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2008年02月27日
刺身、温野菜のサラダほか、
世田谷パブリックシアターでサイモン・マクバーニー演出の「春琴」を観たあとで、集英社の八代さん、スラッシュの守部さんと近所で食事。夕方スラッシュの事務所で「ゲーテ」の取材を受け、そのとき守部さんと終演後に食事を一緒にしようと約束して独りで出かけたら、劇場でタマタマというかマタマタというべきか八代さんとバッタリ!なので3人で食事して八代さんにゴチになってしまいました。
今年上半期演劇界の最大の話題作といってもいい「春琴」ながら正直言って期待はずれの感は否めなかった。前回の村上春樹作品をモチーフにした「エレファント・バニッシュ」は非常にコンテンポラリー且つボーダレスな舞台として感銘の深い作品だったけれど、今回は鬼才マクバーニーにして従来の西洋人的な日本観から一歩も出ていないような印象を受けた。つまりは「はっきりしない」ことというよりもむしろ「はっきりさせない」ことに美なり真実なりを見いだすのが日本的であるという観点に沿って『春琴抄』を丸ごとそっくり群読風のスタイルで再現し、合間にちらっと朗読をする女優の私生活をかいま見せるようなシーンがあるが、これがいささか陳腐な盛り込みだし、『陰翳礼賛』の引用もありきたりなものに留まる。春琴を人形に見立てたり、引き抜きで衣裳替えしたり、バックに映像を使用するのも、これまでのマクバーニー作品と比べてさほどの新鮮味は感じられない。
ただ一つ捨てがたいのは、谷崎が『春琴抄』と『陰翳礼賛』を書いた昭和8年という時代の風俗や社会現象を視覚化して、両者は日本が近代化のまっただ中にある時代だからこそ書かれた作品であることを強く意識させた点で、こうした視点は日本の演劇界においてはもとより、文学界でも新鮮だったのではあるまいか。
ところで八代さんと食事しながら話していておかしかったのは、仏文学者の奥本大三郎氏が小説?をお書きになって、その中に勝見洋一氏とおぼしき食通の友人が登場して「ボクはあの『川上』の主人に鯛の捌き方を見込まれて、娘を嫁にやるといわれたくらいなんだ」と料理の腕を自慢するセリフがあるらしいのだが、その娘というのはひょっとして私のこと?と八代さんは思い、このまま本にしちゃっていのかなあと悩まれたのだそうである。勝見氏は昔から「川上」の顧客に間違いはないのだけれど小説の中では奥本氏は奥山先生になり、勝見氏は平田氏になってるそうなので、なぜ「川上」だけがマンマなのか!娘の立場は一体どうしてくれるのか!と私は奥本大三郎先生に抗議を申し上げたいのであります(笑)。
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