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2009年11月18日

葱ラーメン、餃子

シアターコクーンで「十二人の怒れる男」を観る前に近所で食事。
アメリカの陪審員制度を背景にしたあまりにも有名な同タイトル映画の舞台版で、日本の裁判員制度のスタートにひっかけての上演と思われるが、恐らく50年前に映画が公開された当時よりも現代のほうがこの作品をはるかに身近なものと感じられるはずで、それは日本人や日本社会のありようがこの50年間で大きく変わったからだろう。今私たちはまぎれもなく、この作品で扱われた少年の父親殺しという犯罪が実にありがちな事件だと思える社会に生きているのである。
最初から唯ひとり少年の無罪を主張する、映画でヘンリー・フォンダが演じた陪審員役を今回の舞台では中井貴一が演じており、クール且つ柔らかなトーンの声を活かして「合理的な疑い」こそが「安全装置」たり得る社会の良識派を代表する人物を巧く造形しているが、今回の舞台で見ると、彼はむしろ狂言回し的な役柄になっていて、ドラマの核心はわが子との確執から感情的に少年を裁こうとしていた陪審員の心理的葛藤にあるとしたのは、演出家蜷川幸雄の戯曲の読み解きによるものかもしれない。西岡徳馬がこの役を熱演して、ラストを非常に巧く締めくくった。微妙に照明を変えた効果もよく出ている。観客に四方から囲まれた舞台で、出演者はだれも集中力を欠かせない厳しい演出の中で出演者それぞれに奮闘してはいるけれど、欲をいえば各俳優の声のトーンを考えてもう少しバラエティーに富んだキャスティングを組むなり、演出で声の出し方にもっと注文をつけてほしかった気がする。なにしろ声だけが頼りのドラマだけに、声域が狭い俳優だとこちらも折角御のセリフを聞き流すはめになるのだった。


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コメント (2)


こんばんは。
同じ舞台を観て、その日に評論を読める幸せを噛み締めております。
休憩時に思わず声をかけてしまいましたが、ふわふわとあがってしまい、せっかくお目にかかれたのに、何にも言葉が出ず、自分のなかにまだあった初々しさにちょっと驚いている次第です。
隣席の方に往生した観劇でしたが、おかげさまで本日上々というところです。


投稿者 masque : 2009年11月19日 00:33

masqueさんだったのですね!よくご投稿を頂戴してるので、名乗ってくださったら、こっちもわかりましたのに。

投稿者 今朝子 : 2009年11月20日 23:59

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