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2011年03月15日

外出問題

福島原発事故が深刻化するなか、ここ埼玉や東京にも放射線量の微増が認められたようで、そのことに関する正式な報道があったから、まだ政府は信じてもいいような気がしたのだけれど、東電側が政府に嘘をついてもっと悪い事態を隠しているのではないかという疑惑が、ひょっとしたらネット上に溢れているのではあるまいか。それもまた原発関係者の隠蔽体質が招いた失態と言わざるを得ないだろう。
私は明日ある出版社の方と東京で打ち合わせをして、そのあと池袋の東京芸術劇場で芝居を見る予定があったが、芝居は公演中止になるかと思いきや、同行する元ぴあの坪池さんから、予定通り会場で待ち合わせをするというメールが入って、出版社との打ち合わせのほうは流れてしまった。
マネージメントをお願いしている幻冬舎のヒメからは、「外出は絶対に避けてください!!!」と強く言われ、講談社の堀さんと同じように「できれば今のうちに、京都へ帰られたほうがいいと思います。すでに関東を脱出した著者の方もいらっしゃいますし」と聞かされるも、昨日書いた通り、大宮から逃げだすということは今のところ考えておりません。
原発事故に関していえば、地震と重ねて被災地になった土地の方々が、30キロ圏内の避難所に留まっておられるのに、もっとずっと離れた場所に住んでいる私たちが逃げだしてどうする!!! という何やら義憤めいたものを覚えるのである。こんな時にスーパーで買い占めするなんて、一体どういう神経だ!!!と怒りたくなるのと根は同じである。ただ子供を抱えておれば、また話は別だと思う。遠くに避難したり、なるべく外出が避けられるように食料を確保したい気持ちになるのもわからないではない。
私は子供がいないので保身する気持ちがさらさら起きないのか、もともと動物の♀に必要な保身本能が欠如してるからこそ子供が欲しいとも思わなかったのか、いずれにせよ、これくらいの歳になればもう別に子供がいようがいまいが、保身に走るのはとても自分本位であることを大いに自覚して、スーパーやコンビニ等での見苦しい買い占めは謹んでほしいものだ。もっとも近所のスーパーは品薄でも、早い目に行けば食材が調達できたので、今日は豚挽肉とジャガイモの千切りの甜麺醤炒めを作ってみた。
芝居も公演中止でなければ見るしかない。通勤者でさえ大変なのに、何もわざわざ芝居を見に出かけることはないと言われたら、それはその通りだけれど、役者たちがこんな時でも躰を張って芝居をするなら、こちらも躰を張って見届けてやるのが演劇ファンの心意気じゃなかろうかという気にもなるのである。私はふだんこのブログで自分が見た芝居のこと好き勝手書いてるわけなので、こんな時に背中は見せられないといった感じかもしれない。
私の母親は戦時中のタカラヅカファンだから、空襲の警戒警報が発令されるたびに舞台が中断し、一時防空壕に避難してから、また続きを見るというようなことがしょっちゅうだったとよく聞かされていた。空襲で多くの人が犠牲になり、黒こげになった死骸の山を横目に歩いたという母親が、自らも命を落としかねない状況下で、そういう時だからこそ限りある人生を精いっぱい楽しもうとしていたのだとして、子ども心に深く刻まれた話である。


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コメント (6)


大宮にいて推移を見届けようというご意見、同じ埼玉に住む者として嬉しく拝読しました。
東日本一帯にはかつてアイヌ民族が広く住んでいたことが
古い地名からもわかると聞いたことがあります。
東北を特別視せず、大げさでなく共に生きよう、
みたいな気持ちになれればいいと思います。
それにしても今回の買い占め騒ぎを見ると、
以前の米不足と輸入タイ米拒否の騒ぎや、
さらに昔のオイルショック時の
トイレットペーパーや洗剤買い占め騒ぎを思い出します。
あの時もみんなで大騒ぎした挙句、一段落したら何もなかったようにケロッと忘れてしまう様子に唖然とした覚えがあります。

投稿者 O次郎 : 2011年03月16日 07:13

被災された方や原発のために避難生活を強いられた方が、少しでも心の休まることがあるように祈らずにはいられません。
 ですが、電気に限らず首都圏は食事その他すべて首都圏以外に支えられていると思うので買占めには走りませんが、生活に必要なものを一ヶ月分くらいは、備えておきたいと思っています。人口の多い東京周辺でそれぞれが少し備蓄してそなえようとしていることが、品切れにつながっているのではないでしょうか?。静岡で昨日今日と強い地震が起こったように、いつ自分の住むところが被害の中心になるかわからないですし。
 準備や備蓄をしないことは潔いかもしれませんが、災害が自分に降りかかったとき苦しむと同時に救援しようとする人々に負担や迷惑・心配を余計にかけるのではないでしょうか。
 災害が起こったときに即死できるわけではなく、運命に翻弄されるかのようにこんなことなら死んだほうがましだと思うくらい過酷な状況で生きていかなければならないこともあるので。
 失礼なコメントになったかもしれませんが、ここ数日よくスーパーで買いだめを馬鹿にしている発言を聞くので、〔特に2・30代の人〕、必要以上に買い占めるのはいけないですが、普段ものあまりで備蓄してない人が必要な分を買うのは非難されるいわれはないと思うのです。

投稿者 nao : 2011年03月16日 13:23

大抵のお店が品切れの時に「申し訳ありません」というお知らせを貼っているけど、うちの近所には「そんなに必要ですか?皆が最低限買えるようにしませんか?」と貼っているお店がある。みんなそれを読んで我に返っている
というtwiを読みました
生きたいって気持ちが買いだめに走らせるのでしょうが
その行為がさらなる品不足につながることも考えたい
今飢えている人のことも

投稿者 天 : 2011年03月16日 14:15

テレビでもよく買占めは止めるように呼びかけていますよね。程度の問題で必要な分を買いだめるのを悪いことのように言うのはよくないと思います。被災地に回す分がなくなるからといった言葉を新聞でもみますが、小売に回す前に被災地に送る分は用意して中卸や大卸が準備する可能性が高いと思うのですが。 
 最近は大卸や中卸といった仲介業者を通さない所もあるかも知れませんが、小売で売り切れ続出というのが本当に被災地に送る分に影響するのか疑問があります。
 もちろん被災されている方が十分に衣服も食事も不足なく暖かくすごして欲しいとは思いますが、実際は非常にきつい生活になっているでしょう。首都圏は買いすぎていることもあるかもしれませんが、資金の関係もあり大方は必要プラスアルファでしょう。それによる影響は微細なのでは?
 いつでも、アフリカなどの飢えている子を救おうなどと募金活動を目にしますが、実際にどれだけ募金されてそれを着服、必要経費にされているのでしょうか?善意で見ればすべて募金が生かされているのでしょうが、実際は必要経費を引けば半分以下なのでは?
 別に品切れが続いても仕方ありませんよね。被災地に回すために補充できませんといわれもても、文句を言う人は少数ですよね。私は今の報道に疑問が多々あります。生きるのも即死するのも本当に辛い事。軽々にインタビュー?。

投稿者 nao : 2011年03月16日 16:13

失礼ながら、黒こげになった死骸の山を横目にタカラヅカを観に行ったものだというお話は、私には逆の意味で深く心に刻まれます。
そんな時だから、こんな時だからと、何故そんなに力む必要があるのでしょうか。

投稿者 厚生 : 2011年03月16日 17:29

先のコメントは全く失礼な事なので取り消します。
済みませんでした。
どなたか削除の仕方をお教え下さい。

投稿者 厚生 : 2011年03月16日 20:44

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