり物足りないとお感じになる方がいらっしゃるような気もします。
そんなわけで、折角ご応募戴いた方にはやはり全員ご参加戴いたほうがよいのか、それとも抽籤のような形を取らせて戴いたほうがいいのか、私自身かなり迷うところではありますが、皆様のご予定もあることなので、近々に決定してお知らせ申しあげます。
いずれにしても、ご参加願う方には質問や、私に喋らせたいことなどを事前にメールで頂戴するなどして、
会の進行を速やかにすべく心がけるつもりですので、その点もまたご協力のほど何とぞよそしくお願い申しあげますm(_ _)m


コメント(3)

できれば全員参加させてもらいたいのですが、八十名は多すぎるような気がします。遠方の人などは、今回で、近辺の人は改めて別の日をセッティングすることは無理でしょうか? 
 前回抽選になるかもと書き込みましたが、抽選になると悲しいなとその後何度も思ったので、多分他の方もとても悲しく思うだろうと考えていました。
 ただ、それだと今朝子様の負担が大きいのでもしも無理でしたら諦めます。
 会費が三千円というのも、もう少し高くてもいいのではないかと思っています。他の方が負担に思うなら、申し訳ないのですが、五千円くらいがよいのではないかと思っています。

投稿者 nao : 2011年05月01日 23:55

きゃー!今頃オフ会のお知らせが右上にあるのを知りました・・・楽しみにしていただけに、残念でっす。またの機会をお待ちしています。

投稿者 はっち : 2011年05月02日 20:05

オフ会というのは初めてですが、80名以上応募があったのは予想通りで、講演会みたいなものかな、と思ってました。抽選になるかもしれないのでしょうか。震災ショックにペットロスが加わり、落ち込んでるので、余計に楽しみにしているのですが……。
著作の愛読者は勿論ですが、それほど作品に親しんでなくても、今朝子さんの潔さ、心意気に感じる方達が大勢いるのでは、と推察します。私のように、(見習いたいけど、そうも出来ず……)というファンが大勢、いるのはないでしょうか。今回の企画も、会費は義援金になり、サイン入り著書がお土産とは、なんて素晴らしい!と感激でした。抽選だと、外れると哀しいし、書き込みした回数に応じて、抽選ポイントを増やして欲しい……などと、姑息なことまで考えてしまいました。どうなるのか、ドキドキです。

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月02日 22:46



2011年05月03日

たいこどんどん

この時期、物書きにしろ演劇人にしろ、文字の力、舞台の力をどこかで信じていなければ仕事をするのは難しい。また読者にしろ観客にしろ、それをどこかで信じさせて欲しいと願うからこそ、書物に目を通し、劇場に足を運ぶのではなかろうか。シアターコクーン上演された井上ひさし作・蜷川幸雄演出の「たいこどんどん」は、その舞台の力というものを、震災後、初めて信じさせてくれたという点で、改めて井上蜷川コンビの底力を見せつけられた思いがする。それにしても、今この時期にこの作品を上演するのはとても偶然とは思えず、観客はいずれもそこに何か不思議な縁のようなものを感じるに違いない。自ら東北に生まれ東北の地をこよなく愛した故人井上ひさしの念が通じたようにも感じさせる。
舞台は江戸に始まるが、主人公である江戸っ子の若旦那と太鼓持ちのふたりは品川沖から漂流して、釜石を振り出しに奥州、出羽、越後すなわち東北地方を9年間も転々とするのだ。井上作品にはデビュー戯曲「日本人のへそ」のように、地方人が東京や江戸を漂流して翻弄されるタイプの作劇はまま見られるが,逆バージョンはこれと「雨」くらいだろうか。この作品の場合、全くノーテンキな江戸っ子たちが東北人に同一パターンで何度も何度もしてやられるというのがスラプスティック風のおかしさを生み、これに江戸っ子らしい言葉遊びと猥語や方言の氾濫が輪をかけて哄笑を呼ぶ。主人公のふたりは次々とんでもない目に遭い、悲惨この上ない境遇に落ちてゆくにもかかわらず、笑いがどんどんエスカレートするのも井上作品ならではの持ち味だろう。故人の作品にはいわゆるヒューマニズムだけではない、どこか人間に対して冷めて突き放した眼差しが必ず感じられて、そのことで私はかねがね人形浄瑠璃の優れた作家と同質の印象を受けていた。すなわち役者を活かすというより、役者を作家の思念の伝達役にするメディアっぽい演劇ではなかろうかという認識である。
それゆえセリフの量が膨大で、且つまたそれを全部きっちり発声しないと笑いを生まないという、生身の役者に要求するのはとても過酷な戯曲であるのも毎度のことで、それだけでイッパイイッパイになると役者は作家の伝達役されてしまうから、井上作品をこなす役者は大変なわりに損なのだけれど、今回は若旦那役の中村橋之助にしろ、太鼓持ちの古田新太にしろ、余裕たっぷりとはいわないまでも、役者としてのふくらみを喪わずに、しっかりと「芸」を発揮していた点が大いに評価できる。ことに橋之助は歌舞伎役者の身体性を活かし、江戸の若旦那が現代に生きてあるかのごとく蘇らせ、まるでハメ書きしたような当たり役だといってもいい。ハッシーの他流試合の中でも出色の舞台であると断言できる。
鈴木京香はヒロインながらに相当な汚れ役で意外なほど度胸のある演技を堂々と披露したし、瑳川哲朗や六平直政ら蜷川チームのメンバーがいずれも舞台を大いに盛り上げて、3時間半以上に及ぶ芝居を全く飽きさせずに見せてくれたのは、今回それぞれの役作りがいつにまして「芸」の発揮を意識した取り組みだったことによるものかと思われる。大門伍朗や立石涼子も改めて芸達者ぶりを証明する恰好だった。
かくして爆笑が相次ぐ舞台のラストで、しかしながら、私はなんと思いがけず涙をこぼさずにはいられなかったのである。ネタバレになるので詳述は避けるが、主人公ふたりが9年ぶりにようやく戻って来た江戸はもはや江戸ではなく、東京と名を変えていた。ここから日本は変わる!という大合唱の中で、オープニングと同じ装置が登場した時、アッやられた!!!という感じで、それはまさに演出家がだれよりも勝利した瞬間だった。
江戸が東京に変わった時から、日本は西洋に追いつけ追い越せでどんどんと変わっていったこと、そしてその行き着く先が一体なんだったのかを図らずも知ってしまった今日、この舞台のラストを見れば、誰しもなんともいえない気持ちに襲われるだろう。これは世界のニナガワが今の日本に送るメッセージと受け取っていいのかもしれない。


コメント(1)

『仲蔵狂乱』以来のファンです。芝居も好きでブログも楽しみに読ませていただいています。井上ひさしの芝居も好きで、できるだけ観るようにしているのですが、幸せなことに「たいこどんどん」の初日チケットが手に入り、昨日名古屋から観に行きました。松井さんがおっしゃったようにラストで強烈な演出家のメッセージを感じ、鳥肌がたちました。これまでにはない初めての経験でした。笑いに満ちた芝居で、泣いた場面はなかったのに、最後の瞬間に涙していました。全身で重力を受け止めさせられた思いです。35年前に書かれた脚本がまさにこの瞬間に生きる。芝居の力の強さを再認識しました。忘れられない観劇になりました。ブログを拝読して、コメントをせずにはいられませんでした。

投稿者 Y.K : 2011年05月04日 00:14



2011年05月03日

ホースショー&うどん

今日はお昼に馬事公苑で翻訳家の松岡和子さんとお会いして、20日に出発する北海道釧路外乗ツアーのスケジュールを伺いながらホースショーを観戦(写真は大障害レースの馬が跳んだ瞬間)。夕方には恵比須で元米朝事務所の大島さん、スラッシュの守部さん、進藤さんとお会いして「うどん山長」で会食。この店はうどんも美味しいが、おつまみになる一品料理もそこそこイケルのでオススメ。4人が揃って会うのは久々で、しかも震災後初めてとあって勢い話は震災当日の話になった。一番ショックが大きかったのは大島さんで、昔から夥しい数のガラス製品を蒐集していた彼女は引っ越しの際に大量に処分し、「いいものだけ取っといたのよ。それがみんなパアよ」とのこと。棚から全部落下して粉みじんに散乱し、文字通り足の踏み場が無くなって一時的に他家へ避難を余儀なくされたことよりも、目の前で物がガラガラ崩れていくさまを見せられたことの衝撃が強かったようである。馬事公苑から恵比須に向かう途中、三軒茶屋で行きつけだったブティックをこれまた久々に訪ねたら、店のオーナーは世田谷通りが大きく波打って、止まった自動車が互いに揉み合うような状態になったのが非常にショックだったとのことだから、三茶や目黒も思いのほか揺れたらしいのである。
ところで渋谷→馬事公苑→恵比須と移動する間に、幻冬舎のヒメとケータイで連絡を取り合い、オフ会に関しては、会場の変更も考慮に入れて、なんとかご応募くださった方全員にご参加願えるようにできないかどうかの相談を重ねた。結果は明日ご報告します。


コメント(2)

渋谷の隣のえびすは恵比寿です。

投稿者 ともこ : 2011年05月04日 11:53

失礼しました。紙面でいうなら完全な誤植です(^^ゞ

投稿者 今朝子 : 2011年05月04日 12:09



2011年05月04日

オフ会参加お申し込みの皆様にお願い

その後キャンセルや重複がありまして、オフ会参加にお申し込みの方はちょうど80名となり、全員にご参加いただけるよう、急きょ会場を変更することにしました。現在銀座と新橋の店が候補に挙がっていて、決定次第ホームページ右欄にお知らせ致します。会費は勿論そのままです。
なにしろ当初考えていたように小人数で気楽な歓談にダラ~っと時を過ごすというふうにはできないため、一応時間を延長して、最初の1時間くらいは会食中に私が何本かの作品に関するメイキングエピソード風のお話をして、あとの2時間は皆様のご質問やご意見をお伺いするようにしたいと考えておりますが、限られた時間を有効に使うため、これだけは絶対に訊きたい!!!というようなご質問や、この話は必ずしてくれ!!!というようなご要望を予め伺っておきたいと存じます。なので、もしご要望があれば、もう一度申し込み欄の余白に書き込みをよろしくお願いいたしますm(_ _)m


コメント(1)

オフ会、全員参加できることになって、とてもうれしいです!時間も延びて、3時間もタップリお話が聞けるとは、ファンとしては何よりの喜びです。これから質問やリクエスト等、考えますので。
「たいこどんどん」、ブログを読んで、観たくなり、即、切符を買いましたが、完売間近で、ギリギリでした。

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月05日 20:42



2011年05月05日

おでん

今日は妙に寒いのでこのメニュー。
みどりの日も、子供の日も関係なく私が仕事モードだったのは、週明けに講演の仕事で大分に行き、20日から22日にかけて北海道で外乗ツアーするからだが、ちょうどその時期に開催される三社祭の御輿渡御が戦後初めて中止になったというニュースにはちょっとビックリだった。
私は東京生まれでもなければ、特にお祭り好きというわけでもないので、この問題については別に口を挟まなくてもいいようなものだけれど、震災直後の神田祭が中止になったのは、ムードとしてなんとなく理解できなくもなかったが、三社祭まで中止になっちゃったら、ドミノ的に山王祭も心配される。
それにしても、東京人が今回の震災で異様なまでの自粛ムードになっているのは、阪神大震災を経験した関西人には理解できにくいことではなかろうか。もっとも福島原発事故もからんで、首都圏の人びとには自責の念というほどでなくとも、後ろめたい気分があることを認めなくてはなるまい。また巨大余震の首都圏直撃も危惧される中で、不特定多数の群衆ができるのをなるべく避けたいとする思惑が都庁内にあって、自粛よりもその理由のほうが大きいのかもしれず、祭礼執行委員的な人びとがそうした都庁の意を受けるかたちで何かと中止にしちゃうのだろうと思われる。
ところで 関西人は何かとお上に逆らう気質があるのに対して、東京人は逆に何やら過剰なまでにまでお上の意を体するようなところがあるのは、江戸の昔から少しも変わらないのかも?と思われたのは、先月たまたま天保の改革の資料を読んだ時である。天保の改革では、お上が町人の贅沢にめちゃめちゃ難癖をつけるのだが、その中に初物として賞翫される早生のナスやキュウリの売買を禁じたお触れがあり、よくぞまあこんな細かいことにまでケチをつけるもんだと呆れたのだけれど、そのお触れが出ると江戸の町人は新生姜の売買まで自粛しちゃったらしく、これに対してお上は、新生姜は別に初物というわけでもないので積極的に売買するように促すお触れを再度出したのだからおかしい。三社祭中止のニュースでなんとなくそのことを想いだしてしまった。むろん過剰に反応したほうがいい場合もあるのは確かだし、今回の原発事故に関していえば、現段階で関東から関西に移住するというような反応をする必要はないと思うが、日本の原発を今後どうするかの問題については国民がもっと過剰反応をして、国家としての具体的なプランを提示するよう政府に要求してもいいように思われる。


コメント(1)

江戸から東京に移ってもう大分経つというに、まだまだ裃文化なのでしょうか。
関西には霞ヶ関組が無いからでしょうね。官僚というと地方組織の府庁か、直轄で国税局、裁判所くらいしか思い浮かびませんから。
東京は官僚人口が多いからその家族もたくさんいて、反権力姿勢をとらないのでしょう。
だから関西人から東京人を見るたびに「おとなしぃすぎる、ようまぁ、黙ってられるな」と思いますもん。
松井センセは東京暮らしがもう随分とお長いそうですが、日々違和感を感じはる事がおありなのでは?
注文するわけではないですが、又その辺の所を追々ブログでご披露くださいましたら、
うれしゅう感じまする。よろしければ。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月05日 21:53



2011年05月06日

アサリとキャベツの酒蒸し、カボチャのそぼろ煮

近所のスーパーで今日のお買い得商品が熊本産のアサリだったのでこのメニュー。ほかにスナップエンドウも加えた。
NHK7時のニュースを見ながら食べていたら、画面が急に菅総理の記者会見に切り替わって、浜岡原発の停止要請が正式発表された。ああ、この人はいつもこういうやり方をするからパフォーマンス過多といわれるんだよな~と思う一方で、久々に市民派ぶりを発揮して、現段階で、とにかく停止要請を決断したのはひとまず可とすべきだろう。
それにしても浜岡原発だけに停止要請を出した理由について、東海地震の起きる確立が30年以内に87パーセントで非常に切迫しているからだと、一国の総理に真顔で言われると、ひょっとしたら明日にでも起きるんじゃないかと思って背筋がぞくぞくした。ただでさえ沈滞ムードの関東に加えて、さらに東海地方を萎縮させることや、海外投資家への悪影響も懸念される。
ともあれ法的拘束力のない要請では中電側に一蹴されてもやむなしとはいえ、もしそんなことをしたら中電側も地域住民や原発反対派の怒りを買って,無事では済むまいから、これでまあ意外に早く停止の道が拓かれたと考えてもよかろう。この問題は従来の根回し的なやり方だと一向に埒が明かない恐れもあったので、人気取りであれ何であれ、案外スタンドプレー的なやり方が功を奏すのかもしれない。
ただし、これを書いている時点ではまだ中電側が要請を呑むかどうかの回答は出ておりませんが……。


コメント(2)

誰からも何も期待されず、四面楚歌の管首相に、乾坤一擲の大勝負をさせたのは、
失敗続きのパフォーマンス演出家、管伸子夫人かもしれません。

定見無く雰囲気に流され易い、「洞ヶ峠」川勝知事も素早く「英断」と言っていますし、
元女優木内みどりさんは、夫の水野誠一氏が一人で走り回ったおかげだとtwitterで祝福しています。
いろんな人の思惑や感情が交錯した今宵は、素直に喜びたい夜でした。こんな時は、お酒が飲めたらなぁと思います。

投稿者 waysea : 2011年05月06日 23:47

 オフ会を全員参加にして下さってありがとうございます。着るものは普段着だといけないのかな?など、どきどきわくわくしています。
 今日の献立は旬のアサリですね。首都圏でお目に掛かるのはだいたい浜名湖産か熊本産ですが、私の郷里の高知産のアサリは自慢になりますが、もっと味が深いです。料理の腕が私には乏しいのでこちらで手に入るアサリではいつも何か違う。アサリのうまみが引き出せないと送って貰ったら確実に味が違いました。機会があれば今朝子様に召し上がっていただいて、ご感想をいただけると嬉しいです。ただ、送って貰うと庶民的な値段のものが送料込みで考えると馬鹿に高級品になってしまいました。今朝子様は料理の腕があるので、チャンスのあるときに試していただけると嬉しいです。多分旅に行って自炊する機会があれば可能性があるくらいのはかない可能性ですけれども。
 話は変わりますが、管総理の浜岡原発の停止は、たとえ一基でも停止できるといいなと思います。単なるパフォーマンスに終わらせず、少しずつ原発を減らしていく実績になる一石になってほしいです。 
 海外投資家は、小利に動いて大利を逃すと思いたいです。

投稿者 nao : 2011年05月07日 01:36



2011年05月07日

来週の土曜日はオフ会!

早くも来週の土曜日にはオフ会を催しますので、お申し込みくださった皆様は何とぞご参加くださいますように。こちらの用意もございますので、キャンセルの場合は右上欄の参加申し込みフォームにその旨をご入力ください。
会場と開始時間の変更は、週明けにでも右上欄に追加訂正させて戴きますが、皆様のご予定もあることですので、あらかじめ今日のブログでもお知らせしておきます。
開始時間を1時間早めて13:00開宴16:00終宴。
会場はJR有楽町駅(東京駅の隣の駅)から徒歩1分の「バリハイ銀座」というエスニックレストランで、時間帯を考慮して、軽食を取りながらのオフ会と致します。
ロケーションの良さで選んだ店ですが、料理も美味しいとのことで、このブログのオフ会の場合その点は肝腎なところかもしれません(笑)。
「バリハイ銀座」のサイトは下記の通り
http://www.balihai.jp/ginza/
なお当日は皆様のご質問やご意見を多数賜りたく存じますが、質疑応答のスピードアップを図るために、これだけはゼッタイ訊きたいという質問等がございましたら、別に作品についての質問でなくても結構ですので、あらかじめ申し込みフォームにお書き込みくださいますよう再度お願い申しあげますm(_ _)m


コメント(2)

書き込みしようとブログを開いたら、オフ会の詳細が!会費は義援金になり、お土産も頂けるなのに、こんな食事会とは!すごく嬉しいですが、良いのでしょうか?!エスニック料理は大好きで、一時期、エスニック食材輸入にも携わり、昨年末はベトナムで美味しいモノを食べて来ましたし、一層、楽しみになりました。
さて、ブログに出て来る度、大宮氷川神社に興味津々でしたが、大宮公園内の「和宮と中仙道」展が今週限りと知り、やっと行って来ました。想像以上に長くて広い参道は実に見事で、新宿から30分の地とは信じがたく、境内も広々として清々しく、<武蔵一宮>を実感しました。池では亀が沢山泳いだり、甲羅干ししてましたし、真夏でも木立におおわれて涼しそうだし、近所にこれだけ素晴らしい所があったら、ご案内したくなるのは当然ですね。参道の茶店のみたらし団子も、きっぱり生醤油でコシがあり、公園で鳥の声を聞きながら、おいしく頂きました。
本展では、「和宮御留」などで読んだお輿入れを思い出し、衣装や食器、細々した愛らしい玩具類、本陣で出された食事の再現など、身近に感じられて、興味深かったです。そこで見た展覧会ポスターの中に「町奉行与力の風流な生活 ー 橘千陰の場合」がありました。これ、あの方のモデル?ですよね。場所は三軒茶屋の昭和女子大内の博物館で入場無料。町奉行与力という職業、時代小説にはよく出て来るし、行こうと思っています。(長くなって、恐縮です。)

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月07日 20:39

生まれて初めてオフ会なるものに参加と楽しみにしていましたが残念ながら行けなくなりました。午前中に用事があり14時開催なら間に合うなと思っていましたが13時とのこと。長くなったのは嬉しいのですが何と・・・予定の入れ方が甘かったです反省。次回是非開催してください。

投稿者 sachi : 2011年05月09日 12:32



2011年05月08日

おこわ弁当、生春巻き

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
 今日は夕方1鞍乗っただけで汗びっしょりで、突然の夏到来!!にカラダがついて行けません。明日は大分入りで、現地はなんと29度という真夏状態。再来週に行く北海道はまだ9度とかなので、本当に大丈夫なんだろうか (-_-;)
ところでついていけないといえば、今週のニュースでちょっとついていけない感じだったのは、ビンラディンの射殺に沸く米国民の姿だった。彼らにとって9.11がどの程度の衝撃だったのかを肌身に感じることはできないだけに、安易に非難もできないのだけれど、やはり彼らは彼らの基準に照らして、文明化されざるものは「悪」だと断じきる自信に満ちているのだと思うしかなく、その自信が奈辺からもたらされるものなのかを、日本人はというよりも、アジア人は感覚的に理解できないのではなかろうかという気がした。ともあれ下手に生け捕りなんかしたらそれこそ奪還のために何をされるかわかったもんじゃないから射殺もやむなしと米政府は判断したのだし、このタイミングは明らかに大統領選を意識したものだと思われるだけに、報復テロは確実に阻止できる自信があっての上だろうけれど、これまた本当に大丈夫なんだろうか(-_-;
大分へは明朝出立し、10日深夜に帰宅予定。従ってブログは1日か2日お休みといたしますm(_ _)m
この時期の大分なら、晩ご飯はやっぱり城下カレイなんでしょうか?


コメント(2)

城下カレイに麦焼酎(3年もの)でしょう。(と、えらそうに言いました私も未だ名物のカレイを食べた事、無いです、ごめんなさい)
九州は焼酎文化圏ですので、日本酒を召し上がりたい時は、日本酒!とオーダーなさいますよう。
ただ単に酒!と言うと、焼酎が出てくる所ですからね(博多女の友人から仕入れた情報です)、松井センセ、お気を付けあそばせ。
楽しい旅になりますように、いってらっしゃいませ。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月08日 21:48

在米ですが、「ビンラディンが射殺された」と喜んでいる人を目にすることはありません。確かにテレビでは歓喜している人々を映していましたが、それは学期末試験が(ほとんど)終わって騒ぎたい学生に、ちょうど良い口実が見つかっただけではなかったのでしょうか。
アメリカに記者クラブはありませんが、偏重した報道が多いのは日本とさほど変わらないようです。

投稿者 CLB : 2011年05月10日 03:33



2011年05月10日

大分行~その1

連休明けの月曜日は朝10時台の便で羽田を出立し、正午頃に大分空港着。そこからすぐにバスで日出町に向かったのは今が旬の城下カレイを食べるためである。バス亭付近には今週末から始まる「城下カレイ祭り」の幟がはためいているものの、それを食べさせてくれる肝腎の料理屋が、すぐには見つからず、ようやく見つけた有名な「的山荘」は現在祭りの期間中のみの営業であるらしく、今はその準備中とのことだったので、やむなく「幸喜屋」で食事。ここは外観や食器等はえらく大衆的な感じの店だけれど、お値段的にもそこそこちゃんとした城下カレイのフルコースを出すし、刺身はわざわざ立ち寄った甲斐が十分あると思わせる美味しさだった。写真だとそこまでわからないが、刺身の表面は銀色にきらきら光って見えるくらいに活きが良いし、臭みは全くないし、歯ごたえの良さと甘みは美味しいフグ以上!!である。唐揚げも目板カレイより甘みが感じられ、ただし煮付けは甘辛くし過ぎた調理がせっかくの持ち味を損ねていた。
そもそも城下カレイとは、木下氏の築いた暘石(ようこく)城の下あたりから湧き出す清らかな淡水と海水の混じった汽水中に育つマコガレイのことであり、写真下段はその城跡から別府湾を望んだところで黄砂がなければ絶景に違いないと思われた。




2011年05月11日

大分行~その2

日出町から2両編成の電車で大分に向かい、駅に着いてまず目に入ったのはロータリー広場に立つ銅像だ。大分の有名人がなかなか浮かんでこなくて、戦国時代の大友宗麟くらいだよな~と思っていたら、ドンピシャその人だった。そうか、ここはバテレンの土地なんだ、だからお土産の銘菓がザビエルなんだと思いながらも、長崎のように隠れキリシタンがいたのかどうかは知らず、知り合いに大分県人がいないので、県民性が全くわからない。ただ道を訊いても、お店に入っても、皆さんとてもフレンドリーで親切だし、話しコトバに訛りがほとんど感じられない。また男性は九州男児のイメージをみごとに裏切って皆さん非常にやさしいのである。食事が美味しいのも意外なほどで、お昼に食べた城下カレイのフルコースはもとより、ホテルの近所にある「こつこつ庵」という郷土料理店で食べた関アジのお鮨、とり天、だんご汁、やせうま等どれも
やみつきになりそうだった。
ところで大分へは何もグルメしに行ったわけではなくて、トキハデパートという地元最大のデパートの75周年記念の呉服展示会でトークショーを2回したのだけれど、冒頭に、ここは食べ物や水が美味しいし、風光明媚だし、こんな土地に住んでいたらほかへ行こうという気にはあまりなれいでしょうねえと言ったら、皆様大きくうなずかれたのが印象的である。九州のほかの県人には誰か知り合いがいるのに、大分県人に今まで会わなかったのは、土地を離れる人が少ないのかもしれないという気がしたくらいである。大分のイメージが浮かびにくいのは、江戸時代に小藩に分けられて統治されていたからで、勢い大友宗麟にすがらざるを得ないのだという話を、あるご婦人からお聞かせ戴いて、これまたナルホドと納得した次第だ。
2回のトークショーの合間にデパート内を見てまわり、地下の食料品売り場を覗いたら、城下カレイや関サバ、関アジがふつうのサバやアジやカレイと並んで売られていて、いずれも値段が5倍くらいするのでビックリし、食ブランド力の凄さを見せつけられたものである。ほとんど同じ海域で捕れてるはずなのに、ホントそれほど味に差があるんだろうか???と大いに疑いつつ、帰りは空港でやっぱりふつうの5倍くらいする関アジの干物を買ってしまいました(^_^ゞ


コメント(9)

オフ会で伺いたい事を考えながら「今朝子の晩ごはん」シリーズを再読しており、QP、私も時々作るので、味を思い出したりしていると、結構、時間がかかりますが、質問を書こうとしたら、申し込みフォームが消えていて、長くなるので、書き込み欄だとはばかられるのですが……。

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月11日 10:01

以前、松井さんが静岡へ十返舎一九の講演にいらした時に中央公民館の職員だった者です。私が持参した単行本の「そろそろ旅に」にサインをお願いしたのですが、私の万年筆が具合が悪く、やっとサインをいただきました。
土曜日にお会いできることを大変楽しみにしております。
駿府静岡歴史楽会
シズオカ文化クラブほか会の活動をとおして駿府・静岡の宝を発掘し、全国へ発信したい。
今川と京文化 大航海時代の駿府 駿府と芸能 幕末の駿府など
松井さんに是非、書いていただきたいと思っております。
興味のある題材を教えてください。

投稿者 伊藤 彰 : 2011年05月11日 11:25

人生初のオフ会をとても楽しみにしていた一読者です。
叔母のお通夜と重なってしまい、残念ながらキャンセルのご連絡をさせていただきました。
この叔母は被災者で、先月道路が開通したのと同時にお見舞いに伺ったときはまだお元気でした。ところが肺炎を起こして入院、と一報が入ってから亡くなるまであっという間。
長引く避難所生活に、同じように体調を崩されている方たちのご苦労を思うとやりきれない気持ちでいっぱいになります。

会のご盛況をお祈り申し上げます。

投稿者 しゃん : 2011年05月11日 16:15

しゃん様へ

叔母様のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
映像で見ているだけでも、避難所暮らしの大変さは伝わってくるので、2ヶ月も経った今なお解決しないことに、私たちは具体的にどうして差しあげようもない無力感に苛まれてしまいます。

投稿者 今朝子 : 2011年05月11日 16:43

城下カレイのリポート、ありがとうございます。楽しく読みました。
淡白で、もちっとした感じと受け取りました、無理にフグ系に分類するとしたら、わさび醤油というよりポン酢にもみじ卸しが合いそうですね。
関アジもあったりして、グルメ王国なんですね。
松井センセが仰るとおり、親切な人が多かったのは、美味しいもんがあって、クチが満足してるからなんじゃないでしょうか。やはりおいしいもんは人を優しくするのですね。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月11日 16:52

オフ会、楽しみにしています。実は当日仕事で、スタートの13時には間に合わないのです。キャンセルは悲しいので遅れても行くつもりなのですが、大丈夫でしょうか。そーっと入ればご迷惑にならないでしょうか・・・。

投稿者 田村 永里 : 2011年05月11日 22:03

田村様へ
遅れても、どうぞご遠慮なく堂々と会場にお入りください。

投稿者 今朝子 : 2011年05月11日 22:54

いつも楽しく読ませていただいております。数年前にK社の雑誌で取材させていただきましたライターのマキノです。大分は私の生まれ故郷です。トキハデパート、こつこつ庵と、実家に帰った際に通っている店が出てきて嬉しくなりました。じつは、御出発前のブログを読み、大分市内なら「こつこつ庵」がおすすめです、とコメントさせていただこうかとも思ったのですが、あまりにもローカルかなあと思って結局、コメントを控えてしまったので、松井先生が実際に行かれたと知ったときは感激しました。ひげの店長のおじさんはお元気だったでしょうか。今年に入って帰っていないので、ちょっと帰りたくなってしまいました。長々とすみません。

投稿者 マキノ : 2011年05月12日 00:11

マキノ様へ
ホテルのガイドファイルを見て選んだのですが、本当に何を食べても美味しい店で、帰り際におじさんの似顔絵がプリントされた箸置きまで頂戴しました。

投稿者 今朝子 : 2011年05月12日 08:03



2011年05月11日

松花堂弁当

整体治療の帰りに大宮エキュートでゲット。
気温差が激しくて躰がついていけない人も多かろうと思うが、私はしっかり食べていながら、絶食後にまだイマイチ胃腸が整っていない感じだと寺門先生に訴えるのだから図々しい。
食べることといえば、震災後2月経った今日、三茶時代にとてもひいきにしていて、ブログ読者のアンケートでも気になる店NO1に輝いた燻製屋「ヌーベ」から、5月29日をもって閉店するというお知らせが届いたのはちょっとショックだった。
「私どもだけではないと思いますが、長引く不況や震災などヌーベを続けていく事が困難な状況になってしまいました」という文面で、こうした例は相当数あるものと思いつつも、実際によく利用していた店がなくなると改めて二次被害の深刻さに思い至る。震災直後はなんとか持ち堪えても、ここに来て限界点に達する企業や商店、働く人びとが続々とあらわれるのではないか。
被災地となればむろん深刻さの度合いが違ってはいても、震災直後はなんとか持ち堪えた体力や精神力がここに来て限界点に達する方も多かろうと思われ、遅々として進まぬ仮設住宅建設やガレキの撤去などをこちらはただ見守るしかないのがもどかしい限りである。


コメント(4)

著作を拝見してからお名前を見て、15年以上前に買った歌舞伎エンサイクロぺディアの人だ~!と最近気がつきました。

私も和種の馬での流鏑馬をやっているので、ブログでの乗馬の記事も楽しみにしております。一度和種に乗られるのもおすすめです。

オフ会申し込みをしてから特に確認メールなどはきてないのですが、希望者は全員参加できるということで当日行ってしまって大丈夫なのでしょうか。本人確認のため何か必要でしょうか。

小さい子がいるので午前中仕事の主人と子守バトンタッチしてから行くので開始時間より少し遅れてしまうかもしれません。

とても楽しみにしてるので当日熱でも出されてドタキャンにならないことを祈ります。

あとできれば当日うかがいたい話です。
長くなりますが質問フォームが消えてしまってたのでこちらに。

関東大震災で被災して、寝食に不自由した菊池寛が「我々文芸家にとって第一の打撃は、文芸ということが生死存亡の境においては、骨董書画などと同じように、無用の贅沢品であることを、マザマザと知ったことである」と書いてます。

一方で芥川龍之介は「芸術は生活の過剰だそうである……しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ……過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」と書いています。

今朝子さんは震災前震災後でこれからの作品の構想が大いに変わった点などありますか?またこういう時期の文化の力についてはどうお考えでしょうか。

私自身では今より子どもが小さくて自分の時間がほとんど皆無の時、夜寝る前のほんの15分ほどの読書の時間が楽しみでだいぶ救われたことがあります。

投稿者 まるい : 2011年05月12日 10:06

明後日のオフ会、楽しみにしております。ここに書かせていただくのも恐縮ですが、仕事のため、遅刻となってしまいます。大変申し訳ございません。必ずうかがいますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

投稿者 井上裕子 : 2011年05月12日 10:38

松井今朝子様
森彰英氏の「武智鉄二という芸術」についての森氏との対談を改めてお願いしたいと存じます。ご都合のよい日時を2、3あげていただけたらと存じます。よろしくお願いいたします。

投稿者 週刊読書人植田康夫 : 2011年05月12日 11:03

自分が贔屓にしていたお店が閉店になるほど悲しいものはありませんね。
それも原因が震災余波とあっちゃ、惜しいですね。
交際費が締められたせいなのか、それとも取引銀行が融資を渋りだしたせいで続けられなくなったのか。
なんかええお店ほど無くなっていってる気がします。
燻製屋のシェフが「空気のきれいな郊外で新スタートしよ」なんて思い立って松井センセの
お住まいの近くに引っ越してくるといいですね。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月12日 19:19



2011年05月12日

関アジの干物、おでん

おでんは近所のスーパーで買ったパック入り。関アジは言わずと知れた大分でゲットしたもので、とにかく見かけからしてリッパ!!!なアジである。大きいけれど大味ではなく冷凍の干物を焼いたわりにパサパサした感じや逆に水っぽい感じも全くないし、独特の風味もあって確かに美味しうございました。
先日米国FA社アーニー・ガンダーソン氏による福島原発事故の解説をYouTubeで聞いて3号機は臨界事故だったわけか?!という衝撃を受けたのだったが、今日のニュースでは1号機が完全にメルトダウンして今もだだ漏れ状態なのか?!という感じで、ああ、もう今のうちに好きな物をガンガン食べといたほうがいいかもという前向きな???判断をする私であった。
 そんなわけで次の機会を確約できない状況のなか、明後日のオフ会は希望者全員にご参加いただける形にしております。こちらからお一人お一人に確認はしませんが、申し込まれた方はキャンセルがない限りご参加いただけるものと信じておりますので、よろしくお願いしますm(_ _)m時間が早まって間に合わないという理由でキャンセルなさる方もおいでになりますが、お気が向いたら遅刻なさっても結構ですので堂々とご入場ください。また申し込みをされなかった方の飛び入りも歓迎いたします。なおキャンセルの場合は直前でも右上欄をクリックして書き込んでください。
尚お書き込み戴いたご質問についてはこちらもどう答えるかある程度考えてはおりますが、質問ぐるみ記憶はできないので、当日もう一度その場でご質問くださいますようお願いいたします。もちろん書き込みをなさらなかった場合でも、その場でご質問くだされば、できるだけ答えるよう努力いたします。


コメント(5)

 毎晩楽しみにしております。オフ会ですが 迷っているうちに申込期日が過ぎてしまいました。飛び込み参加okと暖かなお言葉に甘えまして参加させて頂きます。

投稿者 ちゃちゃ : 2011年05月13日 08:41

新幹線前線再開通しましたのにオフ会に行けなくて残念です。14日は、青森市の天田内地区で青森市の植樹会があり、植えて参ります。
私が今、考えていることは、自然に関する基礎研究を政治家に理解してもらうには、どうしたらよいだろうか、ということです。なぜ一番でないとダメなのか、なぜ2番ではダメなのか、と言った方が仕切っておられたようですが、特許だって2番煎じなど意味ないことから想像して戴けないものでしょうか。

自然、自然という風潮がありまして、人工はダメで自然はいい、みたいな思い込みがありますが、X線だって発見された時は人工放射線でしたけれど、やがて人工衛星が打ち上げられるようになりましたら、強力にX線を出している星(X線星)も宇宙研の小田稔博士の「すだれ型検出器」で突き止められましたし、太陽からだってX線が出ているなど、X線天文学が拓かれたのでした。
 原子炉だって、米国在住の日本人科学者、黒田和夫博士が、昔、まだウラン235(半減期 7億年)が今よりたくさん在った頃、雨でウラン235が自然に濃縮され、核分裂が起こって連鎖反応が続き、ウラン235が少なくなったら自然に収束する自然原子炉の可能性を理論的に予測されました(1956年)。1972年、アフリカのガボン共和国オクロ鉱山でフランスのグループが、地球上のウラン235濃度としては低いところがあり、核分裂生成元素も比較的近いところに存在している、ことを見出して、黒田博士の自然原子炉の考えが実証されました。でも日本人は「自然」原子炉とは言わず「天然」原子炉と言っているのが面白いと思います。
この原子炉は発電炉ではなく温泉のように水を温める熱源として穏やかに機能していました。日本人にとって「天然」は美しく穏やかであり、自然は、冷厳なものなのでしょうね。
この天然原子炉は、今様の爆弾経由の巨大技術としての原子力発電
とはまた別の在り方が示唆されているように思われてなりません。
日本のような火山国では、地熱と組み合わせた何か独創的な道があるように思われます。これは基礎研究の段階から発想法を180度転回してマイルド、小規模、ローカルな新技術確立が可能です。
松井さんは文系の方にしては、エネルギー問題に対し、稀に見る現実的、理性的対応をして下さっています。ありがたく思っております。影響力を行使して下さいますようお願い申し上げます。
はるか北国よりオフ会のご盛会を祈念しております。
青森県六ヶ所村armich

投稿者 armich : 2011年05月13日 13:09

六ヶ所村からのarmichさんのコメント、しっかり受け止めました。
明日お目にかかれないこと、とても残念です。
どうぞ息災で。

投稿者 Masque : 2011年05月13日 21:26

わーうれしい!飛び入りでもオッケーとのことですので、お言葉に甘えて参加させてくださいませ。とっても楽しみです。

投稿者 はっち : 2011年05月13日 22:55

今回は荒谷様にお目にかかれないのが残念ですが、とにかくご無事で何よりでした。近いうちに新幹線で青森を訪れたく存じておりますので、その際にでもお目にかかれたら幸いです。

投稿者 今朝子 : 2011年05月13日 23:24



2011年05月13日

だんご汁

大分空港でゲットしたキットに大根、人参、ゴボウ、鶏肉、油揚げ、三つ葉を加えただけでとても美味しくできた。京都の妹と一緒に食事。
妹は明日のオフ会を手伝いに来たのだが、新幹線が東京駅に近づいたところで「こんな高いビルばっかり建って、これがみんな倒れたらどうすんにゃろ思たら、コワ~なってしもた。これまで何回も東京に来てて、そんなこと思たんは初めてやけど、やっぱりなんか無理があるような気がしてきたわ」という。
思えばこの国は維新後も、戦後も、高度経済成長後も、色んなことでず~っと無理をし続けてきたようなところがあって、原発しかり、全国展開の空港や道路やハコモノしかり、「わたしら食べもん屋の娘に言わせたら280円のユッケも無理やでえ」てな話にまでなりましたが、そんなわけで、明日のオフ会はお互い無理がないようにして、しっかり楽しみましょう(^_^)/


コメント(5)

明日はお忙しいところを、宜しくお願いいたします。
右上を一回送信しただけの身でありながら、本当に伺っていいのか若干不安という方がざっと80人くらいいらっしゃる気がしますが(笑)。。
お世話になります。

参加申し込みした後に、高齢の母が亡くなり、その母から貰った、ぴあの『歌舞伎ワンダーランド』とNHK『極付歌舞伎謎解』を連れて行こうと思います。サイン狙いですが、人数多いので無理かなあ~。

投稿者 かぶきまま : 2011年05月14日 00:00

「たいこどんどん」、観てきたところです。オープニング音楽と舞台装置で、しょっぱなからウルウルしましたが、笑いながら、懐かしい気にさせられて(岩手出身なので)、最後はボロボロ泣けました。
さて、いよいよ明日に迫ったオフ会、お伺いしたいのは
* 集英社で「花伝書」シリーズの後、現代のバックステージ・ミステリー的なものを企画なさったはずで、今も活きていることを祈っています。戸板康二さんの雅楽シリーズは素晴らしく面白かったので、ぜひぜひ実現させて頂きたいです。
*連載中の小説は何本ありますか。(上のシリーズはもう、始まってるのでしょうか。)
*今度、京都に行った時には、思い切って「川上」に伺いたいと考えています。1人旅ですし、お昼なら行けそうですが、予算やどんな内容か教えていただけたら、うれしいです。

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月14日 00:18

いよいよ今日ですね!
コーフンして、あまりよく眠れませんでした。
こんなことは、いつからぶりでしょうか・・・。
同じような想いで今日銀座に向かわれる方も
いらっしゃるのだろうな・・・と、幸せな
気持ちに顔もゆるんでしまいます。
今日集まられた方々とのつながりが、
来られなかった方々ともつながれるように・・・
本日は、どうぞよろしくお願いいたします!

投稿者 彩の女 : 2011年05月14日 07:56

今日は伺えませんが、ご盛況をお祈りしています。
ファンの方々にとって楽しい時間になりますように。

投稿者 ぱぐ : 2011年05月14日 09:41

仲良きことは美しきかな、松井姉妹さんへ。いいですね、何かあるごとに助け合ったりして。
きょうだい仲がいいのが1番の親孝行ですもん。
かく言う私も買い物先で○○姉妹と言われてるくらいです、姉が18妹14、糸屋の娘・・・なんて花も恥じらうおトシころを、とっくの昔に過ぎてしまいましたが、まだつるんでおります。
ですので姉妹が集まれば、きゃぁきゃぁ政治経済からアホな事で盛り上がるのん、よ~うわかりまっせ。
ユッケの話、牛肉で280円なんてありえないですよね。私の姉が「牛で280円!そんな。どんなんやねん、だって、かしわ以下やないの、ええ~。怖すぎてよう食べへんわ」と絶叫してます。
安すぎるにご用心、ですよね。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月14日 14:15



2011年05月15日

オフ会

申し込みは80名でも、当然ながら何名様かのキャンセルが事前に入っており、かりに当日飛び込みの方があるとしても、なにしろHPの入力フォームに書き込まれただけなので、実際に来てくださる方は半分にも
満たないのではあるまいか…と思いきや、結果ふたを開けてみたら、なんと73名!!!もの方にご参加いただいたのは嬉しい驚きでした。おまけにほとんどが初対面の方なのに、ふしぎと旧知のような感じで私も調子に乗ってダラダラおしゃべりしているうちに、3時間があっという間に過ぎてしまい、一対一で話す機会を持てた方がごくわずかだったことで、多くの皆様には大変申し訳なく思っております。HP上にご質問戴きながら回答し忘れたこと、また花束や、羽二重団子や、亀の子せんべいや、フルーツジェリーを差し入れて下さった方には御礼を申しあげられなかったことをお詫び申しあげます。
こちらとしても本来もっと皆様のご意見をお伺いしたかったところで、自分のしゃべり過ぎでそれがあまりできなかったことには悔いがありますが、短編と長編なら圧倒的に多くの方が長編をご希望であること、また作品の時代設定に関して、江戸時代、江戸時代以前、近現代の3期に分けてお尋ねしたら、意外に多くの方が近現代をご希望になられたことなどは、今後の作品を構想する上で参考にさせて戴くことになろうかと存じます。
 とにかくこんな時期に、皆様よくぞお集まり戴けたと感謝するばかりで、頂戴した会費21万9千円は、全額あしなが育英会津波遺児への寄付とし、後日ブログ上に送金振替用紙の写真をUPしてご報告に代えさせて戴きます。また会場で撮った写真も近々HP上に公開するつもりですのでどうぞご期待ください。


コメント(14)

今日は感謝感激で、本当に有難うございました。
作品執筆の背景や編集者の方々、出版社との関係など、読者には分からないお話がどっさり聴けて、大変に興味深かったです。歌舞伎がらみのお話は、一言も聞き逃すまいと、恥ずかしながら、しゃしゃり出てしまいました。開催中の写楽展を見た直後で、今まで浮世絵はピンと来なかったのが、面白さが分ってきた所に「東洲しゃらくさし」の背景を伺い、今読み返したら、面白さがぐっと深まるはずです。
日頃ブログで感じられる、潔く、人間味あふれ、誠意のあるお人柄を、今日は肌で感じられた方が、私を含めて大勢いることと思います。
オフ会は最初で最後かもしれませんが、今回都合がつかず、残念に思ってる読者もいらっしゃるでしょうし、今後も、数年に1度でも、会費制で、こうした会を開いて頂けたら有難いのですが。今日は至福の午後で、参加できた幸せを深く感謝しています。

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月15日 01:07

震災後、心の中に重い石を抱いているような
鬱々、寒々とした気持ちでいましたが、
それでも気持ちを奮い立たせては、なんとか仕事をしていました。
松井さんのブログは仕事の合間に拝読していますが、
気持ちがぴしっとするので
一日中PCに向かって黙々と仕事をしている私には心の拠り所でした。
震災以降は特に。
今日のオフ会参加もとても心待ちにしていました。
お話も興味深く、大変面白かったです。
楽しいひと時でした。
ありがとうございました。

投稿者 天 : 2011年05月15日 02:06

本日は、どうもありがとうございました。
夢のような時間でした。
開場前にフライングしそうになり、受付の方にはご迷惑を
おかけました・・・申し訳ありませんでした。お恥ずかしい。
三時間はあっと言う間でした。
目の前で、今朝子さまがお話されている・・・!!!
という事実にドキドキ・・・
お話もとても興味深く拝聴させていただきました。
創作の際、大切にされていることが「リアリティ」と
いうことまでお話くださり、とてもうれしかったです。
語尾にまでこだわれ、追求されていらっしゃるからこその
作品の引力、魅力なのだと、納得しながら、聞いておりました。
サイン会は、お嫌いだと以前書いていらしたので、
またこうしてファンの方々と集まれるのか、わかりませんが
御同席頂いた初対面の方に、「また」と約束して別れました。
素敵なひとときを、本当にありがとうございました。
忘れられない、極上の一日になりました。

投稿者 彩の女 : 2011年05月15日 02:20

昨日はやはり少し遅れてしまいましたが、参加できて良かったです。隣に生後4ヶ月の赤ちゃんをお連れになった飛び込みの方がいらして、一気に緊張がほぐれました。また初期の担当編集者の方もいらして、なんだかうきうきした気持ちになりました。松井先生を間に挟んでああした出会いがあるってとても素敵ですね。だって全員が松井先生が好きっていう人ですよ。すごい。あの赤ちゃんもきっと松井先生のファンになってますよ、とっても良い子にしてましたもんね。またぜひこういう機会をつくってください。

投稿者 田村 永里 : 2011年05月15日 06:59

温かく柔らかなお声のお話が聴けて、文庫本もお土産に頂けてとても嬉しく幸せな貴重な時間でした。実際に会えたことで想像していた事通りだったりそれを上回ることだったり意外だったり。けれども、遅刻してご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 
 乗馬を始めたきっかけや作家になるいきさつなど全てのお話が楽しく興味深かったです。 
 素晴らしいオフ会でした。お忙しい中準備など色々と大変なのにこんな機会を頂いて、本当にありがとうございました。

投稿者 nao : 2011年05月15日 08:28

昨日はありがとうございました。スタッフの方々もありがとうございました。
松井さんの作品に対する思いや制作エピソードなど、大変楽しくうかがいました。またブログで名前のみ知っている方々にも、生でお会いできて感激し、三時間はアッという間に過ぎてしまいました。
今後の作品について松井さんから質問がありましたが、近現代を私が期待してしまったのは、直前の松井さんのお話で昭和七年頃の歌右衛門の話を書こうと思われていると聞いて、今までとは違う時代の作品もおもしろそうだと思った為でした。
松井さんの作品であれば、どんな時代のどんな人物が主人公の作品でも手に取ります。その一方で吉原物のシリーズ化を期待しています。おいらんだけではなく、名物幇間や茶屋の主人夫婦の話など、まだまだ物語を含んでいそうです・・・・。
次回のオフ会を期待しつつ、本当にありがとうございました。

投稿者 うだがわ : 2011年05月15日 11:31

昨日はあのような機会を設けてくださりありがとうございました。身近でなかなか同好の士がいないもので、全くの初対面なのに参加者の方とツーカーで話ができるのが不思議でありうれしかったです。

会費3千円でお食事してお話をうかがえて文庫本までいただけちゃっていいんでしょうかって感じです。

松井さんの飄々とした佇まいも予想していた通りの方だなぁと思いました。

今後の作品の時代についてその場では近現代かなぁと思って手を挙げたのですが、うちに帰ってきてよく考えてみると意外と平安時代とかも読んでみたいかなと思いました。

なかなか難しいのかもしれませんが、また次回のオフ会も期待してしまいます。

作品以外の乗馬のお話も楽しかったです。
そうそう、あの頭真っ白になる感じ一度味わうとやみつきになるんですよねと思いながら話をうかがってました。
私は主に和種に乗るのですが、木曽馬おすすめです。和種いいですよー。

投稿者 まるい : 2011年05月15日 18:17

 オフ会という貴重な機会に参加させていただき本当にありがとうございます。初めてお目にかかる参加者同士でも、松井ファンという共通項のおかげで、楽しく会話がはずみました。講演会とはまたひと味違う雰囲気のなかで、先生ご自身の口から、それぞれの作品の生まれた背景や、「直木賞待ち」の事や、乗馬のきっかけ、震災についてのお心持ちなど、貴重なお話の数々を拝聴でき、とても充実したひとときを過ごさせていただいて感謝しております。
 また本日は、このブログで触れていらしたnubeでAランチを頂きました。「甘えびの軽い薫製」の軽さ具合に感激。ほかの品々もみな、厚化粧でなく手入れのゆきとどいた素肌美人のようなきちんとしたお料理でやさしいお味。しかも内容に比して極めて良心的価格で、皆様が閉店を惜しまれるのももっともだと思いました。

投稿者 秋失気(しゅうしき) : 2011年05月15日 18:44

コメント入力欄に
URL(表示はされません):
とあったので入力しましたところ、あらら、表示はされなくても
リンクはされちゃうのですね。しまった。おはずかしいことで。
削除方法があったら教え下さいませ。

投稿者 秋失気 : 2011年05月15日 19:00

昨日は人生初のオフ会、初対面のみなさんと話のはずむこと、はずむこと、、、私のテーブルは見巧者の方ばかりで、う~んとうなる顔ぶれでした。今朝子さまは、しゅ~と姿勢よく、かっこよかったです。頭の回転のはやい、ほんとの意味ですごい方なんだなあと改めて、おめにかかって思いました。あの席では申し上げられなかったんですが、銀座おもかげの宗八郎さまと比呂の北海道編や、奴の小万のような胸のすくよな女性の活躍するお話をリクエストしたいです。あつかましくてごめんなさい。

投稿者 trinity : 2011年05月15日 21:10

昨日、松井さんの馬への特別な思いを伺っていましたから、本日ヴィクトリアマイルでのブエナビスタとアパパネの胸躍る走りを見て、ますます馬に触りたくなっています。
作品経由でブログにたどり着きましたが、実は私は、ブログのファンなのだとあらためて思ったオフ会でした。ブログのなかでおなじみの方々が、現実に動いたり話したりしていて、松井さんが活字だけではなく肉声でも達者にお話されている、夢のようなひとときでした。
頭の中で常に常に言葉に置き換える日常というお言葉がとても印象的でした。
天さん、うだがわさん、ご一緒できて楽しかったです。最後にお話できたウサコの母さん、私は次の金曜日にコクーンに参ります。またお目にかかれますように。
松井さん、美味しい時間をごちそうさま。
ありがとう存じます。

投稿者 masque : 2011年05月15日 21:11

 昨日は心温まる楽しいひとときでした。初対面の方とも、和やかにいろんなお話ができました。みなさん、演劇はじめ芸術好きな方ばかりで、感心することしきりです。
今朝子さまのお話も、いつもながらきりりとなさっていて、聞いていてすっきりいたしました。裏方のスタッフの方々ありがとうございました。感謝申し上げます。

投稿者 はっち : 2011年05月15日 21:39

今朝子さんのお話が楽しくてあっという間の3時間でした。
ありがとうございました!
また、一緒のテーブルでお話できた方々にも、楽しい会をセッティングしていただいた皆様にも本当にお礼を言いたいです、
素晴らしい会に感謝します。

投稿者 袈裟好み : 2011年05月16日 00:32

行けなかったものですが、是非にHPまたは、今朝子の晩ごはんにオフ会の詳細を載るのを楽しみにしています。

投稿者 すずき : 2011年05月16日 21:59



2011年05月15日

おこわ弁当、焼き野菜サラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
お昼まではイマイチ昨日の疲れが取れない感じで、珍しく腰に鈍痛を覚えたが、夕方のレッスンで1鞍騎乗し、お相手の紳士然としたスーパー氏(写真)が快走してくれたので腰はめっきり軽くなった!!
クラブハウスでオフ会にいらしたMさんとお会いしたら、「気仙沼のヨシさんがボクにまでおみやげを下さったんで、クラブでみんなに分けようと思って持ってきたんですよ」とのことで、私も酒ケーキのお裾分けにあずかりましたm(_ _)m
オフ会のご感想を訊くと、「いや~、時間を持てあまして困るかと思ったら、短いくらいでしたね。近くの席に座ってた者同士でもまだまだしゃべれるって感じで、あと1時間あっても平気でしたよ。でも首を回して座ってる人は首が痛くなっちゃうかもね」とのこと。 こちらは参加された方々が時間を持てあまされることのないようにと願って長々とおしゃべりを続けた結果、皆様のご意見を伺う機会が非常に乏しかった点は大いに反省しております。またオフ会本来の在り方としては参加者同士の交流をもっと尊重すべきだったかもしれません。元マガハの中田さんは彼女の周囲にお座りだった方々のご意見をしっかりと伺っておられ、そのご報告をメールで頂戴しますと、やはり私自身が各テーブルを回っておひとりずつお話を伺いたかったなあという気持ちにもなりました。司会進行役のヒメとブログ管理人の岡野さんと中田さんのほかにも会のお手伝いを願った元米朝事務所の大島さんやスラッシュの守部さん、岡野夫人、京都から来た妹を皆様の前でちゃんとご紹介できなかったのも残念でした。
オフ会終了後はお手伝い願ったスタッフ全員と隣のビアホールで打ち上げをし、そのあと飲みセン4人組と中田さんに別れて、大島さんと妹と3人で「千疋屋」に行ったら早くも閉店しており、甘味処はほぼ全滅状態で、まだ8時台だったにもかかわらず、「こりゃまるで深夜2時頃の銀座だわねえ」と大島さん。「私が初めて来た時の東京みたいで、なんや懐かしい風景やわあ」と妹。私も噂には聞いていたけれど、実際に目にするとただただビックリで(@_@)、3人が3人とも、日本はこれからどうなるんだろうという不安感が募る一方。メルトダウンの危機もさることながら、消費の急激な冷え込みが今後の日本経済と雇用に与える影響の深刻さを思っても、いささかぞっとせざるを得ませんでした。


コメント(3)

昨日は本当にありがとうございました。私と友人は上戸にして甘党なため、帰路はビールとピザで一杯やってから、おかめでクリーム餡みつをしっかり食べ、あれやこれや感慨にひたりました。作品のお話の感想以外にも、松井さんは外で乗馬なさってるのにお顔にシミもシワもなくお雛様みたい、それでスタイルがスッとしていて、やっぱり晩ごはんはしっかり作ってきっちり食べなくてはいかんなあ、とかミーちゃんハーちゃん道中でした。

全員のところを、もし回って下さったとしても、上手くお話できたかは分かりません。私が御作でいつも感じるのは、きっちりした時代考証で構成されるリアリティの中で、活き活きと面白く動く登場人物の奥深く、重奏低音のように寄り添う闇、生き難さ、避けがたい重荷。それはどこから来るのか。それは作者の心から放たれて、私の心にこだましているのか。それは時代が放っているのか。そうしてやがて登場人物と共に、救われてゆく心地の不思議。そういう経験を最近では震災後に、そして親しい人を次々亡くした後に読んだ、『そろそろ旅に』で、いたしました。こういう心象などは、とても上手に話し言葉にはできませんし。

ですので、私は、昨日の会で、松井さんのお話を伺えているだけで、本当に幸運だったと思います。

それにしても、本日もお馬とは!!ホントにご活発で驚いちゃいます。皆様もあやかりましょう~。
 ではまたいつか。。 

投稿者 かぶきまま : 2011年05月15日 23:06

私も(大島さんや守部さん、妹さんは、来ていらっしゃるかな……)と思っていましたが、受付をなさったのが大島さんでしょうか。始まる前は、追加で伺いたい事など考えてましたが、いざとなったらドキドキして、質問に挙手しても、言葉が出ない程、緊張し、恥ずかしかったです。参加者は皆さん、今朝子さんのお話がタップリ聞けて大満足だったはずです。各人の感想や意見は書き込みできますし、本音を間近にじっくりと聞ける機会は貴重なので、あれで正解だったと思います。
masqueさま、金曜日の舞台、方言が字幕で出ますし、楽しんで、最後はズシンと心に響くと思います。又、お会いできると良いですね。
オフ会の余韻が消えそうなのは惜しいのですが、私も「そろそろ旅へ」。明後日からニース・パリです。エビ様の映画を見にカンヌ映画祭に行く訳ではありません(笑)。

投稿者 ウサコの母 : 2011年05月16日 20:26

昨日は本当にどうもありがとうございました。
久しぶりに心から楽しい時間を過ごさせて頂きました。
松井先生、そしてスタッフの皆様、重ねて御礼申し上げます。

遅れて会場に到着した私ですが、中田様のお隣が空いていたのは、もう、奇跡という他ありません!

松井先生や歌舞伎についての貴重なお話を伺う事が出来ましたし、私の不躾な質問にも快く答えて下さいました。
特に、<勿論、最初から上に行かれる方だと思っていました。
積み上げたもの、持っているいるものが違う>とおしゃられた時は、胸に迫るものがございました。本当にありがとう
ございました。

投稿者 福島みどり : 2011年05月16日 21:43



2011年05月16日

厚揚げのチリソース、フカヒレスープ、いかなごの釘煮

厚揚げ~はQPで見た料理。最初にグリーンピースを弱火で炒めておくだけで、あとはエビチリの作り方と同じだからカットする。フカヒレのスープはオフ会で妹が頂戴した気仙沼産のパック入り濃縮スープを、「この先はもう当分食べられへんかもしれん貴重なもんやで」と言ってお裾分けしてくれた。いかなごの釘煮は私自身がオフ会で頂戴した手作りの品のようで、前に父が送ってきた市販品よりもずっと美味しくいただけましたm(_ _)m
皆様から頂戴した会費は、お話ししていた通り、「あしなが東日本大震災津波遺児基金」に全額寄付すべく、本日ヒメが小石川一郵便局より「松井今朝子公式HP200万アクセス突破記念オフ会」の名義で送金。その受領証がスキャンされた画像を右にUPしてご報告とさせていただきますm(_ _)m
 それにしても日を追うにつれ深刻な状況がどんどん明らかとなる福島原発は、やはりレベル7と認定された時点でチェルノブイリ並にひどいことが関係者の間ではもちろんわかっていたのだろうが、1、2、3号機ともにメルトダウンだと、あの斑目原安委員長が発表し、3号機はもしかしたら再臨界の恐れがあるかもしれないような高温化が伝えられるなかで、ここに来てTV各局の意外にノンキな報道ぶりにはちょっとびっくりさせられている。まあもう何を聞かされても驚きそうもない視聴者を相手にしているからなのか、ちゃんと伝えれば今より多くの地域に絶望的な状況を明らかにすることになるのを恐れるからなのか、東電と原発関係者はもとより政府やマスコミがいつまでたっても真相をはっきり伝えようとしないのは、日本人によくある優しさの皮をかぶった気弱さゆえなのではなかろうか。
昨晩はNHK教育TVの「放射能汚染地図」を見て、何度もため息をついたが、放射能汚染のまっただ中にいる当事者にはどこからも真相が知らされていなかったようで、そのことには呆れるのを取り越して、恐ろしい気がした。果たして、手の施しようがない病人には真実を伝えないほうがいいというような判断を為政者側や、さらにはマスコミもしているのだろうか。
とにかく完全なメルトダウンであることを白状したからには、土壌と海水の汚染がどの程度深刻であるかも正直に報道してほしいものだけれど、それらをなんとなくうやむやにして、神奈川県のお茶にまでセシウムが降ってるくらいだから、あとはそれでお察しくださいみたいな報道をされたら不安が広がるばかりだろう。
補償金や移転先の問題もからむから、軽々には伝えられないということが一方であるにしても、放射能が高濃度の地域の方々には、勇気をもって真実を告げた上で各自の判断を待つのが真に人間的な態度というべきだろう。


コメント(9)

寝た子を起こすな・・と古い誤った考え方がありますが、今は「先に言ってよ」とバラエティ番組の3流芸人がセリフとしてしょっちゅう使うぐらい、先に言わないと×な世の中、
深刻さをあおらないようになんて、勘違いせんといて欲しいものですね。
正確な情報を先にくれたら、そこから先はおのおのが自分なりに進んでいけばいいのであって、
そりゃパニック状態にはまって変な進み方をする人がいてもそれはそれで仕方が無いでしょう、という前提で報道してほしいと思います。皆、そんなにバカじゃなし。

本場のフカヒレスープ、おいしそうですね、じゅるる。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月16日 23:39

 レベル7と報道される前から、三月二十日前後一週間位の今朝子様のブログで報道記者が最悪に考えている所から報道関係者皆予測できているのに先延ばしにしているだろうと感じていました。メルトダウンになったら、放射能を出し続けるそれをどう処理するのか、子どもがいても安全なレベルにあるのはどこなのかしっかりわかるように報道してほしいです。多分、少なめに報道すると思うので、成人ならともかく少なくとも15才くらいの子どもを抱える人は隣接またはその次の町の人は避難する必要があると思います。膨大な地震被害者、原発事故避難者を増やしたくない為政者のために害を受けても、まともに補償は受けられないのではと、今までの状況から厳しさを感じています。ただし、三十歳を過ぎていたなら、まだましなのであわてて逃げ出さなくてもいいのではないのでしょうか?自信はありませんが急性被害で無ければ放射線被害はじわじわと長く汚染地にいることがよくなさそうですが、人によって癌になり易かったりなりにくくかったりすることがあるように思います。その判断で私は今のところ居住地を離れる決断はできずにいます。 
 ユッケの値段が安すぎるとまともな材料を使っているとは思えなくて敬遠していました。回転寿司にしても、安すぎるところは本当に安全なのか消費者の方も考えてほしいです。正直に安くおいしいものをと思う店もあれば、おいしさや安全など考えない店もあるのに安いから繁盛している店が都会には沢山あります。せめて、安くても危険な綱渡りのような店が繁盛することの無いように願いたいです。安さを追求する消費者が、闇雲に当然安全というのは少し傲慢ではないでしょうか? 
 まともな食材まともな料理にはそれなりにお金がかかり、やすさを支持すれば安全も、おいしさもそれなりなのは買う人が選ぶ問題のように思います。ただし今まできちんと危険をわかっていながら法を整備しなかった行政や政治家、官吏も槍玉に挙がるべきではないかと思いますが、生肉を扱う資格を持たないものが生肉を扱う店で客に出せる法律も良くなさそうです。本当なら、法があろうが無かろうが、お客の口に入る物の生肉の扱いを少しでも危険にならないようにプロにお願いすることが、いいのではないかと思います。今は、昔の肉屋のような一徹な人はほとんど残れず商才のある人だけが残っている確率がたかいように思っています。 
 長くなりましたが、もうひとつオフ会はとても楽しく嬉しかったのは偽りありません。でも、テーブルをまわってきて貰うか、少しずつでも窓際から入り口に今朝子様の立ち位置を変えて貰えたら近くで今朝子様が見えたし、話も聞き漏らさずに済んだかもと思っています。図々しくてすみません。
あと、私はバリ料理は初めて食べたのですが、スープが結構塩が利いてて暑い国の料理だからか、たまたま少し濃い目だったのか判断できないのですが、教えて貰えると嬉しいです。

投稿者 nao : 2011年05月17日 01:04

岩手県の叔母の葬儀から帰りました。
そこから一時間ぐらいの気仙沼からいとこが姉弟で参列していて、話を聞くことができました。
弟一家はすぐに高台に避難して無事でしたが、営んでいた水産物加工工場と家はすべて流されてしまいました。夜、どこからか「助けて~」という声がするもののなすすべがなく、翌朝にはその声も途絶えていたとか。
姉は少し離れたところに嫁いでいて、家は200m先まで水がきたものの辛うじて難を逃れました。波にのまれ火がそのあとを舐めて行く様子をみて、弟たちは亡くなったものと覚悟したそうです。
家の中はめちゃくちゃで停電はしたものの、ガスはプロパンだったため震災直後から近所の人と炊き出し。
しかし持ち寄ったものはすぐに食べつくし、それからは支援物資が届くまで5日間がれきの間を歩き回り、打ち上げられたご遺体を横目に見ながら(電線にも引っかかっていたとか)食べられそうな缶詰などを「生きている人が大事」とお題目のように唱えながら皆で集めて炊き出しを続けたとか。
避難所の格差、とどまる人出ていく人、出て行ってもまた戻ってくる人それぞれにドラマがあり、こういう時に人間性がむき出しにされるのねと話してくれました。
作業の邪魔にならぬように翌日の早朝気仙沼を案内してもらいましたが、もう実際に目にすると月並みですが言葉がありません。
毎日のようにまだがれきの中からご遺体が発見されるそうです。
映像から伝わらないものに臭いもあります。
気仙沼だけでこれだけの被害、東北の海岸すべてを考えたとき気が遠くなりました。
長くなってしまいましたが、ご報告させていただきました。

投稿者 しゃん : 2011年05月17日 09:02

14日のオフ会では、ごちそうになりお土産にサイン入りの文庫本まで頂戴しまして、どうも有難うございました。
私は松井さんのブログのファンです。晩ごはんのメニューの情報も参考になりますが、特に社会問題や政治関係への率直なご意見に共感を覚え、また教えられています。
「この問題について、松井さんはどのようなお考えかしら?」と、ブログを拝見するのが楽しみです。お妹さんとのやり取りも痛快です。
高知市在住ですが、ちょうど娘の出産後の手伝いで1ケ月間上京している期間に、オフ会が開催されることを知り、良い機会に恵まれ参加させて頂きました。
また、会費は全て「あしなが育英会」の震災遺児基金に義援金として寄付されたことを、とても嬉しく思います。私も数年前から「あしなが育英会」のあしながさんとして、毎月少しばかり応援をさせて頂いています。私の子供達には、幸せにも大学まで行かせることが出来ましたので、感謝の気持ちでささやかな応援をしています。子供さんにとって親を亡くしたことはとても辛い出来事なのに、更に経済的な理由で高校や大学への進学の道を断たれることは、何ともむごい事で胸が痛みます。
家庭の経済格差が、子供の教育格差に繋がらない様な政策を強く望みます。
この度は、楽しいオフ会を開催して下さいまして、どうも有難うございました。お礼が遅くなりまして・・・。


投稿者 sasayuri : 2011年05月17日 15:56

nao様へ
私はそのスープを飲んでないので、なんとも。
ただやっぱりこちらが立ち位置をもう少し変えるか、テーブルを回れば良かったですね。

投稿者 今朝子 : 2011年05月17日 22:52

しゃん様へ

気仙沼のお話を伺うと、オフ会にご出席くださったYoshiさんや仙台からお越しのえばさんに皆様の前でお話をして戴こうと存じながら、その時間が取れなかったことが今さらに悔やまれてなりません。
しゃん様が書きずらい話をきちんとご報告くださったこと、大変有り難く存じます。

投稿者 今朝子 : 2011年05月17日 23:11

naoさんが召し上がられたのは、スープではなくグリーンカレーだと思います。私は、ごはんといっしょにいただきちょうどいいお味でしたが、スープと思ってしまうと、確かに強すぎるかもしれませんね。

投稿者 masque : 2011年05月18日 07:34

タイのグリーンカレーは食べたことがあるのにスープだと思っていました。教えてくださってありがとうございます。バリ料理は日本人好みの味と見聞きしたように思うのに何故だろうと思っていたので、思い違いがわかりました。ありがとうございます。他のお料理は、多分日本人好みにあわせてないだろうけど美味しいなと思っていただきました。
 いつもこんな書き込みは顰蹙をかうかも?と少し後ろめたく書き込んだ後思っていたため、今朝子様にお返事をいただけてとても嬉しく思います。ありがとうございます。 
 しゃんさまのご報告も少し日常が戻ってきて自分は忘れがちになってしまっているけれども、被災された方々がまだ厳しい状況にいらっしゃり、少しでも支援できることをしたいと思います。比べ物にならないとは思いますが、私は親を亡くしたあと、少なくとも二年は時々思い出し悲嘆にくれました。被災されたり避難生活を強いられている方が、少しでも生活が楽になるよう祈ります。

投稿者 nao : 2011年05月18日 10:28

お礼が遅くなり申し訳ございません。
オフ会では楽しい時間を過ごすことができました。また、オープニングで黙祷から始めていただいた時は本当にありがたいと思いました。
会が始まってからは同席の方々とも初対面とは思えない感じで話すことができ、こちらも楽しかったです。


土産の品については緊張してうまく話すことができませんでしたが、食べていただけてありがたいと思っております。これについては後からMさんにメッセージを送りました。


それからつまらないことで恐縮ですが、サインをしていただいた名前が一字違っておりました。私がフォームに入力する際に間違えたか、事務を執られた方の手違いのどちらかと思いますが、事務所の方に確認をしていただけたらと。
もちろん、頂戴したサイン本は大切に保存させていただきますのでお気になさらないでください。
これからも楽しく読ませていただきます。


こちらは毎日仮設住宅建設の槌音とガレキ運搬のトラックの音が響いております。


最後になりましたが、しゃん様の叔母様のご冥福をお祈りいたします。

投稿者 yosi : 2011年05月19日 06:31



2011年05月17日

豚肉とアスパラガスの塩炒め

豚肉は酒と醤油で下味して片栗粉をまぶして先に炒め、いったん取りだしておいてからアスパラガスに火を通し、炒め合わせて塩胡椒で味付けするだけ。QPで見たレシピはこれに新ジャガを加えてボリュームを出していた。
今夜は児玉清さんの訃報に接したことを書かずにはいられない。小山内美江子のTBSドラマ「親と子の誤算」などで見せた演技派の実力をもっと発揮する場があってもよかったように思うが、「アタック25」で妙な人気が出たり、BSブックレビューの司会役などで、お茶の間には読書家のインテリ男優としての側面がクローズアップされていた。 
一昨年の11月1日に京都国際会館で開催された「古典の日」イベントでも読書に関する講演をなさっており、私はそのあとに始まるシンポジウムのパネリストとして出席して、控え室で初対面。各媒体で拙作をずいぶん紹介してくださっていたから、こちらからご挨拶をしたところ、直立不動の最敬礼で、驚くほど丁寧なご答礼をなさったのが今に想いだされる。私に付き添っていた妹は「なんてカッコエエ俳優さんなんやろ!!!」と感嘆しきりで、背がすらりと高く、年齢を全く感じさせないみごとな佇まいが頗る印象的だ。私が間近で見た男優の中では、池部良とこの方がダンディーの双璧といえそうである。俳優としてのブランクがやや長かったけれど、今後は演技派の老優として開花なさるように思われただけに、急逝は惜しまれてならない。謹んでご冥福をお祈り申しあげる。


コメント(2)

昨日夕方にアサヒコムで訃報を知りました。77とはまだ死ぬには若いおトシですよね。
新聞の書評に松井センセの作品を紹介してはりました。(実は私それでセンセのお名前を初めて知りましたような)それと少し前、日経夕刊の1面の半年連載のリレーコラムを書いてはりましたやろ。
全体のテーマが何か日本人の本質が悪い方向に変化している・・といったような書き口でしたっけ。
その時、もしかしてご自分の病気を知ってはって、世の中の後輩に贈るために書いてたのかも、なんて思うとなにやらなにやら。
かっこいい役というより、定年退職したあとの元1流サラリーマンで普通のおっちゃんの少し二枚目半の役とかを観たかったです。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月18日 13:46

89歳の母は6年ほど前に四万温泉で児玉清さんと一緒に撮った写真と、児玉さんに頂いたテレカを家宝にしています。本当にダンディーで素敵な方でした。また家中が本だらけだったそうで、まだまだ読みたい本や書きたいことがたくさんあったでしょうに。ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 はな子 : 2011年05月21日 21:05



2011年05月18日

なべ家&お茶

お昼は恒例となった「小説新潮」の仕事で大塚の「なべ家」にて会食。写真右下の味噌汁に入っている半平は「なべ家」さんの自家製でなく日本橋の「神茂」製だという話で、「いえね、神茂が今も半平を作れるのかどうか、つい気になって行っちゃったんですよ」とご主人の福田さんが仰言って、最初は何のことだかわからなかったが、「ああ、そうか、材料ですね」「ええ、三陸のサメはこれからも捕れるんですかねえ」と心配そうな福田さん。「今年は牡蠣が食べられないとは聞いてますけどねえ」と私。とにかく、津波の被害だけでも深刻なのに、原発事故まで重なったから、料理店は今後の仕入れが何かと大変だろうと思う。放射能値の測定は各店や市場でやるのは大変だから、恐らく水揚げした漁港で一斉に行うしかないだろうというような話にもなった。まさに日本の食文化が危機に瀕した感じで、この連載のスタート時にはおよそ考えもつかないような深刻な事態が、わずか一年足らずの間に生じたということなのである。
大塚から向かった先は麹町のお茶の稽古場で、今日はかなり早めに行ったので、いつもとは違う方とお会いして、地震後の東京の様子が何かと話題になった。先日銀座に行って、街があまりも暗いのでビックリしたし、お祭りも花火も被災地では開催されるのに、東京が取り止めにするというのがとてもフシギだという話を私がしたら、お弟子さんの中にある神社の方がおいでになって、「うちの夏祭りも取り止めにさせられました」と仰言るので、「ええっ!!それってどういうことですか???」と訊かずにはいられなかった。で、その方にご迷惑がかかっても困るのでここに書くのは控えるが、なるほど各地でお祭りが取り止めになっちゃうのはそういう事情があったりするんだ~と妙に納得した次第。お祭りはともかく、家から出るのが怖いと仰言る方もいらして、どうやら直下型大地震を異常に警戒なさってるようなのだけれど、いくら87%の確立といわれても、30年間ずっとビクビクして暮らすのもシンドイ話ではなかろうか。
私なんかは、別に地震がなくても、放射能を浴びなくても、自分は必ずいつかは死ぬことに決まってるし、そのことは自粛しようがしまいが、どんなに気をつけようが、努力をしようが、お金を積もうが、知識を持とうが、誰もが絶対に避けられない道なのだから、それなら人間は死ぬまでにやれることを目一杯して死んじゃうほうがお得だ!!!と昔から確信していたことに拍車がかかった感じで、震災前よりいっそう活動的になったような気がするくらいですが。


コメント(1)

こんにちは。
わたしは別にむかしから確信していたわけではありませんが、「しっかり生きよう」という気持ちになりましたね、震災後から。「やらないで後悔するよりやって後悔した方がいい」なんて言葉も思い浮かびますし。

投稿者 ぱぐ : 2011年05月19日 14:46



2011年05月19日

二段重ね弁当、蛸の煮物、茄子のマリネ

大宮ルミネ2でゲット。明日は早朝7時から旅行に出るので今日は料理をしませんでした。
行き先は釧路湿原で、翻訳家の松岡和子さんから去年の初夏にお誘いを受け、1年間待ちに待ったどさんこ外乗ですが、この旅行の話が持ちあがった時とはガラッと世の中が違っているし、松岡さんも、私も大変な心境の変化であるにもかかわらず、予定通り敢行するのは、松岡さんの仰言る「正しい刹那主義」と、私の「同じ死ぬなら生きなきゃ損損主義」によるものであります。松岡さんのご友人と共に4人で丹頂鶴の飛来地として知られる、その名も鶴居村のホテルに宿泊し、3日間どさんこに乗りまくってくる予定で、今ちょうど桜の花が満開を迎えたという釧路湿原の美しい風景も、ゲットしたばかりのIPad2でバッチリ静止画と動画に収めてアップするつもりでおります。ただし、IPadの写真は容量がデカすぎてこのブログに収まりきらないため、現地ではアップできず、帰宅後にまとめてお目にかけることになりそうです。
 またブログの更新が出来る環境にあるのかどうかもわかりませんので、ひょっとしたら月曜日までお休みを戴くことになるかもしれませんが、その旨あしからずご了承くださいませm(_ _)m


コメント(4)

今朝子さまおはようございます。
今頃は釧路空港到着されているのでしょうか?
鶴居村、一昨年私も息子と二人で真冬の零下20度の気温の中宿泊しました。ロッジに馬乗りコースがあって暖かいと感じるまでツアーをして本当に楽しかったです。

楽しい旅になるよう願っております。

投稿者 袈裟好み : 2011年05月20日 08:56

いってらっしゃいませ。
桜と釧路湿原!美しく雄大な景色の中で、外乗りを楽しまれる御様子が目に浮かぶようです。

★日清戦争と日露戦争の狭間で、札幌のお雇い外人教師と横浜の英字新聞記者、お江戸の滅び行く浮世絵師、中国人留学生、道産子の馬飼いの若者たちなどの「正しい刹那主義」と「同じ死ぬなら生きなきゃ損損主義」明治20年代~30年代の青春物語はいかがでしょう?

★『今朝子の恋愛相談・ちぎっては投げ』『馬には乗ってみよ、人には?』前者は歌舞伎演目の登場人物が、松井さまに込み入ったハナシを相談する。後者は松井さまが出会った忘れがたき人々のエッセイ。などいかがでしょう?

☆松井作品を何か一作、松岡さまの英訳でぜひお願いします!!!!!
(コメント欄のメルアド、フリーメールがダメであることを知りませんでした。申し訳ありませんでした。)

投稿者 waysea : 2011年05月20日 11:06

こんにちは。
昨日シアターコクーンに「たいこどんどん」を観に行って来ました。行こうかどうしようか迷っていたのですが、松井先生のブログのコメントに触発されました。行って良かったです。いろいろなことを考えさせられました。そして芝居としても大変おもしろかったです。井上ひさしさんやっぱりすごいなあと思いました。井上作品は、来月「雨」を観に行きます。とっても楽しみです。「雨」自体もとても好きな作品ですが、亀治郎さんと永作さんがどんなことになるか・・・。
釜石は大好きな土地で、かつて橋上市場があった頃毎年2回は訪れていました。井上作品ゆかりの地も訪ねてきました。あの街がまた元気になれるように私も私にできることで頑張っていきたいと思います。

投稿者 田村 永里 : 2011年05月22日 17:43

松井今朝子さま、こんばんは。いつも拝見していますが、初めて書き込みます。
先週末に大分に行く機会があったのですが、その前にこちらで拝見していた「こつこつ庵」に行ってまいりました。予想にたがわず、まことに美味しく、かつ楽しいお店でした。東京在住ですので、震災以降、なんとなく落ち込んでいたムードを明るい九州で盛り上げてきましたが、大分のおおらかで明るい雰囲気と美味しい食事が一役買ってくれたことは間違いありません。こちらで「こつこつ庵」の存在を知っていて本当に良かったです。あれから旅友との合言葉は「007ショーン粉ねり」です。

投稿者 桃象 : 2011年05月22日 22:25



2011年05月22日

釧路行その1

20日は早朝7時に家を出て9時のANA便で釧路に出発。到着したらすでに翻訳家の松岡さんがご手配くださったチャータータクシーの出迎えを受け、さっそく鶴居村のどさんこ牧場へ。
車中でいきなり丹頂鶴のペアを見つけて、「やっぱり釧路にはなにげに鶴がいるんですね~」と、思わず呟いたら運転手のSさんが、「いや~好運ですよ。このあたりでは、そんなに見られるもんじゃありませんからね」とのことで、今度の旅の好運はここから約束されたようなものだった。
牧場ではついこないだ馬が出産したばかりとあって仲睦まじい母子の出迎えを受け、わすか3日の短期間で日一日と成長していく仔馬と仔馬に走り方などを教える母馬の姿を間近で観察できたのもラッキーなことの一つである。どさんこ牧場は宿泊施設やレストランも備えており、ランチの焼きカレーをとても美味しくいただいたあとは、雄大な自然の中でのびのび育つ道産子に乗って、まずは2時間外乗に出かけた。
今度の外乗ツアーを松岡さんからお誘いを受けた段階で、実をいうと私は結構びびっていて、その理由はご一緒する松岡さん、ご友人Fさん、Fさんのご友人で20年前からこの牧場に親しんでらっしゃるというHさん、3人ともマイ・ホースをお持ちの大ベテランで、そんな方々と本当にご一緒できるんだろうか?足を引っ張ることにでもなったらどうしよう(-_-;)、それより何より3日連続外乗するほどの体力があるんだろうか?という心配が頭を去らなかったのであるが、まずは初日の小手馴らしといった2時間外乗で、道産子は乗っていてふしぎに疲れないし、何しろ小型で反動が小さいので初めて乗った馬でもあまり怖いという感じがしないのにホッとする。で、わずか2時間のコースながら、途中でまた丹頂鶴を見て、次いでキタキツネを見て、さらには鹿の一大ハーレムに遭遇するなど、なんだか見るべき動物はみんな見ちゃった!!!ことにビックリで、これまた釧路湿原は鶴も狐も鹿もやたらめったらいるんですね~と呟きそうになったが、その前に
先導するインストラクターの方が、「丹頂鶴をあんなに近くで見るのは珍しいし、牡鹿のハーレムを見たのはボクも初めてですよ」と仰言って、またまた超ラッキーだったことが判明。たださすがに騎乗中の撮影は無理で、鶴も狐も鹿も激写は叶わず画像はUPできませんm(_ _)m鹿は全頭が一斉にこちらに尻を向けて白い毛を大きくふくらましたのが面白く、それはどうやらこちらを警戒して脅しているらしいのだった。キタキツネは若い個体だったようで人間に対する警戒心が薄くて近くに寄ってきたらしい。とにかく動物には遭遇するけれど、私たちのほかには人っ子ひとり見かけない釧路湿原のど真ん中で、突然私のケータイが鳴って(@_@)某出版社に戻したはずのゲラが届いてないとのことで、一瞬どうしよう!!と真っ青になるも、折り返し電話があって見つかったとのことにほっと胸を撫で下ろす。それにしても、果たしてどこから電波が飛んでくるのかNTTドコモ恐るべしでした(笑)。
 どさんこ牧場にほど近いホテルTAITOは食事も美味しいし、お肌がツルツルになる温泉もあるし、文句なしの宿泊所だったが、ここも併せてご紹介くださったFさんは偶然にも私と同学年のご夫人であり、Fさんのさらに先達役であるHさんは70代の闊達な女性で、、お二人ともにとても初対面とは思えぬほど打ち解けられたのは、やっぱり馬の話で盛り上がれたせいだろう。どさんこ牧場に20年来のお馴染みというH夫人
は、系図が書けるくらいに道産子たちの血縁関係や恋愛関係?にお詳しく、道産子たちのリーダーについても興味深い話をお聞かせ戴いた。冬場の道産子たちは雪中に放牧されて独自にエサを見つけて暮らすようになっているらしく、それゆえにリーダーが必要で、リーダーは群れのみんなに推されるかたちで自然に決まるのだという。どさんこ牧場の場合、牝馬とセン馬(去勢された♂)しかいないので、勢いリーダーは牝馬が務め、現役のリーダーは長寿かつ子だくさんの牝馬で、そのリーダーが長生きしすぎるために今や次期リーダーの行方が混沌として注目のマトだという話がなんだか大奥の権力闘争を聞くようで妙に面白かった。冬場のエサはクマザサで、今もそれをやたら美味しそうに食べるのがちょっとフシギな気がするのだけれど、インストラクターのお話だと、道産子の原種は南部馬で、荷物の運搬でこちらに連れてこられて捨てられた形のなかで、冬場に全く食べ物がないために雪を掘って笹を食べながら生き延びるようになったのだという。なんとたくましい馬たちであろうか!!!
IPadを持参した私は皆さんにそれを披露して、たまたまMAPをを開いたところから現住所の話をしたら、Hさんのご生家はなんとこれまた偶然にも丁目まで同じというご近所にあったというから驚きで、氷川神社のお引き合わせとしか思えぬ不思議なご縁を感じながらの歓談を楽しみつつも、次の日の1日外乗に備えていずれも早めに就寝。




2011年05月22日

釧路行その2

21日は朝9時に牧場を出発し、帰ってきたのは午後3時。この間1時間の食事休憩をしたのみで、5時間ずっと騎乗しっぱなしだったにもかかわらず、それほど疲れなかったのは道産子がふつうの馬と違って側対歩(そくたいほ)即ち人間でいうところのナンバ歩きで、右前肢と右後肢が同時に出るという歩様だからかもしれない。道産子自体も疲れにくいのか、サラブレッドとは比較にならない持久力を発揮するし、小柄なわりにめちゃめちゃパワフルであることにも驚かされる。なにしろ先導のインストラクターの方が「さあ、ここを登りますよ」と言われるたびに仰天するのは直角90度に限りなく近い坂というより崖が目の前に立ちふさがるからで、道産子は人を乗せてその崖をガンガン登ってゆくのである。私が乗った馬は小柄だったためか、登り坂や崖地になると自然に駈歩になって文字通り必死に駈け登ろうとし、こちらはまるで障害を跳ぶような前屈みの姿勢で腰を浮かせて「ハイ!ハイ!ハイ!」と囃し立てるのだ。 下り坂はさすがにもう少し緩やかな、といっても60度くらいの急勾配で、私は源義経になったような心境でした。で、そういったことを何度か繰り返して山頂にたどり着き、尾根を縦断するという相当ハードな外乗をやり遂げて、いったん麓に降りて四阿で昼食を取り、牧場の方がすでにそこに運んでくださっていたニジマスと珍しいヤマベの見た目も非常に美しいお鮨を信じられないくらいおいしく感じながらいただいたのである。
昼食後は向かい側の山に登って逆から風景を見るかっこうで、いまだ枯木立で賑わうまるで水墨画のような山々のところどころに満開の桜がぽつんぽつんと見える、この時期の北海道ならではの絶景で、その筆舌に尽くしがたい幻想的な風景も、騎乗中は残念ながらIPadはおろかケータイでも撮影は叶わず、代わりに帰りの車中で撮った桜の写真をUPしておきます。桜はすべてエゾヤマザクラ一種のはずが色合いがそれぞれかなり違うのも面白く、ほかにも白いエゾコブシの花や小ぶりのエゾヤマツツジ、芽吹いたばかりのカラマツなど早春の山を彩る植物群が目を賑わし、崖の下に眺める湿原特有の大きく蛇行した小川には水芭蕉の花が咲いていた。
 ところでこの日の朝は土砂降りで、私は晴れ女のはずなのに一体どうしたことかと訝りながらレインコートを着込んだが、ちょうど牧場を出発した途端に雨はピタリと降り止んで、やっぱり晴れ女パワーは健在でした(^_^)/


コメント(1)

ブリティッシュ鞍だったんですね。
私今までの外乗はウエスタン鞍だったものですから、
革が堅いし、ホーンがじゃまでしたので、
今朝子様の柔らかいであろうお尻がダメージを受けないか心配しておりました。
それにしても斜面を登り降りするなんて、それも駆足で・・・・・絶句です。
お雛様のようなお顔立ちからは想像できぬ胆の座りようですね!!!。
凛とした姿勢はブログから推察はしておりましたが、外乗の報告でハンサムウーマンでいらっしゃる事が確信できて、ますます今朝子様を崇拝しております。
9月28日生まれは晴れ女なのでしょうか。
ちなみに私も9月28日生まれの晴れ女です。

投稿者 小山 雅子 : 2011年05月23日 22:35



2011年05月23日

釧路行その3

広大で変化に富んだ釧路湿原では外乗も3日ともガラッと変わる。最終日は青々とした牧草地帯からカラマツの植林場へ抜け、そこから谷地(やち)に降りてざぶざぶと小川を渡り、小川沿いに谷地ぼうずや、フキや行者ニンニク等の山菜を眺めて馬を走らせるといった、最も湿原のイメージに近い外乗だった。とにかく、この鶴居村どさんこ牧場のインストラクターの方は皆さんとても親切で至れり尽くせりだし、植物に強い人や川魚に強い人があってガイドも詳しくとても上手である。私は初参加ということもあって、幸いインストラクターの方の直後に位置して騎乗したからその場で何かと乗馬の指導も受けられたおかげで、3日間併せて10時間!!!というハードな外乗をなんとか無事に終えられたのだった。外乗の素晴らしさは、クルマは絶対に入れず、人間だけでも絶対に行けそうもない、馬だからこそたどり着ける場所の風景をわが目にすることができることであり、当たり前だが3日間ともわれわれの一行以外に人の姿はなかったのでした。
この日は午前中に外乗を終えて、牧場でランチしたあとは釧路の市街に向かい、親切な運転手さんのご案内で幣舞橋付近を見てまわる。このあたりは映画のロケにもってこいのエキゾチックな風景であるにもかかわらず人けがなく、震災による津波被害からは完全に復旧しているとはいえ、昨今の地方都市にありがちな寂れ方を免れていないことには胸をつかれる思いであった。なんとかもう少し経済を活性化するきっかけを作らなければ若年人口の減少がどんどん進むだろうし、最近は地方都市に行くたびに、この種の問題を深く考えさせられるのだった。
ともあれ今回は釧路湿原の豊かな自然に触れられたし、外乗でご一緒したFさんやHさん、どさんこ牧場の方々、送迎チャーターの運転手さん、いずれも親切でステキな方とめぐり逢えたし、何よりもこの日のために乗馬を習った甲斐があった!!!と思えるような体験が出来たことで、生涯でも指折りの素晴らしい旅行になりました。これすべて松岡和子さんにお誘い戴いたおかげだと心より深く感謝しておりますm(_ _)m


コメント(4)

北海道観光のなかでも釧路あたりの道東は観光客が少ないという事情は、今もそうなんですね。
というのも、25年前に北海道をマイカーで1周した時(大阪から高速道路を乗り継いでフェリーで外地に渡りました)に、釧路の旅館の人に「札幌周辺か函館に人気が集まって・・」とこぼしてたのを思い出します。
観光収入が少ないというのは地元の人にとったら死活問題なんでしょうが、旅行は好きやけど、人ごみが苦手な者にとったら、いいところなんですがね。
お馬さんに乗るのは私は門外漢なのでよくわかりませんが、馬をクルマに例えたら、狭い敷地内のコースから、路上教習に移った時の自由さ開放感と一緒のようなもんでしょうか?

広い北の大地に慣れたころに内地にもどらはったら、少し息苦しく感じられたのではありませんか?

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月23日 19:53

毎晩晩酌様へ
クルマの免許を取ってないので路上教習の感じはわかりませんが、まあ似たようなものかもしれません。内地にもどったら息苦しいというよりも、別世界から下界に降りてきて、何だかヘンな感じです。

投稿者 今朝子 : 2011年05月23日 21:29

北海道の外乗いいですねぇ。何年か前に一度だけ行きましたが、馬でお店に乗りつけてランチしたりして、とても楽しかった覚えがあります。こちらとはやはりスケールが違いますね。

木曽馬で流鏑馬をやってるんですが、和種は反動が少なくて確かに乗りやすいですね。足腰丈夫で性格も比較的落ち着いてるし。

長野のノーサイドというところも広くて思いきり走れるので気持ちいいです。ジッパーのないポケットに鍵なんか入れて落っことしちゃうと2度とひろえませんが。

投稿者 まるい : 2011年05月23日 22:29

こんばんは。
思い出に残る旅になったようで、こちらもおすそ分けをいただいています。

釧路は知人がいて前から一度は行きたいと言っているのですが、なかなか実現できないでいます。景色を見るのもさることながら、その人と一度ゆっくり顔を見ておしゃべりしたいと思っているのですが……

投稿者 ぱぐ : 2011年05月26日 20:04



2011年05月23日

サンマの一夜干し、ズッキーニのおかか醤油炒め

よくあるようで意外と関東では見かけないサンマの一夜干しは松岡さんのオススメによって釧路の「フィッシャーマンズワーフ」でゲット。
3日間の乗馬旅行で疲れていないといえば嘘になるが、心配したほど筋肉痛には悩まされなかった。今日は思ったより執筆も捗ったのだけれど、3日間下界を離れたら、TVニュースを見てやっぱりわからないことが出てくる。福島原発1号機への海水注入を中断した件についての報道がそれで、順を追ってニュースを聞いていないために、今となっては一体全体何が問題になっているのかさっぱりわからないし、わかろうと努力しなければならないほどの大問題なのかどうかもわからないので、申しわけないけれど、スルーしてしまうことにする。原発事故も済んだことの責任が問えるほどに時間の余裕が出てきたのならいいのだけれど……。それにしても海水注入で私が心配なのは過去よりも未来である。ふつう海水は金属を著しく劣化させるが、放射能に汚染された海水を入れたさまざまな容器がまたしても想定外の速さで劣化が進んで漏れ出すなんてことは絶対に無い!と果たしていいきれるのかどうか。今や東電の対応は何もかも信じられないのでした。


コメント(4)

200万アクセスおめでとうございます!ブルグチェック怠けているうちの出来事で残念ながらオフ会賛歌ならず!次回に期待しています。何かの折にぜひ屋ってくださいね!楽しみにしています。乗馬の旅のお疲れも出ませんように!

投稿者 ねこかおる : 2011年05月24日 11:54

最初にお礼を、昨日のワタクシのアホなコメに直コメ頂きまして有難うございます。少~しビックリしちゃいました。

原子炉を冷却するための水に海水を使うのは、大丈夫なんでしょうか?海水はかなりの塩分濃度ですから、腐食の悪影響が出て2次災害にならなきゃいいがと思います。
今の技術なら、汲み上げた海水を限りなく真水化できるのでは・・と思いますが、どうなんでしょうか。

ズッキーニを和風で食べるのも良さそうですね。
今の季節は菜っ葉系が美味しくない時期です(葉っぱはキャベツぐらいか)ので、洋風のお野菜を和風で食すことになりますな。
私はきゅうりを炒めたりします。(あっ、きゅうりは和風食材に入りますか)

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月24日 17:33

最新号の『クウネル』を、ゲットして松井さんの記事を読ませていただきました。
最初のお写真の表情がいいですね。とても楽しい取材だったのでしょうか。とても自然な表情が素敵です。

震災後の心境など興味深く読みました。

まだの方は是非ご一読お勧めします!!
(『クウネル』回し者ではないです。ただの愛読者です。)

投稿者 スノウ : 2011年05月24日 22:34

さっそく「クウネル」、私もゲットしました。
本当にお写真のやわらかい笑顔、素敵です。
お写真も充実・・・書斎のご様子や書棚など、
興味しんしん拝見しました。
人の一生をテーマパークのように楽しむ・・・
私も見習いたいです。いや、見習います!
スノウさん、うっかり忘れるところでした。
お知らせありがとうございます!

投稿者 彩の女 : 2011年05月25日 22:18



2011年05月24日

鶏団子とワカメのスープ

前にQPで見た料理。鶏団子は挽肉に酒と醤油少々を入れて粘りが出るまで練り混ぜてからネギのみじん切りと片栗粉を加えて作る。卵は入れなくてよい。鶏ガラスープにこの団子を落として酒と粗塩と醤油と胡椒で味付けし、ワカメとレタスを加える。別にネギと生姜のみじん切りに、醤油、胡椒、胡麻油を入れてタレを作り、スープに添えて食す。
福島原発1号機への海水注入中断問題については今朝の報道番組で概ね理解できたけれど、今の時期に、こんな問題を仰々しく取りあげた自民党の谷垣総裁のセンスには呆れるばかりだった。自民党の中ではまだましな人物だと思っていただけにガッカリである。とにかく与野党を問わず皆さん「菅降ろし」にかかりっきりのようで、司会者かコメンテーターの誰かが解説する政治記者に、「一体なぜ菅さんはそんなに嫌われるんでしょうねえ?」と訊いたら、「あの人は他人に頭を下げられないからですよ」と即答したのも驚きだった。別に菅さんの肩を持ちたいわけでもないし、能力が高い人だとも思ってないが、他の政治家も皆さん人間としてちと幼稚過ぎやしないだろうか。それともこの国の政治的リーダーは、いつまでたっても、ひたすら気配り上手であることだけが求められるのだろうか。でもって内輪の気配り上手だけでは世界の中での駆け引きに勝つことは永遠にできないわけで、民主だろうが自民だろうが、世界に伍する能力に乏しい政治家ばかりを抱える日本国は今後も何かと損をすることになるのだろうか。
ところで道産子や木曽駒といった和種の馬は、山登りに長けていたり、持久力があったり、小柄な人間が乗りやすいなど、さまざまな長所があったにもかかわらず、戦場で使う軍馬として強化する目的で外国産馬との混血を進めた結果、純血の和種が激減したという経緯があるのだけれど、現代の政治家を見ていると、中国でもアメリカでもいいからどんどん他国の血を入れて強化したらどうなんだろうと思えるくらいに
人間として世界に通用しない感じがする。大企業だと内輪の気配りや根回しだけで出世した社長なんかは世界競争の中で今後どんどん駆逐されるだろうし、そうならないと企業自体が立ちゆかないだろうから、放っておいても大丈夫そうだけれど、血が濃くなってどんどん劣化してる感じの政治家たちはまとめて断種するわけにもいかないし、ああ、一体どうしたらいいんだろうか。


コメント(1)

今政治家に望むことは、管総理下ろしを長くて二年止めて、それ以外の様々な問題を乗り越えるように、全ての知識や方法のヒントを与え、この状況を少しでも良くするように奮闘して欲しいです。管総理でいいとは思っていませんが言動の追求より日本の政治が混乱しないように少しでも協力するように動くべきときで好機でもあるのにこのチャンスをサル山のボス争いで動く政治家をこの先、自身が死ぬまであざ笑います。政治家が担っているものは何なのか管総理も含めしっかりと考えて言動して欲しいです。
 専門家が考えて行っていることに門外漢が茶々を入れることが許されるのは、余裕のあるときです。せんせいと持ち上げられて、人生初めての、放射線汚染の危機という状況に、視察や意見をしたことは馬鹿だと思いますが、それを責めている状況ではなく政治家の本質は、それ以外のことにあると思います。
 またそれは他の政治家にもいえると思います。
 
 人を責める前に自分にできる最善のことをしろ 
 
 と思います。やってしまったことをあれこれ言うより管総理に協力することが政治家にとって一番可能な復興支援なのに、いつまで永田町狂想曲を奏でるのでしょうか?選挙の時に大声やスピーカーで十分に迷惑しているのに厚顔無恥をいつまで続けるのでしょう? 
 できれば、管総理には国内に口を挟むより、国外の不興をを買わないように奔走してほしいです。

投稿者 nao : 2011年05月25日 22:34



2011年05月26日

燻製屋ヌーベ

三茶に住んでいたころ大のご贔屓だった燻製屋「ヌーベ」が震災後の不景気等によりこの5月一杯で閉店するというお知らせをもらい、先日のオフ会のあとでお手伝い戴いた幻冬舎のヒメ、元米朝事務所の大島さん、Pメディアの岡野夫人、スラッシュの守部さんたちにその話をしたところ、お名残の食事会をしようという話になって25日に予約した。以前はご近所だった文春の内山さんも「ヌーベ」がご贔屓だったが、なにしろ来月出産のご予定と聞いていたのでお誘いはできす、閉店の旨だけ一応お知らせしたところ、久々に顔をお見せになるとのことで総勢6人の会食と相成った。やはり私たちと同じように考えられた方が多いらしく、これなら何も閉店しなくてもよさそうな満杯状態で、メニューは品切れが続出した。
 このブログやブログ本を見て訪れたお客様が結構あったらしく、帰り際には「松井さんには本当にお世話になりました」という丁寧なご挨拶をいただき、全員にワインボトルまで頂戴した。「このあと皆さんはどうなさるんですか?」とお尋ねしたら、今のところすぐにどこかで開店するというような話はなく、店の方はバラバラになられると聞いて、それは余りにも勿体ないし残念なので、ぜひ大宮で開店してください!!!と言ってお別れした。ありきたりでないメニューが豊富でリーズナブル且つ美味しい店だったから、近いうちに再起を
なさるよう心から願っている。それにしても今度の震災は飲食店等に及ぼす二次被害が大きいようで、結果、良心的な経営をする小規模店がどんどん潰れて、コスト重視で美味しくもなんともない大規模チェーン店ばかりが生き残るようになるのだとしたら、飲食店に生まれた娘としては、実に嘆かわしいことだと言わざるを得ません。


コメント(5)

そう! ぜひ大宮で開店してください!
松井さんのブログを読んで、ぜひ行ってみたいと思っていたさいたま人です。

投稿者 ひろ : 2011年05月26日 11:36

埼玉県人として、是非!大宮での開店を期待しています。
松井さんのブログでお店を知って何回か伺いました。
お料理ももちろん美味しかったし、お店の方がとっても
感じ良かったです。閉店は凄く残念です。

投稿者 sachi : 2011年05月26日 12:41

私もチェーン店嫌いなので、なるたけ個人のお店に行く派です。
いたしかたなくそういう大規模チェーンに足を踏み入れようなもんにゃ、メニュー表の読み方に始まり注文待つ間、間違った場所で並ぶわと、失敗の連続どす。だってわかりにくいんだもん。
飲食店に限らず閉店閉鎖となると、古いお客が詰め掛けて賑わうのは不思議です。
テレビのアナを真似るとすると、「○○年の長い歴史に終止符がウタレル瞬間がイマッ、やってまいりました・・」なんて。
本当はその古いお得意さんが往年の時のように月2~3回通ってくれたら閉店の憂き目に合わずに済んだんでしょうが、そうは問屋がおろさないから悲しいですね。
トシをとるという事は今までフツーにあったもんが突然無くなってしまうのを経験することを言うのかな、なんて。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月26日 19:41

何冊目かの『晩ごはん』で三軒茶屋の「ヌーべ」というお店を知り、上京の折に是非行ってみたい、と思っているうちに、店じまいとは、とても残念に思いました。大宮に改めて出店していただけると嬉しいのですが…

投稿者 armich : 2011年05月28日 12:56

何冊目かの『晩ごはん』で三軒茶屋の「ヌーべ」というお店を知り、上京の折に是非行ってみたい、と思っているうちに、店じまいとは、とても残念に思いました。大宮に改めて出店していただけると嬉しいのですが…

投稿者 armich : 2011年05月28日 12:56



2011年05月26日

豆腐と海老の炒め煮

 QPで見た料理。斜め薄切りした長ネギと千切りした生姜を炒め、グリンピースを足してさらにしっかり炒め、塩と胡椒で下味して片栗粉と油をまぶした海老を入れて火を通したら、酒と砂糖と粗塩と胡椒、醤油、水を合わせた調味料とさいの目切りした豆腐を加え、水溶き片栗粉でまとめて仕上げに胡麻油を垂らす。
グリンピースは生で入れてOK。
昨日久しぶりにお会いした文春の内山さんは妊娠9ヶ月でとてもお元気そうに見えたのが何よりで、「今はもう水道の水をふつうに飲んでますよ。東京なんかに住んでてうろたえるのはナンセンスですよね」と、至って泰然としたものだったから、「確かにあんまり神経質になってイライラするほうが、よっぽど胎児に悪影響を与えそうだわよ」と私も正直なところを話したのだけれど、この問題は人によって全く反応が違って、私よりもずっと高齢な方でも異常なくらい怯えて外出を控えたり、関西に移住なさったりもしてるので、自分がどうするかはともかく、他人様のことは何とも申しあげようがないのであった。
ただ福島の子供たちのことはやはりとても気になるとはいえ、こちらはただ手をこまねいて心配するしかないけれど、地元では少しでも改善しようといろいろ手を打っておられるので、それがなんとか巧く実を結ぶよう切に祈るばかりだ。いっそ思いきって土地を捨てたほうがリスクがないように言うのは所詮浮き草稼業の人の考え方であり、土地に根づいた仕事を持つ人たちにとっては土地を離れずに暮らし続けることが最大の目的となるのは当然だろう。それに極端をいえば、東日本の人全員が西日本に移住することは出来ないし、さらにもっと極端をいえば西日本にしろ東日本にしろ、こんなに地震が多い島国に住んでること自体がリスキー以外の何ものでもないわけである。この島に留まるのはリスキーだが、さりとて豊かな自然に恵まれたこの島を離れて生きるのはもっとシビアな感じがしたから、私たちの先祖は結局のところ、この島に留まる道を選んだのだろう。ということは、即ちもともと自然のリスクに対して頗る楽天的な考え方をするDNAが受け継がれているわけだろうし、だからこそ危機管理能力が欠如してたりもするんだろうか(-_-;)
ところで先日の釧路湿原外乗ツアーでお世話になった鶴居村どさんこ牧場の映像を下記にアップしましたので、どうぞご覧になって束の間でもお心を癒してください。



コメント(4)

大いなる自然がもたらす脅威にはひたすら恭順するしかありません。けれどこの人災には声をあげなくてはいけない気がしています。生来楽天的であると自他ともに認めるところの私でも、国が外部被曝の基準を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに上げた日から、本気でこの国の明日を憂いでいます。
刹那的に生きることを選択できる大人は幸せです。でも、私たち大人が、はっきり意図しないままに拵えてしまった今であることは間違いありません。いつ清算できるかわからない負の遺産を子どもたちに与えてしまった責任をどうとればいいのか、いっぱいいっぱいの毎日です。
天災と人災は区別しなくてはいけません。

投稿者 masque : 2011年05月26日 23:31

今のところ私は、新聞と週刊誌から情報を得ているところが大きいのですが、新聞に出る放射線数値のわからないことと少ないことはお話にもなりません。お茶からセシウムが検出されたら当然他のところで水は大丈夫なのとか思うのですが、新聞も週刊誌もはっきりこの地域の数値はこう出てますときちんと書かれていません。朝日新聞には毎日各地の放射線量が出ていますが、大雑把過ぎて困ります。細かな地域差も、大気と水ではどうなっているのかも、ヨウ素もセシウムもコバルトも考えられる限りの測定をされているのかもわからず、どこかに濃く溜まっているのかも細かく検査されていないので、調べて一番低い数字を並べていても私にはわからないのです。 
 目に見えない色々な特徴を持っている放射線なのにそれのわかる記事は新聞にはほとんど皆無です。私は30代?のころに印刷されたことを無条件に信じすぎると思ったことがあります。原発の今の状況にしろ、役にたたない政治家にしろ、結構新聞がその状況を伝えてくれていると思っていたのですが、今の管総理下ろしは活字もニュースもまともに機能してないので信頼に値しない。
 情報はあるのに、まともな記事がどこにあるのかよくわからない毎日です。
 誰がいつどこで調べたデーターかわからず。 
誠実で客観性に長けた新聞はあるのでしょうか、どなたか教えてください。

投稿者 nao : 2011年05月27日 00:26

naoさん、特定のマスメディアから情報を得るのは、難しいかもしれません。ご参考までに、私は、小出裕章先生関連の記事、武田邦彦先生のホームページには目を通しています。尚、ドイツの雑誌ですが、Der SpiegelのWeb版には感服しています。

投稿者 masque : 2011年05月27日 23:39

>masque様
 この前に続きお教えいただいて感謝しています。まずはお教えいただいたところを拝見してからお返事したかったのですが、読む速度の関係でまだ拝見していないのです。もう少し先にじっくり見たいと思います。
 取り急ぎ、感謝の意をお伝えしたいです。ありがとうございました。

投稿者 nao : 2011年05月30日 02:59



2011年05月27日

カラスミのパスタ、タジン鍋の蒸し野菜

カラスミは元米朝事務所の大島さんから台湾土産として頂戴したもの。ペペロンチーノをベースにして削ったカラスミをまぶした。彼女は初代台湾総督府警視総長で第5代民政長官であった大島久満次氏の曾孫に当たり、つい最近になって念願の台湾旅行をようやく果たされたのだった。
福島の小中学生の野外活動制限の放射線量がようやく年間1ミリシーベルト以下を目標とされ、校庭の土壌の入れ替え等にも国から補助が出されると決まったようで、とにかく市民の要請により事態が一歩でも前進したことは可とすべきだろう。とにかく一応は市民派とされる政治家が内閣の中枢を占める政権なのだから、こうした要求は通って当然ともいえるし、今後も地元の方々が政府に粘り強く要求し、実行を監視し続けることが肝要で、今度の不幸が日本社会にようやく本当の意味での市民による民主政治(それはとても面倒くさいものだから今まで知らんふりをしてきた人も多かったはず)をもたらすきっかけになるのかもしれなかった。
ところでかつて「ベンチがアホやから野球がでけへん」という名?迷?言を吐いたプロ野球選手がいたが、福島第一原発の吉田所長も同じようなことを言って海水を注入し続けたのだろうか?それにしても、「私は一体なんだったのか」と呟く斑目委員長にこそ、「あなたのような人を、原子力安全委員会のトップにいただく私たち国民は一体なんだったのか、何がどうなってるのか教えてください」と言いたいのであった。
日本のあらゆる組織のトップのお粗末さは今に始まったことでもないとはいえ、今度の吉田所長の判断にしろ、前に話題になった中国船突撃ビデオの流出にからんだ海上保安官にしろ、組織人が命令指揮系統から堂々と離れて、それがまた一種の英雄的行為に見られるという社会はあまり感心したものではないどころか、非常に危険な状態にあるといわねばなるまい。何が恐ろしいといって、もちろん首都圏を襲うかもしれない巨大余震や、放射能汚染の深刻化も恐ろしいのだけれど、それ以上に日本社会のタガが完全に弛んでいることや、誰もきちんと責任を取ろうとしない上にそれを追及もしないような雰囲気が、私はとても恐ろしいのである。地震予知を失敗した学者でさえ起訴される国があるというのは驚きだが、さりとて今回の原発事故で誰も責任を取らないとしたら、そのほうがもっと大きな驚きを世界に与えることになるだろう。


コメント(2)

 本当に今の誰も責任をとらない雰囲気は大嫌いです。でもこんな重大事には、社長か責任者が土下座をして終わり。または、関係者の誰かが自殺して終わり。ドラマじゃないのにマスコミの報道はここまでで終わるのでええ加減にして欲しい。土下座した後どう変わったかわかりませんが?せめて一年後にはこうなってたとあればまだともかく、責任も取っていないのにとったと錯覚させるのはマスコミも一役買っているように思います。
 でもどう行動したらこの原発事故の責任が取れるのか、私には具体例が示せません。今朝子様は、どう言動すると、責任が取れると思われますか?。私は少なくとも二十年前ぐらいから土下座や自殺で責任が追求されないのはおかしいと歯噛みしていましたが、いざ、ではどうすれば責任が取れたのかと提示するのは難しくて声をあげてアピールできませんでした。

投稿者 nao : 2011年05月27日 23:39

和風パスタですか、スプラウトのとめが利いていて美しいですね。よきものをくれる友はよき友とありますが、カラスミをくれるお友達をもってらっしゃるのんがうらやましいです。
カラスミって軽く電熱で炙って日本酒ぐびり・・と言うイメージですが、パスタに合わせると、違うイメージになって一興ですね。

ちゃんとした命令系統が無い国。役人にも責任があると思います。縦割りのせいにして、仕事さぼるから。現場にいるから、おかしいな、矛盾してると気づいていても知らんぷり。
小手先じゃない役人改革もしないと。

投稿者 毎晩晩酌 : 2011年05月28日 20:03



2011年05月28日

ポークピカタ、ホタルイカ

明日よりは今日のほうがまだましかと思って午後から乗馬に出かけたが、馬場は完全に泥の川状態で、メチャメチャ水しぶきがあがって人馬ともども泥んこになりりそうだったが、インストラクターの方がレッスン開始直前に水を懸命にかきだしてくださったおかげで無事に終えられた。それにしても明日の日本ダービーは超重馬場で、レースが結構荒れるのではなかろうか。
ところで昨日の深夜はNHKBSでチュニジア革命のドキュメンタリーが放送されて、市民側と前大統領側とがフェイスブックの利用をめぐって熾烈な争いを展開した模様を大変に面白く見たのだけれど、フランスからの独立を勝ち取ったチュニジア市民は国歌を歌いながら大統領の追放を求めるわけで、それがちっとも矛盾しないことに、「君が代」に対するアレルギーのある人も少なくない日本人としては、何とも羨ましいような気持ちにさえなった。つまり市民革命があれば民主主義が自然な形で育まれるというわけで、その点において日本は近代国家としての成り立ちがやや特異であることを改めて感じざるを得ないのだった。
もっとも日本の暮らしがチュニジアより劣るともいえないわけで、革命を起こすほどの酷い状態ではないことに大方は満足しているのだろうし、思いきって国外に追放しなくてはならないほどの強い権力者がいるわけでもないところに、むしろこの国の問題があったりするのかもしれない。
要は責任が取れるほどの人物が常に存在しないまま色んな出来事を引き起こすこの国の不思議さは、第2次大戦の敗北を「一億総懺悔」というコトバで片づけたことに象徴されている。その点、気質が似ているといわれながらも、ナチの追及を徹底的に行ってきたドイツとは180度違うのである。だからこそ今もって世界の信用が勝ち得られないのだけれど、国内的に不思議と許されてしまうのは、こんな弱っちい人に責任を取らせるなんて無理だし気の毒だよね~と思ってしまうような人がよくトップとして姿を現すからである。組織は破綻する直前にわざとそういう人をトップに選ぶのではないかと私が勘ぐり始めたのは、トヨタの創業家帰りではなく山一證券が自主廃業した時なのだが、考えてみればそれ以前に、この国トップは常にリーダー的な存在ではなかったという事実を忘れるわけにはいかない。つまり権力中枢の空洞化と、無責任体質とは表裏一体であり、国内的にはそれでなんとか巧く回ってきたようなところもあるわけで、一概に否定もしきれないとはいえ、グローバルな時代には致命的な欠陥となるから、今後のためにも責任者を追及するという態度はしっかり身につけるべきだろうと思うのだった。で、とにかく個人としては、決して感情的にならずにしっかりとした情報収集をした上で、理屈の通った責任追及をしたいのだけれど、正確な情報を得ようにも、この国のジャーナリズムや既成のマスメディアは非常に扇情的で、且つひょっとしたら報道してる人たちがホントに感情的になってるのかも?と疑うくらい頼りない存在であることは確かに大問題であります(-_-;)


コメント(1)

一夜にして56%減という、ベラルーシの通貨の切り下げも驚きでした。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/201105240000

世界には、独裁国家は本当にいっぱいあるんですね。

最近は、「いろいろと備蓄した方がいい」というようなお話もよく聞きますし。生きていくのが大変な世の中に、どんどんなっているようで、なんだか恐ろしいです。

投稿者 虎ファン : 2011年05月29日 01:28



2011年05月29日

銀ダラの西京焼き弁当、照り焼き鶏のサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
台風2号の影響で埼玉県下に大雨警報が出ている中で1鞍騎乗し、乗馬用レインコートを着ていても肌着にまで水がしみ通るほどのズブ濡れとなって、帰宅後は、食事の前にまずお風呂を沸かして飛び込んだ私である。そもそも、こんな日に乗馬をするなんてどうかしてる!と思われても当然なのだけれど、結構長い間お世話になったインストラクターのS氏が今日でお辞めになるので、どうしても最終レッスンに出たくてクラブに行ってしまったのだった。何しろ馬場は全面泥の川状態で、横殴りのザンザン降りという最悪のコンディションだから、さすがにレッスン参加者は少ないかといえばさにあらず、なんと10名!!!もの部班レッスンになったのはビックリ(@_@)で、結構S氏ファンがいらしたということなのだろう。乗馬というスポーツには馬ともインストラクターとも一種の相性のようなものがあるらしく、S氏とは相性が良い感じだったので、辞められると知ったときはちょっとガッカリしたのだった。
うちのクラブのモットーは安全第一らしく、それゆえ馬のスピードを極度に抑えたレッスンなので、私はときどき軽井沢のクラブに行ったりして速めのスピードに馴れるようにしているのだった。そうでないと、外乗の際のスピードについていけなくて却ってキケンな目に遭うからなのだが、S氏は駈歩になったら余りストップをかけないので、馬たちのテンションが上がってだんだんスピードアップするのが私にはとても心地良かったのである。もちろんそれでヒヤッとしたことも何度かあるけれど、もうよほどのことがない限り落ちる気はしないし、とにかく軽井沢でかなりスピードアップした速歩をして以来、乗馬に関してはまずスピードに馴れるのが第一で、スピードに馴れてこそ、インストラクターの注意にも耳を傾けて落ち着いた動作ができるのだと思うのだった。S氏のお世話になり始めたのは軽井沢に行って以降なので、時期的にも良かったのかもしれない。とにかく一度ふたりきりで駈歩をしてどんどんスピードアップしながら馬場をノンストップで3周くらい回ったのがいい想い出になっていて、私はそれによって乗馬に対する恐怖心がすっかり取れたようなところがある。
今日はレッスン終了後にS氏が現れて「松井さん、いいですよ。もう合格ですよ。今日も見ていてちっともアブナイ感じがしなかったし、慌てさえしなければ大丈夫ですよ。松井さんは、いつも慌てて自爆しちゃいましたからね」というお別れのコトバを頂戴した。インストラクターは全員私よりもずっと若い方々だけれど、皆さん乗馬という一点において、人というものを実によく見てらっしゃることに私はいつも感心するのだった。


コメント(3)

こちら大阪も雨がきつい1日です、それと風も相当なもんです。
おホホホ。Sさんの松井センセへの最後のメッセージを読んでいて、私の松井センセ像と重なったのが
おもしろいです。
私は文章でしか松井センセのことを存じ上げませんが、文章のテンポにいらち(関西以外の方へ、
おおむね、せっかちと言う意味です)な感じがしたもんで。インストラクターと新し語になっておりますが、簡単に言ったら教師ですもん、こちらが「へぇぇ~」と思うように見てるんですね。恐ろしや。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月29日 22:59

昨日のダービーも凄い状況でしたね。
雨が降った時、いつも思うのですが、馬達は雨粒や砂や
泥が目に入らないのでしょうか?
前の馬が蹴りだす砂の量はけっこうありますよね。
人間だったら目を開けていられないと思うのですが?

投稿者 小山 雅子 : 2011年05月30日 10:32

小山さまへ

たぶん馬も人間と同じように瞬時に目をつぶって砂や泥が入らないようにするのでしょうね。睫毛が長いから少しはそれでよけられるのかも。以前NHKで競走馬の調教師を取りあげた特番を見たときに、非常に素質のある名馬でも、馬群に揉まれると前を行く馬の蹴り出す砂粒の痛さを嫌がって途中からずるずる後退してしまい、結果、素質ほどの勝利が得られなくて苦労するという話を知りました。うちのクラブでも雨をひどく嫌がる馬もいるし、昨日乗った馬は停止状態の時は顔を横に向けていましたから、やっぱり苦手は苦手なんだろうと思いますよ。

投稿者 今朝子 : 2011年05月30日 21:09



2011年05月30日

牛肉とアスパラガスのオイスターソース炒め

QPで見た料理。塩と酒で下味した牛薄切り肉に片栗粉をまぶして先に炒め、いったん取りだしておく。生姜の薄切りと同じような形に切りそろえたアスパラガス、セロリを炒め、肉をもどして、オイスターソース、醤油、酒、砂糖、胡椒で味付けし、片栗粉でとろみをつける。オイスターソース等は先に合わせておくといい。
台風が通過してもスカッと晴れないのは梅雨の時期ならではで、今後もこうした長雨が被災地に及ぼす影響はとても懸念されるし、また原発事故に対する影響も気にかかるところだ。明治の三陸大津波の年は全国的に梅雨や秋の長雨が激しかった模様で、中部地方や関西地方の水害で三陸津波を上回る被害者数が記録されているから、地震もさることながらカゲキな気象にも要注意だろう。
 ところで雨といえば、先日うちの近所を歩いていたら、前を歩く母子連れの面白い会話が耳に入った。小学校低学年とおぼしき少年が、「ねえ、ねえ、お母さん、こうして雨飲んだら死んじゃう?」と傘から顔を出して口を開けると、「死にはしないけど、病気になるわよ」とお母さんは淡々と注意し、「でも学校でみんなこうして雨を飲んじゃったりするんだよ」と少年は言い、「もう、さっさと歩きなさい。ぐすぐすしてたら乗り遅れちゃうじゃないの」と、お母さんは全く現実的な注意に終始して、昔とあまり変わらない母子の会話に私個人は多少ほっとさせられたようなところもあったのである。
私の子供の頃も、米ソの核実験が相次いで、雨に当たったらいけないとよくいわれており、それでかえって雨を飲んだりする男子がいたものだった。先日のTV番組で、米ソが核実験を盛んにしていた時代の空気中の放射線量は現在の一千倍もあったという発言を某学者先生がなさった時はさすがにちょっと驚いたもので、それが本当だとしたら、当時は雨に当たらないようにという注意はあっても、水道水や井戸水がキケンだなんてことは誰も教えられなかったから、当然ながら、私たちは子供の頃に多少なりとも内部被曝させられているわけで、「知らぬが仏」とはまさしくこのことだろうと思う。放射線量はむろん低ければ低いに越したことはないとしても、どの程度の量でどういった症状が現れるのか症例は限られているからまだ正確なところは専門の研究者にもきちんと把握しきれないのが実状だろう。現代はとにかく情報量が豊富だし、科学技術も発達しているから何かとキケンを避けることはできるのだろうし、官民挙げてその努力をすべきだろうとは思うけれど、首都直下型地震の可能性にしろ、首都圏の放射線量の測定値にしろ、そのことでややノイローゼっぽくなってる人を見ると、私個人としては「知らぬが仏」の時代の暢気さも捨てがたいような気がするのだった。ただし放射能の問題に関しては、現地の土壌や海水汚染が今後どの程度深刻化するか予断を許さぬ状況であることは間違いない。


コメント(4)

思いだしました、米国とソ連が冷戦状態の頃は毎年お互いが競い合って核爆発の実験をしていましたね、「雨に打たれたら放射能で頭の毛が抜ける」と新聞にも書いてました。しかし食べる物も、もちろん子供が遊んでいる公園の土が汚染されているから気をつけろ!なんて誰も言わなかった。あの頃子供だった人たちが今は働き盛り。

汚染されてない物を口にし、汚染されていない空気を吸って生きるのが理想でしょうが、事故が無くても微量の放射能は空中にあるわけですし、ワイドショー番組で子供が汚染された所で暮らす事にナーバスになり泣いている東京のお母さんが居られたが、人は完璧に安全な所で今までも暮らしていたわけでは無い。これ以上地球が汚染されないようにするにはどの程度不自由を我慢できるか?それを子供たちと話し合い、考える事が今は大事なのでは?と思うのですが。

投稿者 お : 2011年05月30日 22:14

実はこの震災の前から、気になっていることがあって、私の小~大学の同期や前後の後輩先輩、仕事時代の同期に、癌を経験した友人が男女ともに多いのです。1957・8年生まれを中心としてですが。まったくの個人的データですが。既に何人か40代で亡くなっています。昨年も同級生が2名手術し、今年も・・・。
比してみて、一世代上の夫や兄姉の同級会や同期会のニュースでは、年長なのに若い我々より少ないように思うのです。
先日集まりで、ふとその感想を漏らしたら『自分もそう思っていた』と言う意見が幾つか出て、考え込んでしまいました。
幼少時や低学年の頃は米ソ対立の時代で、『雨あたったら禿げるよ~』なんて走って笑ってましたが・・・。何らかの影響を受けたのか・・・と。
まあ、原水爆実験以外に、公害などの大気汚染、食品添加物など、急激に環境が侵されていった時代の成育で、放射能に限定される影響ではないでしょうが。考えすぎかもしれません。この場限りの人騒がせとして、甘えをお許し下さい。
しかし、将来もっと深刻に、『これは2011年のあの日の影響ではないのか』と苦しく不安に思う若い世代が増えてゆくのだと思うと、なんとも切ない気持になります。
        

投稿者 かぶきまま : 2011年05月31日 00:21

六十年代生まれですが、子供のころ(東京では)、雨の降った後は、生水を飲んではイケませんと言われて育ちました。
もちろん、放射能の雨が降るから、必ず傘はさすようにと。

投稿者 yata : 2011年05月31日 06:57

大体前のお三方と同じくらいの年代です。確かに夕立ちで雨が降ってきたら、「放射能の雨、ハゲる、
こういう日に口裂け女が出る」なんて持ってたハンカチを雨除けに頭に載せて~なんてありましたっけ。
まあ汚染された雨とガンの発病率との因果関係はわかりませんが、人間とは気になりだしたら気になって、となるもんですね。
少し逸脱しますが、予防接種の針の使いまわしなんて当たり前な時代でしたよね。
せっかくの使い捨ての注射器に切り替わっていたのに、私の記憶が正しければ1本で3人打ってました。
その時すぐには何も現れないが数十年たってから、社会問題になる。悲しい事ですが避けられないリスクを背負っているもんなのでしょうか。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月31日 18:05



2011年05月31日

新玉ネギの煮物、新生姜の混ぜご飯

共にQPで見た料理。酒と味醂と醤油で味付けした出汁でがんもどき、インゲン豆、新玉ネギの順に入れて煮るだけ。玉ネギから水分が出るので煮汁は少なめにするのがポイント。新生姜は千切りにして梅酢か二杯酢につけて青じそと一緒にご飯に混ぜ込む。
昨夜ベッドの中でたまたま読んでいた本の中にA・カミユの『反抗的人間』からの引用があって、それがなんだか妙に現在のある状況にピッタリ来る気がしたので、ここに引用の引用を試みてしまう。
カミユは「反抗の源には、横溢する活動性とエネルギーの原則がある」とし、反抗者は自分が持っていないものを羨望するのではなく「彼が現に持っているものを、みとめさせようとするのだ」と定義づける。この「反抗」に対し似て非なるものが「反感」で、「反感」の特色は羨望にあって「それは一種の自己中毒であり、密閉された容器のなかで、無気力が永くつづいたために生ずる不吉な分泌物である」という、シェラーの実に的確な定義づけを紹介しているのだった。
こんな時期に!!!内閣不信任案が提出されそうな事態を招いた「反菅」は「反感」以外の何ものでもなかろうと思う。永田町という密閉された容器のなかで醸成された、まさしく不吉で醜悪な分泌物である。
別に菅氏を擁護する気はさらさらないが、菅氏に代わって総理に推そうという候補も示さずに不信任案を提出するという無責任さは言語道断で、これを以て自民党は却って自らに政権担当能力がないことを示したようなものではないか。片や不信任案に同調するかもしれないという小沢グループが、無任所ゆえに復興の利権に与れないことを不満に思って造反するようにしか見えないのは、小沢クンの不徳の致すところだろう。
菅氏のお目立ち根性で現場が混乱し、対人折衝のまずさで官僚が巧く機能しなかったり野党との連携が図れずに関連法案等の通過が難航していることなどはもちろん想像がつくけれど、かといって菅降ろしさえできればすべて巧く行くように言われたところで、それは国会議員みんなで仲良く復興利権の甘い汁の吸い合いができるようにしたいらしいとしか聞こえないことを、政治家はどこまで自覚しているのだろうか。日本という密閉された容器のなかで、無気力が永くつづいた結果、国民には政治家に対する「反感」だけが渦巻いていることをもっと知るべきである(怒怒怒)。


コメント(7)

新生姜の混ぜご飯はさっぱりしていて、食が進みそうですね。
松井センセのとこは、上品梅酢で色が淡く上品ですね。
うっとこ(うちの家)でしたら、自家製ショッキング紫色した梅酢ですので、ビジュアル的にえらいことになってしまう事に・・・。
お店のように出来ないのは、なんでも入れすぎてしまうせいか。
反抗と反感の違い、勉強になりました。どちらかと言えば私は反抗グループに入るかもしれません。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年05月31日 22:53

管さんがどのような方か、実際には存じ上げないし、又今回の原発事故の対応を見ても適切に対処出来ているとは思えません、しかし、じゃあ谷垣氏が総理で自民党が政権を維持していたら適切な対応ができていたか?私は同じだったようにしか思えません。事故発生当時から政権を取り戻すことばかりに汲々としている自民党と、何かあれば「不信任決議案提出」ばかり言ってる自民党総裁。まさに松井様が書いておられるように復興経済の利権争いの中心でいたい!!と吠えているようにしか聞こえない。同じ与党でありながら小沢氏の管おろしは今までが今までだけに「どれだけ利権に食い込むつもり?」と言いたくなります。
下記の注射針使いまわしの件ですが、私も全く原因のわからないC型肝炎、多分注射針の使いまわしだと思いますが、あの頃の日本の衛生状態、経済状態を考えれば仕方のない事だったと思います。できれば絶対的な安全を保障する国であるべきだとは思いますが、どんなに立派な政治を行おうと、時に応じた対処しかできない、それで不利益を被る人間もあると思います。

投稿者 お : 2011年05月31日 22:57

 今朝子先輩のお怒り、全く同感です。もしこれが可決されて衆院解散→総選挙などになった日にゃあ、造反者を出した民主党に入れるのもどうかと思うし、いったいどうすりゃいいんですか!!!(怒)

投稿者 越 : 2011年05月31日 23:04

(怒怒怒)の内容にまったく全てその通り!!!。感じていたけどうまく言葉にならなかった事が明瞭にあらわされていて、つい小躍りしそうになりました。憂いの多い内容なので不謹慎でしたすみません。
 つい少し前、やっとクウネル最新号ゲット。主婦の鑑のような姑にみりんはちゃんとしたもの、お酒はおいしく飲めるものを使ったほうがいいと教えて貰ってタカラの本みりんを使っていましたが、次は佐原の白みりんにしたいなと思います。調味料が上等でも料理は腕によるのですけれどもね・・・。

投稿者 nao : 2011年05月31日 23:49

小澤一郎といえば<金権・談合・密室>自民党の古い体質を21世紀になってもまだ引きずっている、しょうがないおじいさんというしかない。自民も民主もこんなことをやっている場合か、これからの国会は福島、宮城、岩手の三県のスタジアムで国民監視のもと開会すればいいと思います。東京にいるとろくな考えが浮かばないようなので、場所を変えれば少しはまともな策が出てくるかもしれません。(たぶん無理)
国会議員・官僚・東電の偉いさんの家族は東京を離れて避難所に住みましょう。こんなことを友だちと話している昨今です。

投稿者 はな子 : 2011年06月01日 12:20

こんな時に解散から選挙しても、被災地の選挙事情が大変そうですね。
町長が行方不明で不在のところもあるのに。
お様が注射器の使いまわしの事に触れられているのを読んで、深く考えさせられました。
暗い話ばかりでもと、私は小学生でしたが、使いまわしで肝炎になる(何型なのかそこまでは詳しくなかったけれど)原因だと知っていましたので、自分なりに考えて、1本で3人なら、最初の一番目になりゃいいのねと、順番を図って間合いを取ってと、他の子が純真に並ぶ列でゴソゴソしたのを、
担任に期末の日常生活点に悪く書き込まれました!!
今、小学校の日常生活点が良い子は東大生に多いとかなんとかそんな本が売られているそうですが、私にすりゃ親御さんにあてにならんと言ってあげたいですな。
自分で避けるにも小3くらいからやってのける芸当ですから、それ以下に小さい時はムリですので、その時に感染していたら、私もキャリアかも。

投稿者 毎晩晩酌  : 2011年06月01日 18:10

(怒怒怒)の今朝子さん、私はどうやら体力を使い切ってしまったようで、(呆呆呆)でしょうか。哀しいです。

投稿者 masque : 2011年06月01日 21:31