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2008年01月23日
リア王
昨夜はさいたま芸術劇場で蜷川演出の『リア王』を観て帰宅が遅くなった。
いや〜、なんだかスゴイもん観ちゃった…と感じさせたのは今回に限り演出とは全然関係なくて、一にも二にも主演の平幹二朗である。
75歳にして、あの朗々としたセリフまわしもスゴイが、幕開きからエンジン全開のハイテンションに脇役陣まで引きずられて、ただならぬ緊張感の漂う舞台だったのである。今どき歌舞伎役者でもこんな人いないよなあ〜と思える顔の立派さと体格のよさからいっても、現代にリアを演じさせたら世界に誇れる役者かもしれない。演じられるのが決して立派な王ではないからこそ、逆に立派な彼の肉体を必要とした蜷川さんの演出意図が非常によくわかる。道化にお前は「リアの影だ」と言われてしまうくらい、王は過去の栄光から遠ざかって老人の愚かさを剥き出しにするが、その子供に戻ったような愚かしさをヒラミキが演じると妙に愛嬌があってかわいらしいのも、老境に達した俳優ならではだろう。それでいてアフォリズムに満ちたセリフのひとつひとつが非常に粒だっており、老王は狂気となった後に、道化に代わって物事の「真実」を穿つ役割を担うという、この芝居の構造もはっきりする。それにしても、わが実家なんかもそうだが、現代ニッポンの高齢化社会では一家に「リア」を抱え込んでる家庭も少なくないだろうから、今やこの芝居ははなんとも身につまされる話である。
蜷川演出に関しては、嵐の場面で上から岩のようなものをボタボタ降らせる意味が全くわからず、BGMに能囃子を多用するのも邪魔になったが、先にも書いたように、今回は演出なんて関係なくただひたすらヒラミキ・オン・ステージ状態で、カーテンコールでヒラミキが最後に登場すると、吉田鋼太郎にしろ、瑳川哲朗にしろ、これまで主役も張った面々が皆、タカラヅカの大階段前で整列してトップを迎える二番手三番手ような感じに見えたのであります(笑)。
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コメント (2)
わたしは先日、仲代達矢主演の「ドン・キホーテ」を観たのですが、やはり75歳、父と同い年とは思えませんでした。劇中では妄想を抱き続ける老人ですが、カーテンコールで出てきたときの身のこなしの軽々したこと!驚嘆しました。
平幹二朗もいいでしょうね。舞台で観たことはありませんが。
投稿者 ぱぐ : 2008年01月23日 12:59
たしかに、すごいもんでした。
人間って、ずっと変わらずにいることはできないから、権力や愛にすがって、現実から逃げようとするのかもしれない。
老境に至り、リアは以前に増して権力を誇示すると同時に愛を執拗に確かめずにはいられなくなる。衰える自分を自覚する恐怖と孤独ゆえ。
悪者も善人もいない、それぞれの人生の悲しみが生む悲劇。恐怖と孤独に足掻かずにはいられぬ者たち・・・。その悲しさと切なさが、それぞれの登場人物から立ち上ってきました。
鳴り止まぬ拍手でしたが、スタンディングオベーションになるまで、カーテンコールを繰り返し、誰も帰らせてくれなかった平さんは、劇場を統べる王でした。さすが!
投稿者 梅原真紀子 : 2008年02月03日 23:49