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2011年03月26日
目鯛の西京焼き弁当、魚介のサラダ
乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
クラブハウスで「松井さ~ん」と声をかけられて振り向いた途端、「あなた、来たの!!!」と思わず声が大きくなったのは、それが高校生から大学生になりかけのナッちゃんだったからである。
親しい会員の方とはすでにほとんどお会いしているが、ナッちゃんだけはもしかしたら二度と会えないかもしれないと思っていたから、「ここに来るの親御さんがよく許したねえ」と言ったら、「先週はさすがに一歩も家を出たらダメって言われちゃったんですけど、今日はもう18歳なんだから好きにしていいってことで。家にいたほうがイライラして余計に躰の具合が悪くなりそうだし」と聞いて、「う~ん。確かに私もそうは思うけどね。ただナッちゃんは若いから、ちょっと心配もしちゃうんだよね」と煮え切らない返事になった。ナッちゃんはナッちゃんで、今週乗るのをガマンしたからといって、来週乗れるとは限らない、いや、色んな事情で先に行けば行くほどますます乗れなくなるかもしれない、という気持ちでイッパイなのだろうと思う。福島原発事故の問題に限っても、帰宅してTVを見たらまたしても高濃度の放射能漏れが明らかになっていて、よくなる兆しが見え始めたと思ったらまた後戻りを繰り返すような状況だし、突然大爆発を起こすということにはならなそうだから、それなら家でず~っとガマンしてどんどん暗い気持ちにるよりも、まだやれる時にやりたいことを精一杯やっておきたいと思うのも当然だろう。
「明日はわが身だよ~日本国中探しても絶対に安全なんて所はないんだよ~」と言うのはオペラ歌手のSさんで、明日のために今日をガマンして、ひたすら安全に、安全に、安全にと心がけて生きたところで、人間は先がどうなるかなんて誰にもわからないのだから、思いきって精一杯、今を好きに生きてみようと考える若い人たちが増えるのを私は否定しない、どころかむしろ歓迎している。これは要するに私自身がこれまでの人生であまり安全策を取らなかったタイプだからそう思えるのかもしれない。ましてこの歳になると、一瞬、一瞬、自らの生命に残された時間が消えて行くという感じが強くして、本当に仕事も遊びも付き合いも何もかも、出来る時に出来る限りのことをやっておきたい気持ちになるのだった。
ナッちゃんのほかにも「松井さ~ん」と声をかけられて驚いたのは、以前さんざんお世話になって、所内結婚で離職された女性インストラクターのおふたりで、お会いしてとても懐かしかったし、もしかしたら今は日本中の至る所で懐かしい再会があったり、人の輪が広がったり、絆が強くなったりしていて、あながち悪いことばかりではないのかもしれないと思ったりもしたのだった。
「仙台から来た馬たちが3頭いるんですよ。可愛いから見てやってください」とナッちゃんが言うのは、仙台の海浜公園にあった系列のクラブで被災し、自分たちが助けなかったら誰が助けるんだという意気込みで全国のから参集したスタッフの手で救出された馬36頭の内、3頭がわがクラブに避難してきたことを意味していた。人間のためにそこに居合わせた馬たちが、人間に見殺しにされなかったのは、人間にとっての救いであると私は思う。写真は救出された馬の1頭で、心なしか哀しげな表情に見える。
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