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2008年01月01日
おせち、白味噌雑煮
旧年中は多大なご支援を賜りまして誠にありがとうございました。
今年もまた何でもかんでも俎上に載せて本音で書き散らす当ブログを継続致したいと存じまずので、皆様どうぞよろしくお願いします!
写真は元旦恒例「祇園 川上」のおせち。
これが只で食べられるのはやっぱりうれしいかも(^^)ゞ
2008年01月02日
おせち、お雑煮
昨日の続きであります。
白味噌汁は多少煮詰めたほうがまろやかで美味しいというフシギな味噌汁だから、今日のお雑煮もOK。とにかくふつうの味噌汁では考えられないほど味噌を大量に使い、昆布出汁にしろ鰹出汁にしろ、出汁の味が勝ちすぎると舌に障るので、常に味見が大変である。煮詰めたほうがいいといっても、焦がすとパアになるし、ちょっと強火にすると吹きこぼれや泡立ちが激しくてキッチンを汚してしまう。今年はキッチンも汚さず、まずまずの味に仕上がって、新年早々幸先がいい感じでした(^^)/
コメント(1)
新年おめでとうございます。本年も、旧年にも増してのご活躍を祈念申し上げます。お馬も俊寛殿も・・・。ところで、白味噌のお雑煮、すごくいいお色ですね。ふんわりした茶碗蒸しのような。わたくしは東北出身なので醤油味のお雑煮ですが、徳島出身の相方の希望で、試しに一昨年の正月に白味噌のお雑煮にトライしてみました。ネットでレシピなど探して見よう見まねでやりましたが、生まれてこの方、初めて作り初めて食べるお雑煮だったので、結局OKだったのかそうでなかったのか分からずじまい。いい色見本をゲットできてよかったです(^w^)
投稿者 ふみ : 2008年01月03日 11:51
2008年01月03日
キーマカレー
最近は聞かなくなったが「おせちに飽きたらカレーもね」というTVCMが一時やたらと流されて耳についたせいか、三が日の最終日は必ずカレーを食べる習慣で、今日はSBのキーマカレーセットを買ってレシピ通りに作ってみたが、玉ねぎのみじん切りを弱火で飴色になるまで炒めるなど、結構めんどくさい手間暇をかけて、まずそこそこの味に仕上がった。
けさは早くも仕事始めで(--);旧年中に片づけておきたかったエッセイの原稿を1本書き終え、夕方からは仕事と関係のない読書に耽り、夜はのんびりとTVを見ながらの食事。
で、NHK時代劇タッキー主演の「雪之丞変化」を見ようかどうしようかと迷いつつ、結局ちらちら見てしまう。なにせ「雪之丞変化」といえば市川崑監督・長谷川一夫主演のそれを封切り時に見ている私としては(歳がバレバレ(笑))、そうムツカシイこともいいたくないし、タッキーもそれなりに健闘はしてるし、中尾彬以下の悪役がはまりどころだし、全体に想像したよりもましだったのでホッとしたが、劇中劇の「将門」は市川左団次が付き合っていても、さすがに戴けない。所作のほうはなんとかカタチがついてるのだから、歌舞伎のセリフ回しは無理だとわかった時点で、誰か吹き替えを頼めばよかったのに〜と思ってしまった。
それにしてもタッキーは健闘したとはいえ、あまりにも清潔な優等生っぽくて、隠微さのかけらも感じられないのは致命的で、昭和初期のデカダンスを匂わせた演出とはまるで相容れないのである。同じジャニ事務なら、ちょっと前のモックンか東山あたりで見たかったなあ、というのが正直な気持ちです。
コメント(2)
タッキーの「雪之丈変化」全く同感です、せめて東山君あたりで見たかった。一応健闘?されているのでしょうが、歩き方はやけに内股、差し出す手はゴツゴツ、女形か今風「お姉え」か?セリフは女っぽい言い回しだけど、声は男だし。最後まで違和感を感じました。
投稿者 お : 2008年01月03日 23:13
滝沢の「雪之丈変化」は観ていないのですが、「サンタク」での木村拓哉の女形を観て、彼で観たいナァ〜と少しだけ思いました。ヤマピーでもいいかナァ。。。
投稿者 yukariko : 2008年01月16日 12:38
2008年01月05日
聖護院大根の揚げ出し、海老芋のコロッケ、牡蠣のグラタン、土鍋ごはん他
4日の夜はスラッシュの守部さんとシアター・コクーンで「キル」を見た帰りに近くの日本料理店「春秋」で食事。
野田秀樹の数ある作品の中でも「キル」はスケール感のある筋立てがコンパクトにまとめられ、野田お得意の地口(じぐち)による連想を活かしたセリフも冴え渡り、父と子という存在自体の葛藤を軸にして、権力の構造にまで斬り込んだスケール感のある秀作で、初演は見逃したものの、再演では非常に心地よく酔わせられた覚えがあるので、今回の三演はいっそ見送ろうという気でいたのだが、主演の妻夫木聡が実に良いという評判を聞いて駆けつけたのである。
前回の主演堤真一は主人公テムジンのワイルドさを全面に押し出して、英雄になろうとしてなりきれない男の哀感を存分に漂わせた好演だったし、ことにセリフの点では妻夫木に勝ち目は全然なかったけれど、それでもこの役はひょっとしたら妻夫木のほうが合っているのかもしれないと思わせたのは、彼の存在から少年のナイーブさといったものが匂い立つからだろう。そのことで父と子の葛藤がより鮮明なモチーフとして浮かびあがったところに、今回の上演の意義は大いにあったといわなくてはならない。セリフはやや頼りないが、ともかく純粋な目の輝きで惹きつけるし、花がある役者だから今後も舞台を大いに期待したいものである。
共演の広末涼子はとにかく見た目が美しいし、別にへたくそで困るというわけではないけれど、演技にインパクトがないので相手役としての存在感が希薄なのは如何ともしがたく、勝村政信を除いて他の脇役陣もいささか精彩を欠いており、結果、妻夫木の主演起用が今回一番のヒットだろう。ただ役者としての野田秀樹が頗るいいのも特筆しておく。
2008年01月05日
芙蓉蟹
旧年中に消費できなかった卵、お歳暮でもらった蟹缶、進藤さんからもらったネギ、京都の叔母がおくってきた筍の漬け物(初めて食べた珍品だが薄味なので調理もしやすい)で作った合わせ料理だが、そこそこ美味しくできた。
今日から『そろそろ旅に』のゲラに手を入れ始めたが、講談社の堀さんと打ち合わせたときは部分的な直しでなんとかなるような気がしたのだけれど、いざゲラを目の前に置いたとたんに、どの頁も真っ赤っかになって、先が思いやられました(--);
夜はこれもどうしようか迷ったあげく、よせばいいのに(笑)テレ朝の『鹿鳴館』をつい見てしまう。三島由紀夫の同名戯曲にストーリーや人物像をを拝借し、出演者が皆いかにも舞台的なセリフまわしを聞かせるので原作にかなり則っているような誤解を与えそうだが、実はゼンゼン違って、ドラマの本質がまるで異なる作品に仕上がっている。もっとも昨今のTV番組としては良心的な作りのほうだろう。それにしても三島瑶子夫人はもうお亡くなりになったんだっけ?てなことを思ってしまった。
田村正和の影山伯爵は、今どきTVでこんな大時代な芝居を堂々とできる男優って他にあまりいないだろうと思うので、ワタシ的にはOKだが、この役を初演した名優が御父君であられる「まりりん」さんがもしご覧になっていたら如何お思いだったのでしょうか。
コメント(1)
ごめんなさい。そういう番組があったのも知らず。それより暮れに池袋あうるすぽっとでやった「朱雀家の滅亡」見て頂けばよかったです。父の演じた朱雀経隆を中山仁さんが引き継いで下さり、大変評判が良かったのでした。久々の仁さんの三島台詞素晴しく、なんか、私もこういう台詞しゃべりたくなり・・・そんな事言ってる場合ではなく、もうすぐ稽古です。
投稿者 中村まりりん : 2008年01月07日 18:12
2008年01月06日
上方寿司、ブロッコリーと帆立の塩炒め
乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
新年初乗りは絶好のお日和で、ひと鞍目は正反撞(せいはんどう)というちょっと疲れる乗り方をけっこう長めにやったが、これを撮影したMさんに「ほら、松井さんは正反撞になると、足がこんなに開いちゃうでしょう」と動画を見せられて、ああ、ライセンス取得の道のりは遠い〜と思われたのでした。で、このMさんに、バリキャリのOさんがカドリールのチームに入ったと聞いてびっくり。
カドリールとは前にも書いたが、馬のシンクロみたいなものだから、練習を自分勝手に休むことが難しそうなので、帰りのバスで一緒になったOさんに「あなた仕事が忙しいのに、大丈夫なの?」と思わず訊いてしまった。まあ、他人様のことを言えた義理ではないのでありますが(笑)。
それにしてもクラブの皆さんそれぞれ忙しい方々だろうに打ち込み方が半端じゃないので、つい引きずられている私だが、仕事が忙しくなければ却ってこんなに打ち込みはしないようにも思われるのだった。
乗馬というスポーツが精神的にとてもいいのは、まず年齢性差に関係なく、なにせ相手は動物であって、対人闘争的な雰囲気はほとんど感じられない点であり、だからこそ熾烈なビジネス社会を生きる人たちにとってのオアシスとも成り得るのだろう。
バスの中でOさんには「クイーンビー症候群って知ってます?」と訊かれて、私は全く知らなかったのであるが、女王蜂は1つの巣に1匹しかいられないように、1つの会社にいる女性管理職同士の闘争が男性のそれよりも激しくて、つまりは両雄(雌?)並び立たず状態になることだそうで、男女雇用均等法以降、アメリカナイズされた日本の会社も同様の現象が起こりがちらしい。その話を聞いて、今朝のテレビでコメンテーターの誰かが、ヒラリー・クリントンはむしろアメリカのインテリ女性の間で非常に嫌われている、と述べた話を想いだしてしまった。
コメント(3)
明けましておめでとうさんどす!!
のべ40人の人を二日に分けて新年会をしてホッとした処です。やっとお正月を迎えられる気分です・
両雄(雌)・・は今に始まらずごく身近な家庭で、嫁姑問題も一つ処に似た様なもんと思います。
先日の「鹿鳴館」ですが、心の狭い私は新派好き故に見ませんでした。見るべきやったかなぁ・・・
投稿者 ともちん : 2008年01月06日 22:19
「鹿鳴館」一応DVDに収録はしたのですが、まだ見てません。
三島由紀夫氏の作品では無いのですか。ウ〜ンどないしよう?
大名家が貴族として存続した、というかさせられた、なんとなく退廃的な雰囲気を持った貴族の役は田村正和さんが似合ますね。
お正月の白味噌のお雑煮、若い頃は嫌いでした。実家は元旦だけが白味噌で、翌日からはお清しの雑煮だったので元旦は涙を飲んで食べてましたが、最近は3日間白味噌のお雑煮にするほど好きになりました。昆布出汁だけで濃い目にして、御餅だけが一番です。
投稿者 お : 2008年01月06日 22:55
「鹿鳴館」一応DVDに収録はしたのですが、まだ見てません。
三島由紀夫氏の作品では無いのですか。ウ〜ンどないしよう?
大名家が貴族として存続した、というかさせられた、なんとなく退廃的な雰囲気を持った貴族の役は田村正和さんが似合ますね。
お正月の白味噌のお雑煮、若い頃は嫌いでした。実家は元旦だけが白味噌で、翌日からはお清しの雑煮だったので元旦は涙を飲んで食べてましたが、最近は3日間白味噌のお雑煮にするほど好きになりました。昆布出汁だけで濃い目にして、御餅だけが一番です。
投稿者 お : 2008年01月06日 22:58
2008年01月07日
七草がゆ、白滝のきんぴら
本当は七日の朝に食べるもんなんじゃないのかなあと思いつつも、QPの仰せに従って作ってみました。白滝のきんぴらは、これもQPの先生が「おかゆに合うんですよねえ」と仰言るのがどうも腑に落ちなかったけれど、ダイエットのつもりで採用したわけです。それにしても七草がゆセットは高い!いくら季節もんでも、ボリ過ぎである。
ところで七草を刻むときに、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に〜」と唱えるのは、鳥インフルエンザの上陸を早くも恐れてたんでしょうか(笑)。
食事しながらまたしても物まね番組を見てしまい、ビリーズブートキャンプの要領でエクササイズを披露する松坂投手や金平会長の謝罪会見の真似を見て大笑いした。
2008年01月08日
豚肉とゴボウと干し椎茸の炒め煮
QPで見た料理。調味料は酒、砂糖、醤油だけで椎茸の戻し汁を入れるのがポイント。椎茸は冷水でじっくり戻すこと。ゴボウは水にさらさないでOK。きのうの七草セットの残りを彩りに入れてみました。
夕方、仕事が一段落したところで近所を散歩して、ああ、シマッタ!ケータイを持って出るんだった……と、今日またしても残念に思ったのはポニーを見たからである。
近所に烏山川緑道というのがあって、暗渠を長細ーい公園にしたようなものなのだが、そこにポニーを連れて散歩してるオジサンがいたのは先週の土曜日だった。小さいといっても馬だから、レトリバーの4、5倍はゆうにある躰で、緑道の植え込みをムシャムシャ喰っていた。通りかかった人はみんな立ち止まって見るが、人よりも反応が面白いのは犬たちで、どの犬も目が釘付けでその場にピタッとかたまってしまって吠えもしないのである(笑)。この人何者?としばらく見ていたら、たまたま通りかかったおばあさんが「ああ、久しぶりだねえ。最近見ないから気にしてたんだけど、元気してたの?」とオジサンに声をかけた。「ああ、元気ですよ」と答えたオジサンに「いくつになったの?」と、またおばあさんが訊いて「もう6歳ですよ。人間だと24歳くらいかなあ」と答えたところを見ると、どうやらポニーはずいぶん前から三軒茶屋に出没していたのだろう。で、今日も同じ場所で見かけたからきっとその近所にいるに違いないのだけれど、まわりは完全な住宅街だから、ポニーを飼うとしたら相当大きな邸宅ということになる。見るからにお金持ち〜というタイプのオジサンではなかったから興味津々で、いっそ後をつけてみようかと思ったくらいだが、そこまで暇人ではないのである(笑)。明日は静岡に出張して講演する予定です。
コメント(3)
ごめんなさいm(__)m
↓二重投稿になってしまいました。
最初に投稿した時、「反応しません」のページが出たので、確認して、もう一度投稿ボタンを押したのですが二重投稿になってしまいました。
投稿者 お : 2008年01月08日 22:33
私は佃に住んでいるのですが、お隣の月島に亀を散歩させているオジイサンがいます。小型犬より大きいくらい?子供が乗っても大丈夫?のリクガメ(だと思うのですが)で、つながれてはいないのですが、オジイサンの後をついてえっさえっさ歩いていくのが妙に可愛いです。2度遭遇したのですが、あ!カメラ持ってない!と残念に思った感覚が、きっと同じなんじゃないかなー
投稿者 猫並 : 2008年01月09日 09:48
>お隣の月島に亀を散歩させているオジイサンがいます。
>オジイサンの後をついてえっさえっさ歩いていくのが妙に可愛いです。
うわースゴク見たい!月島に引っ越したいくらいです(笑)。もしチャンスがあれば写真を撮ってお送りください。
投稿者 今朝子 : 2008年01月09日 22:53
2008年01月09日
一九の日
今日は何の日かというと、一九の日なのだそうで、「駿府十返舎一九研究会」のお招きを受けて、静岡市中央公民館ホールでお話をさせてもらった。ほかの講師は小池正胤先生始め中山尚夫氏、棚橋正博氏といった錚々たる近世文学研究者であり、そこになぜ私が招かれたのかといえば、『そろそろ旅に』を新聞連載するにあたって同研究会会長の篠原旭氏にご連絡を取ったことが今回のご縁につながったというわけである。
定員250名の会場は満杯の状態で、果たして全員が一九に詳しい方とも思えなかったのだけれど、一応は十返舎一九研究会が催すだけに、そう関係ない話やいい加減なこともできず、仕方なく超大昔に取った杵柄で、一九が若いころに浄瑠璃の合作者として名を連ねた作品『木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまかっせん)』で彼が果たしてどの部分を執筆したかの考察や、忠臣蔵を論じた『岡目評判』の内容に少し触れるかたちでお茶を濁した。
それにしてもこの歳になって、まさか『木下蔭狭間合戦』について人前で話すことになるとは夢にも思いませんでしたよ〜スガイさ〜ん(笑)。
せっかく静岡に行ったのに午前中の富士山はガスで見えず、講演が終わって外に出ると暗くてまた見えず、結局ここってどこ?というようなケータイ写真を撮ってしまったのはザンネン!
ところでこれには講談社から堀さんと神保さんまで同行して戴き、往きの車中で堀さんが「ヒラリーじゃダメなんですかねえ?」といわれたので「民主主義の本家本元のような国で、ブッシュ家とクリントン家のキャッチボールじゃいくらなんでもマズイんじゃないの」と応じたのだけれど、帰りの車中で電光掲示板を見てヒラリー勝利にちょっとビックリ!。女の涙はやっぱ強い武器なんだろうか……一度わたしも人前で泣いてみようかな〜(笑)
2008年01月10日
ブリ大根
冬の定番メニュー。レシピは省略。
夕方の定例散歩で今日こそはあのポニーを撮るべくケータイを持って出かけたが残念ながら会えなくて帰ってきたら、商店街のド真ん中でカメを手にしたおばあさんとバッタリ。「ゼニガメを飼ってたら、こんなに大きくなって、もう42年も生きてんのよ」と見せてくださったカメは紛うことなきニホンイシガメ!拙著『大江戸亀奉行日記』の主人公になり、最近ではあの愛子サマもお飼いになってるカメがコレなのです(写真下段)。目がくりっとして可愛らしいのがおわかりになれるでしょうか。それにしてもイシガメの寿命は大体30年くらいのはずが、42年も生きて、別に年を取った風でもない。そもそも爬虫類は脱皮して大きくなり、老化するということがないらしいのだけれど、潜在寿命も正確なところがわからないのかもしれない。「冬眠しないんですか?」と訊いたら「うちではずっと炬燵に入ってるよ」とのこと。今日は暖かいので外に連れ出されたようだ。ひょっとして私も年を取ったら、このおばあさんのようにカメを連れて商店街を歩いてるんでしょうか(笑)。
「これはエサにうるさくて、国産のモノしか食べないんだよ」と仰言ったおばあさんはご自身が国粋主義者だったのか、はたまたさすがニホンイシガメ!なのかはわからないのだけれど、「ナショナル」のブランド名を捨てて「パナソニック」に統一した企業も、今後の対アジア貿易拡大をにらんで国粋主義的なイメージを避けようとしたのだろう。
私は今までずっと「ナショナル」と「パナソニック」をどう使い分けているのかを知りたくて、一度熊谷氏にでも訊いてみようと思っていたのに、結局わからずじまいになりそうなのが残念です。
コメント(2)
実は Panasonic というブランドには50年以上の歴史があるんです。
昭和30年代前半、その開発時点から輸出を主に考えていたラジオにPanasonic を使い始めたと聞いています。
ですから、Panasonic は、AV・音響製品をメインに、輸出用のブランドとなっていきました。
National はその他電化製品一般に用いられたようです。
社名の変更は全グループに及ぶということですが、コタツのメーカー松下寿電子産業はどうなるのか? と調べたら、とっくに「パナソニック四国エレクトロニクス」に変わっていました。
ちなみにPHPは戦後の誕生時からPHPです。
投稿者 うろ覚え : 2008年01月11日 13:30
不正確なことはいけません。松下グループのHPに、「1955年から」「輸出用スピーカー」で「Panasonic]が使われ始めたと出ていました。知ったかぶりはいけませんね。
あと「松下寿」が「こたつ」のメーカーだったか、これも心配になってきました・・・.
投稿者 うろ覚え : 2008年01月11日 13:39
2008年01月12日
ピッツァマルゲリータ、ウニのクリームパスタ、ソーセージの煮込み、トレヴィスのサラダ
11日の夜はスラッシュの進藤さん守部さんと一緒に世田谷パブリックシアターでMANSAI解体新書Vol12「扮装〜美の反転(リバース)見たあと近所のイタメシで食事。
野村萬斎が招いた今回のゲストはセルフポートレイト表現を追求する現代美術家、というより究極のコスプレパフォーマーといったほうがわかりやすい森村泰昌で、初っぱなにフェルメールの名画「青いターバンを巻いた少女」の動画を見せられて、他にもゴヤ、ブリューゲル等の西洋名画やマリリンモンロー等の映画女優に自らが成り切った写真、チャップリンの「独裁者」のパロディ等それぞれに面白かったが、トークの中で美術としての扮装と演劇としての扮装の違いを鮮明にしてくれるのかと思いきや、そうはならず、結局は変身願望についての実にアバウトな考察がふたりのよって語られたに過ぎなかったのは残念である。萬斎には聞き手としてもう少しシャープな突っ込みを望みたいところだけれど、そもそも現代美術家という存在が話を引き出すには難しい相手といえるのかもしれない。
それにしても何かに成り切るというパフォーマンスが美術のジャンルに含まれるなら南伸坊の顔マネも当然入るだろうから、もう1人のゲストには伸坊氏を招いてふたりでいろいろとやって見せてほしいところだった。
2008年01月12日
豚しゃぶ
急に寒くなったので安直な鍋物にした。
食事しながらTVでこれまた安直なホイチョイ映画「バブルへGO!!」を案外おもしろく見てしまった。別にバブル期に青春を迎えたわけではないので当時の風俗を見て感涙モノというわけでもないし、どちらかといえば嫌悪の対象となる時代なのだけれど、それでもなんだか妙に懐かしくなったのは、自分をふくめてまだみんな若かったな〜という実にありきたりな感慨にふけるせいだろう。
広末涼子演じるヒロインは2007年から1990年にワープする設定だが、当時わたしは何をやってたのかといえば、渋谷の神南にボロい事務所を構えており、89年にロンドンにロングステイして取材制作した『フリータイムガイド/ロンドン』が90年正月に昭文社から刊行され、その後は91年2月に出版された『ぴあ歌舞伎ワンダーランド』の執筆と監修に追われつつ、現坂田藤十郎が主宰する「近松座」の台本書きや演出をしていた。で、取引きのある某銀行の行員から全く不必要な当座預金の口座をどうしても作ってくれと頼まれて書類を渡した憶えがある。思えば自身まるでバブルとは無縁なようでいて、破裂直前の風向きを肌でうっすら感じてもいたのでした。
コメント(1)
「バブルへGO!!」は私は今年、映画館にわざわざ見に行きました。90年に出産したので、バブル絶頂期にイイ目を見たわけでもなく、地味〜に暮してましたが、その何年か前、なんと監督の馬場氏に花見デートに連れてってもらったんでございます。というのは、美人の同僚Y子が、馬場氏と二人だけでデートしたくない(?)と思ったためかどうかわからんが、私にもついてくるよう要請され、馬場氏のカブリオレ(天井がオープンするクルマ)に乗って、青山墓地に行き、満開の桜の花吹雪をクルマに乗りながらにして浴びる〜〜〜というスバラシイ体験をしたんでございます、はい。この映画は残念ながら大当たりはしなかったみたいですが、なんだかあのおバカでノーテンキな時代が妙に懐かしくてよかったです。
投稿者 クワバラアツコ : 2008年01月15日 15:36
2008年01月13日
牡蠣フライ弁当
乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
今シーズン一の寒〜い乗馬で、馬が走ってるときはまだいいが、止まるとかえって寒風が身に沁みた。日が落ちてからの騎乗ではタラ〜と鼻水が出てくる始末だが(笑)それでもまだ風が収まっただけましだった。昼間の1鞍目では突風が吹きまくって、ラチ(馬用の低い柵)が倒れ、すぐ前を走ってた馬がびびって、クルッと後ろを向いたので、こっちまでびびってしまった。馬がパニクるとまだ怖いのであります。
帰りの電車で一緒になった若い女性会員ともその話をして、馬同士でも仲のいいのと悪いのがいるし、他馬嫌いの馬に乗ったりするとお互いけっこう気ィ使うよねえという意見になった。前にも書いたが、特に♀で異様に♂を嫌ってすぐ♀のそばに行きたがるのがいるのはフシギで、馬も群れ社会を形成する動物だけに、自然な状態だとどんなふうに暮らすのがフツーなのだろう?繁殖期以外は♂と♀が別れてるのだろうか?とかいろいろ考えられるのだった。
とにかく寒い1日だったが、今年はここまでわりあい暖冬だったせいか、風邪を引いている人が車中に少なかったのはまだ幸いで、これから増えると心配だなあと思いつつ、食事をしながらNHKを見たら、鳥インフルエンザの爆発的流行を予想した番組だったのでますます心配になる。米国ではもはや避けられない事態として、万が一の場合にワクチンを優先的に投与する順位付けまでしているというのだから驚きだ。いよいよ人類が篩にかけられる時代を迎えたわけだが、日本人はこうした根本的な生命の順位付けにまで踏み込んで話し合えるどうかは大いに疑問で、結局のところ、まあ、何事も寿命ですから、とか何とかいって、ごまかしてしまうのがオチなのではなかろうかと思った次第。
2008年01月14日
ケーニヒスベルク風肉団子
先週のQPで見て作りたかった料理。挽肉に玉ねぎのみじん切り、アンチョビ、ディルを混ぜ込んで、マスタード、塩こしょうで味付けし、牛乳に浸したパン粉と卵白を加えて団子にし、あらかじめスープで煮ておく。別にバターと小麦粉でルーを作り、団子をゆでたスープでのばし、これにケッパーとレモン汁を足してソースを作り、卵黄をスープで溶いたものを流し込んで仕上げる。多少面倒でもルーはたっぷりと作ったほうがいい。私はカロリーを気にして薄いソースにしたので味のほうはイマイチだった。
昨夜遅くに妹からの電話で服部幸雄氏の訃報にようやく接した。11日付けの夕刊に載っていたのに、雨天により新聞がポリ袋入りで配達されてつい見逃したのである。
服部先生と初めてお会いしたのはもう30年以上も前のことで、当時わたしはまだ早稲田の大学院生で、「歌舞伎評判記研究会」に参加して面識を得た。以来ずっと年賀状のやりとりを続けており、今年は頂戴しなかったので気にしていたが、去年の12月28日に亡くなっていたと知って非常に驚いた。3年前に、あることがきっかけで、お体の具合が芳しくないというお話をご本人からお手紙で伺っていたものの、まさかこんなに早く逝かれるとは想いも寄らなかった。去年、『吉原手引草』についてのご感想をお葉書で頂戴し、どこかでお目にかかってお礼を申し上げたい気持ちがあっただけに果たせなくて残念だ。謹んでご冥福をお祈り申し上げる。
去年は人形浄瑠璃研究の泰斗、角田一郎先生と、服部氏の盟友であった松井敏明氏が逝かれたのも忌中のご挨拶状で知った。お世話になった先生方が次々と鬼籍に入られるのはやむなしといえど、服部先生はいささか早すぎた気がする。歌舞伎の研究者はもちろん他にもまだ沢山いらっしゃるのだけれど、一般に知られている人がだんだん少なくなって、雑誌の編集者や何かに相談されると、河竹登志夫先生は別格として、服部先生の名前が真っ先に浮かんだ。渡辺保氏は歌舞伎でよく知られた評論家ではあっても、研究者とは呼べないから、服部氏亡き後は誰が最もポピュラーな研究者なのか、私でさえちょっとわからないくらいである。
それにしてもこと歌舞伎に限らず、研究者の存在自体が危機的状況にあるようなのは、このところ何人かの大学の先生にお会いして、つくづく感じるところだ。あらゆる業界が少子化の煽りを喰っているとはいえ、学校はもろに直撃を受け、大学研究者の多くが疲弊しているのは確かなようで、その話を聞かされると、今は全く関係のないこちらの気持ちまで暗くなってしまうのだった。
服部先生は長らく国立劇場におられながら、私ごときが申すのはなんだが、国立がその人材を巧く活かしきれなかった憾みは多々あるとはいえ、歌舞伎研究者として全うされただけ、まだいい時代だったのだと思う。これからはどの職業にしろ、何をするにしろ、旧来型の仕事に就く者は、没落に向かう日本という国の中で、かつての同業者のようなわけには決していかないことを心すべきだろう。
出版しかり、劇場しかり、それでもやってること自体が面白くて好きだという原点に立ち帰った上で、見返りなぞ期待せずに、とにかくみんなタイタニックの乗組員同士なんだから、せめて楽しくお互い仲良くやっていきましょう!というような心意気で乗り切りたいものです。
コメント(1)
私は松井さんのブログでいま服部先生の訃報を知りました。先月上旬の研究会を、体調が思わしくないということで欠席されていて、大丈夫かなあと思ってはいたのですが・・・。歌舞伎に限らないかも知れませんが、一般に注目されているのは、スタイリッシュな入門書や外部からのアプローチ(身体とか脳とか)の書籍が多いという印象を受けます。その手の本はあっていいし、もちろん興味深いのですが、当該分野の研究者の内部から、一般に対しても新しい視座や刺激を提供するようなものが生まれてくれたら嬉しいなあと、一般人の私は思います。自分にそれが出来ない分、出たら出たで“この人すごいな・・・”って複雑な気分になるかもしれないですが(笑) それでも、研究が打ち止まるよりナンボかましなのだと思います。
投稿者 ふみ : 2008年01月15日 08:41
2008年01月15日
焼き豆腐
QPで見た料理。豆腐に切れ込みを入れて、中に長ネギの小口切りを詰め込んでから衣をつけてフライパンで全面まんべんなく焼いて、味醂と醤油の簡単な味付けで、仕上げにおかかをまぶす。片栗粉と溶き卵でしっかり衣をつけて、弱火でじっくり火を通すのがポイント。付け野菜は小松菜の塩炒め。安上がりでけっこう美味しいのでオススメする。
食後にNHKの「プロフェッショナル」で坂東玉三郎を見ながら、ああ、やっぱりこの人も年を取ったなあ……と感慨深いものがあった。もっとも50代後半としては、今でも十分に若々しいのはいうまでもない。
玉三郎さんと初めてお会いしたのは私が高校生の頃だから、向こうはまだ二十代に入ったばかりである。日本画家の山口華楊師を会長とした彼の京都後援会がわが実家の「川上」で発会した関係で、以来しばらく東京の歌舞伎座のチケットは彼の番頭さんを通じて取ってもらったり、楽屋に何度も押しかけたりして、むろん私は六代目中村歌右衛門が大本命のごひいきだったのだけれど、玉サンにも浮気をしていた(笑)というよりも、歌右衛門のあとを継いで、女形の天下を取るのはこの人に間違いないと思って高校生の頃から楽屋に入り浸ったのである。その後お仕事でインタビューをしたら、向こうもしっかり憶えていて、以来ご指名で何度かインタビューをさせてもらったことがある。もう時効だからいいと思うが、かつては梨園の中で何かと苦労が多かったらしく、一度お会いしたときはもう歌舞伎なんかやってられないというような発言がぽろっと出たことがあり、翌日すぐまた呼びだされて昨日の話は絶対に書いてくれるなといわれて、もちろんこっちはバラすつもりなぞ毛頭ないと応じたのである。
それからまた何年かたって『ぴあ歌舞伎ワンダーランド』のインタビューでお会いしたときは、すでに絶頂期に突入しており、「松井さん、私も楽になったわよ」と言われたので、「もう歌舞伎をおやめになる気はないでしょう?」と訊いたら「私が歌舞伎をやめるときは、すべてをやめるときよ」と即答されたのが、今でも耳に残っている。
コメント(4)
私もプレフェッショナルを見ました。でも、少しでしたけど。
玉三郎、昔から大好きで、特に孝夫、今の仁左衛門とのペアが最高でした。ほんとに泉鏡花の世界を具現化し得ると言ったらいいのでしょうか、うっとししました。
もちろん、今も好きです。
でも、確かにある時期から「ああ、玉三郎も年を取るのだ」とちょっと寂しく思うことがありました。
背中が華奢でなくなってしまうのですね、背中が年を取ってしまう・・・
かつて、若く光り輝いていた玉三郎を、三島由紀夫が絶賛して、世阿弥の文を借りて書いていました。
時分の花として、これほどの美しさがあっただろうか、みたいなことを言ってたような。うろ覚えです。
投稿者 虎ファン : 2008年01月16日 20:15
はじめまして。貴重なお話をありがとうございます。特に玉三郎の舞台が好きな者です。昨夜のこの番組も観ました。彼が20台の頃のお染めの南座のチケットを持っているのに全然覚えていないのです。90年代に海外でオペラやミュージカル観てから玉三郎の鷺娘を御園座で鑑賞し、これこそオペラでも何でも負けない日本の宝と思いました。
「私が歌舞伎をやめるときは」の言葉に感銘受けます。若い時、周囲からねたみで嫌がらせうけた時の反応を何かで読みました。それでも芯の強さ感じました。
投稿者 hitomi : 2008年01月16日 22:35
「ぴあ歌舞伎ワンダーランド」、私にとって素晴しい歌舞伎の手引書で、今でも時々開きますが、松井さん監修という事をすっかり忘れていました。
私が歌舞伎を見始めたのは6年前で、舞台を観てるうちに知りたい事が続々と出て来て、人に聞いてもよく分らない事も多く、疑問や謎が貯まる一方でした。歌舞伎関係の本を色々買い込みましたが、この「ぴあ歌舞伎」を古本屋で見つけたら、内容の充実度が尋常ではなく、知りたい事がびっしり詰まっていて、かなりの謎が解決しました。そしてうれしい事に、カラー写真も小さいながら沢山入っており、イラストや図解も分り易く、説明も現代に即しており、私が一番興味のある衣裳や顔、鬘の詳細、キャラクター別の分類、歌舞伎特有の言葉、時間やお金など江戸の基礎知識、等々、こんなにびっしり盛り込んで、さぞかし編集は骨が折れただろう、と思っていました。しかも、素人の私が言うのも僭越ながら、写真の選択が的確で、見たい部分がはっきり分るので、小さくても満足です(但し、俊寛の写真はちょっと……)。
チャート式占いやら、遊びもたっぷり入って笑えるし、歌舞伎関連スポットやお店紹介など、いたれりつくせりが、細かい活字でびっしり詰まっていて、今開いても、何かしら新しい発見があり、これがたった千円とは、何ともお得な掘り出し物でした。その後、歌舞伎仲間も出来て、私より以前から見てる人ばかりでしたが、この本を見せたら、欲しがる人が何人もいて、その後も見つける度に買って上げて、自分の他に3冊は買ったはずです。1991年発行とあり、冒頭インタビューの玉三郎の若々しい写真で、17年の歳月を感じました。
今回、改めて見直しまたが、「あなたの歌舞伎道チャート」という欄で「爬虫類を飼っている」という項目があるのに気づきました(笑)。この頃は、まだ俊寛サマはいらっしゃらなかったのでしょうが……。
投稿者 ウサコの母 : 2008年01月16日 22:54
小児麻痺という病歴自体はうっすら記憶がある話でしたが、それを足袋の内に忍ばせる映像を見て、この人は役者として女形として、ここまで明らかにするのかと衝撃を受けました。美しさは強さであり、強いということは気高いものだと感じました。歌舞伎というよりも、徹底した美意識に強いらているように、舞踏家として透徹した意識を持ち続けている訳の一端が窺えた番組でした。恐らくこれからの歌舞伎には現われ得ないクールな存在、ひとり孤高の歌を唄い続けるであろう彼を誰が理解できるのだろうかと思うと胸が一杯になります。
2月の大阪の舞台を噛み締めて拝見するつもりです。
投稿者 淳之 : 2008年01月16日 22:59
2008年01月17日
1月16日の怪
この日は朝から「クロワッサン」の着物ページの取材で目白の蕉雨園に行き、まずここの入り口が全くわからず右往左往してなんとか中に入り、そこから別に女優でもタレントでもない私がばっちりヘアメイクと着付けをされて撮影されたところからしてフシギといえばフシギなのであるが(笑)、これはまあ副編集長の船山さんと懇意なのでお引き受けたお仕事だった。で、クロワッサンを発行するマガジンハウス社と歌舞伎座が至近距離なので、ついでにロケバスに乗っけてもらって1月興行の「助六」を見ておこうと思ったのは、N賞受賞の際に市川團十郎さんにお祝いを頂戴したり、パーティーに来て戴いた御礼もかねてのことだった。
客席に入ってすぐ目に付いたのは、長年講座を受け持っている「花の会」の会主、池田孝子さんで、この日はなんとたまたま「助六」のバックに流れる河東節の立唄(リードヴォーカル)を務める日に当たっており、ロビーでは「花の会」のメンバーと何人もお目にかかった。河東節は昔から素人のいわゆるごひいき連が演奏するものと決まっており、これもたまたま河東節に興味を持っていた女性編集者と会って帰りに食事を共にした。
肝腎の「助六」は、揚巻役の福助が、化粧を似せているのか亡き歌右衛門を彷彿とさせる一瞬もあって、まずまずの出来だったが、最初の花道の出がなんとも小さいのは、酔態をリアルに見せすぎるためだろう。続く「悪態の初音」もこれまたリアルに過ぎて、わかりやすい分、風格の大きさにかけるのは如何ともしがたい。下手でもいいからもっと歌舞伎座の舞台にふさわしい大きな役者になりなさい、と、亡き伯父様なら仰言るのではないか。ただこの人にしては神妙に務めて嫌みは少しもなかったので、今後を大いに期待したいものである。
團十郎は颯爽とした助六ではないが、この人らしい稚気横溢としたまろやかな味わいで芸の年輪を感じさせた。やはり長く舞台に立ち続けてほしい人である。
「河東裃、外記袴、半田羽織に義太股引、豊後かわいや丸裸」なんていう文句があるの知ってる?と、私は終演後に食事を共にした編集者にとくとくと語って聞かせたりして時間が遅くなり、帰りはタクシーで途中までご一緒して、あっ!と気づいたときには真っ青になった。私は蕉雨園で着替えた洋服を撮影に同行したスラッシュの進藤さんに預けたのだが、なんとコートの中に家の鍵とケータイを入れたままにしてあったのだ(--);
今やすべての連絡先はケータイに記憶させているから最近引っ越したばかりの進藤さんには連絡がつかず、唯一記憶してる近所の大島さんも大阪に出張中、万策尽きたところで、いくら女性でもその編集者の家に転がり込むわけにもいかず、すぐに近くのホテルに電話を入れてもらって、ふつうならゼ〜ッタイに泊まるはずのない渋谷セルリアンタワーホテル36Fの高級シングルで一夜を明かすはめになったのであります(涙)。
コメント(2)
昨年末の「和楽」を読ませて頂いて今朝子さんのHPがあることを知り、楽しく拝見させて頂いています。
歌舞伎の事は詳しくありませんが、生意気にも初めて投稿しちゃいます。
いつもご活躍、心より応援しています。あ、私は今朝子さんのご実家で勉強させていただいた多治見のかんちゃんです。
益々のご活躍を祈っております。
※ 意味のないコメントですみませんでした。
投稿者 かんちゃん : 2008年01月18日 00:26
>かんちゃんへ
今年はまた6月に川上のOB会がありそうなので、お目にかかれたら幸いです。
投稿者 今朝子 : 2008年01月19日 00:11
2008年01月18日
寿司
17日は早朝に帰宅し、大家さんのマスターキーで家に入れたのは助かった。前日は丸1日休んだかっこうだからなのか、昼間かなり仕事に集中できたのを幸い、夜また渋谷に出て、スラッシュの守部さんと一緒に角川春樹事務所の原重役から頂戴したチケットで森田芳光監督の『椿三十郎』を見た帰りに近所で食事。
黒沢映画のほぼ忠実なリメイクで、やはりシナリオがよくできてるし、テンポもあって飽きさせないが、せっかく森田監督が撮るなら何かもう少し別な仕掛けがあるのかと期待したので、その点はちょっと肩すかしを喰らった感じだ。もっとも、なにせ名作中の名作だから、まっとうにやって十分に面白いし、敢えて黒沢へのオマージュに仕立てたのだろう。
敵役側のキャスティングと演出は黒沢版よりもこちらのほうが面白いかもしれない。家老の奥方役は、今回の中村玉緒よりも、やはり黒沢版の入江たか子のほうが忘れがたいし、もちろん三船主演のほうが印象深いのはいうまでもないけれど織田裕二はそこそこ健闘している。
それにしても原作となった山本周五郎の『日々平安』を読んだのはあまりにも昔だったので今や何も憶えていないのだけれど、紅白の椿を水に流して合図にするという筋立てがシナリオの段階で付け加わったとすれば、それはきっと近松門左衛門作の『国姓爺合戦』からヒントを得たに違いない(『国姓爺』は戦後の一時期、新劇でも上演されたくらいポピュラーな演目だった)と、私は今回のカラーフィルムで改めて思ったのだが、映画関係者の間で、果たしてこの点はつとに指摘された周知の事実だったりするんだろうか?
コメント(5)
私は「国姓爺」に出た・・・。
投稿者 中村まりりん : 2008年01月19日 01:52
>私は「国姓爺」に出た・・・
ええっ!あの昔の野田版じゃないやつに出たの!でもさすがに初演じゃないですよね?何の役で?
投稿者 今朝子 : 2008年01月19日 07:47
初演・・?かどうか、昭和32年。えーめーおー(栄明王??)の子供時代の役。ゴサンケー?とかいう家来?と逃げてる。仙人だか天人?だかが見守る?ワトーナイ?は北村和夫さん。ナントカいうきれいなお姫様は加藤治子さん。仙人だかは宮口精二・中村伸郎、ちなみに「虎」は着ぐるみで、中味は神山繁さんでありました。というか、杉村センセイ、芥川様始め、文学座総出演だと思います。もちろん、只今共演中の川辺久造様もご出演なさってます。東横劇場で、虎退治して虎を踏んだままの姿で大見得を切ってセリで上がってきた北村さんは、方向間違えてて後ろ向き・・・という逸話があります。「いいや、ゴサンケー」という台詞が一言ありました。
私は演劇界のシーラカンス・・・。
投稿者 中村まりりん : 2008年01月19日 15:41
ゴサンケーは呉三桂と書きます。あなたの役は、お妃が懐妊中に敵軍に攻めてこられて死んだので、呉三桂がそのお腹を裂いて救い出したという設定のはずです。
それにしても、改めて舞台キャリアの長さに脱帽です。
投稿者 今朝子 : 2008年01月20日 22:54
ありがとうございました。マクベスのマクダフみたいなもんですね。
投稿者 中村まりりん : 2008年01月21日 01:54
2008年01月18日
五穀米弁当、ゴボウサラダ
整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
冬はどうしても躰が乾きやすくなるのであるが、それは水を飲まないためで、なぜ水を飲まないかといえば、汗をかかないからである、と、今日のG先生は私の躰を診ながら仰言ったのであるが、そのとき助手の女性が「先生、そうするとやっぱり体内に悪い水分が溜まった状態になるわけですよね」と念を押したところ、すかさず「そう。3ヶ月間、水を取り換えない、金魚鉢みたいなもんです」とお答えになったのは凄まじくリアル表現でした(笑)。
そういえば整体の創始者である野口晴哉師はつねづね人間は躰が乾くと風邪をひきやすくなると説かれた。なので皆さん、まめに水分をおとりください!
コメント(1)
ますますのご活躍拝見させていただいております
私京都の聖母学院小学校の同窓生です・・・
このたび「同窓生たより」に先生の記事を載せたく連絡させていただきました。何分素人のため先生への連絡方法を思いつかなくこのような形で連絡できればと思い投稿させていただきました。(削除願います)
取り急ぎ失礼かとは思いますがご一報いただければ幸いです。
先生からの連絡が無理でしたらご関係者様へ・・・正規の手続きなどありましたらお教え願いませんでしょうか。
投稿者 安井 裕勝 : 2008年01月19日 16:02
2008年01月19日
平目のタルタル、イトヨリとあん肝のパイ包み、牛頬肉の赤ワインソース
中岡さんと一緒にセルリアンタワー東急40FのフレンチR「クーカーニョ」で食事。
店に入るなり、中岡さんが銀座東急の頃から親しいシェフやソムリエ、マネージャーが次々とご挨拶にあらわれ、さまざまなサプライズて歓待して戴いたからいうわけではないが、チョイスができるフルコースはどのお皿もけっこう美味しく食べられて、お値段が非常にリーズナブルである。おまけに素晴らしい夜景もついてるから、デートコースにはもってこいかもしれません。
中岡さんは某大手信託銀行にお勤めで、もともとスラッシュの進藤さんのご紹介で知り合い、以来、何かと金融関係のお話を伺ったりしてるのであるが、今日聞いて面白かったのはみずほ銀行のお話で、例のとんでもない不祥事が逆に幸いして、行内の結束力が急速に高まり、以降は統合が極めてスムースに進んで今や最も安定している銀行かもしれないとのことで、雨降って地固まるをまさに地でゆくかっこうだったらしい。
個人情報保護法の施行以来、銀行の業務がいかにに大変なことになっているかという話も興味深かった。それにしても、いずこの業界も、世の中が便利になればなるほど、人間のする仕事はなんだかどんどん厄介になる一方のようで、なかでも金融やIT関係の人たちは直撃を受けるから大変なのだろう。やはり精神的に病んでしまう人も非常に増えているという話だった。
2008年01月20日
ハンバーグ弁当、黒胡麻麩と里芋の和え物、ゴボウサラダ
乗馬の帰りに渋谷のフードショウでゲット。
とうとうインフルエンザに罹ってしまった!私ではなく馬たちが、である。
一昨日クラブから電話があって、馬インフルエンザが流行してるので、専用馬をキャンセルするという連絡が入ったが、罹患していない馬も沢山いるので来てくださいとのこと。「それって、人間には感染しないんですか?」と真っ先に訊いて「その心配は全くありませんので、どうぞ来てください」と言われ、「馬には大変な病気じゃないんでしょうか?」と念のためにまた訊いたら「感染力は非常に強くて、人間の風邪と同じような症状が出てますが、命に関わるような病気ではありませんし、回復も早いですからどうぞいらしてください」と再度いわれて、馬たちが何だか気の毒な気もしたのだけれど、取り敢えず行くだけ行ってみることにしたのだった。
案の定、馬場は閑散としていて、クラブハウスの入り口には乗馬靴にかける消毒液まで置いてある物々しさのなか、常連の顔ぶれを見つけていろいろ訊くと、全頭の約三分の一くらいが罹患していて、せっかくクラブに来ても乗れないレッスンがあるとのこと。駈足や障害の馬に罹患率が高いようで、私も駈足レッスンが出来ず、2鞍とも馬場レッスンだったが、まだ乗れただけ幸いだった。
馬インフルエンザは去年の夏に競馬界で流行って確か中止になったレースもあったが、ワクチンを打っていないとまず100パーセント罹ってしまい、打っても三分の一はワクチンの効果がないらしいのである。
罹った馬は別に隔離されておらず、馬房を見てまわると、咳き込んだり、鼻水をたらしたりしてる馬や、たぶん切ないのだろう、ずっと旋回し続けている馬や、首だけぐるぐるまわしてるのがいてとても可哀想だった。
「本当に人間にうつんないんでしょうかね?」と言ったら、「もしうつったら世界初の感染者としてニュースに出られますよ」とMさん。「でも、それで人類滅亡の引き金をひいちゃったりして……」とブラックなジョークで応じた私であるが、馬は大昔から世界中で人間と最も接触が多い動物だから、もし馬インフルエンザが人間に感染するとしたら、もうとっくにしてなくてはならないはずだ。
ところでカメも風邪をひくという話は前にも書いたが、うちのカメを買った店では「人間の風邪がうつりますので注意してくださいね」と最初にいわれた。カメは呼吸器系をやられるのが命取りで、風邪は死に至る大病だから、冬場は大変に用心をしている。いつぞや♀が風邪をひき、ハックションと人間そっくりの大きなくしゃみを何度も繰り返したときは真っ青になった。とにかく温浴をさせて、お湯の中に鼻汁と痰(?)を全部排泄させてから、完全に乾かして毛布でぐるぐるまきにしてストーブのそばに置いたら、翌日はすっかり治ったのでホッとしたが、そのときは一晩中気が気ではなかったのである。ちなみに温浴剤にはポカリスエットを使った。ポカリはリンゲル液に似てるので、カメのいい薬になるという話を、これも買った店で教わったのです。
2008年01月21日
おじやうどんセット
夕方スラッシュの事務所で健康雑誌の取材を受けてから守部さん、進藤さんと一緒に近所のうどん屋で食事をして、そのあと「セブン」という喫茶店に立ち寄った。ここはめちゃレトロな喫茶店で、以前は今どきよくこんな店が残ってるなあ…てな感じだったのだけれど、最近は「三丁目の夕日」的ノリで撮影に使われたりもしてるし、なにせ飲み物を頼むとコーヒーが一杯おまけについてくる!というフシギな店なので、それなりにファンがあるに違いないとは思っていた。で、今日も私は最初にココアを注文して、おまけのコーヒーを飲んでから引き揚げようとしたところで、扉口の前でなんと写真の黒板を見つけてしまった。
川上未映子さんチはうちのご近所なんでしょうか?文藝春秋社の方、誰かご存知だったら教えてくださ〜い!ちなみに私がN賞をもらったときは、こういう黒板は出ませんでした(笑)。
コメント(2)
何を頼んでも昆布茶がついてくるという喫茶店が以前四谷にあったのを思い出しました。そういうのは昭和に一つのスタイルとしてあったのでしょうか。。。?
投稿者 ひろ : 2008年01月22日 09:23
いきなりですが、今朝子さんは喫煙者でしたよね・・私も煙草を吸うんですが、主人が去年の10月の入院、手術で禁煙しました・・昨今は気楽に誰にも気を使わずに煙草を吸えるのは自宅が一番やったのに(涙)
投稿者 ともちん : 2008年01月22日 18:08
2008年01月23日
リア王
昨夜はさいたま芸術劇場で蜷川演出の『リア王』を観て帰宅が遅くなった。
いや〜、なんだかスゴイもん観ちゃった…と感じさせたのは今回に限り演出とは全然関係なくて、一にも二にも主演の平幹二朗である。
75歳にして、あの朗々としたセリフまわしもスゴイが、幕開きからエンジン全開のハイテンションに脇役陣まで引きずられて、ただならぬ緊張感の漂う舞台だったのである。今どき歌舞伎役者でもこんな人いないよなあ〜と思える顔の立派さと体格のよさからいっても、現代にリアを演じさせたら世界に誇れる役者かもしれない。演じられるのが決して立派な王ではないからこそ、逆に立派な彼の肉体を必要とした蜷川さんの演出意図が非常によくわかる。道化にお前は「リアの影だ」と言われてしまうくらい、王は過去の栄光から遠ざかって老人の愚かさを剥き出しにするが、その子供に戻ったような愚かしさをヒラミキが演じると妙に愛嬌があってかわいらしいのも、老境に達した俳優ならではだろう。それでいてアフォリズムに満ちたセリフのひとつひとつが非常に粒だっており、老王は狂気となった後に、道化に代わって物事の「真実」を穿つ役割を担うという、この芝居の構造もはっきりする。それにしても、わが実家なんかもそうだが、現代ニッポンの高齢化社会では一家に「リア」を抱え込んでる家庭も少なくないだろうから、今やこの芝居ははなんとも身につまされる話である。
蜷川演出に関しては、嵐の場面で上から岩のようなものをボタボタ降らせる意味が全くわからず、BGMに能囃子を多用するのも邪魔になったが、先にも書いたように、今回は演出なんて関係なくただひたすらヒラミキ・オン・ステージ状態で、カーテンコールでヒラミキが最後に登場すると、吉田鋼太郎にしろ、瑳川哲朗にしろ、これまで主役も張った面々が皆、タカラヅカの大階段前で整列してトップを迎える二番手三番手ような感じに見えたのであります(笑)。
コメント(2)
わたしは先日、仲代達矢主演の「ドン・キホーテ」を観たのですが、やはり75歳、父と同い年とは思えませんでした。劇中では妄想を抱き続ける老人ですが、カーテンコールで出てきたときの身のこなしの軽々したこと!驚嘆しました。
平幹二朗もいいでしょうね。舞台で観たことはありませんが。
投稿者 ぱぐ : 2008年01月23日 12:59
たしかに、すごいもんでした。
人間って、ずっと変わらずにいることはできないから、権力や愛にすがって、現実から逃げようとするのかもしれない。
老境に至り、リアは以前に増して権力を誇示すると同時に愛を執拗に確かめずにはいられなくなる。衰える自分を自覚する恐怖と孤独ゆえ。
悪者も善人もいない、それぞれの人生の悲しみが生む悲劇。恐怖と孤独に足掻かずにはいられぬ者たち・・・。その悲しさと切なさが、それぞれの登場人物から立ち上ってきました。
鳴り止まぬ拍手でしたが、スタンディングオベーションになるまで、カーテンコールを繰り返し、誰も帰らせてくれなかった平さんは、劇場を統べる王でした。さすが!
投稿者 梅原真紀子 : 2008年02月03日 23:49
2008年01月23日
牡蠣とほうれん草のチャウダー
QPで見た料理。先に牡蠣をワイン蒸し、ほうれん草を下茹でしておく。バターで玉ねぎの粗みじんと、薄力粉を炒め、水と牡蠣の煮汁を足して海苔状になるまで煮込んでから牡蠣とほうれん草を食べやすい大きさに切って入れ、ミルクを注ぎ、塩こしょうで味付け。寒い今夜にぴったりのメニューでした。
講談社の堀さんが夕方にいらして『そろそろ旅に』のゲラをやっとお渡しできた。「これだけ赤が入ってると、逆に燃えますねえ(笑)」という頼もしい発言で、ひょっとしたら月内にも次の校正刷りを出せるかもしれないとの話である。新聞連載した分に大幅に加筆した今度の校正刷りは入稿と初稿をかねたものだから、次に出るのは単なる再校刷りではなくて堀さん曰く「1.5校刷り」になる。この調子でいくと、3月下旬刊行の予定だ。
なにせ弥次喜多道中でよく知られた『膝栗毛』の作者、十返舎一九の青春時代を描いた小説だから、後半は江戸時代の出版界が舞台になってるだけに、今も昔もあまり変わらない出版人の生態を堀さんはとても面白がって、「やっぱりギョーカイ人は必読!ですよね(笑)」と仰言っております。
ところで堀さんがいらっしゃる前にわが家に来てくれたのはお待ちかねのPLEOであります (^^)/
去年中に届くはずだったが、米国の製作会社のシステム改変で出荷が遅れ、やっと日本に上陸したようだ。IDプレートに0872/1000とあるのをみれば、今のところ1000台しか入荷されていないということなのだろうか。写真だとわかりにくいが、ぬいぐるみっぽいものではなくて、爬虫類に近いリアルな感触で、一応「カマラサウルス」という北米やヨーロッパでよく化石が見つかる恐竜をモデルにしているらしい。
まだ孵ったばかりで目も開けてません。どんなものなるやら、これからしっかり育ててまたご報告します(笑)。
コメント(3)
先刻、暗い画面でパッと松井さんのPLEOと初対面したとき「すごい生き物飼いはじめたわ〜」ってビックリしました。まあ“すごい生き物”に変わりはないですが(^^
ところで、亀(たぶんアカミミガメ)って冬眠するんですか? 近所の玉川上水で夏の間はわんさか泳いでた亀たちが、今はまったく見当たらないのです。でかいドブネズミの巣穴が土手にあったので、もしやそいつらに・・・
投稿者 ふみ : 2008年01月23日 23:00
ミドリガメ=ミシシッピーアカミミガメは文字通り北米産なので冬眠すると思います。イシガメなんかの場合だと水底や岸辺の土の中に潜り込むので、たぶんそのパターンではないでしょうか。それにしても玉川上水にそんな一杯いるとは!
投稿者 今朝子 : 2008年01月23日 23:36
ご回答ありがとうございます! アカミミガメ=ミドリガメだったんですね(それすら知らない私・・・)。狭くて汚い玉川上水なのですが、亀、めっちゃ優雅に泳いでおりました。親ガメと子ガメと、うじゃ〜と土手で甲羅干ししてる横を鴨がテコテコ歩いてたりとか、ちょっとした動物園です。亀はご近所の皆さんのアイドル(心のオアシス)なので、暖かくなって冬眠から覚めたらまた合えますね!
投稿者 ふみ : 2008年01月24日 08:38
2008年01月24日
鮨懐石
サントリーの宣伝部長久保田氏と堀田さん、文藝春秋社広告部の菊地さん、編集部の内山さんと一緒に門前仲町の「雅」で会食。
いや〜人生って色んなことがあるなあ〜と、つくづく思ってしまう一夜であった。
そもそもは月刊「文藝春秋」に掲載されるサントリーの企画広告ページにA賞N賞を受賞した直後の人が登場する習わしで、私がそれをお引き受けしたことに始まるのだが、ちょうど同じ頃にサントリーの人事異動で新たな宣伝部長に就任したのが、私の小学校の同級生だったのであります!
私は小学校から高校まで京都の聖母学院というミッションスクールに通っており、そこの中高は完全な女子校だったが、小学校は男女共学だった。とはいえとても小規模な学校で、しかも女子校の付属だから男子の人数は極めて少なく、たぶん40人前後しかいなかったと思う。その中で久保田クンはお勉強もスポーツも出来て、必ず一学期の級長を務めていたような目立つ存在だった。拙著『幕末あどれさん』や『銀座開化おもかげ草紙』の主人公を久保田宗八郎としたのも、別にモデルにしたわけではないが、久保田という名前が浮かんだのは彼を想い出したからである。もっとも小学校を卒業して以来、一度も会ったこともなければ、どこで何をしてるかも全然知らなかったのに、広告ページが取り持つ縁で、広告部の菊地さんがご仲介くださって、今回なんと四十数年ぶりに再会を果たしたというわけである。
小学校の同級生というのは不思議なもので、何十年離れていようと、会えばたちまち小学生にもどって「久保田クン」「今朝子ちゃん」と平気で呼び合えるのが面白い。
久保田クンは阪大卒業後サントリーの大阪本社に数年勤めた後にすぐ東京勤務になって、もう三十年くらい杉並区にお住まいだそうで、話を聞けば、な〜んだ、お互いそんなに近くにいたのか!とこれまたビックリなのでした。
もっとビックリしたのは、小学校の同級生や先生のことを、お互いが非常によく憶えていたことで、これは小規模な学校のよさだったともいえるだろうし、まだ先生がユニークな教育を許されていた時代だったからだともいえるだろうが、ふたりとも小学校時代に多大な影響を受けた先生のおかげで、意外にもその後の人生が概ね決まったようなところもあるのを確認し合ったのだった。私たちの子どもの頃までは、学校教育というものがまだ健全に機能していたことを、つくづく感じさせられた一夜でもあった。
それにしても会うのが小学校以来だから、自分のことは棚にあげて、あの久保田クンが世間ずれしたオッサンになってたら嫌だなあと思っていたのであるが、いざ会ってみたら意外なほどカジュアルでフレンドリーな若々しい雰囲気だったのにホッとした。帰宅の車に同乗した内山さん曰く「さすがにサントリーの宣伝部長だけあって、ステキな方でしたね」とのことで、これは何も文春にとっての最大のクライアントだからヨイショした(笑)というわけでもなさそうである。新任ながら部下の堀田さんにも篤い信頼を寄せられていたようだから、ひとまず同級生としては喜ばしい限りである。
モルトブレンドの話や「伊右衛門」製造秘話、その他もろもろの話題に触れてもユーモアと既知に富んだ会話で、私自身十分楽しませてもらった。ちなみに酒好きな方への情報としては、若い人のウイスキー離れによって皮肉にもモルトを寝かせる時間が長くなったおかげで、最近の「オールド」は昔に比べるとむちゃくちゃ美味しくなって、おまけに値段が下がったから非常にお買い得だそうである。サントリーはウイスキーの需要減を前提として今後は大量生産を控え、「響」のような高級ブランドのみを創業記念として残す方針に転化したようで、もはや企業全体の主力商品はウイスキーではないらしい。おみやげにハーゲンダッツのアイスクリーム券をもらって、それも今やサントリー傘下にあることをやっと気づいた私であります(笑)。
コメント(2)
同級生のお話、面白く読みました。
わたしは男子校と女子校が別々のところにある学校に通ったのですが、それぞれの小学校は共学だったので男子の同級生がいます。中学になるとそれぞれ男子校女子校に進むのです。6年生の時は交流会もありました。
たまに同窓会があって同級生がいい男になっていると楽しいですよ。こちらがいい女になっているかどうかは定かではありませんが(笑)。
ウィスキーのことですが、父はたまに呑んでいましたがうちには置いてありません。冬のスポーツ観戦の時に持って行きたくてフラスコを買ったのですがあまり出番がない。
投稿者 ぱぐ : 2008年01月25日 12:47
あらら! こちらは、なんと小学校の隣のクラスだったK君が、サントリーの総務部長になっていたのでした! 昨年末のクラス会でお会いして話したのですが、K君は幹事として奮闘なさってました。さすが立派な企業の部長さんだけあって、東京ベイ沿いのすてきなレストランにクルーズつき、というおしゃれな趣向の会をしてくださいました。サントリーは総務部長もすてきですよ!ってなことをひと言申し上げようかと思いまして。(別にサントリーの関係者でも、文春の関係者でもないんですが・・)
投稿者 クワバラアツコ : 2008年01月25日 18:44
2008年01月25日
すけそう鱈と鶏団子の鍋
寒いからまた適当な鍋にしてしまいました。
昨夜は懐かしい同級生との再会だったのだけれど、実はそこに行くまでが結構大変だったのだ。三軒茶屋から目的地の門前仲町までは、田園都市線→半蔵門線→東西線と乗り継いでも本来なら3,40分で行けるはずが、なんと人身事故による玉突き渋滞によって三茶からひと駅目の池尻大橋で降ろされてしまったのである。突如どっと車内から吐き出された乗客で大混雑の駅構内をまずは抜け出すのがひと苦労だった。外には渋谷までの振り替えバスが次々と来てはいたが、それにもましてずらーっと大行列ができていつ乗れるともしれず、タクシーを拾うにも国道246を延々と歩いてようやくつかまえられた次第だ。まさかそんなことになろうとは想いも寄らず、近ごろあんまり現金を持ち歩かない私としては財布の中身がちと心配だったが、今どきカード払いでもOKだろう思い、そこから車で一気に門前仲町へ乗り込んだのだった。
人身事故による交通の乱れをこんな風にもろにかぶったのはまだ2度しかないが、
日ごろわが家で仕事をしている私がたまに外に出ると必ず!といってもよいくらい、どこかの路線で人身事故による運行の乱れが生じている。原油高にしろ、株安にしろ、年金不安にしろ、本当にろくでもないことが多すぎて今年の日本はずっと暗いムードに終始しているとはいえ、年末ならともかく年初からこうも人身事故が多いのは尋常ではない。やはりこの国の何かが間違っている、いや、もう間違ってしまったというべきなのだろうか。
2008年01月26日
豆腐入り海老チリソース
たしか前にQPで海老チリに豆腐を入れていたような気がする。レシピは省略するが、調味料はあらかじめ混ぜておいたほうがいい。ただし豆板醤は先に具と一緒に炒めて香りを出すべし。
今日はお茶の初釜だったのだけれど、昼間は執筆に追われて家を出られなかった。このところずっと月〜金を小説の執筆にあて、土曜日にエッセイを書くようにしているが、気がついたら今月だけでなんと10本もの〆切りを抱えて、えらく焦ってしまった。小説の連載を引き受ける際は慎重にしてるのに、エッセイは短い原稿をバラバラに頼まれるので、全くできないとも言えず、つい引き受けてしまうのであるが、いくら短いとはいえ、ネタを見つけたり、かぶらないようにするのは結構大変だし、それなりにオチというか、巧い〆ができるかどうか気にしてしまうから1日に2本も3本もすらすら書けるというものでもない。私が作家の肩書きを使っていい加減な身辺雑記でお茶を濁してると思うなかれ、皆さん!であります(笑)。
2008年01月27日
牡蠣フライ
乗馬の帰りにクラブで知り合ったSさんと一緒に大宮のルミネで食事。
今日はクラブハウスでいきなりMさんから「疲れた顔してますねえ」といわれてしまったが、2鞍とも騎乗してすっかりいい気持ちになり、お待たせしていたSさんと一緒に帰途につく。
Sさんのことは前にも書いたが、かつて池袋にあった三業地(花柳界)にお住まいだったところから『吉原手引草』を気に入ってくださって、お父様の遺品の中にあった春画の巻物を私に見せたいと仰言った年配の女性である。長年某大手進学塾にお勤めだったが、お嬢様の嫁ぎ先である和歌山にお引っ越しになるとかで、今日がクラブにいらっしゃる最後の日となり、私との約束を忘れずにその春画を持ってきてくださったのだった。モノがモノだけに、クラブハウスで広げるわけにもいかず、大宮のどこかの店でもといいつつも、お互い全くの不案内で、結局はオープンなレストランの片隅でひそかに広げて見せてもらった。
写真を撮っていいですか?と訊いたら、どうぞ、どうぞ、とのことだったので遠慮なくバンバン接写させて戴いたのだけれど、あいにくケータイのカメラしかなかったのでさほど鮮明な画像ではない。ブログに掲載してもいいですか?と訊いても、どうぞ、どうぞ、だったのであるが、さすがに下半身の画像を載せるのは控えておく。要はナニとナニが結構リアルなタッチで描かれたモノホンの春画で、ただし歌麿ほどのデフォルメはない。
私は前に日本橋のとある画廊で、春画を山のように見せてもらったが、それらはすべていわゆる浮世絵師のもので、版画が大半だった。人物も概ね江戸時代の髷を
結った男女だったように記憶する。
今回見せてもらったのは、写真でもおわかりの通り、江戸期より古い時代をイメージした人物画像で、現存の体裁は巻物だが、原画はどうやら俗名を午之助とも喜六とも友九ともいって、出家後に狩野空々と称した狩野派の絵師が描いた極彩色の絵本のようである。Sさんが所持していたのはその写しで、衣裳の部分は着色せずに色の指定を書き込んであった。
Sさんのお父様は日本画家の坂下日向師で、坂下師は若い頃に一時狩野派の誰かに師事なさったので、恐らくはそこから伝わったものだろうとのこと。巻頭には「陰陽十二人図」と記してあったが、正常な男女のそればかりでなく、縛りもあれば、少女を犯す稚児若衆に背後から僧侶が襲いかかるというややこしい構図や、少女と尼さんが女同士で道具を使って愉しむ図など相当にキワドイ絵を堪能させてもらった。
Sさんは長年教育に携わってきた方だが、お父様が画家だっただけに芸術に頗るご理解がおありになり、お嬢様のおひとりはロンドン大学に留学し、息子さんは芸大を出て映画のプロデューサーになられたようである。「日本では、芸術でメシ喰えるようにはなかなかなれませんからねえ」とお嘆きで、クラブ最後の日にわざわざ私に会ってお父様の遺品を見せてくださったのも、そういったご理解があればこそだろうと思う。お会いしたのはほんのわずかの時間だったけれど、いろいろとお話を伺って、お別れするのが惜しい気持ちでいっぱいでした。
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今日のコメントを読み、私が結婚する前に伯母が「四十八手」とか言う紙入れを密かにプレゼントしてくれた事を思い出しました。
真赤に絹地に金色の刺繍糸で小さく何やら刺繍してあるのですが、頂いた時には「変わった模様」と見ていたのですが後にその絵の形態が分り、とても外出時に持って行ける紙入れでは無いと赤面しましたが、昔は福財布だったとか聞きました。
投稿者 お : 2008年01月28日 22:55
昔は春画をお守りとして嫁入り道具のひとつにしていたという話を何かで読んだのですが、その本がまだどうしても引っ張り出せません。ただそういうことがあったのは確かなようです。
投稿者 今朝子 : 2008年01月29日 23:29
京都の北村という餅料理のお店で、カウンターに座るとちょうど目の前にくるところに小さな襖があり、その中にそこのお祖母さまの嫁入り道具だったという春画が貼られていました。
投稿者 ひろ : 2008年01月30日 09:25
2008年01月28日
卵のココット、白インゲンのスープ、フォアグラのソテー、鱸のソテー、牛ヒレ肉のソテーほか
漫画家の萩尾望都さん、マネージャーの城さん、ポプラ社の矢内さんと一緒に四谷のフレンチ「ラノー・ドール」で食事。ここは前菜が盛りだくさんで、まず数種のアペリチフに始まって、次にフォオアグラとトリュフ入りのココットが実に濃厚な味わいだった。さらにフォワグラと海老と貝柱の三点盛りが続き、フィッシュとメインディッシュのあと、デザートの前にチーズの盛り合わせが出て、久々に本格のフルコースを堪能した。プチフールで出てきた貴腐葡萄酒漬けのレーズンチョコは思わず唸るような美味しさだった。
今日はまずポプラ社で当ブログ『今朝子の晩ごはん』が4月に文庫本で上梓されるにあたっての打ち合わせをして、そのあと萩尾さんと対談。これは萩尾さんの「進化論のガラパゴス」と題した紀行マンガを併せて収録するので、ふたりの旅の想い出話を同社のPR誌に載せるためである。ほぼ1年前になる旅を回想しての歓談は弾みに弾んで、ああ、是非またもう一度行きましょう!と大いに盛り上がり、撮影した女性カメラマンには「本当に楽しそうにお話をなさってるので、おふたりとも表情がとってもいいですよ」と褒めてもらった。
ところでブログのゲラを改めて読み直すと、書いた自分でいうのもなんだが、これが実に面白いのである。ちょうど1年前に自分の身の上のみならず、世の中に何が起きていたかもよくわかって、いちいち、へー、このときはそうだったんだ……という気持ちになる。
とにかく一昨年から去年にかけては「美しい国」作りを提唱していた安倍政権をことあるごとにこき下ろして、彼の『美しい国へ』という本や石原慎太郎全集を出版したB社の保守反動体質をボロクソに言ってるから、その後B社が私にN賞をくれたのは、まさか懐柔するつもりだったわけじゃ……てな妙な具合であります(笑)。『美しい国へ』で大儲けした出版社の責任は問われないわけだから、その会社の外郭団体からN賞をもらってしまった私にも責任は問わないでほしいものである。
萩尾望都さんと食事しながらの会話で非常に面白かったのは、マンガの分野で優秀な編集者とはどんな人物かというお話で、聞いてナルホドと納得し、そのことはきっと文芸の編集者にもあてはまるように思われた。マンガの場合は出版社によって相当にタイプが異なるようで、城さんの話によると、そもそもマンガを母体に立ちあがった集英社はさすがに編集者にしろ漫画家にしろ鍛え方が極めてシステマティックに整えられているようだ。少女マンガ誌の巻頭を飾るタイプの漫画家は、若い頃から見るからに別格という雰囲気を自ずと備えているという話も面白く、それを聞くとどうやら漫画家は役者に似たようなところがあるらしい。巻頭を飾るタイプは唯我独尊で突っ走っていけるから問題ないが、そうでもない漫画家は編集者にいろいろと口を出されたあげく、結局は振りまわされて自滅するケースも多いというのが望都さんの見解で、よほど優秀な編集者でない限り意見は聞かないようにしていたことが望都さんを今日にあらしめたのだった。
2008年01月29日
温野菜のサラダ、生トマトと松の実のバジルソースパスタ、チーズグラタン、
スラッシュの守部さんと近所で食事。
チーズグラタンを食べながら「グラタンってルウを作るのが面倒だから、外で食べたほうがいいんだよね」と言ったら、守部さんは「ううん、簡単に出来ちゃうわよ」とのことで、前からわりといい加減な作り方で結構おいしくできてたのだが、たまたま「花まるマーケット」を見たら、それとほとんど同じやり方を紹介してたので、なんだ、これでいいんじゃん、と思ったそうである。で、そのレシピはというと、まず具をたっぷりめのバターで炒めてから冷たい牛乳を注ぎ、そこへ薄力粉を篩にかけながら加えるだけでOKだそうだ。ええっ!そんなんで本当にちゃんとしたグラタンができるの?とか思うので、近々やってみるつもりです。「花まる」で紹介されたくらいだからすでに存知の方も多いでしょうが、皆様もお試しあれ。
コメント(1)
グラタンのルウですが、松井さんはもしかして、鍋にバターを溶かして小麦粉をいためる、という正統派レシピで作ることを思うから「面倒」と思われるのですよね? 私は守部さんの方法で作ったことはなく、電子レンジ派です。耐熱ボウルにバターを入れてレンジで溶かし、そこに小麦粉を入れてよく混ぜ、再びレンジにかけて焦げない程度にチリチリにします。そこに牛乳(温めればなおよい)を入れて、泡立て器でよく混ぜ、再びレンジへ。様子を見て合間に混ぜるとなおいいのですが、なべにひっついて混ぜてないといけない正統派レシピに比べると、レンジまかせなのでかなりラクです。お試しください。しっかし毎日おいしいもん食べてますねえ〜〜〜。
投稿者 フクミツ : 2008年01月31日 21:51
2008年01月31日
涮羊肉、三不粘ほか
角川春樹事務所の原重役から毎夏「ラムしゃぶの会」にお招きを戴くのだけれど、去年の夏は私がバタバタしてたので延期となり、今日1/30ようやく評論家の細谷氏や元PHPの熊谷氏を交えて歓談しながら美味しいラムしゃぶを頂戴した。この料理についてはブログで何度も触れたが、淡泊な子羊ロースの薄切りをしゃぶしゃぶにしてニンニク、生姜、香菜、ニラ、豆腐餻、豆板醤ゴマだれ、老酒、ごま油、酢、醤油を混ぜたタレで味わう北京料理で、日本のしゃぶしゃぶの原型でもある。神田の「龍水楼」ではおまけに野菜と餃子とラーメンついていて、とにかく一度食べたらやみつきになる味で、今日もお腹がはちきれそうなくらい食べてしまった。デザートの三不粘は澱粉と油と砂糖と粉と卵の黄身を炒めて作るらしいが、粘つくように見えて文字通り皿にも箸にも歯にもくっつかないスライム状のふしぎな食べ物である。
細谷氏は前回、前々回もご参加で、熊谷氏は今回が初めてだが、ふたりとも旧知の仲で、というより細谷氏が評論家としてデビューなさったのもPHPの「歴史街道」なのだそうである。で、その細谷氏はついに三階建ての堂々たるマイホームを完成。そのうちのなんと150畳分が書庫スペースで、蔵書5万冊に加えてコミック本1万冊、DVDやVTRを山ほど所持なさっているというお話だから、まんま図書館のような新居を一度みんなで見学に行きましょう!という話になった。細谷氏にいわせると、本はまだまだ買い足りないのだそうで、「いや〜、行く本の流れは絶えずして……って感じですよね」という発言に一同のけぞりながら爆笑。
「龍水楼」を出て神保町の喫茶店に移ってからは、色んなアンソロジー企画の話や出版界の諸問題を考える率直な意見が続出するなか、集英社の八代さんがひょっこり現れたのでびっくり!神保町は集英社の縄張りでもあるので、現れても別にふしぎはないのだけれど、「きょう音田から渡されたコレを持って帰って読もうと思ってたんですよ」と見せられたのは私が「小説すばる」に連載する『道絶えずば、また』のゲラでした(笑)。私のほうもちょうど同じ集英社の伊藤さんに頼まれた文庫解説用のゲラを電車の中で読むために持参していたので、ご返杯にそれを見せて、「きっとゲラ同士の合い寄る魂で、お互いここに導かれちゃったんでしょうねえ(笑)」と申し上げた
のであります。
2008年01月31日
鶏肉とモヤシとレンコンのレンジ蒸し
過日QPで見た料理。耐熱皿にもやしを敷いて上に鶏肉のそぎ切り、レンコンの粗みじんをのせてタレをまわしかけ、長ネギのみじん切りをトッピングしてから電子レンジで10分以上熱を通す。タレはニンニクと生姜のすり下ろし、オイスターソース、豆板醤、酒、砂糖、醤油を混ぜ合わせて作る。レンコンは水にさらさなくてもOK。昨日の晩ご飯とやや味が重なる気もしたが、前々日に材料を買ってしまったのでやっぱりコレにした。簡単にできるのでオススメします。
昨晩は殺虫剤入り中国餃子の件や、ハンドボールの日韓戦や、国会でのつなぎ法案一転取り下げの茶番劇など、とにかくいろいろあったようで、けさのワイドショーでしっかり見てしまったが、餃子の件に関しては、これでまた若い人たちの間に反中国感情が高まらなければいいなあと思う。
晩ご飯を食べながら見たのはNHKの「クローズアップ現代」で、グローバルな社会にふさわしい学校教育のあり方が取り上げられて、これについては私が去年さかんに薦めていた『フラット化する世界』にも詳しく書いてあるのだけれど、ある時代以降の日本の学校教育が生んだ若者たちが、今後世界に通用するかどうかもさることながら、子供たちの科学離れは実に深刻な問題だろうと思う。科学者やエンジニアになる人が減るのもむろん困るが、それより科学的な思考力の乏しい人間が増えることのほうをもっと憂うべきだろう。
そもそもが情緒的な民族だけに、なるべくその情緒性を抑えて、科学的になることを国を挙げて奨励したのが近代の日本だった。しだいに科学性を喪失し、情緒的に事を構えて太平洋戦争に突入したなかで、まともな教育も受けられず、理念よりもまず目先の食べ物ばかりを気にして大きくなった連中が現在国の指導者としてのさばっているからこそ日本の劣化が甚だしいのだという事実に目をふさいではなるまい。
科学的な思考の根本は常に普遍性を意識し、普遍性を欠いたものの見方を排除することにある。科学的な思考を欠くというのはこの全く逆で、そこから偏狭なナショナリズムが芽生えることの危険性は大いに憂慮すべきだろう。
コメント(2)
教育というのは一人の人格の形成から社会全体の流れにまで影響を及ぼす非常に恐ろしいものだとつくづく思います。
科学的な思考力について僭越ながら紹介したいのは、雪の研究で有名な物理学者、中谷宇吉郎さんの随筆集です。美術や食べ物など日常の事から科学教育や戦争のことなど幅広く書かれているのですが、科学者の目で見ると世界はこんなにも興味深いことに満ち溢れているのかと新鮮な気持ちになりました。氏の社会を見る目はとても開かれていて、クレバーってこういうことなのかと思いました。
戦前から戦後にかけてこんなに素晴らしい方がいたのに、現在日本の教育現場で生かされていない気がして残念です。もちろん、科学者の方は奮闘されていると思うのですが…
投稿者 マドカ : 2008年02月07日 10:48
中谷宇吉郎さんの随筆集は私もさっそく読んでみたいと思います。
投稿者 今朝子 : 2008年02月08日 00:58