トップページ > 神頼み

2011年03月12日

神頼み

けさは6時台にケータイの緊急速報に叩き起こされて、画面を見れば神奈川県に強い地震とあったので、これはもうお終いだと思って恐る恐るTVを点け、すぐに誤報とわかってホッとするも、未明に長野の栄村で強震があったことを知って驚き、一夜明けた東北関東太平洋岸沿いの惨状を見て胸がつぶれる思いだった。茨城の大洗に大学時代の友人が住んでいるが連絡はつかないし、このブログの読者で引っ越し祝いをお贈りくださった荒谷美智さんが三沢市在住なので一体どうなさっているか心配でならない。ほかにも読者で被害をお受けになった方は、落ち着かれましたら、どうぞこのブログにご報告くださって、必要となさるものなどをお知らせください。できるだけのことをさせて戴きたいと存じます。
今日できたのはメール等で親しい方々に連絡を取るのと、近所の氷川神社にお詣りをすることくらいで、こういうときは冗談でなく神頼みをするしかないような気持ちにさせられる。お寺にお詣りすると、先祖の霊が自分を守るように願いたくなるのだけれど、神社にお詣りすると、ふしぎに自分よりも、この土地を、日本を守り給えという気持ちになるものなのである。
地震が絶対に不可避なこの国の海岸線に、なんだって原発をこんなにたくさん設けたのか!!!という問題はこれから大いに検討の余地があるとしても、今はただなんとか被爆が避けられることを願うしかない。
今度のような凄まじい天災に見舞われると、自然に対して人間は実に無力であって、儚い存在だということを、観念的にではなく、いわば皮膚感覚的に思い知らされる。サバイバルではあっても、独りだけ生きのびることが生物的な快感にはつながらないことも併せて知るのだった。
とにかくこれを機に、人心は確実に変わるだろうと思う。できればそれがいい風に変わってほしいものだと
願わずにはいられない。


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/1847

コメント (9)


顔のない読者の一人です(^_^;)
料理と馬にはあまり興味はありませんが、日常茶飯事や時事への鋭い切り口と軽妙な語り口に、毎日楽しみにブログを拝読しております。
今回は、カミソリの陰にある羽毛のようなお心根に触れることができ、嬉しくてコメントをさせて頂きました。

投稿者 小林 厚生 : 2011年03月12日 21:38

福島に住む友人と昨日から連絡が取れません。伝言ダイヤルにアクセスしても「今このダイヤルは被災地から優先となっていますのでおかけ直し下さい」被災地から無事を知らせる事はできても、被災地に住む人の安否は確認できないのですね。
福島第一原発冷却のために海水が投入されましたが、このために蒸気が発生して放射能漏れは無いのでしょうか?世界でも初めてのケースだそうなので、素人の浅知恵は悪い方にしか予測ができません。アホの勘ぐりで終わって欲しいですが。

投稿者 お : 2011年03月12日 22:34

海外からの読者ですが、ネット経由で見る映像・ニュースは想像以上で地震や津波の被害がなるべく少なくすむように祈るだけです。原発に関して、以下のサイトをご覧下さい。
http://smc-japan.org/?p=1057

私は原発の専門家ではありませんが、科学者の端くれとして少しでも多くの人に正確な情報が行き渡るよう願っています。もっと分かりやすい情報が見つかったらまたアップさせていただきます。


投稿者 Tomoko : 2011年03月13日 07:44

地震による原発事故については、広瀬隆氏が随分前から多くの著書で警告を発しています。スリーマイルやチェルノブイリのようになったら日本壊滅です。
氏の最新著書「原子炉時限爆弾」ダイヤモンド社。さらに2009年の講演「浜岡原発の恐怖」(南海東南海地震を想定)も福島原発の事故を連想させます。http://www.ustream.tv/recorded/2212425

一愛読者より

投稿者 伊藤英男 : 2011年03月13日 10:07

友人からの情報で、松井様の料理等のブログを楽しみに時々拝見しております。 阪神大震災を経験した者です。 振り返ってみても、避難当日の記憶が曖昧で、かなりの寒さの中で、どのように暖をとったのか、何を食べたのかも思い出しません。 阪神大震災後、いろんな所で災害が発生し、その都度、被災された方に思いをはせておりましたが、今回ほど胸の潰れそうな思いをしたのは初めてです。 避難されておられる方が、体調を崩されない事を祈るばかりです。 助かられた方が、落ち着かれて後 生活等の不安も感じられると思うと、少しでも被害が少なく事態が良くなる事を祈っております。 又、原発等の問題も深刻で、周辺の住民の方の心配はいかばかりかと思います。政治をあづかる人達が、お互いの足を引っ張り合うことばかりに終始しているこの国の有り方に不安をぬぐいきれません。 

投稿者 mso : 2011年03月13日 16:45

初めて投稿します。今朝子さんのブログ楽しみにしている1人です。阪神大震災の経験者ですが、それをはるかに上回る規模の大きさにただただびっくりしています。
この場をかりて被災された方に心からお見舞い申し上げます。
今私に出来る事は節電と募金くらいしか思いつきません。
若ければボランティアに駆けつけたいところですが、其れも叶いません。

投稿者 YUU : 2011年03月13日 17:28

ほぼ毎日、楽しみにアクセスさせていただいております。
荒谷美智先生は、ちょうど3月11日から2泊3日で開催されていた埼玉県の国立女性教育会館での交流学習会議に出席されており、ご無事です。
戻りをどうされるのかをお聞きできませんでしたが。。。
青森、岩手からたくさんのご参加があり、盛岡の方々はレンタカーで帰られましたが、ご無事に戻られることを祈ることしかできません。。。

投稿者 mm : 2011年03月13日 20:16

松井さんの新刊を人生の楽しみのひとつとして細々と社会の片隅で生きているものです。仕事がら11日は8時ころまで避難所開設の準備をして、そのあと帰宅難民です。一人暮らしのお年寄りなどは不安で、、、集まってきておられました。家に帰りついてほっとしましたが、、体中緊張がとれず、こうゆらゆらくると、、夜もよく休めず、ラジオに耳をすませています。ラジオのほうが映像がない分、情報が頭に入りやすいです。長く生きてきたので、チリ地震の津波なども、知っていましたが、こんなことになるとは、、、日々の平穏無事ということがどんなに大切か、、、つい松井さんの温かなコメントに何か書きたくなりました。

投稿者 trinity : 2011年03月13日 21:08

覚えていていただいて光栄です。3月11日は埼玉県嵐山町の国立女性教育会館におりました。青森県から8名(六ヶ所村関係者3名)来ておりました。16日までは宿泊費を会議扱いにして下さる由。六ヶ所村関係者2名を先に帰すため、13日には森林公園の羽田行きバス乗り場まで送って行きました。青森市内の大学の卒業式に主席するため17日に羽田から青森に飛びました。青森から三沢方面に行くのがまた一苦労で、十和田行きのバスで七戸十和田まで行き、駅近くにある東八甲田温泉に宿泊しました。19日に六ヶ所村内に所用あり、七戸十和田駅に駐車してあったマイカーで六ヶ所に向かいました。七戸町でも途中の上北町でもガソリンスタンドが長蛇の列で、東北町の山間部のスタンドで10L補給でき六ヶ所に向かいました。平沼で用事を済ませ、一先ず尾(馬交=ぶち)の文化交流プラザに何日かぶりで
出勤しました。夕刻、三沢の自宅に向かいましたが、海側の国道338号は通行止めで、往きに通ってきた山間部の道を、東北町、上北町経由で三沢市の自宅に辿り着きました。19日夜でした。電話は吹っ飛んで受話器がはずれ、本、雑誌、新聞、書類の山は全てくずれ(私は三沢では本棚は持たず、積み上げ方式にしていました)歩くこともできませんでした。それでも11日から久しぶりに帰ることが出来、
紙類の谷間で、ほっとして休みました。帰沢第1日。    荒谷

投稿者 荒谷美智 : 2012年11月18日 17:12

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。