トップページ > しそ餃子、茄子の煮浸し、南瓜と高野豆腐の煮物

2010年07月12日

しそ餃子、茄子の煮浸し、南瓜と高野豆腐の煮物

駅そばの伊勢丹クイーンズでゲット。ここは食材がそろっていて「今朝子の晩ご飯」の心強い味方だが、今日はさすがに料理ができなかったどころか、どこに何がしまってあるのかわからないため、うちで食べるだけでもまだ大変な状況であります(-_-;)役所の届け出もあって、待つことと、探すことで1日が暮れたという感じだし、ドメスティックプロの妹が帰ってしまうと家の設備や家電を使いこなすのも大変で、家の中には色んな書類が溢れかえっているから、それらの仕分けにも相当の時間を費やすはめになった。それにしても世の中には不要な書類が多すぎるのではあるまいか。
せっかく氏子となったのに、氷川神社にはまだお詣りするどころか参道にも足が向けられないくらい雑事に追われて毎日があっという間に過ぎて行く。なんとか早くお仕事モードに切り替えないと、このまま延々ドメスティックモードに埋没してしまいそうで恐ろしい。
ところで参議院選の総括もさることながら、今日のニュースで個人的に感慨深いのはつかこうへい氏の訃報である。先日、井上ひさし氏のお別れ会があったばかりだし、今年は70~80年代を代表する劇作家の死が相次いだことになるのだろう。私はつか氏の出発点となった劇団「暫」の旗揚げ公演をたまたま見ていて、有名作品も初演で見ているケースがけっこう多いが、確か80年に新宿・紀伊國屋ホールで「井上ひさし三部作」と「つかこうへい三部作」を連続上演して、そのうち井上作品では「雨」と「小林一茶」が、つか作品では「いつも心に太陽を」と「蒲田行進曲」が強く印象に残っており、戯曲の完成度においてはそれらが両氏のピークであったようにも思えるのだった。両氏は世代を異にするも、当時紀伊國屋ホールで連続上演されたことを考えると、やはり同時代作家といっておかしくはないのだろう。
正直いって井上氏が年齢のわりに現役バリバリを感じさせたのに比して、つか氏のほうはとっくに終わってしまった感が否めなかったとはいえ、演出的な面もふくめて次世代の演劇人に与えた影響はむしろつか氏のほうがはるかに大きかったと断言できる。つか氏が従来の演劇のアンチテーゼとして披露したはずのスタイルが、その後いわゆる小劇場スタイルとして型モノ風に定着していったことは、当初はなんとも皮肉な現象に思われたのだけれど、今やそれを指摘できる人も少なかろうと思う。


このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kesako.jp/cgi-bin/mt/mt-tb_kesako2.cgi/1602

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。