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2008年03月01日

刺身、薯蕷蒸し、ごま味噌グラタン、蕗の薹の天ぷらほか

2/29の夜は久々に中村京蔵さんと会って、近所の和風料理店「木村商店」で食事をしながら、例のごとく言いたい放題で歓談の時を過ごしました。その内容のほとんどがブログには載せられないかと思いきや、「もう、どんどん書いちゃってくださいよ」とのことだったが、最近のいわゆる御曹司の歌舞伎破壊の凄まじさを物語るエピソードがいくつもあって、歌舞伎は別に古典でもなんでもないし、そういった意味でありがたがる必要は全くないのだという事実を再確認できた感じである。「かさね」の清元連中に「そこんとこは長唄風に語ってください」というドバカな注文をつけたEとKは論外だし、丸本狂言の上演時間を通常の15分も引き延ばしたKとKなども心得違いが甚だしく、今後の歌舞伎を中心になって背負っていかなくてはならない人気若手俳優をこんな風に野放しにしておきながら、日本の古典芸能を預かるという立場を世間に吹聴している興行関係者やスタッフ、評論家等の責任は、国技を称する相撲界と同様にもっと責任を問われてしかるべきではなかろうか。そのほか昨今の海外公演における安易なアレンジの問題、「二枚目」という役柄が全く理解されなくなったこと等々いろいろ話し合った結果「僕は自分が歌舞伎役者じゃなかったら、今の歌舞伎なんてもう見ませんよ」との発言まで飛びだして「それも書いちゃっていいわけ?」と私は思わず念を押したほどだった。
その時々の観客に迎合するのは興行の宿命で、歌舞伎はあくまで興行という枠を離れては成立しいない芸能だけに、変化していくのは当たり前だと私はもちろん思っているし、だからこそ私のような歌右衛門ババアはもう見る必要もないと思ってあまり見に行かなくなったのだけれど、私は歌右衛門を少なくとも30年以上は追っかけて見ていたわけで、なぜそんなに長続きしたのかといえば、ひとつには理解するまでが大変だったから、すぐには飽きなかったということもあるのだった。
 手に入れやすいものや、わかりやすいものは、一方ですぐに捨てられ、飽きられるかもしれないというリスクも背負ってしまうことになる。ただし間口を広くしなければ、だれも入ってこないというのも消費社会に甘やかされてここまできてしまった日本の現実であり、歌舞伎によらず、古典芸能によらず、何事においても同様で、京蔵さんの嘆きはとても他人事とは思えなかったのであります。
ところで海外公演といえば彼はインドネシアでの公演を無事に終えて帰国したばかりで、バリダンスの伝統がある現地での反応は今まで訪れた国の中でも最も良かったらしい。ただし鳥インフルエンザの流行に戦々恐々とし、帰国直後にはスマトラ島の地震が起き、「ほんと命がけでしたよ」とのことでした。


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コメント (1)


E様は宗家の御曹司様?河東節の御連中にも注文をつける事ができる?お方ですし、K,K,K様達も鳴り物の方達に注文をつける事ができる!!とお小さい頃から思ってお育ちになられたからでしょうね。叉それを周りもお止めする事をしない、できない雰囲気、まずその雰囲気から変える事でしょうね。京蔵丈の歎きは御もっともなれど、歌舞伎という興業が成り立つようにもして行かないといけません、家柄とお顔立ちだけでも客が呼べる方も必要ではないかと。ただしそのような方はできるだけ少数にして頂きたいものですが。

投稿者 お : 2008年03月02日 22:09

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